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asahito
2025-12-07 22:06:45
17704文字
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Irish Coffee
前作駒草太夫の現パロのお話はこちら⇒
https://www.pixiv.net/novel/series/7583585
東方キャラが現代にいて、普通に人間として暮らしてたらを書いたお話です。
クリスマス現パロユイ阿梨って誰得なんだろう
恒例行事と世間一般で言われる日に。
何もしないからといって罪に問われることなんて、無いと思うけど。それとずれた行動をしていると違和感を覚えるのは何故なのだろう。染みついた世間の雰囲気の流れについ、飲み込まれかけてるからか。
地元の祭のように地域民は全員参加というわけでもなく。
何かしなくても平気な人は平気だし。かえってその行事のせいで忙しかったり、苦労してる人もいると思う。
「お疲れさまでした」
コートを着込んで首に白いマフラーを巻き、防寒対策は万全で室内だと少し汗ばむくらい。
まだパソコンを立ち上げたまま報告メールを書いている上司に、鞄を抱えたまま退勤を告げる。
「浅間さんもお疲れ様。こんな日に遅くまでごめんね」
「気を付けて帰ってくださいね」
先にメンバーが帰るのを見届けてから自分は退勤。異動先のリーダーは管理者としてそういう責任感を持っている人で良かった。
逆に言えば、私が帰らないとリーダーも帰れない。その気持ちを汲んで私はフロアのドアを開けて廊下に出た。
リーダーも家族と過ごしたいと言っていたから、本当はもっと早く帰りたかったのだろうけど。仕事であるなら仕方がない。
今夜、何も起こらなければ最高のプレゼントである。
仕事中に言われた言葉を思い出し。全くその通りだと、何も起こらない事の有難みを噛み締める。
災害だって、事故だって、電車の遅延だって、起きなければそれこそ一番素晴らしい。
誰もその素晴らしさをいつもは忘れていても。そうであって当たり前だと思っていても。
オフィスの出口を通ると恰幅の良い守衛さんがお疲れ様です、と笑いながら声を掛けてくれたので私も同じ言葉を返す。
きっと、あの人だって家でゆっくりしたいと思っても。
私たちが帰るまではこのビルにいるしかないのだ。
ゲートをくぐって自動ドアが開くと、すぐに刺すような寒さが私の頬に押し寄せ。寒さのあまり顔を顰める。
うちの実家の方に比べれば雪もほとんど降らないし、気温だってこっちの方が高いけれど。防寒対策や雪の対策についてはあまりにも脆弱過ぎて、こっちの冬の方が厳しい気がしてならない。
容赦なく吹きすさぶ風のせいで肌が乾燥してしまうから、ここは保湿をしないと肌がすぐ荒れると文句を言う相手の顔がふと浮かんだ。
「本当、寒い
……
」
貴方は凄い寒がりだから。そう言って前のクリスマスにプレゼントされた長めのマフラーに顔を埋める。
埋めた部分の繊維は少しだけビルの中の暖気を残していて、ひりついた肌を撫ぜてくれた。温かいは、安堵の感覚ととても良く似ている。
スマートフォンをコートのポケットから取り出して時間を見ると、今夜会う予定の相手の用事がちょうど終わったくらいの時間であった。
予定ではこの時間に終わると私に言っていたけど、そうならない可能性もあると。寒くて疲れていたら先に家に帰っていいからとも言われたけど。
こんな日にその言葉に従って素直に帰るのは、あまりにも残念過ぎる。
スマートフォンの時間を確認するついでに、メッセージアプリを立ち上げて相手へ仕事が終わったことを連絡する。
見てくれるかは分からないけれど、終わったら必ず報告してあげないと。案の定、私が仕事をしている間に二通ほど仕事が時間通り終わりそうかの連絡が来ていた。
