眼下に広がる白い景色。
No.3299の町は白壁の建築、銀色のコードから『白銀の町』と呼ばれていたという。今は荒廃し、美しい町の面影は霞んでしまったらしい。
……否、此処は魔界の辺境『鳥街』ヴァンワゾー。魔獣の中でも鳥の形をした者達が住まう街だ。季節通りか季節外れか、あたりには薄く雪が積もり、その光景はどこか白銀の町を彷彿とさせる。
街を一望できる大階段の踊り場に長身の影が2つ見える。
「魔界にも雪が降るのですね」
そう口を開いたのはNo.3299の町のマザーコンピュータ、3299-Un。機械の身体を持つ“彼”に寒さは通用しないのか、整然として雪を見つめている。周りに漂う冷たい空気と雪とで、本来あるはずの白い息は出ているのか判別がつかない。
「えぇ。悪戯好きが悪さしない限りは人間界と何ら変わりません」
手すりに手を掛け、コルボーは問いにそう返す。
3299から「魔界に行ってみたい」と言われた後、様々な手続きを経て“門”を開け彼を招き入れた。これはごく異例であり、普通の人間では到底不可能なことだ。実現できた事こそが、“彼”が人ならざる者だということを確かなものにしていく。
魔界の雪はそれはそれは冷たい。触れれば瞬く間に指先に緋い華が咲く、そう言っても過言ではない程だ。
「寒さが増してきましたね。近くに休めるところがありますから、そちらへ行きましょう」
正直体の芯から冷えて堪らない。寒さに強いわけでもなければ十分な羽毛も有していないコルボーにとって、底冷えの寒さというのは外出するには不都合極まりない。
少し前を行く、先ほどより少し縮こまった背中に3299は問いかける。
「ところで、人間には貴方がた悪魔
……魔物は誘惑し破滅に導くものだと考える者が多いのですが、貴方自身はどう考えますか」
誘惑、破滅と悪魔とを結びつける。それは至極もっともな考えだろう。どちらかと言えばひととの会話において聞き手であるコルボーは同族や亡者以外にこの様な話を切り出した事があまりなかった。この人と話せば考えがまとまるだろうか、と少しの期待を隠して口を開く。
「
……機械であり生物でない貴方様を、何度堕落させたいと考えたでしょうか」
足を止めた3299の目がいつもより僅かに開いたのが分かる。
「そう考えるあたり、やはり一端の魔物なのですね。個体差はあるのでしょうが、人間よりは狂気的です」
「
……ふふ、優しいと言ってくださったのに、これでは失望されてしまいますね」
感情を持たないとはいえ、データから集めたことが裏切られたと思うのでは? と、意図せず眉が下がる。
「これまで貴方は堕落させる、堕落させたいなどと仰っていませんでしたが、唐突に、ですか」
堕落。誰が聞いても不穏な単語、穏やかな会話に似つかわしくない背徳的な言葉。そう返されるのが当然だろう。
結んだ髪とコートとを翻し“彼”の方に振り返る。
「
……でもね、3299様。俺たちは何時でもそうなのです。堕落させたくないもの程、ますます堕落させたいのです」
「ほう、そのような葛藤が生まれるとは
……。やはり思考回路は人とは違うのでしょうか。感情というものは時と場合で移ろいますから」
「でも、っ」
小さく零し、コルボーはぐっと言葉を飲み込む。この続きは軽率に口に出さないほうがいい。自分の本心を抑え、他のことを口にする。
「
……仕方ありません、魔王様の性がきっと関係しているのですから」
「魔王。 悪魔や魔物の王者ですか」
「はい、魔界を作られた偉大な御方です」
あくまで俺たち魔族の間で言い伝えられているものなので、別の世界の話だと思って聞いてください。
そう付け加えてから話を切り出す。
ーーーーーーーーーー
魔王はかつて、人間を愛していたために創世主と大天使ミカエルと不和を起こした。とある魔神によると、人間が死後に収容される業獄という場所は『罪から逃れられない人間』を、死後に至っても守るべきだという思いからできた施設である。発案したのはもちろん魔王、ルシファーである。
彼は未だに悔やんでいる。なぜ父なる神と半身である兄を説得しきれなかったのか、と。さらに押し負けたことで感情が揺らぎ、創始の人間に果実を食べるよう促してしまった。それは口にすると知恵を得られる果実。しかしその代償として労働の苦しみと産みの苦しみを背負わなければならない。これが原罪である。人間に救いの手を差し伸べるつもりが、苦しみを与えてしまった。
ーーーーーーーーーー
「ご自身の過去の過ちがなければ、今ごろ原罪に絡み付かれることもなかったと。そう思って、彼は死んだ人間を見捨てるまいと業獄を考え出しました」
「以前お聞きした施設のことですね。そうですか、生まれながらに罪を持ち、死んでもなお罪に囚われると
……貴方がたの長はそのように考えてらっしゃるのですか」
新たな情報ですね、と3299は記録していく。
「
……人間が愚かなのか、俺たちが愚かなのか、構われなければ生き物は死んでからも独りです」
「誰とも関わらずに生きていける者はごく少数ですから。No.3299の町でも何人か見た覚えがあります」
「俺たちも人間を誘惑して堕落させるほどでなくては悪魔として認知すらもされません。俺は
……死ぬまで知られることはないと思っていたのに」
忘れられたら寂しいのだろうか、そう考えたことは今までに何度もある。だからとはいえ人間に覚えられたところで魔獣は人間にとって恐怖の対象となるだけだ。
言い表せない不安が顔に出ていたのだろうか、3299が口を開いた。
「時の流れに身を投じるだけで価値が生まれるのかはそれぞれ違うでしょう。
……認知されることで存在が肯定されるなら、貴方はとっくに私の記憶に生きていますよ」
まっすぐ目を合わせてそう告げられ、コルボーは思わず目を細める。目を背けたらいけない。いつから自分は悲観的になってしまったのだろう。
……いや、昔からこのようなものだ。
「
……貴方様はずるい」
ようやく口から振り絞った言葉だった。我ながらなんて、子どものような言い草なのだろうか。
機械のくせに、たかが人間に作られた人工物のくせに。それでも物知りで強く、優しい貴方様は、淀んだ魔界には不釣り合いだ。
そんな本心は口から出ることはきっとないのだろう。いつか魂と共に灰となって消えていくに違いない。余計なことを喋るまいと口元に襟巻きを寄せる。
手の甲に雨が垂れたのを感じる。しかし雪はまだしんしんと降り続けており、みぞれにも到底変わりそうにない。
「
……今日の日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。紙面にしたためれば私以外にも分かりますし、歴史や伝承の参考になるかもしれません。それに未来永劫、伝えられますから」
柔らかい声音とともに目尻をなぞり頭に乗せられた手は、機械のものとは思えないほどに優しく暖かかった。
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参考:
太宰治『十二月八日』
芥川龍之介『悪魔』
青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/253_20056.html
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3804_27277.html
文学妄想お題ったー
https://shindanmaker.com/507315
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