タロ文庫の作品置き場
2025-12-12 13:58:24
9864文字
Public 作品
 

スイートホームは主張する

2021-03-07
ウィンの嫉妬シリーズ第一弾。ウィンvsワン
ウィン四年生、ティーム二年生の卒業が近い時期の話。実家にて。
麻縄完結前、BU放送前に書いたものなので設定の齟齬があります。

 ティームは画面いっぱいに繰り広げられる超絶技巧に目を輝かせた。瞬きするのも惜しい。動体視力はある方だと思っていたがそれでもどういう動きをしているのか分からず、また分からないことが何故かワクワクして楽しかった。思わず横に座っている人物の腕を両手で掴んで軽く揺さぶって、はしゃいだ声を出す。
「今の! 今のなんで当たってるの?!」
 興奮を隠せずつい敬語も外れてしまったが、ゲーミングチェアに深々と凭れて指先だけを忙しなく動かしている相手は椅子の横に膝立ちをして画面を見ているティームにゆったりと笑った。
「このステージは市街地戦で背景にビルが多いだろ? そうすると目の錯覚で照準の真ん中がずれて見えるんだ。実際の弾の流れは赤点の少し右上。だからわざとずらして撃てばクリティカルが狙える」
 高めに掠れた声が飄々と喋るスピードと画面の中のキャラクターが敵を撃つスピードが合っていなくて、ティームは感嘆のため息をつくことしか出来ない。
「あと、この樽のところに隙間があるだろ? ここにしゃがんでこの隙間から撃つと、こっちの弾は当たるけど向こうからの弾は届かないんだ。これまだ修正されないバグなんだよな」
「マジ? すごい
「だいぶスコアが稼げるぞ。オレのとっておきだからウィンには内緒な」
「これでウィン先輩よりランク上げられるかな?」
「いけるいける。でもNPC相手にだけにしろよ。オンラインでやると嫌われるから」
「うん。わかった」
 聴覚からの情報だけでこの声と口調でウィンを呼び捨てにされると今でもたまに脳が混乱しそうになる。ティームは画面に表示された自分じゃ到底叩き出せないハイスコアに指先で拍手をしながら、座っている相手を見上げた。
 画面が反射している眼鏡の奥の墨色の目がティームを見返して細まる。ウィンより冷たい印象の目尻は、だがよくよく見るとウィンと同じような温度をしていて、あぁ兄弟なんだなとほんの少しだけティームは笑った。
「あとティームのところにギフト送っといたからな」
「本当? やったー!」
 ティームがあまりにも自分のプレイを熱心に見てるものだから、つい構ってやりたくなり画面上でアイテムボックスをいじってティームのアイコンにドラッグした。ティームは今までのどの瞬間より黒目をキラキラさせてポケットの中からセルフォンを取り出す。ゲームアプリをタップしてメールボックスに通知マークがあることを見て、ウキウキとお礼を言おうと口を開いた瞬間。
 ドン!
 と扉が重めの音を立てた。
 ティームはこの家に似つかわしくない獰猛な音に肩をすくませるが、椅子に座ったままの部屋の主は慣れているのか小さく笑った。
 バン!
