数カ月後に全国ライブツアーを控えている、大人気アイドルグループ“Eternal”。今日も朝からTV番組の収録、ライブのリハーサル、振り付け確認やミーティングと予定が詰まりに詰まっている。そんな忙しないスケジュールの合間の、やっと取れた休憩時間。メンバーの四人はお腹をすかせたまま楽屋へと向かった。やるべき事が多いが楽しく、充実している毎日だ。だが、どうやっても腹は減る。お昼ご飯に思いを馳せながら、グランはいつもの“騒々しい来訪者”に備えていた。
「サリュ!お疲れ様だ、グラン!それに、他のみんなもね。本日のランチを持ってきたぜ!」
「ロベリア…」
いつもの流れに、グランはため息をついた。楽屋に着いてから待っていたのは、満面の笑みを浮かべたロベリアだった。彼は、グランの事務所の隣にあるレストランで働いている。事務所の社長とレストランのマスターが親しい事もあり、彼らの昼食の弁当はここが担当しているのだ。和洋折衷のメニューでバリエーションも豊富で味も抜群。だから、弁当自体に文句はない。文句があるとすれば、毎回、わざわざ自分で届けに来る、この騒々しい男だけだ。
「グラン!キミの弁当には、とびっきりの感謝と愛情を込めたぜ!なんたって、キミのおかげで今この道にいるのだからね!」
「おい…」
ロベリアがいつもの調子で肩に手を伸ばして近付いてくる。指先が衣装に触れる寸前、グランは条件反射で身を捩った。このようなやりとりは日常茶飯事だから、慣れていてかわすことなど造作もない。
「あー、はいはい!ありがとう。近い近い!そんな…変な渡し方しなくていいから!」
「やれやれ、俺の恩人はつれないな。まぁ、いいさ」
あっさりとかわされたロベリアは、肩をすくめながら笑い、軽く手を引いた。この反応もほぼ毎回である。
「さて、キミ達の分はこれとこれか…。どちらも、キミ達の好みの食材が入っているから、楽しんでくれ」
「すまない…」
「ありがとうございます。…まぁ、色々思う所はありますが、あなたの料理の腕は確かですからね。ちゃんといただきますよ」
シスもカトルも、素直にロベリアからもらった弁当を受け取る。ここの弁当は、確かに美味しいのだ。
「それに…」
二人に渡した後、ロベリアは最後の一人、シエテへと視線を向け、ゆっくり、ゆっくりと近付いていった。口元に浮かぶ笑みは、これまで見せたこともない、どこか含みのあるものだった。
「キミにも、ね。シエテ」
低い、しっとりとした声。
「……」
シエテは無言で受け取ろうと手を伸ばした。
ただ、渡すだけなのに二人の周りだけはゆっくりと時間が動いているような気がした。弁当を受け取る瞬間、ロベリアの小指がシエテの薬指の付け根をすっと這った。ほんの一瞬、一秒にも満たない接触。それなのに、二人の空気がぴたりと音を立てて凍ったような気がした。
(あれ…?)
シエテは無言のまま受け取った。いつもと違う。それも普段の彼なら、ロベリアに一言や二言、何か呟いていたはずだ。なのに、今はただ静かに目を伏せたまま。今のは…何だったんだ?
「それじゃ、午後の練習も頑張ってくれ!グラン!他の皆もね!」
ロベリアは満足げに微笑んだまま、何事も無かったかのように踵を返した
「…やっと行ったか」
シスが小さく息を吐く。ロベリアが去り、楽屋内に静けさが戻る。毎回、ただ弁当を受け取るだけでも大騒ぎだ。
「全く…グランさん、大丈夫ですか?いつもの如く、うざ絡みされてましたが…」
「あ、大丈夫。いつもの事だし、軽く流せば諦めるし…」
ふと、先程のやりとりが気になって視線をシエテに戻した。そういえば、ロベリアが部屋に来た時からシエテは一言も喋っていない。
「シエテ……どうしたの…?」
シエテは顔を弁当の方に向け、顔を少し伏せている。瞳も、いつもみる柔らかなものではなく、今はどこか冷たく、無表情だ。一体、何があったのか、グランは心配になった。
「え?なになに、グランちゃん?」
グランが声をかけると、シエテはいつもの明るい笑顔で、グランの方へ顔を向けた。よかった、いつものシエテだ。
「いや、なんか険しい顔していたから、どうしたのかな、と思って…」
「え!あぁ、何でもないよ!?ちょっと嫌いなブロッコリーが目に入っちゃってさー」
「全くあなたは…。嫌いなものがあるからって子供ですか…」
カトルが呆れたように、口を挟む。
「えー、でも誰でも嫌いな食べ物のひとつやふたつってあるものでしょ??」
「………」
二人のやりとりを微笑ましく見ながら、グランは今のやり取りに、何か違和感を感じてしまうのだった。
(シエテって嫌いな食べ物あったっけ…?いつもどれもありがたく頂いて、残さず食べていたような…)
それに、いくら嫌いな食材が入っているからって、あんな冷たい表情はしないはずだ。さっきのロベリアとの、あの瞬間を思い出す。小指が触れた瞬間、シエテはどんな表情をしていた…?
