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タロ文庫の作品置き場
2025-12-09 09:13:55
11421文字
Public
作品
プレタポルテの王子様
2020-10-07
WT二次創作企画『WTWeek2020』Day4(2020/10/7)のテーマ『protective team』
ディーンの運転する車が石畳のスロープを登りホテルのエントランスへと滑り込んだ。待機していたホテルのポーターが運転席の方に回り込み、ディーンから車を預かろうと恭しくお辞儀をする。ディーンは車をニュートラルにし、助手席に座る男を見た。車内にいる間ずっと俯いて自分の握り込んだ手を凝視していたがディーンの声がけにゆるりと顔を上げた。
「行くぞ」
「はい」
かき上げた状態でセットされた前髪が一房、顔を上げる動きで目の端で揺れる。
ティームはそれを鬱陶しそうに指で払い、車のドアを開けてホテルの中へと足を向けた。
「ティーム、またウィン先輩と映画観に行ったんだって?」
テーブルに両腕をついてこちらへ少し身を乗り出しながらパームがにこやかに問いかけてきた。ちょうど咀嚼し終わって嚥下しようとしていたお菓子を思わず一気に飲み込む。ぐぅと喉が鳴って、ティームは目を見開いてパームを見返した。
放課後の経営学部棟の空き教室で、課題の提出をしに行っている上級生二人をティームとパームはそれぞれの理由で待っていた。自分達も課題を進め終えて、ブレイクタイムにパームが持ってきていた一口サイズのマシュマロを二人で摘んでいたところでの、パームの不意打ちの一言だった。
ティームのその動揺を肯定と見なしたのかパームが笑顔の奥に好奇心をチラつかせながらうんうんと頷く。
「そのあとディナーも行ったでしょ? フレンチのコース美味しかった?」
「パ、パーム!!」
全部筒抜けになってる!
ティームは自分の喉元を大きな塊で降りていくマシュマロに眉をしかめながら、心の中で舌打ちをした。
ウィンがディーンに話して、それをディーンがパームに言うという流れしか思い浮かばない。十中八九正解だろうがティームは全く嬉しくなかった。狼たちがパームと自分のことを何やらこそこそ話をしているのは前から知っている。自分やマナウもパームに対してディーンとのことを根掘り葉掘り聞くから、それはお互い様だと思っていた。
だが、ディーンがパームにどういう伝達をしているか分からないが、恋人である二人の甘いであろう時間に自分とウィンの話題が出ることがティームはどうしても耐えられなかった。ウィンがペラペラと話していることも気に食わない。だってまだ自分たちは何者でもない。
あの夜に確かにウィンの本気から逃げないと約束したし、あの日はお互いを知っていこうと手を握り返した。まだ、たったそれだけなのだ。
ディーンとパームのように恋人と明言してないし、そういう振る舞いを自分もウィンもしていない。それなのに恋人達にさも自分達と同じカップルのような扱いをされると、身体の底から拒否反応が溢れてしまう。
「ティーム、いい加減白状してよ。ティームとウィン先輩は
…
」
「何でもない!! 本当に! 何度も言ってるけど」
自分でも思った以上に大きな声で強い口調の否定が出た。
にこやかに笑っていた親友は口からその柔らかい笑みを無くし、大きな目を更にまん丸く見開いて数回瞬いた。
「おれと先輩はそういうんじゃない! パーム達とは違う」
パームとディーンのようには、今はまだ。
「ティー
…
」
ガタンッ
顔を大きく歪めたティームにパームが中腰で手を伸ばした瞬間、教室の入り口で大きな音がした。ティームが振り返るより先にパームの視線が動き、あっと小さな声を出す。背中にヒヤリとした視線を感じてティームはギクシャクと振り返った。
ウィンがセルフォンを耳にかざした状態でティームを見据えている。隣にはディーンがいたがティームにはその表情までは読み取る余裕がなかった。