「開いてるぞ~」
「ワン!!」
 今度は三つの音が同時にティームの耳に入ってきてティームは目を瞬かせながら扉を振り返った。
 部活中も滅多にお目にかかれないくらい眉間に深々と皺を寄せた目力強めのウィンが、雑に開けた扉の跳ね返りを再度手で払うように押して大股で近づいてくる。
 全身から立ち昇る圧にティームは思わず上体を逸らした。ゲーミングチェアに座りゆったりと構えているワンの膝に背中が当たる。
「ティームを連れ込むな」
「おい、人聞きが悪い言い方するなよ。手招きしたら入り込んできただけだ。鍵もかかってなかっただろ」
「かかってたら蹴破ってる」
 ワンを睨んでいたウィンの目がギロリとティームに降りてきた。いつまでもワンの足元に跪いているティームに更に眦を吊り上げて腕を掴んで引っ張り上げる。
「俺の部屋に行ってろって言っただろう」
「だって先輩、キャラクターステータス全部見せてくれて今週のステージのクリア方法も教えてくれるって言われたら見たくなるだろ。それに
 腕を掴んでいる手がそのままティームをウィンの背中へと回し、ウィン自身がワンとティームの間に入った。ぐぐぐと背中で身体を押されてティームが後ろに数歩下がる。ワンは相変わらず椅子に座ったまま半回転して画面からウィンの方に身体を向けると肘を肘置きについて面白そうにウィンを見上げた。キュッと上がる口端の、人を食ったような表情の作り方が弟とそっくりだった。
「お前、ティームに意地悪して攻略方法教えないんだって? 無課金で頑張ってるのに可哀想にお兄ちゃんが余ってるアイテムをプレゼントしといたからな」
「は? おい、ティーム」
 ワンの言葉にウィンが振り返り、ティームのこめかみに拳を強めにめり込ませる。痛みに顔を顰めながら、大袈裟にワンに愚痴ったことをそのままバラされてティームは内心ハラハラしていた。実際はあまりにクリア出来ないからウィン先輩やって! とセルフォンを投げ渡して拗ねたティームを呆れて、自分でやれと投げ返されただけである。
「それに? なんだよ」
「え?」
「いま言いかけてただろ。まだ他にも何か兄貴に釣られたのか」
 不機嫌に低くなっている声が身長差の分のしかかるように上から降ってきた。
 先程ゲームをスタートする前にワンとした会話を思い出し、流石に当事者から本人へ言えるわけもなく(今現在言える状況でもなく)ティームは自分が言いかけた事とはいえふよりと黒目を彷徨わせた。泳いだ先でウィンの背中越しにワンと目が合い、眼鏡の奥の目が三日月型に細まるのを見て頬が熱くなる。
 頼むから弟以上によく回る口を開いてくれるな。
 気が立っていつも以上にティームへのサーチ能力が鋭くなっているウィンが目敏く兄とのアイコンタクトをキャッチして体温の上がった頬を大きな手でむにゅりと掴んだ。痛みはないが容赦もなく、ティームの唇は数字の三のように突き出される。ティームは慌てて口を開けられる範囲で開いた。
「釣られてない。何でもないったら」
「そうだぞ、ウィン。そもそもお前がティームをほっぽり出してどっか行ってたんだろうが」
 だからオレが相手してやってたんだ、とティームが言ってほしくない事を言わなかった代わりにワンは違う燃料でウィンを煽る。ウィンの顔が苦々しく歪んで兄を振り返るも言いたいことが多すぎるのか大きな舌打ちだけして、ティームの肩を扉の方へくるりと向けて歩き出した。
「もう行くぞ」
「おー、行け行け」
 ティームはウィンが自分宛の郵便物の束に同じ敷地内に住んでいる親戚宛の手紙が混じっていたことに気づいてすぐに持って行った事を知っているし、そのウィン宛の書類を仕分けしていたのはワンで、いつも大雑把なんだよとぶつくさ文句を言いながら出て行った事も知っている。
 兄の尻拭いをしたのに当の本人からこの言われようとは自分だったらもっと噛み付いてる、とティームはウィンによく似たケタケタと笑うワンの声を背中に聞きながら押される速度につんのめるように歩いた。
「そうだ、ティーム」
 部屋から出る直前に笑いの余韻を滲ませたワンがゆったりと呼び止めた。ティームは振り返るがウィンは名前を呼ばれるのすら嫌がるように腕を引っ張る。
