てらだゆ
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鶏すき焼き

ぼプ3年生組が1年生の頃の年越し。2の内容を踏まえており、3を見る前に書いたものです

 来週から冬休みだよ、と送った指先が冷たい。
 カーディガンの裾にほとんど隠れたスマホを爽々奈はぼんやり眺めていた。
 予習を終わらせて湯船が溜まるまでのちょっとした時間。思い出したように開いたトーク画面には、やっぱり既読は付いていなかった。何か月も前からずっとそう。昔は真面目に傷ついていたけれど、今はあまり気にならない。メッセージを送るのだって久しぶりになっていた。それが嬉しいことなのか悲しいことなのか、よくわからない。
 廊下から電子音が聞こえたのを合図に、スマホを置いて着替えをまとめる。しんみりしかけた気持ちを切り替えて、隣の部屋をノックする。
「晃雅。お風呂先に入ってもいい?」
 ドアを開けると、同居人は腹筋をしていた。す、す、と一定のリズムで上体を起こす間に「ああ」と短い返事が挟まれる。いつも通りのそっけなさなのに今日は無性に寂しく感じる。声をワントーン明るくして部屋に一歩、踏み込む。
「そういえば晃雅は冬休みどうするの?」
「別にいつもと変わらない。課題やって練習だ」
「嘘」
 相手の足元を抑えるようにしゃがみ込む。起き上がってきたところで、やっと目が合う。
「晃雅の『いつも』の冬休みはちょっと違うんじゃないかな。……実家には帰らないの?」
 緑の瞳がくらりと揺れた。澄んだ水に小石を落としたみたいな、自然な反応だった。
 お正月と言えば初詣。そして、この町で初詣と言えば天弦神社だ。古くから地元に愛されてきた天弦神社の元日には毎年たくさんの参拝客が訪れる。ダンス部のみんなも何人かで行く約束をしていた。
 お祭りと違って巫女の舞は無いものの、忙しさで言うなら同じかそれ以上だろう。次期当主の晃雅も、きっと毎年駆り出されて冬休みどころじゃなかったはずだ。
 春から一度も帰っていないなら、そろそろ様子が気になっているんじゃない?
 さりげなく水を向けてみたつもりだったのに、晃雅は怪訝な顔をして立ち上がった。
「帰らねえ。その話すんなっつってんだろ」
 風呂、と言いながら部屋のドアが乱暴に閉められる。
 爽々奈は「優しく閉めてよお」と間延びした声を出しながら、冷たいままの指先を握りしめた。



 晃雅は冬休みを爽々奈と過ごすことにした。現実的にそれ以外の選択肢はなかった。実家に帰るのは論外。他所へ行く金は無い。そうなると、いつも通りマンションで爽々奈と寝食をともにするのが最適解だ。
 爽々奈の家族が帰ってくるなら話は別だが、そんな様子もない。前に帰省をしないのか聞かれたときに「お前の親は帰ってこないのか」とよっぽど返したくなった。喉まで出かかった台詞を飲み込めたのは、あの善意のかたまりみたいなへらへらした笑顔が崩れてしまうところが過ぎったからだ。二人がプリキュアになった、あの春の夜のように。
 共同生活が始まってから胸焼けするほど爽々奈の笑顔を目にしてきたが、一度だけ見た、張り付いたまま歪んでいく表情をたまに思い出す。あいつの傷口に瘡蓋ができたのか、まだ膿んでいるのか確認はしていないし、する気もない。ただ、たまに触れそうになって不自然に手が止まる。
 そんな相手が楽しそうに蕎麦を啜って、じゅう、きゅう、とテレビに合わせてカウントダウンしていくのを見ていると気が抜ける。
 ゼロ!