ウィンが静かに口を開く。
「やっぱり俺も出席する。
…
あぁ、うん、俺の思い違いだったらしい。じゃあまた後で」
それはどうやら通話先に対しての言葉で、ウィンは淡々と伝えて通話を切った。こちらを見たまま、すっと息を吸うウィンにティームの胸がドクリと跳ねた。
「じゃあお前はどういう関係だと思ってんだ」
それはウィンの声だったろうか。硬質すぎてティームは鼓膜がボワッと詰まったように上手く聞き取れなかった。
先程の強い否定を聞かれていた。いつもなら眉をしかめて「おい、照れんなよ」とか言いながらヘッドロックをかけてくる。その空気は今のウィンには一切なかった。ティームは混乱する。
パームとディーンの視線も自分に向かっている。
今ここでそれを訊くのか。
心臓の音がドクドクと煩くて一言も発せなかった。黙ったままのティームにウィンは一つ瞬きをして視線を隣のディーンに向けた。
「そういうことだから明日はよろしくな。俺は実家行って用意してくるわ」
セルフォンでディーンの肩をポンポンと叩いて、ウィンは踵を返して教室から出て行ってしまった。
パームが机をまわってティームの側に寄ると制服の腕の部分を指先で触れる。
ディーンはウィンの出ていったドアをしばらく見て大きくため息をついた。
「何が〝そういうこと〟だ。あのバカ」
それからゆっくりとティームに向き直り、眉間の深々と皺を刻んで強い口調で言い放った。
「お前はもっと大バカだ」
ティームは自分に背を向けたウィンの残像が網膜に焼き付いていてディーンの言葉に反応ができなかった。
腕に触れるパームが優しく引っ張りティームを椅子に座らせる。誘導されるままに椅子に腰掛けて、視線をドアから目の前の二人に移した。
パームがティームの正面の椅子に座る。
「ティーム、ごめんね。ウィン先輩にフレンチのお店を薦めたのは僕なんだ。ディーン先輩に訊かれて提案して、昨日美味しかったってティームも喜んでたって連絡くれたから、その
…
嬉しくなっちゃって」
「そう、だったんだ」
「うん。ウィン先輩はただお店についてお礼を言ってくれただけで、二人がどうしてたかは教えてくれなかったよ」
揶揄ってごめん、と頭を下げるパームにティームは慌ててその肩を両手で掴んで顔を上げさせた。パームは何も悪くない。
「おれの方こそ大きい声出してごめん」
同じように頭を下げるとパームもティームの肩を摩ってた。パームの横の椅子に腰を下ろしたディーンがそのやりとりを見て、一つ大きく息を吐く。
「もう一人、謝る相手がいるんじゃないのか?」
「
……
」
ディーンの観察するように見てくる目にティームは黒目を細かく揺らして黙り込んだ。間違ったことは何一つ言っていない。自分達はまだ違うんだ。ではウィンの言う通りどういう関係だと思っているんだろう。何も答えられなかった。
「ウィン先輩、少しいつもと違ってたように見えたんですがどうされたんですか?」
また思考がウィンの制服で覆われた背中を思い出して、胸にグッと圧がかかる。パームがティームの代わりと言うようにディーンに尋ねた。ディーンはパームに軽く頷いてから、目をまたティームに戻した。
「あいつ、このままだと結婚するかもな」
結婚。
思いもしない単語にティームもパームも思考が全部ストップした。口数が少ないディーンとはいえあまりにも結論だけを言われてしまい、ティームは一瞬冗談か何かの例えかと思ったが真面目が水着を着て泳いでいるディーンに関してそれは無いことも同時に理解していた。
「どういうことですか?」
パームがティームをチラチラ伺いながらディーンに詳細を促す。
「あいつの家が経営しているホテルで、年に数回パーティが行われている。株主や取引先への謝恩会のようなものだな。一族の社交場でもある。そしてあいつら兄弟や親族の結婚相手探しの場にもなっている
…
