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きなこ湯
2025-12-14 22:01:49
3421文字
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ロマンティックな幕引き
カネブラ、トキシンを刺したヒロインの話。
捏造Dead Endです。時系列は3rd後。当然物理的に痛い話なので、何でも許せる人向けです。
ナイフを通して伝わる肉の感触は想像していたよりもずっと生々しく、そして硬かった。ずぶり、と異物の埋まる感触が手のひらに残る。頭上からは苦しそうに、けれどどこか熱っぽいトキシンの低い呻き声が降ってきた。痛みに耐える本能的なその声には、やがてひゅうひゅうと荒くなった呼吸音と、腹部から逆流した血で溺れるような音が混じってゆく。
「
……
っぐぶ、ははっ、ああ
……
結構痛い、んだな、これ。あ゛ー
……
さすがに、これは、ダメかも」
視界に見えるのは三つ。トキシンの腹部に刺さるナイフ、その柄を握る自分の両手、それからトキシンの服の上にどくどくと広がってゆく赤い血の染み。金属の軋むような音が右側から聞こえてきたと思った途端、トキシンが崩れ落ちるようにこちらへ体重を預けてきた。肩に重い腕が乗る。自分を刺している女を支えにするなど正気の沙汰ではないが、トキシンにそんな常識は通用しない。圧倒的な質量の差に耐えきれず、わたしは二、三歩よろめいて背中で壁を叩いた。
衝撃で傷口が揺れたのだろう。ドプ、と濃い音がして、トキシンの傷から溢れた血がフローリングを汚してゆく。ぼたぼたと音を立てて落ちてゆくトキシンの血を見下ろしながら、ああ、トキシンも刺したら普通に死ぬんだとぼんやり思う。
足元にはあっという間に血だまりが広がり、生温い粘液を吸った靴下が肌に張り付いて気持ち悪い。トキシンはわたしを直接支えにすることをやめ、壁に手をついて荒い呼吸を繰り返した。ひゅるひゅると喉の奥で血の泡を噛み潰しながら、なぜか嬉しそうに喉を震わせている。
「ん゛
……
ッフ、ハハ
……
あれ? お前
……
震えてるの?」
トキシンの右手が、まるで慰めるようにわたしの肩を上下に撫でる。
ナイフを握る手は小刻みに震えていた。まだ非合意の軟禁生活だった頃、こっそり買っていたものだ。結局これを持ち出して誰かに差し向けるようなことは起こらず、今日までわたしの部屋の棚の奥に眠っていた。何事もなければ今も忘れ去られたままだったろう。けれど、具体的に何があったかと訊かれると答えに困る。トキシンを刺した理由なんて、もう自分でもよくわからなかった。少なくともトキシンを選んだあの日、こんな未来に行きつくなんてほんの少しも想像していなかった。トキシンが重いだろうことも、束縛の気があることも、面倒くさい性癖があることも、最初からすべてわかっていたはずなのに。
けれどひとつ明確なのは、わたしは自分で買ったナイフのことを思い出してしまったということ。切り札の存在を思い出させるような日々だったということだ。だから
——
刺すなんてどう考えても間違っているけれど、トキシンも悪い。
「俺、また、お前を怒らせるような、こと
……
しちゃった、のかな。あー
……
ねえ、こっち見てよ。お前の顔、見たい。そうじゃなきゃ、お前が、何考えてるのか
……
わかんない、だろ」
肩を撫でていた右手が這い上がり、わたしの顎を強く掴んで無理やり上向かせる。遠慮のない乱暴な力だが、それはトキシンに手加減をする余裕が残っていないからだ。喉元に食い込む指先が絆創膏を掠め、以前トキシンに噛みちぎられた痕が、古傷を訴えるように疼いた。
トキシンのくちびるの端から溢れた血が、わたしの顎を伝って首筋へと熱く垂れていく。普段見る血はわたしのものばかりだったから、トキシンの中にも同じ赤い液体が流れていることが、ひどく不思議に思えた。
「
……
ふふ、う゛っ、こんな時なのに
……
お前が、俺の腕の中にいるの
……
すごい、興奮するな」
吐血混じりの声がざらざらと笑うたび、トキシンの口から滴り落ちる血が、わたしの頬や睫毛を濡らす。視界が赤く染まり、鼻腔はむせ返るような鉄錆の臭いで満たされた。
トキシンはわたしが何を考えているのかわからないと言ったけれど、トキシンの考えることはもっとわからない。自分を殺そうとした女に、どうしてこれほど慈愛に満ちた、とろけるような視線を向けられるのか。
