千代里
2025-12-16 08:06:55
7295文字
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君触れ・クガネ編・2話


 ミストヴィレッジに打ち寄せる波の音だけが響く、静寂の夜。海風に流されて聞こえるのは、酔っぱらいの冒険者たちの笑い声くらいだ。窓の向こうには、夜の海を行く船が見える。あの船は一体どこから来たのだろう。この近くの海だろうか。
「それとも……東から?」
 いつからだろう、とユキハネは思う。おそらく、港に東方からの船がより頻繁に出入りするようになったのが一つの契機だ。
 港で目にした、どこか懐かしさを覚える意匠の商船。角に響く心地よい東方の訛り。エオルゼアではまず見かけない、キモノと呼ばれる独特の装束。そして何より、白い角を持ったアウラ族の同胞たち。
 彼らを目にするたび、ユキハネはふと目で追ってしまう。懐かしいという気持ちに誘われるように、彼らの後ろ姿に視線がついていく。
(私は、東方の生まれですから。生まれ故郷から来た人たちが気になってしまうのは当たり前です)
 何度もそう言い聞かせてはいるが、自分でも足元がぐらつくような不安感を覚えている。
 彼らの後ろを追いかけていきたい。そう願う自分がどこかにいるのではないか。
 あの白い角のアウラ族の元に迎え入れられれば、何もかもがやり直せるのではないか。商船に乗っていた両親が海賊に襲われたあの夜も、海賊に娼館に売り飛ばされ暴力と屈辱に耐えた日々も。
 すべて、無かったことにできるのではないか――
 そんなあるはずもない夢に胸が痛んだ瞬間、瞼の裏を一条の光が通り抜けていった。
 それは、回想の端々で過ぎる槍の穂先。ユキハネの隣に立つ、ぶっきらぼうなシェーダー族の男が携える武器の輝きだ。
「そうです。今更、故郷に戻っても、私には……
 夢から現実に引き戻され、ユキハネは改めて故郷へと思いを馳せる。
 故郷から離れて、もはや十年近い年月が経過している。両親の親戚が別れる前と同じ生活をしている保証もない。まして、彼らが小さな子供だったユキハネと今のユキハネを同一人物として受け入れてくれるかもわからない。
「それに、私、顔ももう覚えてない。薄情なものですね」
 小さい頃に数度会っただけの親戚の顔など、覚えているわけもない。親戚や家族といっても、それは所詮ユキハネという人間に付属する記号のようなものだ。
「未練なんてない。わざわざお金をかけて帰ろう、とも思いません」
 今日、団欒の合間に話題になった東行き航路の話。それを聞いて、胸がざわつかなかったと言ったら嘘になる。
 ユキハネにとって、東の故郷のことは、かつての悲惨な生活の中では心の支えでもあった。そのような環境からフェリキシーによって助け出された後も、故郷のことは時折脳裏を掠めたが、忙しい修行の日々のうちに望郷の気持ちは薄れていった。
……なのに、私、味噌汁を飲んで懐かしいと思ってしまったんです」
 見ないふりをしたつもりの故郷の存在が、不意に影を濃くしたような気がした。
 その存在を見ないふりをしたくて、ユキハネは風の合間から聞こえる冒険者の気配に角を委ねる。今は、角に響くそのささやかな音が愛おしかった。それは、自分がこの場所にいると思い出せるきっかけとなってくれるから。
「ユキハネ?」
 不意に呼びかけられ、ユキハネは、弾かれたようにぴくりと体を震わせる。声の主は知っている。今の彼女は、宿泊しているミィハの家の一角、二階にある窓辺に背を預けていた。
 聞こえたのは、高くも低くもない男性の声だ。声を聞くだけでも、その豊富な知識を感じるような落ち着いた声音の主は、アイスブルーの髪の毛を背中に流し、ユキハネをじっと見据えていた。部屋から出てきたところなのか、彼の近くの扉がわずかに開いて照明の残滓を廊下に落としている。ミィハの耳は眠たげに頭にはりついており、寝起きであるのがすぐにわかった。
「すみません。起こしてしまいましたか」
「人の気配がしたから、物取りでも入ったのかと思ったんだ。この家は……まあ、前例があるから」
