メメント森井もりさわ
2025-12-15 18:58:57
3403文字
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並んで駆けることが、もう無くても

ナイトレイン、追跡者の過去捏造妄想話です。
追跡者、レディのジャーナルに関するネタバレがあるかも。
とても読みにくいうえに誤字脱字もあるかと思います。許してください。

並んで駆けることが、もう無くても

①羊の死
 あなたは羊たちの怯える声、そして足踏みの音に目を覚ました。かばりと寝具を跳ね除けると、あなたは剣を引き寄せる。あなたの肌を冷やす空気が、あなたに夜明けがずっと先であることを教える。
 悪い予感が当たったのかもしれない。
 あなたは急いで身支度する。そばで眠っている家族を起こさぬように、静かに。剣を腰に帯びて、あなたは天幕を抜け出した。
 が、外は真っ暗だった。ぶ厚い雲が空を覆って、星も月も見えない。湿った風が草原を吹きさらしているだけ。あなたの耳は遠くの雷鳴を聞く。きっと、草原の北を囲む山々を、嵐が襲っているのだろう。
 これまであなたが経験したことの無い暗闇だった。羊たちの囲い柵どころか、近くに建っているはずの、あなたの叔父家の天幕すら暗闇に隠されてしまっている。
 これでは何とも仕様がない。あなたは舌打つと、天幕に引き返す。
 少しして、あなたは手に灯りを携え、再び外に姿を現した。冷たい風はあなたの髪や、あなたの家族の天幕をなぶっている。この風は悪いものだと、あなたは直感していた。
 あなたは、羊たちの囲い柵へ足早に向かう。
 そんなはずは無い、と思いながら。
 なぜなら、前回の襲撃は川向こうで起きたと聞いていたから。獣はそう簡単に縄張りを変えないものだし、仮にこちらへ来るとしたら、川を大きく迂回しなければならない。馬を休まず進ませても五日はかかるはずだ。
 しかし、魔物のたぐいであったら?
 子どもじみた不安だけれど、あなたはそれを否定できない。
 そんなはずは無い、と思いながら。同時に、そうに違いない、と考えてしまう。
 羊たちのざわめく気配。
 あなたは既に駆け足になっている。
 そのまま囲い柵に飛びつくようにすると、あなたは灯りを掲げて柵の中を覗き込んだ。
 羊たちの群れ、その真ん中がぽっかり空いていた。羊たちが、そこに近寄るのを嫌がっている。
 あなたは、空いた地面の上で、一頭の羊が死んで横たわっているのを見た。無惨に切り裂かれた羊の首からは血が流れ出て、地面を黒々と染めていた。


②母の思い出
 あなたの家族に新しい母親が加わったのは、あなたが五つの時だった。
 彼女は他の氏族からやって来た人だった。あなたの父親の後妻として。
 彼女はまだ若く、あなたの一番上の姉とほとんど齢は違わなかった。美しいひとだと、あなたは幼な心に感じる。そして、死んだ産みの母親もこのようだったのだろうか、と考える。
 あなたは引っ込み思案で、無口で、子どもにしては思慮深かった。それで、あなたは新しい母親を何と呼べば良いのか、何を語らったら良いのか悩み続けてしまう。あなたの妹は、あなたとは反対に、すぐに母親と打ち解けてしまったと言うのに。
 あなたの新しい母親は、本当のところ、あなたの態度を不安がっていた。
 自分を母親として受け入れていないのではないか。彼女は、そう考えていた。あなた達双子が、前妻の最後の子どもだと知っていたから。

 そうして、四年が経った。
 新しい母親は、ずいぶんとあなたの家に馴染み、すでにひとりの男児を産み終えていた。
 彼女は変わらず優しく美しく、そして、あなたは凛々しい少年へ成長していた。齢は九つ。馬を駆れば他の大人たちと違わないと、人は褒めそやした。
 あなたは早くも大人たちに交じり、朝から日が暮れるまで仕事を手伝った。その勤勉さに、あなたの父親は微笑みを浮かべる。婿に出すにせよ、嫁を貰うにせよ、困ることはあるまい。
 そんな頃の出来事。

