タロ文庫の作品置き場
2025-12-09 11:59:53
10692文字
Public 作品
 

愛の日々

2023-09-22
7/8に開催されたBoun Birthday Party with Prem in JAPANに参加した際のギブアウェイに連動した話です。
BU最終回後のWT。
OST『ฉันอยากจะใช้คำว่ารัก』(愛という言葉を使いたい)がとても好きで、そこに絡めた話が書きたかったのです。そして俳優とファンの交流の場であるFM(とギブアウェイで配った冷え冷えグッズ)に絡めた話にしたいなと思い、二つをミックス捏ね捏ねしました。
プリンスのバースデーイベントを手伝いに行ったティームがウィンの部屋に持ち帰ってきたものの話。

 ウィンの部屋のドアを開ける頃、ティームは身体を縦にし続けることに限界を感じていた。
「たーいまぁ」
 一日中張り上げていた声帯はカスカスで、ドアが閉まる音に負けたかもしれない。どちらにせよ待ち人の帰還に部屋の主は机に向かっていた身体を半分ねじって「おかえり」と声をかけてきた。優しい声には労いを含んでいたものの、ティームの目がキングサイズのベッドを捉えていることを確認するとすらりと長い首をクイッと動かして目を細めている。
 墨色の奥が鋭く光った。プールサイドでよく見る目だ。
 なんだよ、分かってるよ。
 帰って来て早々の副部長命令に舌打ちが出そうになるも寸でで押しとどめ、視線と共にベッドへと向けていたつま先をずるずると引きずるようにバスルームへと向かわせる。途中で肩にかけていたリュックをベッドの足元へどさりと落とし、クローゼットの中から適当な服を掴んだ。下着を含めてウィンのものだったかもしれないが構っていられない。
 本当なら靴を脱いだらそのままベッドにダイブしたかったのだ。今までも前科はあり、先にシャワーを浴びろと何度も諫められた。それは口で言う割にウィンも気にしていない時が多かったが、今日に限っては自分を一目見て顎でバスルームを差したウィンに従わざるを得ない。
 ベッドのリネンは今朝、新品に入れ替えたばかりなのだ。ティームも手伝った。一日続いた肉体労働の疲労度に比例して汗と汚れでドロドロのギトギトになった今の身体を寝かせてはいけない、とはティームも頭の隅で思ってはいた。
 いつだったか汚いのが嫌なのかと煽った自分の耳の後ろを嗅ぎながら堂々と「悪くない」とのたまったことがある男がこだわって買ったリネンの触り心地を楽しみにしていることも、ティームは重々知っていた。
 ここは素直に従い、シャワーを浴びて疲労以外のすべてを洗い流すことにした。清潔な水分を纏えば、もう髪の毛を拭く為に腕を上げることすら億劫だった。それでもベッドが濡れない程度にはタオルでワシワシと乾かし、冷蔵庫から水のペットボトルを取り出して半分ほど一気飲みして、きちんと蓋を閉めてからローテーブルの上に置いた。
 そこがティームの限界だった。
 もういいだろうと、勢いよくベッドに転がる。隣にウィンがいない分、真ん中で堂々と大の字になる。
 このコンドミニアムは家賃が高いだけあって備え付けの家具も大きくて質がいい。小さくも細くもない自分がどこにも引っかかることなく身体を伸ばせるくらいのベッドは、体圧分散性が高くて沈み込みすぎず全身を適度に包んでくれる。新品のリネンはまだ持ち主の匂いがついていないが、肌に当たる冷感素材のひんやりとしたとろみが今日一日の疲れを癒してくれた。それはもう最高に。
「ふわあぁあうぇぇうああああ」
「おぉい、ティーム。何だ今の声、どこから出した」
