シノハラ
2025-12-12 21:01:24
3215文字
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お酒が飲めるようになった日のイルーガとフリンズまたは人間に萌えているフリンズの話。ブロマンスというほどでもない温度感です。

 ピラミダまで顔を出すように珍しく強要されて眉根を寄せてしまったが、どうやらイルーガが初めて酒を嗜む日だったかららしい。若き綺羅星であり一部隊のリーダーとしても精力的に働く彼の顔は広く、いつの間にか一大イベントとなってしまったようである。
 本部の食堂に酒を運び込んで騒ぎ始めれば、一時間もしないうちに主題など当然のように有耶無耶になってしまった。しかしながら、それは入れ代わり立ち代わりやって来る同僚達にイルーガが潰されるには十分な時間だったらしい。
「立てますか?」
「フリンズさん……?」
 ええ、坊ちゃま、フリンズです、なんて恭しく腰を折って見せれば、彼は少し笑って見せた。それだけのお愛想が使えるなら上々である。
「ほら、立ってください。今日は本部の寝所を借りましょう」
 本部からほど近い場所に彼の根城があるのは想像に難くないが、一人で帰らせるのは酷だろう。養父が在宅しているならともかく、隣のテーブルで豪快に酔っ払っているわけなのだし。
 フリンズの提案が妥当だと思ったのか、彼はゆっくりと席から立ち上がる。それから誰かに声をかけないといけないと思ったのか会場をふらふらと見渡した。
「気にしなくて問題ありません。僕が面倒を見ると伝えてあるので」
「ああ、ありがとうございます」
 頭が既に揺れているのか恐る恐るといったふうに頭を下げてから、イルーガはフリンズの先導に従って歩みを進めようとしてふらりと揺らぐ気配がある。何かを掴もうとせんがばかりに上がった腕を掴んでバランスを取ってやると、彼は緊張を解いてフリンズに重ねて礼を述べた。
 食堂から出ると廊下はしんと静まっていた。夜の帳に抗うような喧噪が壁一枚隔てて聞こえてきているせいもあって、その静けさはむしろ普段よりも色濃く感じられる。
「吐き気はどうです?」
「ありませんが、吐いた方がいいですか?」
 おや、と思いながらもフリンズはならばよかろうと判断する。将来は酒豪かもしれないなどと告げてみれば、ちょっと今は考えられないと苦笑された。彼曰く、すでにしっかりと頭痛の症状が出てしまっているらしい。
 仮眠室の入り口にある簡素な水場で彼を止めて、フリンズはコップにたっぷりと水を汲んでイルーガに差し出す。そうすれば彼はフリンズはいつもそれだと零しながらもコップに二杯飲み干してくれた。必要な時にしか渡していないと反論してみたが、酔っ払いの彼はフリンズの話を聞いているのかいないのかちょっと判然としない。
 部屋に着くと少し埃っぽいかもしれない備え付けの寝間着に着替えさせ、フリンズは彼をベッドに放り込んだ。もぞもぞとベッドに潜り込んだイルーガは体が横になった途端、急速に眠気を感じたらしい。
 ご丁寧に寝ますと宣言してきたのでおやすみなさいと返してやると、同じ言葉が返ってくる。それから五分と経たないうちに意識を手放したようで昏倒ではないかと少々怪しんでしまったが、寝息は穏やかだったので一応は問題ないだろう。
 備え付けの硬い椅子に座って、しばらく様子を見て問題がなければ食堂に戻ろうと思いつつ、フリンズはさほど大きくもない窓から差し込む月明かりに目をやる。その光の弱さに室内の方が明るすぎるのだと気づいて、ベッドサイドの明かりを絞って席に戻った。これで人間が眠るに相応しい塩梅になっただろう。
…………ぅ」
 しばらくしたら戻ろうなんて思っていたのに、なんだか面倒に思えてきてしまって今夜はこの椅子に根を張ろうかと思っていた頃だった。微かではあるが確実に苦痛の混じる呻きが聞こえて、フリンズは窓に投げかけていた視線をイルーガに戻す。
