果南(カナン)
2025-12-12 23:11:15
4135文字
Public さめしし
 

離さない香り

さめしし。ワンドロのお題「薔薇」「雪」で書きました。つき合っている二人で、早めのクリスマス祝いに村雨先生が贈り物を考えるお話です。
幼い頃からずっと、受け取ってきたものがあるから。




 夕方から降り始めた雪が、次第に大きな欠片となって舞い続けている。
 真冬の夜の街を、期待に胸を弾ませて、私は歩いていた。
 長引くかと思われた仕事も無事に終え、これから獅子神の家へ向かうところだった。しかも今夜は、二人きりでクリスマスを祝うことになっている。これで浮かれるなというほうが無理な話だった。
 先に二人でクリスマスしとこうぜ、と言ってくれたのは獅子神だった。一希さんの家にも行くし、アイツらが来て騒ぐ日もあるから、予定が混まないように早めに二人で、と。
 当然私は、一も二もなく承諾した。クリスマスの当日に合わせることに特段の意義は感じないし、そもそも今年は平日で無理だ。それより、獅子神がそう言い出してくれたことが重要だったし、嬉しかった。
 だから、念入りに考えを巡らせた。
 日頃の感謝と愛を込めて、この先にもずっと繋がっていくような、特別な日にふさわしい贈り物をしたい。いつでもその時を思い出して、確かめ合って、笑い合えるような。
 ほどなく答えは出て、すぐに私はその手配をした。そして今日、仕事帰りに店に寄り、用意されたその品を首尾よく受け取って、雪降る街を歩いているのだった。
 濃紺の天鵞絨が張られた、こんもりした蓋を持つ小さな箱は、揃いで二つ。獅子神用のは丁寧に包んでもらい、自分のぶんはそのままで、肩から掛けた鞄に入れてある。近くのワインショップで赤ワインも購入して、これで準備は万全の筈だった。
 が、何かが心に引っかかっていた。
 獅子神は前々から私の好みを聞いて、今夜のディナーの仕度を整え、イチゴのケーキも焼いてくれている。私は手土産にワインを携え、本心からの愛を込めた贈り物を懐に抱いて訪れる。それで不足は無いはずなのだが、もう少しやりようがあるのでは、という気がするのだった。
 私は足を止めて、辺りを見回した。後ろから歩いて来た女子の集団を避け、歩道の端に立つ街路樹の幹に寄る。すっかり葉を落としたプラタナスの木にはぽつぽつと丸い実が下がっているだけだったが、それでも見事な枝ぶりのおかげで、落ちてくる雪はやや少なくなった。
 繁華街を彩る店々のディスプレイ、クリスマスを形作るイルミネーションをゆっくりと見渡していく。煌びやかな明かり、道行く人々の楽しげな声。
 そうしていると、記憶の底から浮かんでくるものがあった。
 
 クリスマスに限らず、プレゼントでもおやつでも。幼い頃に何某かのものを貰って、兄弟で分けなればならなかった時。
 いつも兄貴が、してくれていたこと。
 『礼二は、どっちがいい?』
 そう尋ねて、私の答えたほうを私にくれた。少し分別がついてきた私が、でも兄ちゃんはどっちがいいの、と訊き返しても、必ず笑ってこう言った。
 『だって礼二は、そっちが好きなんだろ? だから兄ちゃんも、それでいいんだよ』

 偽りのない笑顔。深い愛情。
 だから私も遠慮無く、笑顔で好きな方を手に取った。そうして礼を言う私に応じる兄貴も、また変わらない笑顔だった。
 本当に、私が好きなもので喜ぶことを、一緒に喜んでくれていた。
 それに比べて、今の私はどうだろう。

 私が贈るこの銀の輪も、携えていく赤ワインも。
 私が、己が欲から、その結果を欲して選んでいるものだ。
 獅子神に、お揃いのこれを着けていてほしいから。飲みたいワインを、一緒に飲んでほしいから。
 もちろん、逆に獅子神からそのような提案があれば、私は喜んで彼の申し出を受け入れる。だから、こういった共有の仕方を全て悪だとは思わない。
 でも、それだけではなくて。
 もっと。獅子神のことを。

——相手の好きなもの、か」
 私の価値観はさておいて、獅子神が好みそうなシチュエーション。素直で、お人好しで、こういう事に関してはごく真っ当な感性を持った彼の。
 そう考えると、答えはわりと簡単に導かれた。
 まさに、普通で良いのだ。あの思いやりクイズとやらの時の反応からしても、おそらくこれで。
 私はスマートフォンを取り出して、周囲を検索した。二本先の通りに目的の店を見つけて、地図を頼りに歩き出す。透き通った緑と種々の華やいだ香りが満ちる店内でそれを買い求め、店主が綺麗に包んでくれた束を受け取って、店を出た。
 雪はさらに勢いを増して、降り続けている。ふわふわと舞い落ちてきた綿のような白片は、コートの身頃や袖に次々と水痕を残して、すぅっと消えていった。周囲を歩く人々も心なしかせわしなく、心配そうに言葉を交わしながら過ぎ去っていく。
 時刻を確かめて、考えた。
 この雪ではおそらく、タクシーを捕まえるのは困難だろう。道路も混んでいるに違いない。荷物は多少かさばるが、電車で行った方がきっと速いし確実だ。
 黒い空と、絶え間なく降りしきる白い雪を、もう一度見上げる。
 イルミネーションの輝く街の雑踏を抜け、私は急ぎ足で駅へと向かった。