 四肢をぴぃんと思いきり伸ばせば、凝り固まった筋肉が喜んで解れていく。いたるとことで骨がぼきぼきと鳴るのも珍しく、それだけ身体を普段とは違う使い方で酷使してきた証拠である。腹の奥底から湧き出てきたため息は決して可愛いものでは無かったが、疲れていたのにきちんと言いつけを守ったのもあってかウィンは副部長の視線を引っ込めてこの部屋でする本来の柔らかな笑い声を喉奥で響かせた。
 それと合わせて軽快なタイピング音がした。頭だけを動かして眺めてみれば、ウィンの顔はこちらを向いていなかった。あぁ、まだグループワークの準備に追われているんだなとラップトップを見つめる顔をぼんやりと眺める。
 付き合う前は多忙さが一向に見えてこない人だったけれど、徐々に見せてくれるようになった。ティームは疲労で重たい瞼をゆっくりと瞬かせ、こっち向けと念を込めて口を開いた。
「こんな声も出るよ。一日中動き回ってたんだ」
「いい運動になったんじゃないか?」
「なるかよ。慣れないことばかりで冷や汗びっしょりかいた」
「で、楽しかったのか?」
「それは……うん、楽しかった」
 喉への負担はシャワーでは軽減されず、地を這うよりも低い声が出ている。それでもティームの素直な気持ちが零れれば、ウィンは振り返って目を合わせて「そうか」とまた笑った。一日中机に向かっていてウィンだって疲れているだろうに、自分と違って声にも態度にも出ていないのは流石である。大半の人は気づかない。
 ウィンの目が画面に戻らないのが分かって、ティームは今日見てきた光景を思い出しながらほうとため息を吐き出した。
「あーいうところ初めて行ったけど凄かったよ。先輩やディーン先輩で見慣れてると思ってたけど、もっと女の子が沢山来てた。あ、男の人もいた。制服のまま来てる高校生もいたし、とにかく店の中の熱気が凄くて……あいつって人気あるんだな」
「そりゃ、芸能人だからな」
 まぁ、そうだけど、と呟き、ティームは見上げたクリーム色の天井に今日の主役の眩しい笑顔を思い浮かべた。
 ふっくらとした頬にピンク色の唇が綺麗な弧を描く。見ているだけでホットケーキのような甘い匂いが香ってきそうな柔らかい笑顔。我が親友も可愛い顔で甘い匂いをさせているが、スポットライトの光をうけてきらきらと輝く瞳にはそれだけで人を惹きつける華やかさがあった。
 プリンスは近頃イベントでもぐんと笑顔が増えて可愛いって評判なんだよ、と。ホットケーキフェイスに美味しそうな焼き色と甘いメープルシロップを施しているであろう水泳部の同期が、自身がその熱で蕩けるバターみたいな表情でティームに惚気てきたのはつい最近のことである。
 そんな人気上昇中のプリンスがファンに向けて誕生日イベントを開催するというので、ティームは参加してきたのだ。イベントスタッフ側で。
 プリンスは事務所に所属しておらず、マネージャーと契約をして個人で芸能活動をしている。なので主催はマネージャーとファンクラブのスタッフだった。いつもは少数精鋭で動いている彼女たちだったが、イベント会場では圧倒的に裏方の男手が不足していた。
 勿論引っ張り出されるよりも先にビーが立候補しないわけがなく、芋づる式にエーとシーの参加も決定していた。その時点ではティームには声がかかっていなかったが前日の昨日になって急遽人手が足りないとビーからSOSの電話が入った。
『屈強な男が必要なんだ。もうそんな奴はオレの知り合いにお前しかいないんだ。頼むよティーム』
 屈強かどうかは置いといて、困っている友人は見過ごせない。身体を動かすことは得意だし水泳部の下っ端としていろいろと使われることには慣れているから重い荷物だって運べる。車だってある。ウィンにはグループワークの最終調整をすると言われていたこともあって、二つ返事で了承した。