 あなたの新しい母親は、あなたの呼びかけに、動かしていた手を止めた。彼女はちょうど、家族のためにパンの生地を捏ねているところだった。
 あなたは言う。
「それの作り方を教えてくださらないか」
 母親は、びっくりして聞き返してしまう。
「まぁ、どうして? これは女の仕事ですよ」
 彼女は、初めてあなたの声を聞いたような心地だった。それに、あなたの意図を図りかねていた。
 あなたは、ただ頷く。承知していると伝える。
 そして、あなたはポツポツと理由を話し始めた。
 二番目の兄が嫁御を貰い、この家から自立した今、この家で一番歳上の息子といえば自分であること。つまり自分には、年長者から学び、歳下の者たちにそれを伝えていく責務があるだろうこと。
 そして、
「おれは……、おれを産んでくれた母上から、何も学ぶことができませんでした。そうする前に、わかれてしまったから。だから、あなたから学びたい」
 あなたは真っ直ぐに、あなたの母親の顔を見る。
「あなたも、おれの大切な母上だから。もちろん、あなたの邪魔にはならないように……
 する、とあなたは言葉を続けることができなかった。あなたの母親が、あなたを強く抱きしめたから。
 こうして呆気なく、あなたの母親の不安は融解してしまったのでした。


③夜の襲撃
 あなたは雨の中、
  夜の闇の中、
   ひとりきりになった。
 大きな雨粒が、あなたの身体をぼつぼつと叩く。
 それだけだった。
 たび重なる夜の襲撃は、あなたの家族やあなたの仲間を狂わせた。疑心と恐怖は、悪意ある言葉へ変わった。焦燥と疲弊は、他者を傷つける行ないを呼び起こした。
 ひとびとは自分の家族を守るために、互いに互いを蹴落とそうとした。
 あなたにとって、暖かな時代は失われてしまう。おそらく、永遠に。

 最後の夜。
 本当は何があったのか、あなたにも分からない。
 ひとりの断末魔から、狂乱が始まったのだと思う。
 ある、ひとりの戦士が叫びとともに息絶えた。夜間の見回りに出ていた若武者だった。
 夜はすでに、あなたたちの羊では満足できなくなっていた。もっと柔らかな肉と、あまい血を知ってしまったから。

 泥の中で藻掻いていたのは、馬だっただろうか、人間だっただろうか。
 夜の襲撃。
 炉を蹴飛ばし、畑を踏み、雨の降りしきる夜、あなたたちは脅威から逃れようと試みた。
 あなたは戦わなかった。
 あなたの母親に請われたからだ。あなたの末の妹、まだ幼いその子を連れて逃げるように、あなたは頼まれてしまった。あなたの母親は脚を潰されて、もう動けなかったのだ。
 激しい雨風に灯りを失いながらも、あなたは末の妹をその腕に抱いて走り出す。少しでも遠くへ。危険のないところへ。
 だが、そんな場所などあるのだろうか?
「シリン? だめだ、そんな。シリン、シリン!」
 腕の中の幼な子は、今にも息絶えようとしている。あなたは必死にその子の名前を呼び続ける。
 だが夜雨は、あなたの声をかき消した。

 こうして、あなたは全てを失った。
 あなたが密やかに心待ちにしていた、双子の妹の帰還。そのために故郷を、家族を守る責務を、あなたは果たせなかった。
 この時から、あなたは復讐相手を求める追跡者となる。


④夜のおわり / 再会
 ひとりの戦士が、夜の森を徒歩(かち)で進んでいる。そう。彼こそ、あなた。
 羽兜も、鎧も剣も、今のあなたには重すぎた。とうとう、あなたは近くの樹木にすがると、地面に膝をついてしまう。死が、あなたに追いつこうとしていた。
 あなたは、それを静かに受け入れていた。何も憶えていないけれど、全て成し遂げたことをあなたは知っていたから。
 あなたは、ずるずると座り込む。
 見上げれば、月の光が木の葉を透かしていた。あなたの目には、眩しいほどの輝き。
 雨の気配は遠く、心やすらかな夜である。
……
 あなたが目を閉じようとした、その時。
 何者かが、あなたのそばに立つのをあなたは感じ取る。敵意なく、しかし、あなたを見つめる誰かだった。
 あなたは、ゆっくりと首を向けて、彼女を視界に入れる。

 月の光に照らされて、一頭の美しい雌馬が、あなたのそばに控えていた。
 あなたは思わず、雌馬の方へ手をさし伸べる。どこか懐かしい佇まいだった。もう、名前すら思い出せない、きみ。大切なおれの片割れよ。
 若い雌馬は、あなたが彼女の鼻梁を撫ぜるのを心地よく受けとる。

 やがて、あなたの腕は地面に落ちて、それでも彼女はその場を去らずにいた。
 さやけき月の光が、あなた達を照らしている。