らしい。家族経営だからな、そういうこともある。先方が連れてくるんだ。息子や娘や、孫を」
ティームは入部早々にウィンの実家の家業を知っていたが、そんなドラマでしか聞いたことのないような水面化の動きをするパーティの話は本人から聞いたことがなかった。
「あいつも高校生の時から出席させられていて、俺とプールで出会った時もパーティから脱走したって言っていた。その後も文句言いながらも去年までは参加していたよ。『仕方ない、顔を売っとくんだ』だそうだ」
ディーンは一旦黙り、ひたりとティームを見据えてから再び話し始める。
「それが今年度に入ってからは行くのをやめた。どうしてだと思う? ティーム」
「
…
わかりません」
あまりに現実離れしているウィンの事情を脳に入れることに精一杯でウィンの真意を考えることが出来ない。自分勝手で馬鹿げた押し付けがましい想像しか出来ない。
ディーンはそれ以上の回答がティームから得られないことを察し、話を続ける。
「二、三回のらくらと断ってたんだが、今回はそうもいかずだったらしい。そうだろうな。最近ずっと実家から催促の電話がかかってきていて、ウィンも流石に参っていた」
参っていた? そんな姿は見ていない。
ただ最近二人でいる時はゲームアプリを立ち上げてる様子がなく、なんならセルフォンを操作している様子もなかった。あれは電源を落としていたのだろうか。
「あの、なんで今回はそんなにウィン先輩に出席して欲しいんですか?」
「それはあいつが卒業後に留学するからだよ、パーム。そして留学後は経営に加わる。その時点で決まった相手がいた方がいいと考えてるんだろうな。逆算すると在学中に顔を合わせておいて付き合い始めて留学前に婚約までしておけば安泰
…
と言ったところか」
「そんな! だってウィン先輩にはもう」
パームがそこで言葉を切ってティームを見る。グッと奥歯を噛み締めて二人に見えない膝の上で拳を握りしめた。目線はパームの隣に無造作に出しっぱなしになっている空の椅子に固定した。
「
…
この部屋に入る直前に、あいつも電話先の母親に言っていた。『俺にはもうそういう人がいる』」
力を入れすぎて唇がひしゃげる。呼吸が浅くなって肺が痛い。ウィンは、その後部屋に入ってきて開口一番になんと言っていた?
「〝そういう人〟はそうじゃなかったみたいだがな」
「ディーン先輩!」
ディーンが無表情のまま淡々と語る言葉の最後に棘を感じて、ティームは全身が刺されたように硬直した。身体が冷えていく。
思い出すのは肌触りのいいシーツと体温が高いすっぽり抱き寄せてくる腕の重みだった。パームのディーンを咎める声も少し遠くに感じる。
「パーム、親友を虐められるのは嫌か?」
「はい」
「俺もだよ」
「っ!」
ディーンはパームの柔らかい茶色い猫っ毛を指先で優しく梳く。パームの目が大きく開かれて何も言えずに伏せられていった。何度かディーンの指がパームの丸い頭に沿って動いてから、また口を開いた。
「ウィンの世話焼きでお節介で詮索好きですぐ口出ししてくるのは、家庭環境で培われた癖だ。一生治らん。目も耳も利くから周りの状況把握が早く、自分に求められる行動をすぐに察知する」
ティームは痛む肺を庇うように浅い呼吸を繰り返し、普段の何倍も動いているディーンの口元に目をやる。耳だけだとうまく声を拾ってくれないので唇の動きを見て理解しないといけない。
「ずっと家からも他人からもから頼られてた。そういう時あいつはいつも言ってたよ。『俺じゃなくても良いんだけどな』ってな」
ただの先輩後輩だった時の心地よさをティームは遠い昔のようにぼんやりと思い出した。それと同時にあの夜の、乾いた熱い手に導かれて触れた胸の早鐘を掌が思い出して戦慄く。
いつかの記憶の静かな声も蘇る。
『お前は俺を呼んだろ』
ティームの呼吸が大きくなる。ディーンはそれをじっとりと見つめて言った。
「ウィンはこのままだとあいつにとって『自分じゃなくても良い』ところに戻るぞ。いいのか?」