 目的の駅で降りてからも、雪は降り続けていた。だが、辺りの道を見渡した限り、まだ積もるほどではない。右腕にワインの紙袋を提げ、最後に買った品を抱え直して、私はまっすぐに獅子神の家を目指していった。
 吐く息は白く、寒風に吹かれる耳はきんと痛みを発してくる。手袋をしていても指先に冷たさが滲み通ってきて、コートの袖口にできるだけ手を引っ込めようとした。
 そうしながら歩き続けて、見慣れた門扉に辿り着く。
 インターホンを押すとかちり、と鍵が外れる。玄関まで進んだところで、扉が内側から開かれた。
「村雨!」
 エプロンを着けたままの獅子神が、強い口調で私を呼ぶ。
「お前、雪なのに歩いて……えっ、あ⁉︎」
「獅子神」
 心配をふんだんに含んだ声は、すぐに驚きに取って代わられた。
 私は空いている左手を彼の背に回しながら、玄関に入り、エプロンの胸に顔を埋めた。冷えきった体に、彼の温もりが心地よい。いつもの獅子神の匂いに肉や幾種類もの野菜、ハーブやクリームの香りが混ざって、優しく鼻腔をくすぐった。
「ちょっ、待て……っつーか、どーしたんだよ、それ⁉︎」
 私が右腕に抱えて潰れないようにしていた束を見て、獅子神は狼狽えていた。そうだろうと予想はしていたが、よほど意外だったらしい。胸の奥から直に伝わる心拍数がとくとくと高まり、肌も火照りを増していた。
 私は顔を起こして、右腕を上げてみせた。
 肘に提げている紙袋のほうを、先に視線で示す。
「これは、赤ワインだ。あなたと共に飲もうと思って持ってきた」
「いや、それはわかるって」
「そして、こちらは」
 抱えていた、赤と白の束を獅子神に差し出す。
 薄青色の瞳を見つめながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「あなたへのお礼だ。プレゼントはまだ別にあるが、まずはこれをあなたに贈りたい。今夜のことを考えてくれてありがとう、獅子神」
「え、えーっと……
 獅子神はまだ驚きで目を瞬かせながらも、私の手からそれを受け取った。
 赤と白の薔薇を綺麗に混ぜて包んだ、大きな束。
 しっとりと甘く、凜とした香りを放つ美しい花々を。
「あなたなら喜ぶだろうかと思って、買ってきた」
「珍しいな、お前が……それに二色の薔薇って」
「早めのクリスマス祝いに持って行くのだが、と店主に相談したら、これを勧められた。私はこういう事には疎いからな、助言に従ったまでだ」
「なるほどなぁ。赤と白、それに緑の葉でクリスマスカラーってコトか」
 獅子神はしげしげと花束を眺めて、左右に傾けたり回してみたりしている。そのまま黙ってしまったので、私は些かの不安に駆られて彼の腕を掴んだ。
……獅子神」
 はっと我に返ったように、薄青色の瞳が私を見た。
「どうした。気に入らなかったか」
「いや、違うって。そんなことねーよ」
 首が横に振られ、整えられた金髪がふわりと揺れる。
 大きな手が伸びてきて、そっと私の頭を引き寄せた。
「オメーがそんなことするって、思ってなかったから……けっこう驚いただけ。ごめんな、村雨」
「構わない。私らしくないのは重々承知の上だ」
「ははっ」
 ちゅっ、とあたたかい唇が頬に触れた。
 こつんと額を合わせて、すぐそばで見つめ合う。
 低い声が、甘く囁いた。
「それでも、オレのために買ってきてくれたんだろ。すげー嬉しい」
……ならば、よかった」
 私も変わったのだ、と思った。
 以前なら、考えもしなかったこと。どうしようもなく誰かを好きになる気持ち、その相手のためを思って動くこと。
 今の私は、獅子神のために、自然な心の流れとしてそれを為している。

 彼が、愛おしいから。
 彼が笑ってくれるのが、何よりも嬉しく、いつでも見ていたいと思うから。

 私にこんな想いをさせるのは、生涯あなただけだろう。 
 
「獅子神」
 目の前の唇にキスして、微笑んだ。
「言っただろう。プレゼントはまだ別にある。これはほんの序の口だ」
……このデカい花束で? 怖ぇなあ」
「ふふ」
「何だよ、本命のプレゼントって」
「それは後ほど。まずは腹が減った。あなたの作ってくれた料理が食べたい」
 至極真面目に言うと、獅子神は苦笑した。
「へーへー。そーだと思ったよ」
「話が早くて助かる」
「もう準備できてっから。荷物はオレが持っていくから手洗ってこいよ。あ、コートもここで脱いどけ。雪で濡れてるだろ、掛けて拭いとく」
「ありがとう」
 言われるままに肩から鞄を下ろし、ワインの紙袋も預けてコートを脱いだ。獅子神に渡して、洗面所に向かう。
 あふれる薔薇の香りと獅子神の匂いを背に、蛇口をひねりながら、これからの夜のことを考えた。二人で楽しむ、獅子神が作った美味い料理。私が贈る銀色の輪。

 花も、指輪も、何もかも。私にこんなことをさせるのは、あなただけだ。
 だから生涯、離しはしない。 
 
 手を洗ってうがいをして、洗面所を出てリビングの扉を開ける。笑顔で近づいてきてくれた獅子神の逞しい体に、もう一度腕を回して、しっかりと抱きしめた。