 そんなこんなで急遽参加することになった会場での仕事は、予想通り、いや予想以上に怒涛の力仕事ばかりだった。普段はカフェだという店をステージと客席へレイアウト変更する為にテーブルと椅子を外に出したり、到着したマネーフラワーを業者と一緒に並べたり、ファンクラブが手配した弁当やケータリングを受け取ったり、次々と運ばれてくるプリンス宛のプレゼントに生ものや危険物がないかをチェックして別室に並べたり。
 イベントが始まれば、今度は列の形成と誘導を手伝い、ステージに立つプリンスに袖からあれこれ手渡したりもした。
 主に指示を受けて運ぶ・並べるがメインであったが、初めてのことばかり、更にぶっつけ本番もあって身体だけでなく脳もフル回転だった。かいた汗は冷や汗も脂汗も含まれている。それが炎天下で噴出しては会場のエアコンで冷やされ気化を繰り返し、最後はマネージャーに「もうお客様の前には出ちゃダメ」と言われるくらいティームをデロンデロンにした。ひっきりなしにこき使われて、休憩していいよと言われて弁当を手に取れたのは撤収直前だった。
「そのお弁当や飲み物が凄くてさ、海外のファンクラブからだったんだよ。海外にもファンがいるんだって。あと食べ物だけじゃなくてマッサージ屋も来てたんだよ。スタッフ用にって、マッサージの差し入れ」
「へぇ、それは豪華だな」
「プリンスがこんなワールドワイドな有名人だとは思わなかった」
「今はSNSで世界中に発信出来るから認知もされやすいんだろうな。確かアレックスが大学でイベントした時も海外からフードトラックが来てたぞ。中国だったかシンガポールだったか」
「え?! あいつも?」
 そういえば芸能人だったっけ。
 驚きながらも首から上しかベッドから持ち上げないティームにウィンは頬杖をついたまま可笑しそうに笑った。親友にちょっかいを出していたかの有名人もいまや他の親友の恋人だというのに、相変わらずの物言いが面白かったのかもしれない。
「でも流石にマッサージ屋までは居なかったでしょ」
「居なかったんじゃないか、多分」
 勝った。
 何故かどこか得意げになってしまいティームはふふんと満足げに鼻で笑ってしまった。案の定ウィンの目が誰とどこで何の勝負をしてるんだと呆れ気味に細まり、徐にその上の眉がふよりと上がった。
「で、重労働でヘトヘトのティームくんはその〝特別な差し入れ〟の恩恵は受けてきたのかな?」
 揶揄いを存分に含んだ声にティームの眉もぴくりと上がる。こういう時にだけ稀に呼ばれる年下扱いをエネルギーにしてもう動かないと思った身体をごろりと半回転させた。
「受けれたらこんなにへばってないよ。それに、おれはおれのファンからの〝特別な差し入れ〟があったからね」
 ウィンにいぃーと白い歯を剥きだしにして腹ばいのままベッドの脇に放り投げたリュックの中をがさごそと漁ると、ウィンから笑い声に乗せた「ファン、ね」という呟きが聞こえてくる。ファンでもあるだろと心の中で返して目当てのものを取り出した。
「じゃじゃーん」
 それはティームのリュックの中でさえもピッシリと折り目なく、貰った時のままの形を保ったピンクの付箋だった。黒いボールペンで書かれた文字はとてもきっちりしている。横にピースサインのイラストが描かれているのは、以前ティームが彼にそうした時の真似だ。
『スースー』と一言。でも、どんな励ましよりも力をくれる。
 今朝、出発する前にウィンが渡してくれた。付箋は冷やすタイプのアイマスクと足用の冷却シートに貼ってあった。普段使わない代物に首を傾げたティームにウィンは絶対必要だとリュックに仕舞わせた。今ならわかる。身体が欲しているものだ。
 渡された時のままのそれを両手で持ち、自分よりも上手く描かれているピースサインを指でなぞって、ティームは丁寧に付箋を剥がした。
「折角くれたのに使う暇がなくてごめん」
