草枕
2025-12-11 23:34:01
3490文字
Public syzygy
 

syzygy_overweight_010.前編


砂に烟る視界の中に、人を探していた。
シルーを形作った恩人は、失われた部隊の元副隊長は。未だアルゴスへ帰還していない。

syzygy隊員へ与えられた最新の任務は、アルゴスへの帰投とイニシエーターでのシャットダウンだ。それはつまり、メロペイアでの殲滅行為が概ね完了したことを意味している。メロペイアの民が、自分たちは滅ぼされたと自認するに足るだけの破壊が、殺戮が、この星を覆ったということだ。シルーの目の前で、知らぬどこかで、戦闘員も非戦闘員も関係なく。女子供老人の区別なく、悉くを殺し尽くしたのだ、syzygyは。シルーは。
シルーは、殊勝に感傷的になる性分ではなかった。それでも、こうして思考の端にのぼる程度に、人間が明文化してきた戦争のルールを散々に破るような戦いだったと感じている。syzygyだけではない。メロペイアの民も、ただこの星で生き残る、それだけに命を賭していた。
この星に女神が存在しようが、シルーの世界に神はいない。
一段と強い風が吹いて、砂塵が舞う。光を乱反射して白く視界を覆った砂の幕は攫われて、凪いだ大地に現れたのは人影だった。
巧みに遮蔽物の陰を選んで来たのだろう。姿に気付いた時にはもう、肉眼で様子を目視できる距離だった。メロペイアの装いをした女が一人、シジー隊員を背負い、アルゴスの方向へ歩みを進めてくる。
そして。
────リード・エルンストの死体というものを、初めて見た。
はじめシルーの頭に過ったのは、そんな言葉だった。現実を薄い膜で覆ったような、しかし紛れもない事実。亡くしたと思って再会できた人。多くの隊員が負傷し死んだ一度目のループで、殆ど無傷で生き残った歴戦の軍人。だから、脳が誤認でもしたように、彼の人の死がシルーの感情を動かすまでに、ラグがあった。
衝動のままに声を上げ、身を乗り出さなかったのは、後天的に会得した防衛本能だ。負傷した味方を助けに出て頭を撃たれる危険も、仲間の死体を蹴ってまで警戒しなければならない爆薬も、知っている。見たことがある。何よりも、そういった愚を犯さない動きを、身体が覚え込んでいる。そういった類の冷静さだった。かつてリードが上官だったことが遠く因果となるような、澄んだ警戒心が、遺体への衝動を研いだ。──何を犯しても、あの身体をアルゴスへ連れて行く。必要なら冒涜さえ厭わないとまで、心底から思った。
シルーはいつも、死者に対しては自分勝手だ。自分勝手に、亡くしたものを哀している。何も応えてくれないから。


他にメロペイア兵がいることを警戒しながら、空へと銃声を響かせる。アルゴスや近くに居る隊員は何事かが起こったことに気付くだろう。
威嚇射撃は、かのメロペイア人の足を止めさせた。こちらを向いた顔に、短い問いをかける。

「その人をどうした」
……ここへ届けに。と言って信じる?」

信じがたい言葉だった。相手とてそれは織り込み済みだったのであろう。言葉にはしたものの、こちらの警戒を当然といった様子で居る。


「仮に真実だとして、お前に得がない」

敵の死体を、単身敵陣まで届ける危険を冒す理由が、一つとて思い浮かばなかった。
空に向けていた銃口は、モノクロームの装束に向けている。
もうすぐ強制終了することになる星の民は、警戒の目を向けられながら、それでも丁寧にsyzygy隊員の死体を──遺体を、そっと横たえた。これが罠ではなく、単に死者への、あるいは遺族への、畏敬や同情であるのなら。
銃口の先に、しゃがみ込んで膝をつき、土に汚れた服が見える。次いで、薄明色と、目が合った。