 ミィハの苦笑い混じりの発言に、ユキハネも苦笑を返す。ミィハにとっては決して笑って済ませられる事件ではなかっただろうに。彼がこうやって冗談混じりで話せるようになったのは、間違いなく同居人の少年のおかげだ。
「それで、ユキハネはどうしたんだ。眠れないのか?」
 どうしてこんな時間に起きているんだ、ではなく、ただ眠れないかだけを聞いてくれる。彼のそういうところが、ユキハネは好ましいと思っていた。
 他人の家で夜中に彷徨いていたなら、それこそ物取りを疑われてもおかしくないというのに、少しもそんな疑いは持たない。少々不用心かもしれないが、彼の信頼はユキハネには暖かかった。
 その暖かさに釣られるようにして、ユキハネは胸に手を当てる。
「なんだか、心が落ち着かなくて。……懐かしい味と香りに、少し興奮してしまったのかもしれません」
 自分でも理由が分からないざわめきだ。忘れて仕舞い込んでいたはずの故郷の気配が、急に鎌首をもたげた蛇のように、ユキハネの心から突き出てきた。たとえるなら、そんな感じだろうか。
「懐かしい、ということは、やはり君はひんがしの国の出身なのか?」
「はい。名前でわかってしまうと思いますが」
 聡明な彼らしいと、ユキハネは微笑を返す。ミィハの質問は、質問の形をとった確認であった。
「ひんがしの国の中には、クガネという街があります」
「聞いたことがある。鎖国政策をとっているひんがしの国の中でも、唯一外に港を開いている街らしいな」
「はい。難しいことは分かりませんが、そこには商いの機会を見出して多くの商人が暮らしています。私は、そんな商人の家に生まれたんです。小さい頃に船でエオルゼアに向かう途中で……
 ずいぶんと昔のことです、とユキハネは付け足す。それ以上のことを、自分の口から言うのはまだ憚られた。
 海賊に切り捨てられた両親の死体。自分の肉身を殺した者が笑う声。ネズミの死骸と雨水を口にしながら生きた海賊の奴隷時代。そして――
「無理に話さなくていい。君にとって、語りたくないことであるなら」
……ありがとうございます、ミィハさん」
「今日も話していたが、東の航路は、以前に比べればかなり安定しているそうだ。漁師たちが遠洋に船を出すこともあるぐらいだ」
「では、今度は水揚げされた魚の中に東の魚も混じっているのかもしれないのですね。楽しみです」
「たしかにそれも楽しみだが、君は……
 帰りたいとはかんがえないのか、と尋ねるべきか悩んで、ミィハは口を閉ざした。
……ユキハネは、知っているのだろうか)
 彼が思い出したのは、あのぶっきらぼうな灰肌のシェーダー族のことだ。
 ミィハは知っている。もし、ユキハネが「帰りたい」と望んだとき、船に乗れるように、彼女の師匠が資金を貯めようと考えていたことを。
 フェリキシーは口は悪いが、面倒見はいい。ユキハネが心から帰郷を望むならば、彼女を東に送り出すために手間は惜しまないだろう。
「故郷に帰らないのか、と思っていますか」
 だから、ユキハネの方から話題に出されて、ミィハは答えに窮した。
 ミィハが答えに悩んでいる間に、ユキハネは先ほどの問答を自分に繰り返す。
 子供の頃に目にしたクガネの街並み。その中を歩く、今の自分の姿を想像してみる。
 けれども、それは完成されたパズルに不要なピースを一つ足したように、どこかちぐはぐなものに感じられてしまった。
 幼い少女にすぎなかったユキハネと、今のユキハネ。その間にできた消えない溝が、ユキハネに故郷を意識させ、同時に故郷から遠ざけている。
「ミィハさん。今の私は冒険者です。そうですよね」
「え……? ああ。その通りだが」
 一体何を言っているのかと、ミィハが怪訝そうに頷き返すと、
「では、故郷に戻った私は何なのでしょうか」
 きっと、この食い違いの原因の一つはここにあると、ユキハネは告げる。
……ユキハネ」
「ここにいる私――ユキハネ・ハタオリは、フェリキシー・イゼテゥの弟子です。魔法を学び、魔道士として彼の隣に立ち、彼を助けたいと思う冒険者です。ミィハさんやケイさんとも仲良くしてもらって、他にも親切にしてくださった冒険者の方々、ギルドの方、依頼主の方……そうやって、多くの人と交流している冒険者のユキハネが、ここにいる私なんです」