「謝らなくていい」
「ね、先輩、これ今から使ってみてもいい?」
「あぁ、今のお前に一番必要だろ」
 頬杖のままのウィンがゆっくり頷くのを見て、ティームは手の中の使い捨てのパッケージをぴりりと破く。中からは耳に引っ掛けるところのないアイマスクが出てきた。目に当たる部分には青いジェルがあり、見た目からして涼しそうである。初めて見て触るそれに、ウィンをちらりと見上げれば、ほらと手のひらを差し出される。促されるまま透明な保護シートを剥がしてその手に置いて、自分はまたごろりと仰向けに転がり、瞼の上の青いジェル部分が来るようにアイマスクを押し当てた。
 う、わ。
「ふわぁああああ」
「お前はまたそんな声出して……
「せ、先輩、これやばい、気持ちいい」
 シャワーを浴びたばかりの火照りもあるだろうが、ひんやりと冷たくて柔らかいジェルが瞼の外側まで優しく密着して冷却してくる感覚がティームの疲労の元にクリティカルヒットした。こうして瞼を閉じてみて初めてどれだけ目が疲れていたかよく分かった。慣れない環境で腕も背中も腰も足も重怠くはあったが、目が一番酷使されていたかもしれない。強い日差しが照り付ける屋外と真っ暗なスタッフの通路を行ったり来たりしたコントラストにやられただけでなく、普段浴びないような強い照明の中に長時間いたのもある。瞼の裏でちかちかと光が点滅した。瞼自体もぴくぴくと小さく痙攣している。それをひんやりプニプニのジェルが包み込み、宥めて癒してくれた。
「あー、めちゃくちゃ効いてる。ウィン先輩ありがとう」
「だろ。勉強の合間に使うといい気分転換になるんだよ。目も冴えるしな」
「合間って……これで再開できるの? このまま寝たら最高だよ」
「おい、ティーム、寝るなよ。十分経ったら剥がせ。アラームかけといてやるから」
「むにゃむにゃ、おやすみ先輩」
 ティームは疲労感はあれどまだ眠気はやってきてなかったが、ウィンがあまりにも親みたいな口調で言うものだから、口角を上げたまま眠たい子供の様にふざけて口を動かした。勿論このまま寝落ちするつもりはなく、ウィンがセットしてくれたアラームが鳴るまでゆっくりしようと思っていた。
 そしてそれを、本当の眠たい時のティームを熟知しているウィンも分かっているはずだった。
「じゃあ、寝ないようにもっと気持ちよくしてやろうか。ティーム」
「へ?」
 きしりと椅子から立ち上がる音がして、ウィンの声が急に近くなる。アイマスクの下で思わず目を開きそうになったが優しい冷却ジェルの抱擁は一ミリだってティームが瞼を動かすことを許してくれなかった。
 右腕の近くでベッドが沈み、次に腰の左側が沈み込んだ。見えない中で咄嗟に起き上がろうとするも、大きい手がそっと肩をベッドに押し戻す。
 これはもしかして、もしかしなくても、ウィンに乗っかられているのではなかろうか。
「えっ、先輩、なに?」
「いいから。お前は寝転がっとけ」
 ウィンの気配が降ってくる。真新しいシーツの匂いがウィンの纏う香水の匂いに上書きされる。部活のない日の匂い。この部屋で一番嗅ぐ、ウィンの匂い。嗅覚をくすぐられ、誘発された唾液を思わずコクリと飲み込めば、ウィンの笑う吐息が鼻先を掠めた。
 見えなくてもウィンがどういう体勢なのか分かる。ティームはウィンの脇あたりのTシャツをキュッと掴み、自然と上がる頤に合わせて唇を開いた。
 それはウィンのベッドの上ではよくある日常動作だったのだが、ティームの予想は外れて唇には何も触れなかった。それどころか顔の横でかさりと音がしたかと思えば、ウィンの気配は顔から遠ざかっていった。ウィンはそのままティームの下半身へと下がっていき、ぺりぺりと何かを剥がす音を立てている。
「なに、してんの?」