(考えすぎ、かな…?)
「グラン…?」
「あ!何でもないよ!そろそろ食べようか!」
シスに名前を呼ばれて、グランはハッと我に返った。確かに気になる。でも今は…考えすぎかもしれない。それよりも、今はしっかり食べてこれからのスケジュールに備えないといけない。グランは弁当箱の蓋を開け、箸を手に取った。美味しそうな匂いが、空腹をさらに刺激した。今日も、ロベリアの作る弁当は完璧だ。ただ、胸の奥に残る小さな違和感だけは、簡単には消えそうになかった。
※※※※※
夜も深まり、街の喧騒も遠のいてきた。外にはまだちらほらと人が散開しているが、早々と店じまいをしたこのレストランには客一人もいない。今いるのは、片付けをしているロベリアだけだ。客席のテーブルはすでに椅子が上げられ、照明も仄暗い。そんな中、ドアベルがカランと静かに鳴り、入口のドアが開く。靴音から察するに、客は一人だけ…扉に“Closed”の看板を置いたのに、気付かなかったのか、そう思いながらロベリアは手を止めて、入口の方へ視線を向ける。
「すまない、もう閉店時間で……」
ーーおや。言葉の途中で、思わず口元が緩んだ。
「……」
そこに立っていたのは、シエテだった。大きめのコートにマフラー、サングラスという、どこか怪しげな変装姿。本人曰く、「普通に振る舞えば意外とバレない」らしいが、正直かなり目立つ。仕事がつい先程終わったようで、疲れた様子でマフラーを触りながら入っててくる。そんな状態でも、来てくれた。ロベリアの胸の奥が、静かに熱くなった。
「…やっぱり、キミか、シエテ。そろそろ来る頃だと思っていたよ。今ここはオレだけしかいないから安心していいぜ。ああ、念の為、鍵をかけてくれないか?」
ロベリアはカウンターから出て、笑みをこぼす。
「ロベリア……」
ロベリアに言わるまま、シエテはドアの鍵をカチリとかける。これで、邪魔者が入る事はない。二人っきりの店内だ。ロベリアゆっくりとシエテに近づき、にっこりと笑いかける。対照的に、ロベリアを見つめるシエテの表情は読み取れない。瞳は冷たく、澄ました表情のままロベリアを見据えていた。その後、ふぅっと深い息を吐き、コートのポケットから一枚の紙を取り出した。
「…あのさぁ…。何回も言っているけど、こういうの、やめてくれない?困るんだけど……」
ロベリアはそれを受け取り、そっと開く。そこに書いてあるものは、間違いない。今朝自分が、シエテの弁当箱にこっそり忍ばせたものだった。
『ジュテーム!シエテ!