「土曜日、夕方五時に寮の下まで迎えに行くから」
「あ、はい」
 即座に突き刺さってくるウィンの鋭い視線をこめかみあたりに感じつつ、ティームは胸の前でワイをして、強くなったウィンの引っ張りに任せるまますぐ隣のウィンの部屋に入った。
 
 
 
 ティームや周りの友人たちを飄々と揶揄っているウィンがワンに振り回されているのはいつ見ても面白くて、ずっと見ていたい気持ちもある。が、今日のようにダイレクトに揶揄いのダシにされると居心地が悪いことが分かった。
 ウィンが自室の扉を荒々しく開けてティームを引っ張る。整然と片付いている大きなデスクには今は段ボールがいくつも乗せられていて、ウィンはその中をティームの手を離さずに突き進んでいくとハイバックの座り心地が良いソファにどっかりと座った。ティームは手を握られたまま、そんなウィンの前に立たされる。
「あ、あのね先輩。こないだミクロ経済の発表で、パームと共同発表した時にアドバイスもらっててさ。発表が高評価だったから、頑張ったご褒美に美味しいメキシコ料理ご馳走してくれるって
 ワンの部屋の扉が閉まった後、二人きりになるとウィンを取り巻く空気が一段と不穏になって押し黙り続けるウィンの迫力を増幅した。その沈黙が重すぎてティームはしどろもどろに口を開く。ワンが最後に言い放った予定はまだティームの口からウィンには一切伝えておらず、ベストではない状態でウィンの耳に入ってしまった。
「だからその、二人きりじゃなくて、パームも一緒で」
「ディーンは知ってるのか?」
 なんとなく先程ワンの部屋に二人でいた事を嫌がっていた気がして一番の言い訳として出てきてしまった親友の名は、ウィンの毛羽立ちに拍車をかけてしまったようでティームの眼下にある金色のちょんまげが顔を上げずに横に揺れた。
 パームならそういう誘いがあった時点でディーンに報告しているだろうとティームが一瞬考えている間にウィンもその考えに至ったのか、重めのため息が吐き出される。
 呼気だけで非難されたようでティームはぐっと言葉に詰まって押し黙った。
 ティームだってウィンに隠す気はなかった。
 ウィンの留学と卒業の準備が始まっていて、ここ最近あまりゆっくり話す機会がなかった。ウィンの寮の部屋は徐々に整理と断捨離が進み、実家に送られる物も少なくなかった。その中にティームの私物が紛れてしまっていたことが昨日発覚して取りに来たのだ。ウィンが荷物を送っていたのが一週間前。そのタイムラグ分、二人はコミュニケーションを取りはぐっていた。
 ティームの発表の題材も初めはウィンに相談しようと思ったが、忙しく動き回る姿とその合間に自分と話す時のホッとしたような柔らかい表情に、その時間を勉強の話で費やすのが勿体無く感じて躊躇ってしまった。ディーンは大学院への進学の手続き中で時期が悪く、ゲーム内チャットでポロリと漏らしたティームの呟きをワンが拾いメッセージをくれた。だからそちらを頼ることにしたのだが。
 ウィンに負担をかけたくなくてした事がいけなかったのか。
 ティームがムカつきと悲しさがない混ぜになったモヤモヤを胸に抱きかけた時、ウィンに握られていた手がギュッと一層強く握られてそのままウィンの額に擦り付けられた。
「いや、別にお前達の行動を制限したいわけじゃない。兄貴の言うメキシコ料理は俺も行ったことがある。美味いからたらふく食ってこい」
「先輩?」
「ミクロ経済だって、ワンは現場にいる分わかってる。お前が兄貴を頼ったのは正解だ。だから別に……
 手の甲と額の固い骨が当たりそのままぐりぐりと押しつけて、一呼吸ついた後ウィンが低く唸り声をあげた。
「あ――――――――
 突然のそれにティームは瞬きを繰り返した。気でも触れたかとウィンを覗き込みに首を傾げる。大声ではないものの腹の底から息を吐き出すように長く続く声が息の切れ目で途絶えるまで待ってみた。
「くそっ」
「え、先輩大丈夫?」
「お前だけは駄目だ」
 見下ろす先の金のちょんまげがポツリとティームの足元に呟きを落とした。
 唐突に出された言葉にティームは一瞬キョトンとしたがますますギュッと握られる手は熱くて、エアコンが快適に効いている家の中でも少し汗ばんできている。