仕事中は見られないかもしれないって言ってるのに、本当心配性なんだから。ビルの門をくぐり完全退勤をしたところで、邪魔にならない場所まで歩く。
そして苦笑しつつ、私のメッセージがいつ既読になるかを眺めていると。すぐに既読が付き相手の居場所と待ち合わせ場所の指定があった。
「割と仕事場の近くだったのね」
あの場所なら、電車を一回乗り換えれば余裕で行ける場所だろう。すぐに行くから待っててねと返事をすると、了承の意を表すスタンプだけ返ってきた。
シンプルで淡白な返答だけど。内心は、私が時間通りに仕事を終えられるかを凄く気にしていたのだろう。
普段専門書に没頭していて電車の中でもあまりスマートフォンを見ない筈なのに、今夜だけ既読が付くのが早いのもきっと。
早く、会いに行ってあげないと
―
違うか。早く会いたい。
歩きながらスマートフォンは危ないのでコートのポケットにしまって、最寄り駅に向かって歩き始める。天気予報で今夜は冷え込むと聞いた時は気分が少し沈んだけど、空気が澄む分ビルの灯は鮮やかに見えた。
まだ、家に帰れない人も。これから仕事を始める人も、あの建物の中にいるのだろう。それが必要だと言われるから。
そういった人々の事を想像できるほどには、私も余裕をもって退勤できるようになった。
明るすぎて星は見えずとも。駅前で輝いているイルミネーションは実家のものよりも豪華で、贅沢な色合い。駅前の居酒屋からあちこち笑い声が聞こえてくる。羽目を外すような楽しそうな笑い声。酩酊して座り込んでいるような人もいて、仲間が必死に手を引いて起こそうとしている。
大丈夫かな。そう思ったのはその酩酊した人だけじゃなくて、これから会いに行く相手に対しても思ったけど。
ちゃんとメッセージに対して論理的な回答をできているからきっと、今夜は変な酔い方はしてない筈。
酔客たちの笑い声や居酒屋の客引きの横を通り抜けていけば、すぐに駅は目の前。
何かのトラブルがあったのか私と逆方向に歩いていく二人組の警察官や、夜間工事の為にこれから工事を始めると号令を掛けている施工業者の人たち。
駅に入れば黙々と駅の業務をこなす駅員を見ていると、この人たちも無事に仕事を終えられますよう。
そう願わないわけにはいかない。
定期券を翳して改札をくぐっていくと、ちょうど乗ろうと思っていた電車が五分後に到着する頃合いであった。
電車を一度乗り換えた時、念のためメッセージを送ると。
今は私が目指す駅近くのカフェで休んでいると連絡があったので、ひとまず安堵する。
私は到着予定時刻と待ち合わせ場所を送った。
電車は定刻通り動いてはいるけど。それでも、早く到着しないかがもどかしくて。暇つぶしにアプリのAIに質問を投げかけたりしても、たまに出鱈目な回答が返って来る。
これはあと何を与えれば正確性が上がるのかしら。仕事の延長みたいな気がしてそれも嫌になったので、ぼんやりと電車の広告を眺めてみた。
ビールみたいなお酒の宣伝だったり、予備校の冬期講習だったり。もう新年の大売り出しの百貨店広告もある。
銀行のローンとかの広告やマンションの広告は、私には関係ないけど。
相手はこの広告を見て購入の参考にしたりしたのだろうかと、聞いた事はないけど考えることはある。
あ、と心の中で声を上げたのは動物園の広告。赤ちゃんが生まれたことや、来年の干支に因んでの広告は見ていて楽しい。来年も、いろんな場所に一緒に行けると良いな。
動物園の事を調べようとスマートフォンを取り出そうとしたけど、あと一駅で目的地の為。時間が足りないと検索早めて、今度は電車の中の人をそれとなく見る。
仏頂面でスマートフォンを眺めている人ばかりでも、中には手を繋いで扉近くで睦言を囁いてるカップルもいれば。
どう考えてもお酒を飲んできましたという赤ら顔の居眠りもいる。あんな無防備で盗まれたりしないのかな。要らぬ心配が浮かぶ。