 画面のなかでクラッカーのアニメーションが弾ける瞬間、爽々奈は思いきり振り返った。
「晃雅、あけましておめでとう!」
「口に海苔付いてんぞ」
「え、ほんと?」
 洗面所に向かう足音を聞きながら、二人分のカップ蕎麦の容器を片付ける。台拭きを手に戻ってくると、ローテーブルの上で二台のスマホが細切れに震えていた。ダンス部メンバー達のしょうもないスタンプの応酬だ。
 ピコピコブーブーうるせえ。
 爽々奈の端末もまとめてソファに移動させて、さっさとテーブルを拭いてしまう。
「ねえ。初詣、行こうよ」
「は?」
 リビングの入口で、いつの間にか爽々奈がコートを羽織っていた。
 初詣。
 単語を認識して、カッと頭に血が上る。
「お前まさか」
「ほら、いつもの公園の裏に小さい神社があるでしょ? せっかくだし行こう」
 天弦神社に連れ出す気か、と殺気立った声を飲み込んだ。その間に爽々奈はマフラーを巻き、手袋をはめて、カイロの封を切っていく。
 行く訳ねえだろ。咄嗟に思う。自分の使命をほっぽり出しておいて、他所の神社にお参りなんて図々しいにも程がある。どのツラ下げて手を合わせろと。
 ただ。
 ずっと神様に挨拶をできていないことに、居心地の悪さを覚えているのも確かだ。
 晃雅が立ち尽くしていると、爽々奈は台拭きをひったくって四角いテーブルをくるくる丸く拭いていった。
「おい! ちゃんと拭け!」
「大丈夫だよ。晃雅が綺麗にした後でしょ? ほら、早く行くよ」
 心が決まらないうちに、ぽん、と肩に上着を被せられる。暖房を吸ったのか生地が温かい。
 暑苦しいと思ったが、玄関を出るとすぐに気にならなくなった。

 最寄りの神社は新年なのに薄暗くて他に誰もいなかった。社務所が無いからお守りやお御籤も無い。おかげでお参りを済ませただけで、余計なことを考える前に帰ることができた。
「静かだねえ」
 歩道に横並びになりながら爽々奈が呟いた。
「こんなに静かなお正月、晃雅は初めてなんじゃない?」
「全然静かじゃねえよ」
 暢気な友人を一瞥する。冬休みが始まるやいなや、朝から勉強に付き合わされ、ダンス練習に誘われ、百均でどうでもいいボードゲームやパーティグッズを買おうとするのを引き剝がして大掃除に取り掛からせた。下手すると実家にいるよりも忙しなかった。
「それならよかった! 明日は人生ゲームをやろう」
「お前、あれ買ったのか」
「買ったよ~。羽子板も凧も買ったし、そうだ、書道セットも探せばあるかな? 二人で書き初めをしよう!」
 爽々奈が声を弾ませながら指を折っているのを見ると「やらねえ」とは言えず、かといって「やる」とも言いたくなくてため息をついた。
「楽しそうだな」
「晃雅がいるからね」
 実際、爽々奈にとって誰かと過ごす正月は珍しいのだろう。晃雅が実家に戻らないと言った当初は妙に傷ついた顔をしていたくせに、日が経つにつれてやりたいことの主張が増えていった。
 面倒くせえ、と口では言いつつ晃雅も初めての冬休みを持て余していた。年末年始に働かない罪悪感を払拭するように爽々奈に付き合っていたら、あっという間に年が明けていた。全然、実感が湧かない。
 夜道は確かに静かだった。車通りも無ければ、他の通行人もいない。
 隣から小さく、とぎれとぎれに鼻歌が聞こえる。部のクリスマスパーティでやったポップスだ。
 たん、たん、と口ずさむのに合わせて爽々奈が歩幅で遊び始める。跳ねるように、蹴るように。もうすぐサビか――と思ったところで大きく一歩踏み出して縁石に飛び乗った。蛍光灯が青白く、奴を照らし出す。
 ワン、エンツー、エンスリー、エンフォー。