パームの息を飲む音が聞こえた。ディーンとティームを交互に見て何かを言おうとして薄く口が開く。
「知りません」
ティームはそれを遮るように喉から声を絞り出した。
「ティーム!」
「
…
そんなことは、おれはあの人から聞いてない。知らない」
手足が震えそうになるのを必死に止める。腹の底から湧いてくる感情に涙が出そうだ。
「なんでおれに言わない。なんでおれはディーン先輩から聞かなきゃいけない。相当参ってた? 結婚相手を見つける? 思い違いだったってなんだよ」
やっぱりあの人はムカつく。どういう関係かティームが即答できないことを知っているくせに、恋人達の前で問い詰めてきた。あんな顔をして尋ねてきたくせに、答えを待たず背を向けた。
ティームの肩が大きく上下するのを暫く黙って見ていたディーンは、特段大きくため息をついた。
「お前こそ俺に言うな。ウィンに直接言え。そして訊け」
「すみません。
…
本人に言います」
追いかけて、向かい合って、きちんと。
そう思うのにティームは身体を動かせなかった。どう動いていいのか分からないのだ。差し伸べられるのも、胸ぐらを掴んでくるのも、水面に掬い上げてくれるのも、いつだってウィンの手だった。
「本人に言いたい」
「言ったな」
自分の無力さにティームが押し潰されそうになっていると、ディーンがボソリと呟いて徐にリュックの中を探り一枚の白い封筒をティームの前に差し出した。ティームは突然出てきたディーンの名前が宛名に記されているそれを眺めて、ディーンを見上げた。
「祖母の代わりに俺が行くことになっている。お前、〝パーム〟になるか?」
「
……
え」
「先輩、もしかして明日行くって言ってたパーティってウィン先輩のところのだったんですか?」
「そうだよ、パーム。あいつは欠席すると思ってたから言ってなかった」
上質で手触りが良さそうな紙には、ウィンの髪のような金色の箔押しでティームでも見覚えのあるホテルの名前が記されていた。ティームは目に張った薄い水膜を散らすように瞬きを繰り返し、封筒とディーンを見比べる。
ずっと静観していたパームがディーンのやりたいことに気づいたのか小さく笑みをたたえて、席を立った。
「なるほど。じゃあ作戦会議しなきゃ。ディーン先輩、僕なにか飲み物買ってきますね。ティームの分も」
「え?
…
え?」
「ありがとう。このバカ達のせいで喉が疲れてきた」
恋人達の阿吽の会話に乗り切れなくて呆然とするティームの前で、ディーンの眉が悪巧みを思いついた彼の親友のようにクイっと上にあがった。
「貸しイチだぞ」
「ディーン様、〝パーム〟様、本日はお越しいただきましてありがとうございます」
ホテルの地下一階にパーティー会場はあった。受付にいた男性にディーンが招待状を渡すとにこりと微笑まれてお辞儀をされる。
ダークブルーのツーピースを着ているディーンの背中ごしに会場内を覗いて見れば、既にパーティーは始まっており沢山の人で賑わっていた。目に入るほとんどが自分の親やそれ以上の年代の男女で、時折ドレスを纏った若い女性の姿がその隣に寄り添っていた。
ティームはギュッと拳を握りしめて自分の足先を見つめる。履き慣れない革靴は新品の下ろし立てで、ホテルのシャンデリアの光で艶やかに光っている。この靴もブラウンのツーピースも水色のシャツも、つい先程ディーンに連れて行かされたテーラーで買ってその場で着た既製品だ。それでもティームにとっては初めての大人の正装だった。制服とは全く異なる着心地と店主によってしっかり締められた深い臙脂色のネクタイが、今からしようとしている事への息苦しさを増長させた。
「おい」
ディーンが本物のパームに対しては決してかけない口調でティームを呼び、中に入るよう目で促す。会場の入り口でディーンの隣に立つ。何人かがディーンの姿を見て息を呑んだ。
「居たぞ。左斜め奥だ」