 己自身を確かめるように、ユキハネは胸に手を当てる。言葉にすると、ざわついていた心が少し鎮まるような気がした。
「でも、それなら。……故郷に戻った私は、何になってしまうのでしょう。冒険者でないユキハネは、何なのでしょうか」
……
 ミィハには答えられない。
 彼もまた、故郷から距離を置き、背を向けて旅立った者だ。無痛体質を抱えたまま外で生きる危険を危惧した両親により、ミィハは徹底的な安全管理を強要され、息苦しい生活を続けていた。彼は、両親の庇護を跳ね除け、自分の心の痛みを証明するため、北方のシャーレアンからエオルゼアへと飛び出した。
 だからこそ、ユキハネに迂闊に「故郷に帰るべき」などとは言えなかった。
 ユキハネは小さくかぶりを振り、
「昔食べた料理と似た味のご飯を食べて、少し感傷的になってしまったみたいです。でも、本当にそれだけですから」
 そう言い張ってみたものの、ユキハネ自身、自分が妙に早口になっていることは自覚していた。己を納得させようと必死になっていると、ミィハにも伝わってしまっただろう。だが、ミィハはユキハネのとってつけたような態度を指摘しなかった。
「そうか。また食べたくなったら、ケイに頼むといい。喜んで作るだろうから」
「はい。そうしてみます」
 ユキハネにとってどうすることが正解なのか、ミィハに問う権利はない。
(もし、それを問えるとしたら、それは僕じゃない)
 その権利を持つのは、彼女の横に立つあの男以外にはあり得ない。おやすみの挨拶を交わしながら、ミィハはそう思った。
 
 ***
 
「朝ごはんまで食べさせてもらって、何だか申し訳かったですね」
「まあな。だけどな、ユキハネ。そんな弛みきった顔で言っても、全然申し訳ないなんて思ってるように見えねえぞ」
 フェリキシーに呆れたように言われて、ユキハネは咄嗟に手袋に包まれた手で自分の頬を撫でる。指先が、頬の鱗をざらりと撫でていき、その下の頬はほんのりと暖かかった。心なしか、頬が柔らかく感じられるのは、フェリキシーの言うように「弛み切った顔」をしているからか。
「でも、朝ごはんまでひんがし風にしたいから教えてほしいと言われるなんて思わなかったんですもの。私だって、故郷の味を気に入ってもらえたら、張り切ってしまいます」
「そういうもんかね。別に、好かれようがどう思われようが関係ねえだろ」
「そういうものなのですよ。私の好きなものを友人にも気に入ってもらえるのは嬉しいことなんです」
「はしゃぎすぎて、押し売りすんじゃねえぞ」
 言葉こそぞんざいだったが、フェリキシーははしゃぐユキハネに呆れた目を送るだけで、馬鹿にしているようには見えなかった。
「今日の魚の味噌焼きはなかなか斬新な発想でしたね。ちょっと焦げてしまいましたが、次は美味しく焼いてみせます」
「あの茶色い調味料、まだあんのかよ」
「まだまだありますよ! 無くなるまで、ケイさんには協力していただきませんと」
 とはいえ、ユキハネがひんがしの国にいたのはかなり幼い頃である。厨房の手伝いといっても、所詮はままごとの延長に過ぎない。当然ながら、調理法の全てを知っているとは到底言えず、漠然とした思い出から作り上げた魚の味噌焼きは少し焦げてしまった。
 それでも、昨日のパエリアの残りと味噌汁、さらに味噌焼きの魚が並んだ食卓は、ユキハネの舌を喜ばせるには十分だった。
 ケイが普段作るラノシア地方の野菜や卵を使った料理が嫌いなわけではない。彼の作るオムレツはユキハネの好物の一つだ。けれども、今日食べた味噌や醤油、味醂を使った味付けの料理は、それとはまた違う位置をユキハネの中に占めている。
(なんだか、心の奥底がホッと落ち着く味なんです。自分があるべきところに収まったような……とても懐かしい味)
 思い出すだけで、また頬が緩んでしまう。こんな調子でフェリキシーにまた呆れられてしまうと、それとなく頬をぐいぐいと伸ばして、平常心を装おうとした。
「東行きの航路も安定してきたって話だったな」
「そうですね。光の戦士様のおかげで」
「だったら、てめえは東にある、その故郷とやらに戻ることもできるんだな」
……え」
 せっかく装おうとした平常心が、あっけなく崩れる。
(お師様……?)
