御所が燃え、久坂の亡骸を見届たその夜、龍馬は目に見えて疲弊していたニシキを休ませるため、近くの古びた空き家で一晩を明かすことにした。
本当は長屋の布団で寝かせてやりたいところだが、長州の皆は散り散りになり、頼みの高杉も行方知れず。のんびりしている場合ではなかった。
「何かあったら声かけや。わしゃそばにおるき。」
そう声をかけて刀をすぐ側に置き、冷たい床に横になる。龍馬は小さくため息をついた。寝れるだろうか、と一度瞼を落とす。が、すぐに心がざわざわと騒ぎ出し、それが煩くて落ち着かない。鼻にこびりつく焦臭い香りは、京を燃やす火がまだ収まっていないことを嫌でも連想させた。なんとなく、ふとニシキを見ると、彼は壁に背を預けながら座って目を閉じていた。気は張っているようだが、少しでも休めればそれで良い。ニシキの小さな呼吸音を聴きながら、龍馬も静かに目を閉じた。
こと…という物音で目が覚めた。普段なら起きないほどの小さな音だったが、今日の眠りはやはり浅いようだ。あたりはまだ真っ暗で、眠りについてからそう時間は経っていないのだろう。
「…ニシキ?」
ふと、あたりを見渡すとニシキの姿が見当たらない。
「…いかん、ニシキ!」
龍馬は慌てて体を起こし、古い襖を破る勢いで駆け出した。
バン、と空き家の戸を乱暴に開け外に出ると、月明かりに照らされた道の真ん中で、ニシキは刀を手に、ぼぅ、と立っていた。龍馬に気付くとゆっくりとそちらを振り返ったが、その顔は生気を失い、まるで幽霊のようだった。
「…あぁ、龍馬か。起こしてしまったか。」
「どこに行くがよ。」
その質問にニシキはゆらりと顔を傾け、不気味ににこ、と微笑んだ。
「久坂に会いに行くんだ。」
「…玄瑞に?」
あぁ。と頷くニシキは何故か嬉しそうで、龍馬の背にぞくりと寒気が走る。
「あいつは私のことを待っている。」
「ニシキ、玄瑞は、もうおらん。」
龍馬はニシキをまっすぐ見つめる。無意識に目に力が入り、ぴくり、と瞼が動く。少しでも視線を離すと消えてしまいそうで怖かった。
「あいつは死んだ。一緒に見届けたじゃろ。」
「そんなわけ、ない。…ふ、ふ、はは」
ニシキは笑った。声をあげて笑った。そんな姿、龍馬は今まで一度も見たことは、ない。
「あははは、そんなわけないだろう!久坂は私と一緒に居ようと言ってくれたんだ!」
ニシキは笑い声をそのまま怒りに変え、声を荒げる。まるで、感情を操作できぬ赤子のように、喚く。
「久坂は…私のことを義兄弟と呼んでくれた。もう…もう失いたくない。私はまた、きょうだいを……」
龍馬は何も言わず、ニシキの前まで歩いていく。その手に握られた刀のことなど気にも止めず、半ば強引に体を引き寄せ抱きしめた。彼から溢れて止まらない感情も、共に。
「ぁ…あ…どうして……。あと少し、あと少し待っていてくれれば、助けられたのに。どうして…命を絶ってしまったんだ。」
龍馬の肩がじわりと濡れる。止まらぬ感情は涙となってニシキからぽろりぽろりとこぼれていく。
「玄瑞は立派やった。あいつの死で、救われた命がいくつあるかわからん。」
「龍馬…私はわからない……。武士の立派な最期など、知ったことではない…」
龍馬はふと思い出した。松蔭先生が死んだとき、終始不思議そうにしていたニシキの顔を。そう思えば、出会った時からこの男の根は随分と人間らしかったのかも知れない。
「頼む……行かせてくれ。久坂に会いに行きたい。私は…あいつの…刀で…」
「違う。おまんは行ってはいかん。」
龍馬は引き留めるように、更に強くニシキを抱きしめる。
「おまんは人として、義兄弟として、玄瑞が残いた想いを抱えんといけん。」
涙で濡れたニシキの顔がぐらりと歪む。じゃあ、どうすればいいのだと、刀として育てられた男は嘆く。龍馬は優しく微笑むと、ニシキの頭をポンと撫でた。
「今くらいは…玄瑞のために泣くのも、えい。人は、悲しいと泣く。人が死ぬると悲しい。おまんはなんちゃあ間違うたことはしちゃあせん。」
幼子をあやす様に、ゆっくり、そう語りかける。ニシキは困ったように眉をひそめ、こぼれ落ちる涙を拭き取るわけでもなく、その雫が頬を伝って落ちる前に手で受け止めた。
「泣いて、いるのか、私は。」
「そうや。」
「悲しいから、泣いているのか。」
「うん。」
「泣いても、いいのか。」
「うん、えい。」
ニシキはしばらく声もあげず、静かに涙だけをこぼしていた。涙で濡れた手で刀を握り、小さく、久坂…と呟いただけで、それ以上もはもう、何も言わなかった。
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