タロ文庫の作品置き場
2025-12-09 09:26:46
5508文字
Public 作品
 

ロマンスの及第点

2020-10-30
WinTeam創作企画『満月に照らされて』第一夜(2020/10/2)

 水泳部の同期が美味しいと教えてくれた屋台は寮から車で十分ほどの距離にあった。ガパオライスの種類が豊富で何度通っても飽きないと部活終わりの更衣室で熱弁をふるうから、身体の中の総エネルギーを出し切ったティームの頭と口と胃はガパオライスのことでいっぱいになってしまった。うんうんと頷きながら気づかれないように左斜め後ろに目をやると、上級生のロッカースペースで髪をガシガシと拭いているウィンがタオルと金髪の髪束の隙間からこちらを見ている。声高に話す同期の話が耳に入っていただろうウィンはティームの意図を汲み取り、口を微かに動かした。
 行くか。
 それを見てティームは一瞬だけ笑って、正面を向き直り着替える手を早めた。
 
 
 
「お前、迷いすぎなんだよ」
「だって三十種類だよ? 肉だけでも鳥豚牛あって、ひき肉だったり揚げてあったりレバーもあった! キノコや海鮮も美味しそうだったし、揚げナマズもあるなんて思わないじゃん」
 部活の後、ウィンが副部長業を終えるのを車で待ちティームは意気揚々と噂の店に向かった。予想以上のメニュー量に目を輝かせながら悩むティームを横目にウィンはスタンダードなガパオライスをオーダーし、その後はたっぷりとはしゃぐティームを笑ってみていた。
 出来立てのなんとも魅惑的な匂いに胸を高鳴らせて、ティームは助手席に乗り込んだ。ウィンは運転席の座位を自分用に調整して、そのほくほくした顔にデコピンを食らわす。学校から店まではティームが運転したが、ここから寮まではウィンが運転をする。
「すっかり日が暮れちまったじゃないか」
「本当だ。ウィン先輩、早く帰ろう!」
 店に到着した時はかろうじて西の空がオレンジ色だったが今やもう藍色に変わっている。打たれた額を人差し指で擦りながらティームはフロントガラスから空を仰ぎ見た。ウィンがエンジンをかけて滑らすように車を走らせ始める。相変わらずの丁寧な発進の仕方に、大事にされてるような気持ちになる。
 空腹に響くそのむず痒さを誤魔化そうと夜の始まる空を視線で撫でていると、東のまだ下の方にまん丸で黄色い満月が顔を出していることに気づいた。
「先輩、今日満月だよ」
 渋滞していない抜け道を流れるように走る車は、すぐに満月を住宅の屋根の間に隠れさせてしまったが、ウィンは横の窓をチラリと覗いてその存在を確認した。
「あぁ、だから今日は少し明るいのか」
 市内とはいえ寮までの道は電灯が多くなく日が沈むとすぐに暗くなってしまう。その道の、車のサーチライトで照らされていない部分がまだうっすらと輪郭が見えるくらいには、今日の月明かりは強かった。十字路を右折すると、進む先の延長に満月が姿を表す。まだ位置が低い為に地続きに見えてまるで目的地が月かと錯覚しそうになった。
 その月の引力に引っ張られるようにティームの口から本人の預かり知らぬ言葉がするりと溢れでた。
「新月の夜にキスをすると良いことが起こるって聞いたんだけど、満月の下でするとどうなるんだろう」
 丁度ウィンも話をする気配がなく車内はエンジン音すらしないくらい静かな空間で、ティームの声は聞き返す必要が全くないほど明瞭だった。自分で反芻して、ティームの身体は全身に動揺が走った。手先に痺れを感じて無駄に腕の中のビニール袋をいじくる。
「えっと、違うんです先輩。今のは昼にマナウが、なんか、あの、化粧品のサイト見てて、リップクリームの新商品が」
 ガサガサと持ち手の部分をこねくり回しウィンを見ると、ハンドルを持つ手に少し力を入れて目を忙しなく動かしティームと前の車との車間距離を交互に見ていた。
「事故りたいのかお前は」
「だから違うって! マナウが見てたの、化粧品のサイトでそういう言い伝えがイギリスにあるから、新月で見えない夜でも唇を整えようって、そういうリップの、説明!」
 つい先程まで食べ物の話をしていたし車内は部活帰りの男子大学生の胃袋を直撃する高カロリーの匂いで充満している。色気より食い気の空間にも関わらず、ティームは何故そんな事を突然言い出したのか自分でも理解できなかった。確かにウィンとはキスをする関係ではあるが、二人きりだからって四六時中ロマンスを漂わせているわけではない。
 眼前の満月の、照明器具には表せない神秘的な輝きのせいだ。
 赤信号に引っかかりウィンがいつもより雑なブレーキングをしてティームに顔を向けた。慣性の法則で少し身体が前に動き、腕の中の夕食のパックがずれたので慌てて抱え込む。
 一瞬の気まずい沈黙の後、自分のペースを先に取り戻したのはウィンだった。
「してみるか」
「しない」
 口端が綺麗に上がるのを見て予想がついた言葉がそのままウィンから出たのでティームも条件反射で却下する。本当に、本当にそんなつもりで言ったわけじゃないんだ。
「なんだよ、お前が言い出したんだろう。ちょうど満月なんだし、試してみても良いだろうが」
 新月より良いことがあったらイギリスで言ってやるよとウィンがニヤつきながら軽く言うのを、一年先の留学に行くその時まで覚えてるわけないだろうと睨んでからティームはウィンからも満月からも顔を背けた。
 横の窓に顔をくっつけて外を見る振りをする。
 満月め。
 なんちゃらの下でキスをすると、なんてウィンには格好の揶揄い材料だ。それと共に自分にとっては一生忘れることはないだろう、自分の気持ちをウィンに向けて体現したクリスマスの思い出を彷彿とさせて心が落ち着かなくなる。
「試さない! 満月の下でなんて絶対しない」
「はいはい、わかったよ」
 もとより運転中でティームに対して何らかのアクションを取る気は最初からなかったウィンは自分で撒いた種のくせにヘソを曲げたティームを軽く宥めて、月からティームを隠すように今度は滑らかに左折した。
 