「頭で分かっていても腹が立つ」
 何がティームだけなのか、暫くして見当がついて内心呆れつつ口元が緩んでいくのが止まらない。
 顔を上げないウィンの表情を見ることは出来ないが逆に今のティームの顔も見られなくて良かったと思った。ティームは動かせる範囲で指を曲げてウィンの手の肌を擦った。
 以前ウィンに家族と兄弟構成の話をされた時に自分の私物はほぼ無いと言っていたことを思い出した。
 ラジコンもサッカーボールも百科事典も天体望遠鏡も、買ったばかりのものでもずっと使い続けていたものでも、兄弟が使いたいと言えば貸してそのまま返ってこないことも多かったと聞いている。そういえばティームがウィンのものをよく借りたまま返し忘れても、眉根を微かに寄せて嫌味を溢すだけで咎められることは無い。
 ウィンが「慣れている」とからりと笑っていた顔に、いつかディーンがティームにだけボソリと呟いた「あいつは執着がない」という声が重なって、ティームは複雑に動かしていた表情筋をなんとか落ち着かせて一つ咳払いをした。
「先輩さぁ
「ゲーム、勉強、メシ。全部俺もやった」
 確かにウィンがティームを懐柔する中で、その三つの行為はよく使われていた。ティームもあの手この手で焼かれた世話を懐かしく思い出して、それが今でも続いていることに笑った。
「分かってるお前とワンで何かあるとも思ってない。分かってる」
 ウィンの声が険を引っ込めてだんだん駄々っ子のようになってくる。
「でもどうしても駄目なものは駄目だ」
「ふはっ」
 それを可愛いと思ってしまい、ティームは思わず笑いを噴き出してしまった。
 やばい。どんな顔で言ってんの。
 頭で理解していても心が反応してしまうのはティームもよく分かる。だがここまで顕著に気持ちが毛羽立っていて、それを表に出しているウィンは珍しい。それほどまでにワンがウィンの上にどっかりと腰を下ろしている存在なのだ。
 自分と同じ行動をするワンにティームがほいほい手懐けられている幻覚が見えている。あながち間違いではないとはティームも自覚はあるものの、ウィンがワンの重さで一番大事な事を見逃していることはしっかりがっつり思い出してそのまま覚えてもらわないといけない。
「確かにゲームで協力プレイすると無敵だし、勉強のことを聞けば分かりやすいし、奢ってくれるご飯は全部美味しいけどさ。一緒に寝たりはしてないよ」
「やめろ。想像したくない」
 見下ろす先でちょんまげがふるふる揺れていて、ウィンの手の中から抜け出した指でその毛先をつつく。つるりとした毛束を尻尾のように撫でて話し始めると、ウィンが一瞬にして毛を逆立てた猫のように素早く反応した。
 ずっと伏せられていた顔が勢いよく上げられてティームを睨みつける。眉間の皺は物騒でも口元がぐっと噛み締められていて子供みたいにむくれているように見える。
「だからしないってば。先輩とは違うって、分かってるんだろ?」
分かってるよ」
 ティームはいつもウィンがするように眉をふわりと上げて、きっとワンの部屋でティームを見つけた時から刻まれてるであろうその眉間の皺を親指で擦った。
 親指の腹の下でまた皺が寄せられるので、ゆっくり擦って皮膚を伸ばす。猫の額を撫でるように何度も繰り返すうちにウィンの心の毛羽立ちも一緒に凪いでくれればいいなと思いながら、されっぱなしの珍しさも堪能する。
「じゃあさ、ちゃんとおれが帰るところもウィン先輩だって分かってる?」
 ラジコンもサッカーボールも百科事典も天体望遠鏡も、買ったばかりのものでもずっと使い続けていたものでも、ウィンの元には返ってこない。だがティームは自分の意思でウィンの元に居てどこに行っても自分の意思で必ず戻ってくる。
 去る時がきたとしても、それもまたティームの意思になる。
 当たり前のことだと思っていたが、卒業と留学という環境の変化が少しずつ迫ってきている日々と長年かけて根付いてしまった兄弟間の慣習でこうもウィンが揺らぐならそれをちゃんと主張しておかなければならない。
 ウィンはティームのホームなのだ。