楽しい行事の日が破滅の日なんかになったら、それこそ毎年トラウマの行事になってしまう。
「次は
―
」
目的駅の到着アナウンスが電車内に響き、私は降りる準備を始める。やっと到着した。相手を待たせてしまって申し訳ないけど、大幅に待たせることはないから良かった。
電車から降りるとその駅は大規模な乗換駅だったため、一斉に人が降り始める。ぶつからないようにするりとホームに足を付けると、また目が覚める様な寒気が社内暖房で暖められた肌を刺す。
「ついたよ
……
っと」
最寄り駅に到着したことをメッセージすると、すぐに改札にいますと返信が来た。
几帳面な性格の相手らしく、私が到着する五分前にはそこに立って待っているのだろう。
遅刻や、待ち合わせに遅れることを厭う彼女だから。もっと早く到着しても少し前に到着したと言うだろう。
階段を上り指定した改札を出ると、少し改札から離れた場所で見慣れた人が立っているのが見えた。スマートフォンとにらめっこしながら時折顔を上げて改札を見ている。
本当はすぐ走って行って抱き着きたいくらいだけど。そういうことをすると周囲が驚くし、相手が嫌がるのでそれはやめておこう。
人の出入りが激しい駅のせいか、私が近づいても気づく気配がないので声を掛けてみる。
「阿梨夜」
「あ、ユイマン
……
」
大声で声を掛けると彼女が驚いてしまうため、目の前に立ち普通の大きさの声で話しかけると。
会いたい相手
―
阿梨夜は顔を上げて私の名前を呼んだ。
落ち着いた風に見えていても、眼鏡の奥の瞳は安堵で一杯という感情で満ちている。
もうそんな心配しなくてもいいし、今は激務じゃないからと教えてるけど。
ある間ずっと彼女に心労をかけてしまっていた以上は、そう簡単に彼女を苦しめて傷つけたことをなかったことにはできないだろう。
「疲れてない?こんな時間まで仕事なんて本当災難よね」
阿梨夜の手には何か買ったのか、貰ったのかビニール袋を持っていた。少し重そうに見える。
明日の朝食に使う何かかな。そう思いつつ、彼女がスマートフォンをコートのポケットに入れたので動き出すのだと分かり問うのはやめた。
「シフトだったから大丈夫だってば。待たせてごめんなさい」
駅の改札の外で待ち合わせたのは。二人で会って、これから一緒に過ごそうと決めていたから。本当はもっと早い時間から二人でいたかったけど。
私は仕事の都合で昼から夜遅くにかけて。彼女は職場の忘年会という事で一次会が終わるくらいの時間にやっと会えたのだった。
これからの時間だと、居酒屋とかカラオケは空いていても私たちが落ち着けるようなお店は駄目だろう。
ただでさえ予約やお客さんでどこも一杯だから。待ち合わせた場所は改札を出ればすぐ目の前が大きな公園みたいな場所でも、酔ってる人素面の人関係なく人が沢山いる。
「それより忘年会で二次会三次会覚悟って言ってたのに」
「流石に上司がやっても二次会までって釘刺したの。この時期起きがちな資料紛失、嘔吐からの窒息、転倒の怪我のリスクを鑑みれば当然だけどね」
阿梨夜が挙げられる限りのリスクと、それに起因するインシデントを述べていく。
私の会社でも注意するようにとよく言われてるけど、どこも色々苦労しているらしい。扱う情報の質は異なれど、阿梨夜たちだって重要な情報や資料を沢山抱えているし。財布を無くしたりスマートフォンを盗まれたりすれば大ごとだ。
「二次会は断ったのね」
「そこまで行ったらいつ帰れるか分からないし
……
二次会の雰囲気は流石に付き合いきれない」
どうやら一次会だけで阿梨夜の気分を害するようなメンバーがいたらしく。前後不覚になったメンバーは上司が付き添って帰らせたとのこと。
飲み過ぎによる電車内の嘔吐も結構この時期見るから、正直言ってあれを見ると嫌な気分になる。
地元にいた時は車があるから断る人もいたし、飲むなら代行で帰ってくる人が多かった。
あの光景は車のいらない地域特有のものなのかしら。