そんな事に本人は全く意を返さず、ティームに向かってぼそりと耳打ちする。ディーンの示す方向へ目を細めると、金色の頭が人の輪の中からひとつ飛び出ていた。
ウィンだ。
ティームは目のピントがギュッと絞られて、ウィン以外が見えなくなるのを感じた。
いつも一括りにしている髪を下ろし、後ろに流すようにセットされている。ピアスが全て外されていて、腕も肩も勿論背中のタトゥーも見えない。
グレーのスーツと黒いシャツは彼のスタイルの良さを最大限まで引き出すようにピッタリで、きっとオートクチュールなのだろう。ティームは少し短く感じるプレタポルテのスーツの袖を指先で引っ張った。
ウィンは複数の女性と談笑していた。
話す相手を真っ直ぐ見つめて内容に適度に頷き、笑っている。プログラミングされてるかのように口角を綺麗に上げては数秒後元の状態に下げるを繰り返していた。時折目が虚空にずれる。
それを見てティームの感情の針は振り切れた。自分はここにきて良かったのか、ウィンはこっちの方が幸せになれるんじゃないだろうか。ネクタイと共に喉元を締め付けていたそれらの自問が吹き飛んでいった。
なんだあの顔。
ここはウィンにあんな顔をさせるところなのか。
「ディーン先輩、行きましょう」
硬くてまだティームの足に馴染んでいない革靴を会場内に踏み込ませる。質の良い絨毯の柔らかさを踏みしめながらウィンに近づいた。ディーンが半歩後ろに続く。
これが正解かは分からない。それでも今は水中で動きを止めてしまったようなウィンを水面に顔を出させて呼吸をさせなくてはいけないと思った。
徐々にウィンと話す女性の声が聞こえてくる。
「本当にシングルなんですか? 信じられないです」
ふふっと笑ってウィンを見る目は上品だが含みがある。ウィンがまた口角を上げた。
「ウィン」
ウィンまであと数メートルのところでディーンが声をかけた。聞き慣れた親友の声にパッと表情に明るさを取り戻しウィンが振り返る。
「ディーン! お前やっと来
…
た」
呆れと期待を乗せた目がディーンの前を歩くティームを見て、止まった。それを見てもティームの足は止まらなかった。ツカツカとウィンの隣に歩み寄り、目の前の女性に礼をすると値踏みするようにウィンを見ていた目をひたりと見つめて言い放った。
「信じなくて良いです。この人はシングルじゃない。おれの、です」
自分の「何」なのかはうまく言えなくて、所有格だけ明確に言ってしまった。だがティームにはそれが答えだった。
「え
…
どなた?」
「お前何言って
…
いや、何でここに」
「失礼します」
先程に比べたらずっと人間味のあるびっくりしている顔のウィンに、ティームは行こうというように顎をしゃくり手首を掴んで引っ張った。ウィンはよろけながらも抵抗しない。
「ティーム」
背中にディーンの声が当たって振り返ると黄色い紙を投げつけられた。ウィンを掴んでいない方の手でキャッチする。バレーパーキングの引換券だ。
「使え」
「先輩は?」
「もうすぐパームが来るから問題ない。見つかる前にさっさと行け」
「ありがとうございます」
ティームが片手でワイのようにするとディーンはまた彼の親友と同じように片眉をひょいと上げた。見つかるって誰に、とウィンを引っ張りながら歩いて視線を巡らすと奥の方にいた女性と目があった。ホワイトのパンツスーツ姿の彼女はウィンと瓜二つだった。一目でわかる。ティームはウィンの骨張っている手首を更に強い力で掴み直し、無理やり手を合わせて彼女に向かって素早くワイをすると、半ば走るようにウィンを引っ張って会場を後にした。
エスカレーターを駆け登り、エントランスにいる従業員に車の引換券を渡す。正面入口に車が横付けされるまでの間に、誰か追ってこないか気が気じゃなくてティームは外に出た。
「おい、いい加減離せ」
「嫌だ」
無理な態勢で急かされたウィンが乱れた息を整えながらティームに声をかける。ティームは首を横に振る。セットされた髪の一房がまた目尻を掠った。
