雪見障子をとりつけはしたものの、都会であれば雪には縁がない。故郷にいたときも、雪が降ったところなど見たことがなかった。天照本部があるこの場所も、めったに降らないのだろう。この国は縦に長いものであるから。
毎年のことなので慣れたのだけれど、障子の張り替えは大作業ではある。水で溶いた糊を刷毛ですっと滑らす。骨組み部分も古く、ささくれだっていた。障子を外しているので隙間風が縁側から入ってくる。夏などはよかったのだけれど、冬ともなればこうも気温が違う。首もとに手ぬぐいを巻いてはいるも、暖かさなど微々たるものだった。手がかじかんで痛む。障子紙を慎重に貼りつけ、刷毛を糊の入ったボウルの中に置いて手のひら同士をさすった。
「張り替えかい。精が出るね」
「おかえりなさい。紫垂月殿」
ふと見上げると、彼は枯れた葉を何枚かつまんでいるようだった。
そのまま畳に坐り、その葉をならべる。全部で五枚。からからに乾燥した葉は、さまざま、色がちがう。視線で追うと、彼はふと笑った。
「これがなにか、分かるかい」
「イチョウ、ですか」
「そう。庭に生えていたイチョウと、どこぞの桜、木蓮、ドウダンツツジと、楓。近くの公園やらに植わっていたから」
紫垂月頼宗の白く細い指がひとつひとつをさす。そして指をとめ、ドウダンツツジの真っ赤な葉を指でつまむ。
「ドウダンツツジは、満点星とも書くようだね」
「満天星……。それは知りませんでした。ロマンですね。花が星だなんて」
「外国の神が霊薬をつくるさいに、ドウダンツツジにこぼしたら星々のように輝いたことから満天星と呼ばれるようになったとか」
ゆびさきでくるくると動かしながら、彼はほほえんだ。
「神という存在はなんでもできてしまいますね。花を星に、人間を星座に、人間の命を刈り取るのも容易い」
紫――藤色の目がゆっくりとゆるめる。くちびるが、かすかにとじられ、ふたたびひらいた。
「なんでもは言いすぎだよ青。神という存在には制約がある。できないことのほうが多いんじゃないかな」
「……そうですか。けれど、確かになんでもできていたらこの世界はとっくになくなってしまっていそうです」
ドウダンツツジを畳に置き、青嵐を見つめた。目を細め乍ら。
「人間を生かすも殺すも神次第……そんな時代ではないのでしょうね。この世の多く、人間を殺すのは人間ですから」
赤い葉を取る。手は変わらずに冷たく、指先の感覚がない。その指を、そっと覆ったのは紫垂月頼宗の手だった。彼の手はほんのりと冷たい。
「青の手は冷たいね」
「障子の張り替えも億劫になりました」
ふ、とわらう。彼の体温もそれほど高いというわけではないけれど、今はふれあっているとじんわりとしたぬくみがある。
その手に顔を寄せ、一度その白い手の甲にくちづけを落とす。かすかな甘い香りがただよい、くちもとをゆるめた。
「冬はさむくて、すこし苦手なんです」
「冬だからね」
手を見下ろしたあと、ゆっくり視線を上げる。彼の手がほどけると、青嵐のほおにふれた。ゆったりとした、ほのあまい表情をしている。
「冷えている」
その表情で、冷たいねという。くちびるの端をもちあげて、そうですねと繋げる。
そのまま立ち上がり、雪見障子をもちあげて、枠に嵌める。古い家だ、そう簡単にはいかないが上を押し込んで力ずくで下のほうもはめ込んだ。ガタガタと音がするたびに枠から少々の木くずが落ちてきた。
取っ手を持ち、ゆるゆる引くとうまく滑ってくれた。ここには暖房がないのだけれど、これでだいぶあたたかくなるだろう。
「紫垂月殿、寒くはありませんか」
「うん。そういえばこの部屋にはだんぼうきぐ? がないんだったね」
「ええ。紫垂月殿の部屋と私の部屋と……居間くらいにしか」
「心地のよい寒さもあるけれど、人肌も存外、心地がいいものだ」
あまりにも美しくほほえむものだから、思わず視線を外してしまった。けれども彼はあごに指を添え、逃さないというような力――だったのか定かではないが、少なくとも逃れようとは思ってもいなかった。
くちびるをあわせて、彼はひと言、「つめたい」といった。
素肌のぬくもりが、冬ではよすがになる。
息があつい。目の前の紫垂月頼宗のほおを今度は私が撫でた。かすかにあたたかい。再度くちびるを合わせ、口内を貪った。口の中はいつも、あつい。あなたが教えたくちづけを私は常々、覚えている。今も、五年後も、その先もきっと。
物覚えがいいとあなたが言ったので、そうなのだろう。それとも、あなたによってそうつくりかえられたのだろうか。どちらでもいい。くちづけの仕方も知らなかった私だ、あなたが相手だったからよかったのだろう。あなただから。きっと。私のなかでは、あなたはとっくに特別だった。唯一の神であるし、近しい隣人であるし、それ以上に――いつも寒かった私に熱を教えてくれたただひとりの存在だった。
抱き合いながら、あなたの頭を両腕で抱える。さらさらとした髪の感触を一番近くで感じた。
あなたの体温も私の体温もちがうから慈しみたいと願う。
今日も、五年後も、きっとその先も。
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