いずれにせよ、付き添う人も掃除する人も大変そう。阿梨夜の上司にしろ私のリーダーにしろ、管理という立場は楽ではなさそうだ。
私たちは広場に向かって歩き出した。行く場所は特に決めていなかったけど。車が通らないこの広場は、普段ならあまり夜遅くに近づくことはないけれど。
今夜は親子連れ含めて人が多いため安全だろうと判断して歩くことにしたのだった。
イルミネーションはこちらも広さがある分凝ったものがたくさん見られるし。
純粋にキラキラしていて綺麗で、どうしても見たいと私が強請ったから。
人混みや騒がしいものが苦手な彼女が行こうと言ってくれたのが嬉しくて、手を伸ばして彼女の手を握ると素直に握り返してくれた。
ここまで人が多いと、別に手を握っていようがいまいが皆他人に無関心故に。私たちが特別に目立つこともない。
「
……
職場近いから、あまり強くは握れないよ」
暗いから良く見えなくても。彼女の頬は紅に染まっているだろう。
「寒かったって言えば大丈夫だと思うけど」
誰かに見られる危険性を考えて遠慮がちではあるけど。
素直に手を握ってくれたのはお酒が少し入っているせいだろうか。
受け答えははっきりしてるから、悪酔いして泣き出す困った癖は見せなかったようだ。
「阿梨夜、忘年会あまり好きじゃないって言ってたから今日参加するって言うの意外だったな」
彼女が心配するので、軽く手を握った状態で私たちは歩く。寒空の下で待っていたとは言っても、相変わらず阿梨夜の手は温かくて。寒さも疲れも溶かしてくれる。
「無碍に断るとかえって面倒なの。何か予定があるのかとか聞いてくる人、最近はいないけど」
今夜の阿梨夜の左手の薬指には、何も嵌められていない。
この指輪を嵌めていれば言われないこともあるだろうに。
それでもそれができない人を責める気なんてない。
「仕事場では独り身で通してる分、同僚の気遣いがあると余計に断りにくいわね」
阿梨夜は仕事場で私とのことを話していない。話したところできっと、面倒なことにしかならないからと。
彼女の職場での立場は悪くはないらしく、雰囲気も仲間も恵まれている方だと言っている。
その恵まれぶり故に独り身が夜寂しくないようにと阿梨夜を飲みに誘う同僚たちがいたようだけど。
要らぬ余計なお世話にしても、彼女が寂しがったという部分は当たっている気がした。
私のシフトがなかったら、きっとこの忘年会もきっぱりと断っていただろう。誘いに乗ったのは私がいないと分かっていたから。
「ねえ、私が仕事の間やっぱり寂しかった?」
意地悪な質問だとは思ったけど。これからの埋め合わせをお互いするなら、確かめたくもあった。
まっすぐ歩いていた道を左に曲がると、遠くにぽつぽつと灯の塊が見えて来る。勿論真っ暗なわけじゃない。もっと向こう側にはビルの灯も繁華街の賑やかさもある。
だけど森に囲まれたこの公園は灯が少なく。その先にある目的地だけが光っているようにも見える。
季節に合わせた音楽も聴こえてきて、そこだけ特別な空間なのだとこの場所からでも感じた。
「研究のことを仲間と話してれば気は紛れるけど」
専門分野の話になるといくら私でも阿梨夜の職場の人には敵わない。有意義な話は飲み会で多く聞けるため、情報収集も兼ねて彼女は参加している。どこまでも研究熱心だ。
「
……
でも、ユイマンのことは気になってた」
メッセージを何度か送ったのはきっと、忘年会の合間にお手洗いに行くふりでもして送ったのだろう。
彼女を試すように尋ねて、欲しい答えが返ってきたのは嬉しいけれど。
私を心配するあまり忘年会でも研究の話がちゃんと聞けなくなっていた、とかだったらまた彼女を困らせてしまったかもしれない。
本当、仕事は今夜に限って何でということばかりね。無事に終わったとしても。
「私も阿梨夜に会いたかった。すごく」
自分の素直に気持ちを伝えると阿梨夜は自分の短めのマフラーをぐいと上げて、口元を隠す。私にプレゼントしてくれたマフラーのお返しに、私からプレゼントしたものを。