「おれがどこでなら良く眠れて、朝起きて外に出ていけるか、分かってる?」
「ティーム」
「言っとくけど先輩の寮の部屋じゃないからな。先輩が卒業して留学してても、一緒だからな」
 行って帰ってくるのはウィンだが、ティームにとっても帰る場所はそこにある。
 ティームは先程のワンの言葉を思い出して、アンサーのようにウィンに言ってしまった。
『ウチの一族は大学出たら留学する決まりがあってさ。あいつは小さい頃からずっと一族の経営に参加するかわからないって言ってて、留学して向こうで何か出来たらやるかもしれない、帰ってこないかもしれないとかもふざけて言って、のらりくらりしてたんだよな。それがここ二年で、留学は最短で終わらせるし戻ったら経営に携わるつもりだから研修先作っといてくれって父親に頼んでてさ。なんでだろうと思ったんだけどお前だったんだな。ティーム』
 思い出すだけで顔が熱くなるし胸が少し締め付けられる。
『家の仕事しにタイに帰ってくるように見せて、実は帰るところはお前だな』
 ワンはゲームのローディング時間を利用してなんてことないようにティームに話してきた。ウィンの部屋は今後オレの荷物置き場に使おう、などと軽口を言っていたがワンは物理的なことではなく精神的な話をしていたことはティームにも分かった。
 ティームはくすぐったくなってきて口元をモゴモゴと動かしていると額を擦っていた指を再びウィンに絡め取られた。先程とは違いやんわりと優しく包まれて、ウィンの内側が落ち着いたのを感じる。
「おれは持ち逃げされないよ」
分かった」
 気まずそうにまだ口はへの字のままだったが静かに掠れた声を聞いて、ティームは笑いながら一歩ウィンに近づいた。自分の腹にウィンを押し付けるように上からゆったりと覆い被さった。
「おーい、ドア開いてるぞー」
 コンコンッ
「わぁ!」
 軽いノック音と共に同じくらい軽い声が響いて、ティームはウィンに体重をかける前に大きく一歩飛び退った。
 バクバクする心臓をそのままに振り返ると扉に寄りかかったワンが口角を綺麗に持ち上げていた。
「なんだよ」
 折角凪いでいたウィンの気配がまた少しゆらりと立ち昇った気がしてティームは兄弟の間に視線を行き来させる。ティームが反射で身体を離してもウィンはティームの手を離していなかった。
「お前がそんなにヤキモチ妬きだとは知らなかった。いっそ留学する前に婚約でもしていったらどうだ?」
「は?!」
 ワンがどこから聞いていてどう解釈したかは不明だがのんびりした口調が突拍子ない単語を言い放ち、ティームの動悸は落ち着くどころか更に飛び上がる。
「言われなくても」
「え?!」
 ウィンが低くして応戦する声もティームの動揺の下降を許さず跳ねさせたまま、あろうことか兄の前で握った手の甲に頬をすり寄せてきた。
「先輩!」
「おい独り身に見せつけんな」
 見られてることに耐えられずティームが大きく手を振るがウィンは絶対離さないとでもいうように手を持ったままティームに合わせて腕を振る。ワンはわざと大袈裟に肩を竦めて、弟とよく似た揶揄うことが楽しいという声で笑うと手の中に持っていた車のキーをくるくると回した。
「オレは今からビューを迎えに行ってくるけど、戻ってきたらあいつは真っ先にこの部屋に来るからな。それを踏まえた上で、ごゆっくり」
「渋滞に巻き込まれろ」
「ハイウェイで帰ってきてやる」
「さっさと行け」
 ワンはケタケタ笑ってウィンの尖った声を扉を閉めることで跳ね返し、しばらくすると外からエンジン音が聞こえてきて、その後は静かになった。
「やっぱりムカつくな」
 部屋に置いてある時計の秒針がかちこち聞こえ始めたくらいに、ウィンがぶすくれた声を出すからティームもボソリと呟いた。
「おれ聞いてないけど」
「悪い。さっきのは売り言葉に買い言葉で」
 ワンから放たれた単語にびっくりしていたのはティームだけだった。ということはウィンには頭の片隅でそれを考えていたのではないか。ティームはため息をついてウィンの脛を蹴った。ウィンは痛みに顔を顰めて気まずそうに離さずじまいのティームの手にまた顔を近づけた。