「そうかもしれないね。けれど見放すことこそ無意味だ。
……助かるんだろう?」

「ノーリスクとは言えないが」


アルゴスの方角を仰いだメロペイアの民は、イニシエーターについて、いくらかの情報を持っているらしい。
彼女は脇腹をおさえながら、よろりと立ち上がった。よろめく程の怪我を負ったのか、汚染の影響か。前者であれば、それはsyzygy隊員によって負わされたものである筈だ。
そうでありながら、ただ『助かる可能性のある命』としてリードを繋ごうとしているのか。彼女がリードと個人的な対話をしたのかどうか、シルーは知らない。知らないがそれは、星間の距離など無いも同然の、ただ、まっさらな、人間と人間の心配りに他ならない。自らの安全を冒してでも他者の命を尊ぶという、整合性に欠けた、何よりも眩しい輝きだ。


……望みはあるか。お前が本当に『敵兵の遺体をかついで来たド級のお人好しさん』なら、━━魚心に水心だ」

「お人好し? それは誤解だよ。
私はメロペイアが永らえるのなら、命が還りつくこの星を守れるのなら、なんだって……よかった。
何と言われてもそのことを間違いだとは今も思わない」


うつむきぎみに発された言葉は、プラチナの髪に隠されて、無感動にも聞こえた。それでも、この頑なさをシルーは知っている。『何をしてでも』という覚悟には、常に自分は『間違っている』と糾弾されても仕方ないという予感が伴うことを。

多分彼女は、ただ純粋に、自分の守りたいものを守った星の民だった。その功罪は分からない。シルーの遠い知り合いが彼女に害された可能性だって否めない。しかし今シルーが出会ったのは、異星の者の命を拾う『お人好し』なのだ。その呼称を認めない、誠実な頑なさを持ったお人好しなのだ。


……もう本当にどうしようもないだけだ。
 どうしようもないついでに、あの子、ソアラに借りを返しただけ」


メロペイアの民が牙を隠していた事を"思い出した"夜。
シルーの首を掻くことも、きょうだい達へ居場所を伝えることも出来たであろうサーリヤに、シルーは見逃された。シルーは今、あの時のサーリヤを思い出している。きっといつまでも覚えていると約束した少女。翡翠色の瞳があのとき何を感じていたのか、微かに自惚れた。



「それなら尚のこと。
お前は、確かに『借り』とやらを返した。──後は、オレがこの人を必ず艦へ連れ帰る」


シルーは目前の人間を疑うのを止めた。
ただ、彼女の優しさが真実であると信じてみたかった。
ソアラの名が出たとはいえ、あまりに無防備かもしれない。それでもここで引き金に指をかけることを後悔する未来は、──多分、重たいだけで、酷くつまらないだろうと思った。





「望みが絶たれて、なお生き方を変えられないのなら。そうやって死んでいくしかない。
……でも、その不器用さは武器になるのだと、この大地で思った。オレは、メロペイアの民が死んでも手放さなかった信仰は、『ずっと』残ると──、変な話だが"信頼"している」


この言葉は、届くか分からない。
正しいかも分からない。もしかしたら、メロペイアの信仰は本当に失われてしまうかもしれない。
それでも、ただ同じ、生き方を変えられない者として、信じたかった。syzygyの任務遂行の結果というより、メロペイアの民の在り方の話として。雀が百まで踊りを忘れぬように。病が治っても癖は治らぬように。あんなに苦戦させられた女神への祈りと、共同体への帰属意識が、たかがシャットダウン如きで消せるものかという皮肉に乗せて、ただ。
この世に絶対などないことを思い知っても、物事が必ず好転するという言葉がどこまでも人を慰めると知っていたから。
選んだ言葉はあまりに稚拙だ。それでも、彼女が、繋げる命を救ったことに感謝をしたかった。『見放すことこそ無意味』と言った彼女に。


……シルーという。オレの恩人を連れて来てくれて、ありがとう」

シルー……
さようなら 私はロハ」


シルーの世界に神はいない。
だが確かに、この星に女神は居るのだ。
それらを相容れないことと断じる者は少なくないだろう。

「ルクスの民に安寧を。
あなたにとっての光がたえず心に在りますように」

それでも。だからこそ、かけられた言葉は美しい。人生で何度も聴いたルクスの定形文が、こんなに澄んだ眩しさを持つとは。ロハと名乗った人物の、一日のはじまりのような薄紫に、澄んだ日が差し込んだような朝色の瞳。きっとメロペイアには、こんな綺麗な朝があるのだ。




そして、

そして、その色を裂く銃撃の音がした。






credit.
イラスト:9000(DAB92979)
小説:草枕(@kusamakura_siro)