タロ文庫の作品置き場
2025-12-12 13:46:04
7180文字
Public 作品
 

ビタースイートミルクホワイト

2021-01-11
バレンタイン前日譚です。
サプライズクラッシャーウィン。

 学生課に立ち寄るというディーンと別れて経済学部の食堂に向かうと、パームがポツンと一人でテーブルに座っていた。
 対面のスペースには見慣れた赤いリュックが置いてあり持ち主はどこにもいない。
「ひとりか?」
 ウィンはその赤いリュックに自分の中身がほとんど入っていない青いリュックを重ねて置くと、一瞬考えた後にパームの斜め前の席についた。
「ウィン先輩、こんにちは」
 パームは胸の前で小さくワイをすると大きな目を少し左右に動かすので、ウィンは無意識に探している顔に少し笑ってしまった。
「ディーンは学生課に寄ってる」
「そうなんですね。ティームはプルック先輩に話があるとかで、電話しに行ってます」
「ふーん」
 そういう自分も無意識に探していたのか、何も言っていないのにパームに赤いリュックの持ち主の所在を教えられてしまった。
 パームはディーンにこそ慌てふためくことが多いが、ウィンに対しては極めて冷静で穏和な雰囲気を崩すことはなかった。
 口元に小さく笑みを浮かべて、手元の本のページをペラリと捲る。軽い紙が擦れる音にウィンがパームの手元を覗き込んだ。
 優しい顔立ちと同じようにすらりと優しい指をしている。常に水仕事を行なっているせいか少しカサついているがケアをしっかりしているのだろう、綺麗に切り揃えられている爪がゆっくりとページを捲った。
 ウィンはパームの指先からきっちり留めている袖のボタンを見てそのまま肩先から柔らかい茶色い頭の先まで目線を動かした。
 あいつが長年探していたのが、この子なんだよなぁ。
 ウィンにはごく普通の可愛い男子大学生にしか見えない。ただ柔らかい見た目に反してタフなメンタルの持ち主で気難しい親友のコントロールがうまい男ではある。
 
 
 
 ウィンが翼のタトゥーを背中に彫ると言った時に珍しくディーンが興味を持ったからコンパスのタトゥーを彫ってみないかと薦めた。
 自分は翼を生やすことで自分の意思でどこにでも飛んで行けるという気持ちを表したかったが、自分にはなにせ目的地がなかった。それに比べてディーンには目的地があったようなので、真面目に薦めてみればいつも何かを探して彷徨っている黒目がひたりとウィンを見据えて大きく頷いた。
 あれから数年、コンパスの祈りは届いたようで目的地は向こうから現れて、そしてディーンはどうやらそこに永住するらしい。
 
 
 
 もう今後離れる気がないならそういうことは早い方がいい。
 親友の決断に、自分の意中ののほほんとした顔を思い出す。
 ずっと側にいると言った自分に掴まえてろと答えた相手は果たして〝ずっと〟をどう捉えているのだろう。時期も時期だしそろそろしっかりとリマインドしておきたいと考えていたところだったので、ウィンはぼんやりとパームの左手に見入ってしまっていた。
 ウィンは自分をじっと見つめる大きな目を感じて、ハッとパームに意識を戻す。
「で、パームはさっきから何を見てるんだ。料理の本か?」
「洋菓子のレシピ本です」
 二人しかいないのにうっかり物思いに耽ってしまい、ウィンは咳払いして頬杖を解くと首を伸ばしてパームの本を覗き込んだ。
「〝はじめてのお菓子作り〟? パームにしては随分簡単な本を読んでるんだな」
「こういう本の方が教えるときに参考になるんです。それに今回作るのは僕だけじゃないので
 ページには大きく菓子の写真と下の方に小さい細かい字で材料や工程が書かれている。
 卵を割る、ハムを切って焼くくらいはウィンもやるが分量を細かく測って道具を多く使う料理はやる気にならない。特に菓子はその材料や工程の細かさからやろうと思ったことは一度もなかった。
 パームがウィンに見せるようにページを数枚捲る。そしてはたと何かに気づいたように一度瞬きをして周りをキョロキョロ見てから、本をウィンの方に指で押した。
「ウィン先輩は、どういうお菓子が好きですか?」
 パームの目が確実にウィンを捉えてじっと答えを待っている。ウィンは自分の手元にきた本とパームを交互に見てうーんと唸った。
 いきなり訊かれて即答することが出来ずにいるとパームが問いを重ねる。
「あじゃあ、逆に苦手なものとか」
「月餅と洋菓子は小さい頃から食べさせられすぎて苦手だ。ホテルの土産コーナーにあるやつ」
 幼少期から親の取引先からの贈り物や経営するホテルで販売するためのサンプルを食べさせられてきたウィンにとって、洋菓子や洋食は食べ飽きているものの一つだった。逆に入学当初にパームが作っていたタイの伝統菓子は新鮮で美味しく興味をそそられた。
 ウィンが答えてる間パームはあー、と呟きながら苦笑しつつ本のページを捲り続ける。
「チョコはどうですか? チョコクッキーとかブラウニーとか」
 シフォンケーキやマドレーヌのページを飛ばして、紙面が『チョコ菓子特集』に辿り着く。
「チョコだったら加工しないでチョコレートそのままが好きだな」
 手軽に糖分補給も出来て片手で摘める、嵩張らないし賞味期限も長い。コーヒーにも合うので、課題で行き詰まった時に摘むことが多い。
 ウィンがチョコレート菓子で埋まっているページから、なるべくチョコレート以外の材料が少なそうなものを指でとんとんと叩くとパームは顔を輝かせてにっこり笑って小さく頷いた。
「むしろ簡単で助かります。ありがとうございました」
 ニコニコしたままウィンが指さしたページに付箋を貼って本を閉じた。ウィンはそれに対して片方の口端だけあげて面白そうに笑った。
「なんだ? 俺に何か作ってくれるのか?」
 ディーンでもなくティームでもなく、対角線の関係にいるウィンにパームが動くなんて珍しい。勿論ディーンとティームにも作る上でウィンにもくれるのだろうが、直接リサーチされたことが新鮮だった。
 ウィンの、普段はティームに向けることが多い反応を楽しむための問いかけにパームは笑いの種類を変えてハハハと湿度の低い声を出した。
 