今日もキミの為に沢山の愛を込めて作ったぜ。俺の愛、ちゃんと受け取ってくれよ?いつか、キミがオレの為だけに歌う日が来る事を信じて…。ロベリア』
シエテは、これを肌身離さず今まで持っていた。それを考えると、言葉にならない嬉しさがこみ上げてきて、ロベリアは思わず笑みを深くした。
「オーララ、どうやら、オレの想い人は照れ屋さんのようだね」
ロベリアは大袈裟に両手を広げ、困ったように肩を竦めてみせる。
「ふむ、それなら、次はもっと別の想いを書き込んでみるか…。例えば、キミの好きなフレーズとか…」
シエテの目が、明らかに動揺で揺れた。
「いやいや!そういうわけじゃなくてね!毎回こういうのもらっても、困るんだよ!誰かに見られたらどうするんだよ!」
声が少し、上ずっている。シエテは、両手を組み、視線を少しそらした。ロベリアはそんなシエテを、飄々とした笑顔で見つめる。もちろん、やめる気はさらさらない。
「見つかっても、キミならうまくやり過ごせるだろ?それに、所詮お弁当の中の小さいメモ書きだぜ。ファンレターと思われるさ」
ロベリアは悪びれず笑う。
「……それって、見つかったらどうなるか…とか実はあまり考えていないよね??」
シエテは、呆れたようにロベリアを見つめ、はぁ…と深いため息をついた。何をどう言っても、のれんに腕押し状態だ。このやりとりだけで、仕事の疲れがどっと増した気がする。
そう、ロベリアはシエテに想いを寄せていた。楽屋で会う際は、シエテとは意図的に接触を避けている。だから、誰も気付いていないはずだ。ただでさえ、恩人のグランの件で他の二人には既に警戒されている。これでシエテにも…とバレたらさらに面倒くさい事になりそうだ。あの三人は、表向きではシエテには塩対応だが、内心は慕っているのだ。
だから、ロベリアは毎回シエテのお弁当にこっそりラブレターを忍ばせていた。律儀なシエテは毎回、二人っきりになるタイミングを見計らって、ロベリアに接触しようとする。その返事をする為に。
そういう意味では、ロベリアにとってはこの方法はメリットが多い。想いを伝えられて、二人っきりの時間が作れる。美味しいとこだらけだ。だから、彼の中でやめる、という選択肢はなかった。
「…まぁ、そういうことだから。それじゃあ、帰ーー」
シエテがコートの裾を直し、踵を返しかけた。
「お弁当はどうだったかい?キミのには、とびっきりの愛を盛り付けていたんだぜ」
伝えたい事を伝えたシエテが帰りそうな素振りをしたので、話題を変える。とびっきりの笑顔とウィンクを添えて。サングラス越しとはいえ、シエテの瞳に一瞬の動揺が見えた。瞳は左右に大きく揺れ、視線をロベリアから逸らす。片手が無意識に口元のマフラーに触れ、頬はほんのり紅い。
「あ、愛……それは……、お弁当は、まぁ……美味しかった……けど…」
声が途切れ途切れで、明らかに照れくささで震えていた。
「くははっ!トレビアン!」
途切れそうな声で帰ってきた返答に、ロベリアは満足げに笑った。想いを綴った弁当を、シエテはちゃんと受け取り、意味を汲み取った上で全部食べてくれた。脈が無ければ、あんなラブレター入りの弁当など、残すか捨てるだろう。ロベリアの想いは確実に、シエテに届いている。
「はぁ……」
ロベリアの意図を理解してしまったのか、シエテはもう何度目かわからないため息をつき、頭を抱えた。しかし、すぐに頭を振って苦笑いを浮かべ、ロベリアをまっすぐ見つめ返した。。
「それにしても、お前もよく飽きないね。毎回お弁当にこんな小細工入れて…。メッセージも毎回違うし…俺も毎回断っているのにさぁ」
困ったような、はにかんだ表情でシエテが呟いた。サングラスの奥の瞳が、僅かに揺れている。頬はまだほんのり紅く、可愛らしい。
ロベリアは目を細めて、そんなシエテをじっと見つめる。今、二人の距離は一歩半ほど…。遠いな、と思った。もっと、近くに来てシエテの表情が見たい。シエテに触れたい。抑えていた衝動が、胸の奥から熱く込み上げてくる。ロベリアの瞳の奥に欲望の炎が宿る。
「愛しいキミにアピールできるなら、なんだってやるさ。それに、今日みたいに仕事が終わったらオレのところに来てくれるだろ?オレが一人の時を見計らってね。そして、こうして二人っきりの時間ができる、誰にも邪魔されないで、ね…」
ロベリアの声が、低く甘く響く。
同時に、ゆっくりと足を一歩、前に踏み出した。
「そりゃあ…こんなメモずっと持っているのは…気が引けるしねぇ。…捨てるのは、なんかダメな気がするし…」
シエテの声が僅かに震えた。