 自分自身、考えたことはある案だ。ミィハも口にしかけているぐらい、すぐに思いつくことだ。東に故郷があり、訳あってエオルゼアに留まっている。そんな話を聞けば、誰だって次に口にする話題だろう。
 なのに、フェリキシーにその話をされた瞬間。
 ユキハネは、自分ですら驚くほど、己が冷水を浴びたような衝撃を受けていることに気がついた。
 頬に当てた手も下ろさずに、自分より二回りは大きい男の顔を見ようとする。なのに、こんな時に限って朝日が眩しすぎて、彼の顔が遠すぎて、はっきりわからない。
 否、これは、はっきり見ようとすることを、自分が拒んでしまっているせいだ。だから、彼の顔を直視するのを避けている。
……お師様? どうして、急にそんなことを……言うのですか」
 どうして自分がこんなにも動揺しているのか。
 どうして、帰郷の話が頭に思い浮かぶたびに、否定的な意見ばかりを見つけてしまったのか。
 今、ようやくユキハネはわかった気がした。
 故郷に自分の居場所がないから、などというのはただの言い訳だ。
(私は、お師様と離れたくない――
 なのに、フェリキシーの方から、ユキハネの別離を仄めかす言葉が飛び出てきて、ユキハネの頭は恐怖に近い感情に囚われていた。
 だが、狼狽る彼女にフェリキシーからの返答はない。
 なんと言おうか悩んでいるのか。それとも沈黙が答えなのか。
 回答を聞くより先に、ユキハネは、隣にいる男の籠手を掴む。
「待ってください、お師様。私は、たしかにひんがしの国の料理を懐かしいと感じました。でも、私は……帰りたいなんて、思ったことは……ありません」
 その言葉もまた嘘だ。漠然と考えたことはあった。ただ、本気で考え行動に移そうとしたこともないのは事実だ。
 だが、今はそんな冷静な考えはない。頭が焦燥と嫌な想像で埋め尽くされ、自分でも何を言っているのか分からない有様だ。言葉よりも感情ばかりが先走り、そのくせ話している相手の顔すら碌に見えない。けれども、唇を閉じることはできなかった。
「そ、それに、私はお師様のそばで役に立てているはずです。そうですよね。魔法だって前よりずっと上手く使えるようになりました。お師様だって、私がいると助かると、何度か言ってくれました。だから、私」
「おい、ユキハネ」
 それまで黙ってユキハネの発言を聞いていたフェリキシーが、ようやく続く言葉を発した。
 籠手に縋り付いたユキハネの手を軽く振り払う。それが拒絶に思えて、ユキハネは今度こそ、彼と視線を合わせた。
 こちらを見下ろす紫の瞳は、静かな夜明けを思わせる。普段は斜に構えたような皮肉げな表情を浮かべているのに、今日の彼はずっと静かだ。だからこそ、その先に続く言葉を聞きたくないと思った。
「先に言っておくが、てめえがどこに行って何をするかは、てめえの勝手だ。俺がとやかく命令するつもりはねえよ」
 その言葉に、ユキハネは内心で安堵する。少なくとも、フェリキシーはすぐにでもユキハネに帰郷を促しているわけではないのだろう。だが、その安堵の吐息は、
「だけどな。てめえの選択の理由に、俺を使うんじゃねえ」
 続く言葉により、小さく息を呑む音へと変わった。
……お師様」
 突き放すような言葉は、しかしある一面では真実でもあった。
 ユキハネ自身、突如降って湧いた選択肢を反射的に拒絶したくて、自分の師匠を『使った』自覚はあった。ユキハネなどいなくても、フェリキシーは一人で冒険者業をこなせるだろうに、ユキハネは彼を自分が残留する理由にしようとした。
 俯くユキハネに、フェリキシーは続ける。
「お前は、あの時決めたんじゃねえのか」
 その言葉に、弾かれたように顔を上げる。今度こそ、フェリキシーの瞳を正面から見据えられた。
「だったら、俺のどうでもいい独り言で、そんなに狼狽えてるんじゃねえ」
 彼の顔を見ていたら、動揺した自分がまるで子供じみているように思えて、何やら恥ずかしくなってしまった。
 どうでもいい独り言とは言っていたが、彼が単なる気まぐれで先ほどのようなことを言うわけがない。しかし、だからといって、フェリキシーはユキハネを手放したいからといって、こんな迂遠な方法を取る性格もしていない。もしユキハネが不要だったなら、もっとはっきりと告げたはずだ。
 ならば、フェリキシーは、彼なりに考えて、ユキハネに一つの可能性を示したのではないか。忙しい毎日の繰り返しで、つい忘れかけていたことを思い出させようとしてくれただけではないか。
 ユキハネはそう思い直しかけ、小さく息を吐き出し、
「お師様、私――――
「だ、だれか!! 助けてくれ――――!!」
 空気を切り裂く切迫感の混じった悲鳴。朝の街道に人気は少なく、助けを求める声はよく通ってユキハネの角に響いた。
「ユキハネ、行くぞ」
「はい、お師様」
 揺れていた心をまずはまとめて心の片隅に押し込み、魔道士としての気構えを代わりに引き出す。背に負った杖を手にとり、ユキハネは敬愛する師匠と共に駆け出した。