 
 
 チョコレートと聞いてウィンは数日前にティームと見た映画を思い出した。
 正しくは映画の冒頭にあった広告の映像だが、ティームと会話をしたことを覚えている。
 それは日本のアニメ作品のCMで、タイで見ることのない雪が降っており登場人物が厚着をしていて吐く息が白く、冬の描写が目を惹いた。制服を着た男女の女子の方が男子に何かを渡しているシーンで、ティームはうつ伏せに寝転がってた身体をがばりと起き上がらせて画面を指差していた。
「先輩、日本はタイと逆で女の子が男にプレゼントを贈ったり告白したりする日なんだって。こんな感じなのか初めて見た」
「へぇ、珍しいな。あとお前は相変わらず日本の文化に詳しいのな」
 赤い糸の話をした時にティームは日本の伝説を誰よりも先に話し出していた。ティームが起き上がったせいで画面が見え辛くなったウィンはティームの肩を掴んで自分の横に引き寄せた。ベッドヘッドに寄り掛からせて、ついでにそのまま肩に腕を回す。脇にぴたりとくっついて座るティームの黒い髪が柔らかく首元をくすぐった。
「違うよ。これはこの前の講義でやったんだ。イベント商戦である特定の商品だけが爆発的に売り上げを伸ばすんだよ、日本のこの時期は。経済が動くんだって、凄いよね」
「タイだって生花業界は動くだろ?」
「規模が全然違ってた。日本では、別に特別じゃなくてもやりとりがあって、なんて言ってたかな
 うーんと首に当たる頭が微かに上下して擽ったい。ウィンは肩に回した手で向こう側のティームの頬を引っ張ると、本編が始まろうとしている画面を見るように促した。
 
 
 