 ウィンを追って肘で上半身を支えるように起き上がり、流石に事態を把握したいと目の上のアイマスクを取ろうとした瞬間、ウィンの体温の高い手に足首を掬い上げられた。そして次にウィンにされた衝撃が強くて、ティームはアイマスクを取るどころかそのまま再びベッドにぽすんと倒れこんだ。
「ひゃぁあああっ」
「な? 気持ちいいだろ?」
 掬い上げられた足の、裏。土踏まずへペタリ。ふくらはぎにペタリ。大きな手でぎゅーっと押し当てられる。
 それがアイマスクと同じようにひんやりとしており、急速に疲労を吸い取っていく冷たさにティームは見えない中でウィンにこくこくと頷いてみせた。
 押し当てられたところから有効成分がしみ込んできているのか、じわりじわりと筋肉の火照りが宥められる。またしてもティームの疲労の元へとクリティカルヒットした。
 この男はどうしてこんなにも求めるものを的確に突くのだろう。
 ティームがはふっと気持ち良い溜息を洩らすとウィンはもう片方の足にも同じようにシートを貼り付けてベッドから降りて行った。
「そのままゆっくりしてな」
 去り際にティームの頭をポンポンと撫でて、柔らかい声で揶揄いを伴う労わりを締めくくる。ティームは早とちりで目元に上がってきた熱をそのまま冷却ジェルに吸い取ってもらいつつ大の字に戻った。ウィンがラップトップのスクリーンセーバーを解除する音が聞こえた。
 しばらくそのまま暗闇の中で冷却を感じながらウィンの出す音に耳を傾ける。リズミカルなタイピング、止まったと思えばカコカコとタッチパッドを押し込む音がして、紙がめくられる乾いた音が続く。きしりと椅子の軋む音に、小さな咳払いが重なる。どの音を聞いていても心地よく思うのは、出している本人がティームにとって心地よい存在そのものだからか。目の裏にあった光の点滅も耳の奥にこだます今日聞いた声の数々も次第に薄らいで、ティームの中の水面が凪いでいく。
……今日さー」
「うん?」
 自分がニュートラルになる感覚にティームの口は無意識に言葉を紡いでいた。一瞬ウィンの邪魔になるかなとぴたりと唇をくっつけたがすぐに相槌が返ってきたのでそのままほろりと口元を緩める。
「パーティーの終わりにさ、プリンスが店の出口でファンの人達とハイタッチしてたんだ。お見送りってやつ。おれはプリンスの後ろに立ってファンの人がプリンスに渡すプレゼントや手紙を回収する係をしてたんだけど」
 郵送で送られてきた物だけでなく、イベントに参加したファンも沢山のプレゼントをプリンスに贈っていた。ティームはそれを一旦回収して段ボールに詰め込み、一定の量になればエーとシーが控室へ運んで行った。
「みんなニコニコしながらプリンスにありがとうとか好きとか愛してるって言ってたよ」
 対応しているプリンスの顔は見えなかったが、一人一人の言葉に対して「ボクも愛してる」「こちらこそ、ありがとう」と丁寧に答えている声は柔らかくて、それを聞いたファンはますます笑みを深めて帰っていった。そのやり取りはイベント中の熱気とはまた違ったあたたかい温度をティームに伝えてきた。強い刺激が去った身体の中にその時の熱をぽこりと思い出す。耳の奥にも黄色い声や飛び交う指示ではなく、プリンスに向けられた言葉たちがゆっくり流れてくる。
『楽しい時間をありがとう。プリンスも楽しかった?』
『いつもパワー貰ってるよ』
『ちゃんと食べてる? 眠れてますか? 毎日笑って過ごしてね』
『あなたが健康で、そこにいてくれるだけで幸せです』
『いっぱい準備してくれてありがとう。すっごく素敵だった』
『私も勉強頑張るね』
『プリンスに会って、人生が充実してるんだ』
『あなたが誇れるような良いファンでいるね』