 気分は悪くないと言っていたがただの虚勢だったのか、それとも体調が変化してしまっただけなのか。とにかく、寝ながら吐かれると掃除が面倒な上に下手をすれば喉に物を詰まらせてしまうかもしれないのでフリンズはベッドに近寄ってイルーガの様子を窺った。
 ぐっと眉間に皺を寄せて堪えるような雰囲気ではあるものの、痛みがあるようでも嘔吐を思わせるような浅い呼吸は見受けられない。この様子だと単に良くない夢を見ているだけなのかもしれなかった。
 酒精で熱を持っているからか彼の首元から肩口にかけて走る古傷が赤くなっていて、自分にはないそれが興味深くなって撫でるように触れてみる。元の肌の色を保つ場所とは触り心地が違うそれをなぞっているうちに感触が不快になったのか、もぞりとイルーガが身じろぎした。それだけで満足しなかったらしく、フリンズの指を払いのけるように腕が動く。
 その指先を捕らえてみると、やはり酒のせいで少しばかり浮腫んでいるように思える。いかにも酒の飲み方に慣れていない若者らしい体の反応に、彼がただの人間なのだと今一度再確認した。イルーガはようやく酒が飲めるようになったに過ぎない、年若いただの人間なのだ。
 どちらかというと手狭な方に分類させるベッドに腰を下ろして一度イルーガの手をシーツに下ろしてやってから、ぷくりとした指先の指紋を確かめるように撫でる。その刺激のせいか、はたまた脳から湧き上がる不快感のためかころりと頭の角度が変わり、誘われるようにフリンズはイルーガの頭を撫でた。色の薄い髪がフリンズの指に合わせてふわふわと揺れ、その揺らぎに誘われるような曲線で彼の睫毛の先が震える。
――悪い夢を?」
……そうですね」
 視界が通りやすいように前髪を掻き分けてやりながら問うと、ぱちりぱちりと二度瞬きをしたイルーガが掠れた声で同意した。良くない夢でしたと彼は続けたものの、詳細をフリンズに語るつもりはないらしい。荒唐無稽なものではなく、実体験に基づくような夢だったのかもしれない。ライトキーパーでなくてもナド・クライで生きていてそういう記憶の一つや二つ持つ者は決して珍しくはない。たとえば、先ほど触れた古傷だってそういうものの一つだろう。
「それ以外の部分はどうですか?」
「大丈夫……ではないです。お酒って大変ですね」
 一瞬仕事中の彼を思わせる反応をしたかと思ったが、すぐに自らを鼓舞するための強がりなど必要ないと気がついたらしい。少しばかり照れくさそうに彼が言うので、彼のトーンに合わせてフリンズも笑みを作る。
「付き合い方を学べば良き友になってくれますよ」
「友達の断り方を覚えるってことですか? どうにも変な感じですね」
 言われてみれば確かにその通りだとフリンズは今度は自然に笑う。悪い人じゃないんだけど、などと言っている時点で対人関係では破綻しかかっていると判断するべきだというのに、多くの人は酒からきっぱりと縁を切れない。
「お水はどうします?」
「君は本当にそればっかり!」
 就寝前もコップに二杯飲まされていたイルーガは大事なのは分かるけれど、とようやくくすくすと笑って見せた。
「でも、今の僕には必要みたいです。お願いできますか?」
「もちろん」
 喉を潤すついでに夢見の悪さも洗い流せればいいだけれどと考えながら、フリンズは腰を上げるついでにイルーガの頭に乗せたままだった手を離す。自分の手のひらに冷気がまとわりついてくるのを感じて、彼の温かさを再認識した。
 それからベッドサイドのピッチャーに触れて、頭蓋が近くにありながらもどこか柔らかかった彼の頭を思い出す。彼は温かで脆い人間だ。けれど、暗夜を照らし微かな明かりを束ね、先に進むフリンズには持ちえない目も眩むような力を持つ。
 人間はフリンズに、強さとは何かと時折問うてくる。それはあなたたちの内にこそあるものだ。不思議な事にフリンズの答えはいつもそこに行き着いた。
 その証左である一人がもぞりとベッドから身を起こす気配を感じながら、フリンズは彼の傍にある者の振る舞いに相応しいよう、ナイトライトの明かりを強めてやった。