 あの後ティームが思い出した単語をウィンも思い出して、パームの言動に合点がいった。パームも同じ講義を受けてきっとティームと話をしていたのだろう。
 そういえば以前にディーンがパームの作る日本式のハンバーグが美味しいと言っていた。赤い糸やオープンキャンパスの演劇部の演目に続き、最近はなにかと日本文化に触れる機会が多いなとウィンは思った。
「あ、ディーン先輩とティーム」
 子供っぽい優しいデザインの表紙に手を置いていたパームが徐に手を振った。ウィンも振り返るとセルフォンを持ったティームがディーンと並んで歩いてくる。ディーンの目がふわりと柔らぎ、自分を貫通してパームを見つめた。
 六年ほどに及ぶ友情のなんと薄いことよ、とウィンは鼻で笑いティームを見ると見てもいないのにセルフォンの画面をさりげなくオフにした。
「そこでちょうど先輩と合流したんだ」
「ディーン先輩お疲れ様です」
「パームも午前中の授業、お疲れ様」
 お互いを労う恋人達を見て、お前は俺に何もないのかと隣にきたティームを見上げるも、無いとでも言うようにふいと黒目を逸らされる。
 その目がパームの手元の本に落ちるのとディーンが表紙を触るパームの手に手を乗せるのが一緒だった。
 パームはディーンに声をかけた。
「これは、この前話をしていた例の件です」
「あぁ、なるほど」
 そうだよな、本命にはきちんと説明しておかないとタイで馴染みのないそれは誤解を生むものな。
 その後パームはすぐにティームを見上げて声をひそめて早口気味に言った。
「ティーム、大丈夫だから」
 パームの本を見て動きが固まっていたティームに、本命納得済みだから大丈夫だそうだ相変わらず食い意地張ってるなとウィンがしたり顔でその固まっている腰の後ろをぽんぽんと叩いた。
「安心しろよ、ティーム。パームはちゃんと俺たちにもバレンタインに〝義理チョコ〟をくれるらしい。良かったな」
 日本には驚くことに本命以外の相手にプレゼントをする習慣があるらしい。友達同士や職場の同僚、部活仲間に。お世話になっているお礼やここぞとばかりに普段食べない高価なもの、手作りのものとにかく主流は『チョコ』を贈ることで。贈ると言うより配るに近いらしい。それを総じて〝義理チョコ〟と言うそうだ。
 文化の違いに、それでパームの美味しいお菓子のおこぼれが貰えるならラッキー! とティームなら考えてパームに提案するだろう。と、ウィンは予想した。
 そのはずが。
 その瞬間、ティームの眉が盛大に寄った。ジト目の中の黒目が急に潤みだす。
 揶揄った時に見せる拗ねた感情からのものではなく、滅多にないその感覚に違和感が背中を走る。
「良くない」
 低い声がぼそりと呟いて手の中のセルフォンをキツく握る。ティームはくしゃりと顔を歪めるとウィンに背を向けた。
「先輩なんか嫌いだ」
 吐き捨てるように言うとウィンのリュックを払い除けて赤いリュックを掴みスタスタと来た道を足早に戻っていく。
 は? え?
 うまく回転していたはずの脳は突然のティームの拒絶に、腰を触った手と一緒に停止する。
 対面の席から二人分のため息が聞こえた。
「ウィン先輩……
「お前はそこまで鋭いくせに肝心なところでポンコツになるの、どうにかしろ。バカ」
 ウィンがティームが去った方向と付き合い出して少しずつ作る表情が似てきた恋人達の呆れた二つの目を交互に見て、眉を盛大に寄せた。
 パームが困ったように眉尻を下げ、強い意志を込めた口調でウィンに口を開いた。
「作るのはティームです」
 
 
 