「いてぇんだよ。馬鹿力で掴んでるから」
「絶対離さない」
パーキングの出入口からディーンの車が早く出てこないか睨みつけながら、ティームは言い放った。ウィンが隣で息をつく音がする。掴まれたままの手は力を抜いてティームに好きにさせている。
それからディーンの車が来るまで二人は口を開かず、また彼らを追ってくる者もいなかった。
ティームは大通りを避け脇道に車を走らせた。
扱い慣れないディーンの車を色んな意味で慎重に操作する。カーナビで目的地を寮に設定するのも自分のと機種が違くてまごついた。ウィンは助手席で深々と背もたれに凭れてそれをじっと見ていた。ナビの柔らかいアナウンスの声が車内に響く。
「ウィン先輩」
ナビに従いしばらく直線する道に、ハンドルを固定してティームが呟いた。
横目で伺うとちゃんとウィンがこちらを見た。
「おれを諦めないで」
人通りの少ない住宅街は少しだけ舗装が荒く、車内を不定期に揺らした。声が震えたのはそのせいだ。
ごめんとかなんでとか言うことは沢山あったはずだが、ティームの口はそれを発しなかった。
「どんな関係か、ちゃんと言えるようにおれも頑張るから。一緒に作ってよ。おれは先輩としか作る気ない」
がたつく道に負けないようにハンドルを持つ手に力を入れる。ウィンが黙ったままなのが気になって目線を何度も横に流してしまう。
「お前、今すぐ路肩に車を止めろ」
「え?」
「いいから」
ウィンが言うなりティームの左腕に手を乗せた。操作を急かすその動きにティームは慌てて前方を見て適当な住宅の塀の前にハンドルを切った。ブレーキをグッと踏み込んで、ガクンと身体がつんのめる。
「ちょっと! 危ない!」
ニュートラルにしてブレーキペダルから足を下ろすと、ウィンがシートベルトを外していた。狭い車内で半身をひねり、ウィンはティームのシートベルトを外すと共にその身体を抱き寄せた。
首に腕を巻き付けて肩から上を密着させる。ティームはサイドボードに手をついて重心を支えた。肩口に顔を埋められてピアスのない耳と下ろしている金髪が首に触れている。ウィンの体温を感じて目の奥がじわりと滲んだ。無理な態勢で大きくなる呼吸を数回繰り返し、ティームもウィンの背に右手を添えた。
ウィンがゆっくりと顔を上げて、ティームの首の後ろから後頭部に指を潜らせた。ティームは眼前に現れたくっきりした二重の目を見つめる。
「諦めるわけないだろ」
ウィンの低い声が振動の無い車内で少し震えて聞こえた。ティームの視界がぼやけるのはウィンが近づいてくるからだ。
「俺はお前を諦めない」
「うん」
鼻先が触れ合う。ウィンが顎を上げたのでティームは小さく口を開いて、その唇と誓いの言葉を受け入れた。
「ティーム、ちょっと来い」
寮に戻り、ティームはウィンを部屋に連れ込んだ。
着の身着のままティームに連れてこられたウィンは、唯一持っていたセルフォンを操作しながら使い終わったタオルを首に引っ掛けて下着一枚でティームのベッドの上であぐらをかいている。シャワーを浴びたばかりの肌はまだ湿り気を帯びていてタトゥーは墨を濃くしていた。
二つのスーツをハンガーに吊るしてカーテンレールにとりあえずかけていたティームは、ウィンの手招きにペタペタと近づいていった。
「なに?」
髪から拭き切れてない水滴がセルフォンの画面にポタリと落ちる。ウィンはそれを自分の首にかけていたタオルで手荒く拭って、ティームに頭に乗せた。
「ディーンから『貸しサン』ってメッセージ入ってるんだけど、お前なにした?」
「あー
………
」
ウィンのセルフォンには他にも大量に着信が入っているアイコンマークが見えたがティームは目を背けて、今言われたディーンの貸しについて頭を巡らせた。こめかみを指先で掻きながら、ベッドから見上げてくるウィンに対して小首を傾げる。
「先輩を迎えに行くのと、連れて帰ってくるので
…
色々とお世話になりまして」
「パームのなりすましがひとつだろう。車借りてるのがふたつ」