「俺がいない間、お前が頼れる先は多い方がいい。パームやマナウ達は勿論、ディーンもいる。それでもどうにもできない時はウチの人間を頼れるようにしておきたい」
 唇の触れた先が左薬指の爪先だとわかる。
「実際にお前が兄貴を頼ってるところを見たらすげぇムカついたけど、なんとか慣れるようにするから」
 そのまま指の付け根まで唇を這わされ、最後に親指でスリッと擦られた。まるで指輪をはめるような仕草にティームは一度目を閉じて言われたこととされたことを反芻する。
 ワンに言われたことも、私物を取られることに慣れているとからりと笑った顔もお前だけは駄目だと駄々をこねたちょんまげも、ティームは深呼吸をして取り込んだ。
「慣れなくていい。ウィン先輩はずっとヤキモチ妬いてて」
「は?」
 ティームはウィンの金色の尻尾をくいっと引っ張って顔を上げさせると、ふくよかでは全然ないけれど触ってみると意外に気持ちがいい頬を両側から掌でくちゃくちゃに揉みしだいた。
 やられることは日常茶飯事だがやるのは初めてで、あの綺麗な顔が目を白黒させて揉みくちゃになるのが面白かった。ウィンが事態を把握する前に手を引っ込めると押し付けすぎたかウィンの頬がピンクに染まっている。
「おれ、この家に入り浸るかもしれないしパームに今以上にべったりしてるかもしれない。後輩も増えるから面倒見なきゃ。先輩はいちいちヤキモチ妬いていいよ。でもおれの帰るとこは先輩だってことは忘れんな」
「ティーム」
「おれもちゃんと先輩の帰る場所でいるから」
 上気した頬を今度は柔らかく包むと、ウィンのアーモンド型の目がゆっくり瞬きをする。今日こうしてずっと見下ろしていて、機嫌の上下する様子を見ているとテレビで見た金色のノルウェージャンフォレストキャットみたいで、人間で見下ろされてる時よりも可愛い。
「でもヤキモチじゃなくて不安になるっていうなら婚約してもいい」
「ちょっと待て! だからあれはワンの煽りで」
「じゃあしない」
ちゃんとしたとこで言うから今承諾するな」
「なんだよ、面倒くさいな」
 折角照れ臭さを宥めて言ってやったのに、ちゃんとしたとこってどこだ。変なところで几帳面さを出すウィンに呆れたように笑って、手を下げて肩の上に置いた。ウィンの足の間に入りこむ。ウィンのムッとした顔が近くなり、大きな手がティームの腰を掴んだ。
 ウィンに擦られた薬指がちりっと熱く感じて、ティームは今なら言ってもいいだろうかとこの頃考えていた事を口に出してみた。
「もし先輩が行くまでに何かしても指輪はいらないからな。泳ぐ時にいちいち外すと失くしそうだし、パームと違って外しても首からかけられないし」
 案の定ウィンは眉を寄せている。自分はいちいちピアスを外して泳いでいると言いたいのだろうが、ウィンとティームではマメさも違えばアクセサリーの意味の重さも違う。
 ウィンはもしかしたら自分がティームの側を離れている間の牽制も含めて、誰の目から見ても明らかな自分の存在をティームに身につけていてほしいと考えてるのかもしれない。ティームが新しく出会う人物も、既存の人間関係や自分の親族にも。
 それならティームには好都合だった。
 その代わり、とティームは墨色の目を覗き込みながら続ける。
「タトゥーをいれたい」
 目の中に映る自分が楽しそうだ。
「泳いでる時に見えるところに」
「え?」
「おれからも見えるところがいいな。肩か腕か胸。先輩がいれたショップに連れてってよ」
「待て、お前タトゥーをいれたいのか?」
 ウィンは動揺した。ティームには想定内だったので気にせず続ける。
「もういれるトライバルも決めてある」
 ティームがそのモチーフを愛しさを込めて囁いた。
 自分がいつも見えるところ、誰もが見えるところに、家に掲げる表札のようにいれる。ウィンの帰るところはここだという意味と、ウィンがくれたもので一番大事にしているものをいつでも思い出せるように、ティームは自分の身体で主張したい。
 ウィンの目が嫉妬のギラつきや不安の揺めきから期待と歓喜を湛えるものに変わり、ふわっと大きく見開かれる。ティームは満足げにそのアーモンドの目頭にキスをひとつ落とした。
「それでも妬けるモチがあるなら妬いてみろ」