 コンクリの舞台の上を器用にスニーカーが滑っていく。
 ファイブ、エンシックス、エンセブン、エンエイト。
 頭の中で自然とカウントを取ってしまう。
 爽々奈は縁石から降りると、素早くターンをしてこっちを見た。一瞬、歯が光る。含み笑いを浮かべながらマフラーを巻いた首で誘うようにアイソレを入れてくる。
「やらねえよ」
 晃雅はきっぱりと断った。
「え~」
 こんなに楽しいのに、と言わんばかりにステップに緩急をつける。ワン、エンツー、エンスリー、エンフォー。ぬいぐるみみたいに着込んでいるのに、弾む毛先が、控えめに振られる腕が生き生きしていて、結局つられてからだを動かしたくなってくる。
……やんならこっちだ」
 近場の公園へ足を向けると、背後から「やった」と声がした。
 閑静な住宅街のなかの公園は申し訳程度にブランコがあるだけで、あとは広場になっている。昼間はどうだか知らないが、日が暮れてからはいつも人気がない。ダンスの練習にはもってこいの環境で、よく部活終わりの夜練に使わせてもらっている。
 今夜も先客は特にいなかった。
 上着をベンチに脱ぎ捨てると爽々奈が目を剥いた。
「それ、寒くない? スウェット一枚でしょ?」
「動いてるうちにあったまるだろ」
「見てるだけで寒そうだよ」
「お前こそさっきからぐるぐる厚着したままで邪魔くせえんだよ」
「そう? 意外と使えるかもよ」
 爽々奈は結わえていたマフラーを広げると、両端を持ったままゆるく回ってポーズをとった。「どう?」
「バレエかベリーか知らねえけどその恰好でどうもこうもあるか」
 厳しいなあ、と厚手のコートを脱ぎながら爽々奈は笑った。
 時計は零時を回っている。音楽は当然かけられない。
 簡単にからだをほぐし終えると、爽々奈がステップを踏み始めた。お得意のソウルだ。
 相手の足音を頼りに晃雅も即興で踊っていく。馬鹿らしいけど案外面白い。爽々奈の頭で鳴っている音を汲みとって合わせてやったり、こっちで空気を変えてやったり。
 次はどんな動きをしよう。
 二人でダンスをしていると今まで存在にも気づかなかった引き出しが開いていく。踊ることはずっと好きだった。でも、こいつとやるようになってから、もっと、随分。
 目の前が息で白む。その奥で爽々奈の赤い鼻が見える。
 偶然フリが被って、そのまま数カウント続ける。相手が踏み込んだ。なら引く。今度は引いた、なら俺が出る。
 同時にざり、とターンをして、止まったところで互いの肘を突き出した。視線が合って、一斉に吹き出す。
「あははっ、はーっ……楽しいね」
「静かに、しろ」
 ばくばくと心臓が全身に血を送っていく。肺に入ってくる空気が冷たい。踊るうちに流れ出た雑念の代わりに新しい、清々しいものでからだが満たされていく。
 参拝客はいない。浮かれたざわめきも鈴の音も聞こえない。それでも――
「晃雅。あけましておめでとう」
 爽々奈が言った。驚いて、相手を見てすぐに視線を逸らした。
「さっきも言ったろ」
「年が明けたな~って今、感じたから言ったんだ」
 肯定する代わりに、ふ、と小さく笑った。自分も同じことを思っていた、なんてうっかり溢せば爽々奈が大騒ぎするに違いない。
 こんな年越しも悪くない。巫女だの何だのやらなくたって、どこでも新年を迎えられるもんだな。
 踊り終えたからだを冷ますように乾いた風が吹いた。それに負けじと背筋を伸ばす。
 爽々奈も同じだといい。家族と一緒じゃなくても、それなりに晴れやかな日を迎えられるんだと思えていたら、いい。
 隣でくしゅん、とくしゃみが聞こえたから、晃雅は立ち上がって友人にマフラーを投げた。