「はい。あとアレ」
こめかみを掻いていた柔らかくて丸い指先を、ティームはブラウンのツーピースに向けて、扉付近に先程まで色んな方向に転がってた揃えたばかりの革靴にも向けた。
「ディーン先輩に出世払いなんだ」
「は?! 買ったのか!?」
「うん。だってパーティーとか行った事なかったし、ディーン先輩にとりあえず見繕ってもらった。いくらかまだ聞いてないけど後で払うから」
「いや、お前
…
量販店じゃないだろう? 行った店」
「ディーン先輩がお世話になってる店に行った」
「あいつ
…
くそっ」
ウィンが舌打ちをして背中からベッドに倒れ込む。あだっぽく伸び上がる裸体は部活で見慣れているものとTPOが違うせいで目のやり場に困ってしまう。それも自分のベッドの上でやられてしまったら目のやり場は皆無だった。あの夜以降、肌は重ねてない。
ティームは比較的新しいTシャツとハーフパンツをウィンの薄い腹の上に投げつけて、唇を尖らせた。
「だって先輩を迎えに行くから、変な格好できないと思って
…
」
急ごしらえの戦闘服ではあった。身の丈にあってなかったのは自覚している。それでもティームにとっては随分背中を押してもらえた。店主には「しっかり取り戻してきてくださいね」と何かを勘違いされたままだから、また誤解を解きに行かないと。
ウィンは投げつけられた服を寝転がりながら着込んで、ティームのむくれた顔にふっと笑いをこぼした。
「あーあー、そうだな。お前は正しいよ。俺が立て替えとくから、お前はディーンには払わなくていい」
「じゃあ今後先輩に払う」
「まぁ、おいおいな」
そう言うとウィンはベッドの上で少し横にずれて、空いたスペースを掌でポンポンと叩いた。お前も寝転べと言われているようで、ティームは遠慮なくゴロンと仰向けにウィンの隣に収まった。
身体を横たえると途端に全身に疲労感が襲う。腕をベッドヘッドの方へ足をベッドの端に向かって、うんと伸ばすと凝り固まっていた筋肉がほぐれるようで気持ちがいい。ティームの間抜けなうめき声にウィンは喉の奥で笑って、ディーン宛に簡単に返信を飛ばした。そのままセルフォンをいじり続けているのでティームはぼんやりと天井を眺めていた。
お互い湯上りの少し上がった体温が、ひたりとくっ付いている腕や足から伝わってきて、疲労でいっぱいの身体を安心感が覆うように巡っていく。
この感覚をティームはうまく表現する言葉が思い浮かばない。だがそれでも今度パームやディーンに会ったらちゃんと言ってみようと思った。
「すごい肩凝った。もう当分スーツは着たくない」
重くなってきた目蓋を押し上げて、目線を吊るしてある二着のスーツへと向ける。声も少しまろやかになってきてしまったティームに、ウィンは指の背でティームの頬を揺さぶった。寝かしつけるそれではなく逆に起こすための振動だった。もう片方の手の指はセルフォンの画面を忙しなく操作している。
「ティーム、悪い。割とすぐに着てもらうことになりそうだ」
「え?」
ボソリと呟いたウィンの声が深刻と困惑の中間のような普段聞かない音を出して、ティームは意識が少し浮上した。
なんで? というティームの声は、天井と自分の間に突き出されたウィンのセルフォン画面を見て喉の奥に消えていった。
画面上部には『母』の文字。
やり取りの最後は、一枚の写真とその下にメッセージがひとつ。
ブラウンのスーツを着た自分が真っ直ぐ前を見据えて口を固く結んで大股で歩いている。決意表明がスーツを着て歩いてるようだ。手は勿論ウィンの腕を引っ張っている。
いつ撮られたのか誰に撮られたのかわからないが、昨今のセルフォンのカメラの性能が良すぎて自分の顔がこれ以上なく鮮明に写されていた。
『ウィン、荷物を取りに来る時にあなたの王子様をちゃんと連れて来なさいよ!』
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