 中には緊張からか顔がこわばって一言も話せない人もいたけれど、プリンスは静かに頷いてタッチする手をぎゅっと握っていた。
 そのどれもが。
「好きとか愛してるとかじゃない言葉も、言葉じゃないやりとりも、全部なんていうか、こう……
 側で聞いているだけのティームでも、肉体労働からの暑さでなく身体がポカポカしてきて、慣れないことをしている緊張感からでなく胸がぎゅっと締め付けられて。
「グッときた」
 沢山のポジティブなエネルギーがプリンスに向かっていた。それを一身に受けるプリンスもまた、今日のステージの為に歌を特訓し、得意なダンスを磨いたと言っていた。パフォーマンスだけでなく、イベント内容も会場全体で楽しめるようにするにはどうしたらいいかを毎日ずっと話し合ってたという。大勢の前で話すのがまだ苦手だと以前にこぼしていたのを聞いたことがあったのに、ステージに上がったプリンスは最初から最後まで焼きあがったばかりのふわふわのホットケーキの顔をして楽しそうに喋っていた。綺麗に伸びた背筋が大学で見るよりもプリンスを大きく見せた。
 どちらが先かはわからない。でも友達でも恋人でも家族でもないプリンスと彼らの間には、あたたかな交感があった。
「今日手伝いに行ってよかったよ。本当に楽しかった」
 またひとつ愛情のかたちを知ることが出来た。
 ティームが呟いた声に、ぴぴぴぴっとアラーム音が重なる。一度音が鳴り止み、二度目の連音が鳴る前に止めたウィンの指は、気づけばしばらく作業音を出していなかった。
「プリンスとファンは良い信頼関係が築けてるんだな」
 束の間の静寂の後、ティームの耳に入ってきた自分以外の声は現実主義な面も揶揄うような弾みもなく、ぽつりと溢された。
 ティームはアイマスクをぺりりと捲って机に向かう声の主へ視線をやった。押さえられてぼやける視界に金髪とアースカラーの部屋着が映る。ピントが合わなくても端正だとわかる顔立ちはラップトップの画面に向かっているものの、徐々に見えるようになればその墨色の目は画面を追っていないようだった。
「言葉通りの気持ちや態度を疑わず怖がらずに受け取れる関係だったんだろ?」
 外したアイマスクを横着にゴミ箱に投げ入れた音で、ウィンの目が横に流れてティームを捉えた。ウィンが言った『信頼』がティームの腑に落ちる。持ち帰ってきた熱が柔らかくも軽くはないのは、核にそれがあるからだ。
 ティームは軽く頷いて、そのまま冷えてすっかり良好になった目でじっとウィンを見つめ返した。
 瞬きをしない墨色の目の奥を、今ならしっかり読み取れる。
「まっすぐに伝えられてまっすぐに受け止めてもらえる関係って、良いよね」
 だから少し意地悪に、自分もウィンと同じ事を思っていると分かるような言い方をして、ウィンの眉が微かに寄るのを笑って見ていた。
「俺もそう思う」
 ティームの笑い方がニヤついていたからかウィンにしては少し幼なげで雑な返しに、今度こそぷはっと吹き出す。結かれていない金髪が隠す目元の赤みをティームは可愛いと思った。
 友達でも恋人でも家族でもないプリンスとファンの愛情のやり取りに、友達でも恋人でも家族でもなかった頃の自分達を思い出して、照れ臭くて気まずくてむずがゆく感じていた。
 ティームもウィンも、相手と自分を疑って恐れて、伝えるのも受け取るのも下手くそだった。
 ティームはずっとウィンに愛の言葉をかけることをこがれ、同時にウィンから与えられるあたたかさの根源を疑った。期待と希望を持ちながら、自信がなかった。
 あの頃、ウィンがティームを恋しく思ってくれていたことも、それを伝えたいと思ってくれていたことも、見えなかったものは今ならわかる。
 ウィンがティームに心を開いてくれたから、見ることも受け取ることも、伝えることだって怖くない。