 
 
 寮の駐車場につくと、ウィンがティームの膝の上のビニール袋をひょいと取り上げてさっさと車から降りた。いつもより素早い降車にティームはシートベルトを外しながら訝しそうにウィンを見上げる。
 月の引力で乱された心はその後無事に凪いでいて、平常通り空腹がティームの頭を占めていた。
「お前さ、一旦部屋に戻って荷物持ってくるんだろ」
「うん、そのつもりだけど」
「俺は少しやることが出来たから先行ってる。手が離せないかもしれないから、勝手に合鍵で入ってこいよ」
 じゃあなとドアを閉めて寮の中に入っていくウィンを見送り、ティームも車の鍵を持ってのろりと降りた。あたりを見渡すと街路樹の間に丸い月が居た。
 ティームはなんだよと独りごちる。
 この時間は他の寮生の帰宅時間ともずれているので駐車場は人気がない。ウィンのことだからてっきり仕掛けてくると思っていた。
「いや、ないないない!!」
 仕掛けてくるってなんだ? なんで思った!?
 また月のせいで余計な事を考えた、とティームは頭をぶんぶんと振り乱してから月を睨み、色気より食い気を思い出して寮に向かって走っていった。
 部屋着に着替え、水着を洗い、明日の準備を突っ込んだリュックを持ってティームはウィンの部屋を訪れた。自分の部屋の鍵と同じ輪っかにぶら下げているウィンの部屋番号が刻まれた鍵の凹凸を一度親指で撫でてから鍵穴に突っ込む。
「ウィン先輩、来たよ」
 ウィンが開けてくれることが多い扉を自分の手で押し開ける事が不慣れで、つい声をかけてしまう。中に入り靴を脱ぎ捨てると、ふと嗅ぎ慣れたウィンの部屋の匂いに何か異質なものが混じっているのを感じた。屋台で買ったガパオライスの美味しい匂いとも違う。
 焦げ臭い。
「おー、飯の準備出来てるぞ。手洗って座れ」
「手は自分の部屋で洗ってきた。ねぇ、なんか焦げ臭いよ」
 リュックをベッドの脇に置いてテーブルに向かうと、ウィンがキッチンで必死に何かを洗っていた。体重をかけるようにスポンジを押し込んでいる様子にティームは背中から手元を覗き込む。ウィンはまだ制服のままで、袖を肘上まで捲り上げていた。三角が重なるタトゥーがティームの気配にビクッと跳ねた。
「わ! なんだよ、向こうにいろよ。もう終わるから」
 泡のついた手がしっしっとティームを追い払う。ウィンは小さなフライパンを洗っていた。
 ティームは眉間に深めの皺をいれて追い払われるままテーブルに戻る。
 いつもの定位置に座ると目の前には水の入ったコップと屋台で買ったガパオライスが置いてあった。てんこ盛りのタイ米の上にはバジルやパプリカなどの野菜と、ティームの大好きな揚げた鶏肉、そして目玉焼きが乗っていた。
「あれ?」
 白身の縁がカリカリに焼けているが黄身は美味しそうなトロリとした半熟状態で綺麗な色をしている。ほわほわと湯気が出ていて、ティームは目を見開いた。
 対面に置かれているウィンのガパオライスの入ったパックを覗き見る。ウィンがオーダーしたのは豚ひき肉のスタンダードなガパオライスだったはずだ。同じくてんこ盛りの米の上には、なんだかよくわからない白と黄色が混じった黒いボロボロの物体がかかっていた。こちらもほわほわと湯気が立ち昇っている。
 焦げ臭い匂いの元凶はこれか。
 水音が止み、ウィンが戻ってくるとテーブルに手をついて座りかけた状態で固まっているティームに、あーと呻いてから鼻を指で擦った。
「二個目でコツがわかったんだよ。案外難しいのな、そのまま焼くだけなのに。フライパンにくっついて大変だった」
「ウィン先輩やることがあるってまさかこれ?」
 ティームが上目遣いでウィンを見ると気まずそうに目を横にそらして小さく数回頷いた。力が抜けてぺしゃんと椅子に座る。