「ははっ
……
なに、不思議そうな顔、してるの」トキシンの親指が、わたしの口の端についた自分の血を愛おしげに拭う。ぬるり、と赤い膜が引き延ばされる感触がする。「俺は
……
お前の気持ち、受け止められて、嬉しいよ」
甘ったるい声が低く囁いた。項垂れたトキシンの頭が首元に寄る。噛まれる、と咄嗟に身を竦めたが、肌に触れたのは鋭い牙ではなく、熱に浮かされた吐息と、粘ついた血の感触だけだった。
「
——
俺も、お前と同じ気持ちだ」
ズリュッ、と湿った音が響く。
ハッとして手元に視線を向けようと思った途端、腹部にカッと燃えるような痛みが走り、わたしの身体を貫いた。
ナイフという栓を失ったトキシンの腹から、止めどなく血が流れている。そのどろどろと温かい体液がわたしの下腹部にも降りかかり、脚を伝って血の海を作る。出血が多いせいか、足元が滑っているせいか、わたしたちはその場で重なり合うようにずるずると頽れた。
熱い。痛い。動けない。
わたしの手はナイフから離れている。なぜなら、トキシンが自分に刺さったナイフを自分で抜いたから。トキシンを刺したナイフが、今はわたしを刺しているから。
「ねえ。俺の声、聞こえる?」
激しい痛みに遠のく意識の中、トキシンの甘い声だけが鮮明に響く。
「あー、ははっ
……
やっぱり、お前の、血
……
すごい、いい匂い、するな
……
」
でもこれじゃあもったいない。そう呟くと、トキシンはわたしの顔を引き寄せ、血に濡れた唇で強引に口付けた。
熱い舌がこじ開けるように割り入ってくる。刺された痛みで息ができず、酸素を求めて開いた口の中へ、トキシンはわたしの口内に溜まった血を貪るように舌を絡めた。じゅるじゅると音を立て、腹から逆流してきたわたしの血を飲んでいる。
「っン、はあ
……
あー
……
俺の血の味も混ざって、普段より、甘くない
……
けど。でも
……
これはこれで、悪くない、かも。まるで、ほんとうに
……
お前と、ひとつになれたみたいだ」
おいしい。大好きだよ。痛いね。でも、すごく気持ちいい
——
興奮気味に囁くトキシンの声が、段々と霞んで聞き取れなくなる。刺された時よりもトキシンの声がはっきりとしているように思えるのは、わたしの血を飲んで傷が治癒しているからだろうか。そういえば前に大怪我した時もそうだったなと思い出し、途方もない無力感に支配される。冷静になれば、わたしのようなただの人間にトキシンを殺せるはずがないのだ。
「大丈夫。俺は、お前をひとりにはしないよ」
トキシンはわたしの頭を抱き締めるように引き寄せて、耳元でそう囁いた。
ぐちゃぐちゃに跡形もなく歪んでゆく感覚の中で、もう一度、肉を裂く水音が響く。何だろう、と不思議に思った瞬間、座り込んだ膝の上にドバドバと熱い液体が落ちてきた。
「う゛っ、ぐ
——
あ゛ー
……
足りない、な。もうちょ
……
っと
——
ッ!」
しばらくグチャグチャと嫌な音が続き、そのたびトキシンの苦悶と歓喜が入り混じった喘ぎ声が漏れ出る。堰を切ったように流れてゆく血がトキシンのもので、トキシンが何をしているのか理解が追い付いた頃には、トキシンは自分のすべきことを終えていたらしい。
「ッハ、はぁっ、あッ
……
い゛、たい、な
……
っふふ、ああでも
……
お前は、もっと深く、刺してくれた、から
……
どう? ねえ、わかる?」
トキシンはもうほとんど動かないわたしの手首を掴み、もう一度自分で刺して開いた傷のところへ導いた。刺された腹部は焼けるように熱いのに、失血のせいで手足の感覚は凍えそうなほど寒い。そのぶん、直接触れたトキシンのなかみの温度が、悪夢のように温かく感じられた。
指先が、トキシンの腹のなかに沈む。皮膚を破り、肉を裂いたさらにその内側。頭の片隅では恐怖を感じているはずなのに、直接触れて繋がった部分から、なぜだか泥のような安心が滲みてくる。
「俺の温度
……
ずっと、覚えてて」
わたしの手の上に、トキシンの右手が重なる。逃げられないように、血脂と一緒に指を絡める。
「お前が、俺を選んで、くれて
……
すご、く、嬉しい。これからも
——
ずっと、ずうっと、一緒だ」
トキシンは蕩けるような声でそう囁いて、まるで王子様のように、触れるだけのキスをした。
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