 くふふと笑い続けるティームにウィンが顰めっ面を持続できるはずもなく、アーモンド型の目は柔らかく細まり、大きな口は綺麗に口角を上げた。ウィンから溢れ出たそれを受け取るべく、ティームは両腕をのろりと上げてウィンに向かって広げた。良好な視界いっぱいにウィンが降ってくる。
「ぐぇえっ」
「おぉい、なんだその声」
 ティームの腕の中に入り込みベッドに乗り上げてきたウィンは、文字通りティームの上に寝転んだ。自分より更に大きな男の身体に圧迫された胸から地響きみたいな呻き声が出た。
「重いぃ……づがれでるっでいっだのに」
「あー、このまま寝そう」
「ぐぞぜんばい」
 スカイダイビングのように腕を広げて胸を逸らすウィンの飛び立ちそうな翼を部屋着の上からバチバチ叩いてギブアップを伝えれば、縦にのびのびと育った大男は楽しそうに笑いながら長い手足をティームに絡ませたまま自重を支えた。
 この部屋のベッドの上で良くある日常風景に戻った密着度に、ティームは胸の空気をふぅーと快適に吐いて自分と天井の間にあるウィンの顔を見上げた。背中に回していた手で垂れる前髪をピアスに引っかからないように耳にかけてやり、露わになった目尻から頬骨の上の皮膚を親指で撫でる。いつもは猫のようにゆっくり瞬く瞼がパシパシと細かく瞬いた。
「終わりそう?」
 一日中ラップトップや資料と睨めっこしていたであろうウィンの身体にも近づけばうっすらと疲労の色が見える。マッサージをするように目元を指の腹で優しく二、三度擦るとウィンが頭を傾けてティームの手に擦り寄った。
「あと少し。トゥンがデータの整合性をチェックしてるからそれが終わるのを待ってるんだ。チェックが済んで俺のところに送られてきたら、レポートに組み込んで全員に流して、全体チェックをしたら終わり」
「本当にあとちょっとだ。終わったら何か食べよう」
「そうだな。裏のカレー屋に買いに行くか」
「いいね! おれ、あそこのレッドカレーとトートマンクン大好き」
 帰宅直後の光のない真っ黒な目からは考えられないくらいキラキラし出したティームに、間近の顔がふはっと破顔する。起き上がる為に腕に力を入れたようで顔の横のマットが沈み、ウィンの上半身が浮き上がった。その時に形の良いの口から微かに呻き声が聞こえた。
「あ、待って先輩」
 ティームはパシッと素早くウィンの腕を掴み押し留め、もう一つの手で頭付近のシーツを手探った。目当てのものはベッドの端にあり、逆手の指の股に挟み込んで自分達の間に持ってくる。
 ペタリと接着面を鼻の下に貼り付けて、分かりやすいように顎を少し持ち上げた。
 小首を傾げてティームの動きを見守っていたウィンが目をまあるく見開く。そこに書かれた文字を読んでいる寄り目に、胸がまたぽこりと温まった。
「スースー」
 折角目の前にいるんだからと文字を声に出してみたら、付箋の端が浮き上がりウィンの唇を掠めてしまった。くすぐったそうにむにゅむにゅと擦り合わせていたそれが「ありがとう」と小さな声を溢して、ティームの口端にあった付箋の角を食んだ。
 ゆっくりと接着面を肌から剥がされるくすぐったさよりも、微かに触れたウィンの唇の柔らかさにティームは睫毛を震わせる。
 一言だけのメッセージにピースサインのイラスト。その付箋を貼るのは自分達にとって〝特別な差し入れ〟だと。
 ティームが差し出すものを受け取る自分自身を怖がらなくなったウィンは、ちゃんと分かってくれる。
 剥がされた付箋はまたティームの頭の近くのシーツの上に戻っていき、ウィンの器用な唇はティームからの励ましを享受すべく、頤をあげて薄く開いたティームの唇にしっとりと合わさった。
 
 
 
 毎日あなたと愛という言葉を使っていこう。
 そのどれもがこんなにも愛おしい。