 目玉焼き乗せにしたかったのなら買う時にオプションでつければ良かったのに。普段から自分もウィンも料理はカップ麺を作るためにお湯を沸かす程度で、はっきり言ってフライパンやフライ返しがこの部屋に置いてあった事も初めて知った。それも自分たちはガパオライスに目玉焼きは乗せないからそれもまた不可思議で、ティームは目の前のプルプルな目玉焼きを凝視してしまう。
 黙ってしまったティームに、ウィンはまたあーと呻く。ティームの対面からテーブルに手をついて身を乗り出した。
「月に見えるか」
「えっ」
 行動も突拍子なかったが頭の上に落ちてきた言葉も突拍子なくて、ティームは勢いよくウィンを見上げる。ウィンはひょいと眉を上げてからそのティームの顔を覗き込んだ。
「卵を料理に乗せる事を〝月見〟って言うだろ。お前の方は、ちゃんと月に見えるか?」
「あ、あぁうん。多分
 真意をはかりかねて訊かれるがままこくこくと頷くと、至近距離のウィンの口角がいたずらっ子のように持ち上がった。
「じゃあするぞ。キス」
 え、と思った時にはウィンの指が顎の柔らかい部分を押し上げていて、少し上向きにされた唇に乾いたウィンのそれが押し当てられた。歯に自分の唇の裏側が当たり、すぐに離れる。
 あまりの早技にティームの目は見開かれたまま時を止めた。少し離れたウィンが面白そうにしている事だけはわかった。
「月の下じゃキスしないんだろ」
「先輩、」
 顎に触れているウィンの指先が滑る。しっかりと掴む形にして、親指でティームの唇を撫でた。脳に思考が、心に感情が戻ってきて、それらはティームの身体の中を駆け巡ったが喉元で全部つっかえて言語化は出来なかった。
 まじまじと見入る形になってしまったウィンの目は部屋の照明の光とテーブルの上の目玉焼きが反射してキラキラしていた。
 そうだ、この人はこういう人だった。
「新月の夜にするよりも満月の下でするよりも、ずっとお前に良い思いをさせてやるよ」
 顔が近いせいで囁くように言われた言葉はまるで口説いているようで、ティームは目玉焼きから昇ってくる湯気を首に当てながら呆れ半分に目を閉じた。ウィンの唇が先程よりしっとりとくっついてくる。
 ウィンの『ずっと』が、“それ以上の〝という意味なのか“これから先ずっと〟という意味なのかは後で訊くとして。
 車の中での会話以降コレがやりたいが為にさっさと部屋に帰り、普段使わないフライパンに他の寮生からカツアゲしたであろう卵で目玉焼きを作り自分の到着を待っていたのかと思うと、ブロッコリーにリボンをつけて持ち歩いていた頃から何ら変わらないその発想に可笑しさと愛おしさで胸がいっぱいになる。呆れていない残り半分は、この感情で埋まっていた。
『先輩はロマンがないですね』
 在りし日の自分が言った何気ない一言をたまにこうして思い出すウィンが可愛い。
 暫くくっついていた唇が離れてウィンが椅子に座る。首についた湿気を腕で拭って、ティームは自分を惹きつけてやまない幸せそうな満面の笑みを浮かべるウィンに人差し指を突きつけた。
「今言ったこと、絶対だからな」
 いつも通り眉をひょいと上げてウィンが頷く。
 ブロッコリーの下でキスしたのも目玉焼きの上でキスしたのも世界で自分たちだけなんじゃないかという思考に辿り着き、自分も目の前の男と同じ表情をしているであろうことをティームはコップの水を一気に飲み干すことで誤魔化した。
 
 
 
「そういえば実家から月餅が送られてきてたな。食うか?」
「食べる! 食べないという選択肢はない」
 食い気と色気が共存する、自分達のロマンスは今日もギリギリの及第点。