 ウィンはセルフォンを耳に当てながら、そのアーモンド型の目を周囲に忙しなく巡らせる。
 ティームへの発信はずっと話中で繋がらず、メッセージは勿論未読のままだ。
 嘘だろ、と思わず零したウィンにパームは茶色い頭を緩く振って事のあらましを教えてくれた。
「最初は花束だけにするつもりでプルック先輩に相談してたんです。そうしたら思った以上に高価だったみたいで、花の本数を減らして何かお菓子を作りたいって言われたんです」
 ウィンは小走りで中庭を突っ切りながら心臓がバクバクしていた。パームに言われた一言一言が考えてもいなかったことで、信じられなさ半分と嬉しさと愛しさが半分だった。
 まさかティームがバレンタインに動くとは思ってなかった。それもまだ先の話を、水面下でこっそりと。
 タイのバレンタインは男性が本命にだけバラの花束とクマのぬいぐるみを贈る。義理バラという習慣はない。本命一本だ。
 勿論ウィンも既に考え始めてはいたが、貰う方は想定していなかった。さらに食べる専門と豪語するティームが、自分に菓子を作るという。
 あの、ティームが。
 何度目かの話中音を聞いていると、校舎と校舎の間に見慣れた丸い頭と赤いリュックが入っていくのが見えた。大きく足を踏み出して背後に追いつく。案の定ティームはどこかへ電話をかけていた。
「プルック先輩、何度もかけてすみません。さっきのバラの話なんですけどキャンセ、」
「先輩? ウィンです。キャンセルなしで、そのままでお願いします」
 ティームに手からセルフォンをひょいと攫うと耳にあてて相手が何か言う前に捲し立てた。
「おい!」
 ティームが奪い返そうと伸ばす手をかわして、その額に手をついてグッと押さえる。
 全部が筒抜けの電話先の相手が朗らかに笑っていた。
『了解』
「あと先輩、俺も後で掛け直すので融通きかせてくれます?」
『この時期だったらまだ余裕だと思うからウィンのもいいよ。色はもちろん赤だよな。お前は何本にする?』
 プルックの声が潜められることなくマイペースに通話口から漏れる。間近でウィンに押さえられているティームの耳にも届いているだろう。抵抗の動きが弱まり黒い目がじっとウィンを見る。ウィンはその目をチラリと見返し、小さく笑った。
「それも後で」
『了解』
 ウィンの答えでティームがウィンの脇腹を肘で小突きセルフォンを取ろうと密着させていた身体を離す。プルックとの通話を終えて、セルフォンをティームの前にぷらぷらと振った。
「で、お前は何本にしたんだ?」
「うるさい」
 ティームはそっぽを向いて完全に臍を曲げている。耳の尖りと目元が赤く、口はへの字だ。ウィンはその肩に腕を巻きつけて再度自分の身体をティームの背中に密着させる。間に挟まった赤いリュックがぺちゃんこになり、中のスナック菓子がくしゃりと音を立てた気がするが気にせずにくっついた。
 まわした腕でティームの目の前に彼のセルフォンをかざすと、通話が終わり待ち受けに戻っていた画面の検索アプリをタップした。空白のバーに指を置くと過去の検索履歴が羅列される。
 そこには一番上に『バラ 二本 意味』と記されていて、その一つ前はバラの本数が十本多かった。思ったより値がはってティームはバラの本数を減らしたとパームが言っていたが、減らす前の本数と減らした後の本数のどちらもウィンを高揚させるには充分なものだった。
「勝手に見るなよ!」
 腕の中でティームが慌ててウィンからセルフォンを取り返すと、首だけ動かしてウィンを振り返った。おそらく相当顔が溶けていたのだろう、驚いたティームのまつ毛が上下に揺れて即座に前を向き直った。
「俺も十二本だぞ」
おれは減らしたから」
「でも最初は一緒だろ」
 減らす前の本来ティームが贈ろうとしていたバラの本数はウィンがプルックに依頼しようとしていた本数と一緒だった。今はまだそれでいいと思った。
 それが二本に減ったところでウィンとしてはどちらでも良かったが、ティームがまず自分と同じ本数を選んだことが普段ほとんど聞くことのないティームの本音のようで、ウィンは管理が出来なくなった顔をティームの肩口に埋めた。
「お前が準備してるとは思ってなかった」
「なんでだよ、おれだって男だよ。相手がいたら考えるだろ
「そうか、考えてたのか」
 本当に、全く期待していなかった。クリスマスの時と全く一緒だった。ウィンがティームとイベントを結び付けてない時ほどティームは自分とイベントの事を考えている。
 ウィンはニヤけがおさまる気配がないのでそのまま肩口から顔を上げて、ティームの肩をくるりと回して自分と向かい合わせた。いつものジト目とへの字口が愛おしい。今プルックに電話をかけ直してしまうとバラの本数を百八本にしてしまいそうだ。
「さっきは悪かったな。菓子も含めて楽しみにしてる」
 ティームは至近距離で甘く笑うウィンに一瞬見入った後、その鼻先に人差し指をひたりと当てた。
「何が出来上がっても全部食うって約束しろ」
「いいぞ。ビターでもスイートでもミルクでもホワイトでも、チョコじゃない物体でも。お前の全部、綺麗に平らげてやるよ」
 その代わり、とウィンはティームの人差し指を手で包み込み口元に下げてティームを見つめた。
「お前は俺の質問にちゃんと答えろよ」
 そのまま爪先を少し口に含んでから、手を離してやる。ティームが静電気でも起きたかのようにウィンに食まれた指を胸元に引き寄せて肩をいからせる。
「質問って?」
「当日にな」
 爪先を親指で擦りながらティームが色んな感情を乗せた黒目で訊いてくるので、今すぐ言いたい衝動を抑えてウィンはティーム黒髪をかき混ぜた。
 
 
 
 ディーンの彷徨える航路に寄り添うように飛んでいたら、彼の目的地の横に自分の探し物が居た。
 きっと周りにはティームはごく普通の男子大学生にしか見えないだろう。
 だが自分にはここが終の住処で。さらに手作り菓子ひとつで有頂天になって危うくプレプロポーズしてしまいそうになるくらい、ウィンの自己コントロールを乱すのがうまい男だった。