ロベリアが一歩踏み出す度、シエテのマフラーの匂いが強くなる。冷たい夜気と、ほんのり残る汗と、柔軟剤の匂い…。もう一歩、近付く。シエテは無意識に後ずさり、距離を取ろうとする。眉をひそめ、「これ以上近付くな」と線を引くような視線を向ける。しかし、背中はもう、ドアにピタリと張り付いている。もう、逃げられない。
「…キミも期待しているんじゃないか?オレがーー」
「そんな訳ないって!」
ロベリアの言葉を遮るように、シエテは叫んだ。声が上ずって、息が少し乱れている。そんなシエテの様子を見て、思わずくはっと、特徴的な笑い声を出し、シエテを見つめる。シエテは、まっすぐ射抜いた視線でロベリアを睨みつけた。睨んでいるのに、頬は僅かに紅潮を吹いている。
「………」
「…………」
距離が、詰まる。同じ高さの視線が、真正面から交差する。吐息がお互いの唇に触れ、熱が伝わる。もう逃げられない距離で、視線が真正面から絡み合う。シエテの眉毛が揺れ、喉が小さく上下する。どちらかが折れるのを待っている。
待てば待つほど、空気が重く、甘く、張り詰める。先に折れたのはシエテだった。
「あぁもう…。こんな事になるなら、あの時グランちゃんを守るために前を殴らなきゃよかったよ…」
シエテは片手を額に当て、項垂れるような呟いた。ため息と同時に吐き出された言葉は、心底後悔しているようで、でもどこか照れ隠しのようにも聞こえた。
「くははっ!あれは、いいパンチだったな!録音できるなら、してみたかったほどだ!」
ロベリアがシエテに興味を持ったのは些細な事だった。グランに絡むロベリアを止めるため、シエテが拳でロベリアを殴ったのがきっかけだ。脳天を直撃されたような衝撃、そして、全てのものを射抜きそうな鋭い瞳…ロベリアの心の何かが揺さぶられたのだ。
「まぁ、あれはきっかけに過ぎないさ…」
ロベリアは低く呟き、片手でシエテのサングラスをそっと外した。そして、もう片方の手で、顎に指を添え…優しく、でも逃さないように視線を合わせる。
「……ぁ………」
シエテの吐息が、わずかに震えた。
睨みつける瞳は鋭く細められていた。でも、その奥で何かが怯えるように揺れて…すぐに刃のような光に戻る。ああ、この目だ…。ステージで輝く楽しそうな瞳でも、仲間たちと笑う浮かれた瞳でもない。まるで敵を裂くかのような無機質で冷たい、空色の瞳…。これにロベリアは射抜かれたのだ。ロベリアは、この男の“壊れた顔”が見たかった。この美しい瞳が涙でぐしゃぐしゃに崩れて、喘ぎながら自分を求めてくる表情。快楽で完全に蕩けて、理性が完全に飛んだ表情のシエテが…どうしても、見たくて仕方がなかった。
顔が、近い。吐息が絡み合う距離。さて、どうするか…キスをするか、それともシエテが動くのかが先か。ロベリアがそう思った矢先ーー。
ぐぅ〜〜〜っ!!
ものすごい音が、静かなレストランに響き渡った。シエテの顔が一瞬で真っ赤になる。
「………………っ!!」
ロベリアは2秒ほど固まって、耐えきれず、吹き出した。
「くっ…、くはっ、あははははっ!!」
「笑うな!!さっきまでずっと練習してたから、まだ何も食べていないんだよ!」
「いや、…デゾレ。あまりに、可愛らしい音だったからね」
一瞬で、張り詰めた空気がふっと溶けた。先程までの熱く、甘い緊張感はどこへやら。店内は和やかなムードに包まれる。ロベリアは目を細めて、シエテを見つめた
「…どうやら、オレの愛しい想い人はかなり、お腹をすかせているようだ。何か食べるかい?笑ったお詫びに何でも作るぜ?」
シエテは少し拗ねたように視線を逸らしながら、でもすぐに小声で答えた。
「それなら……オムライス…」
「ウィ」
ちゃっかり、本人の好物をリクエストし、抜け目ない。ロベリアは厨房へ向かった。
「……悔しいけど、お前が作るオムライスって本当に美味しいんだよね…。多分、今まで食べた中で一番好きかも…」
消え入るような声で呟くシエテの声を、ロベリアは聞き逃さなかった。思わず、声を上げて笑いたくなる衝動を、ぐっと堪える。
ーーああ、料理で胃袋は完全に掴んだ。
シエテの心が手にはいるのもそう遠い未来ではないのかもしれない。
「あぁ、デミグラスソースも余っていたな。オムライスにつけるかい?」
「……お願いできる?」
シエテの小さな声に、ロベリアは心の中で優しく微笑んだ。
(もちろんさ、Mon futur amant)
そう、心の中で呟いた。
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