彼女は今年も大事に使ってくれている。
「そう
……
」
急に口元を隠したのは多分、照れ隠し。照れると口元を手や本で覆う可愛い癖は幼い頃から直っていない。
照れている彼女をさらに赤面させてしまうと、しまいには涙目になることもあって。褒められたり、好意を囁かれたりすることに慣れない彼女は。
そうなるともう愛らしい以外形容の仕様がない。
一緒にイルミネーションを見て、何か軽く美味しい物を食べて。帰ったら家でゆっくりしましょうって言ったけど。
急に行き場のないもどかしい気持ちが湧いてきてしまい。
すぐにでも二人きりで休める場所に彼女を連れて行きたいと思ってしまう。
この辺も沢山休める場所はあるけど。今夜みたいな日に行ってもきっとどこも満室よね。
前にも興味が湧いて行ってみたいって阿梨夜に言ったら、不衛生みたいだし恥ずかしいからダメと言われた。
「あ、見てユイマン。見えて来たよ」
どういう切り口で攻めれば彼女にうんと言わせられるかと考えていると、彼女の声の明るい声がする。
はっとなり指さす方向を見ると。暖色のイルミネーションで彩られた木々と、仮設のログハウスのような店がいくつか並んだ場所が見えて来た。
広場の真ん中には大きな紅白のお爺さんの像。その周りに背の高いテーブルと、座れるテーブルが並んでいて。既に沢山の人が飲食を思い思いに楽しんでいた。
特に像の前は撮影待ちの人たちでいっぱいで。この最後の機会に思い出を残そうとしているのだろう。
「動画とか写真で様子は前々から見てたけど、実際に見ると本当に凄いわね」
私が行きたいと言ったのは阿梨夜の職場の近くで開催されているクリスマスマーケットだった。普段はただの広場だけど、年末近いこの時期だけ開催されるという。
季節行事を大事にする家庭に育ったため、そういうイベントがあるなら行ってみたいと言ったのがきっかけで。
丁度今夜がクリスマスだから、私たちと同じ気持ちの人がここに集まっているということだ。
「しかも今日、最終日だから座る場所もなさそう
……
」
人混みが苦手な阿梨夜は盛り上がっている会場に少々たじろいでいるようだった。
博物館だって休日は来館者で溢れているけれど、学術的好奇心でやって来る客と酔客は全然別の種類。
座れそうな場所を探して見ても、人がいすぎてどこもいっぱいだし。私たち以外でも立ち往生の人が溢れてる。
なら食事だけでもと辺りを見ても。お酒や食べ物の屋台にはズラリと人が並び。
おまけに、言っては何だけど割高なものばかり。
スーパーや海外のお菓子を扱うお店で買って来た方が絶対に安いと思ってしまう。勿論それは場所代というバイアスがあるというのは分かっているけれども。
木々に満遍なく巻かれたイルミネーションや舞台で演奏している人たちの音楽は素晴らしいけど、これではふたりで落ち着くなんて程遠い。
最終日は深夜近くまで開催の情報があって。その時刻はいつだったかを調べ直すと、あと三十分ほどで閉幕であるとスマートフォンの時計は無常に時を示している。
「ユイマンご飯まだでしょ。何か買ってこようか?」
あの屋台にでも並んで来ようかと気丈に言うけど。
彼女の性質上あんな人混みに行かせるのはなかなか酷な事である。今ならんでも買える保証はないし、どことなく店じまいの気配をどの屋台も醸し出している。
我慢は慣れているし長く並ぶのも平気、とは言っても。
私を待ってくれた伴侶にこれ以上待ってもらうのは嫌だ。
阿梨夜と二人きりになりたい気持ちが今も溢れてきてしまい、休憩できる場所がダメなら一刻も早く家に帰りたい。
「人がいっぱいだから大丈夫。もうすぐ閉幕だから少し眺めたら帰りましょ」
「え、でも
……
前から楽しみにしてたじゃない」
色んな写真も撮りたいって言ってたでしょ、と阿梨夜は言うけど。数枚彼女と一緒に撮れればそれで十分だ。
「阿梨夜の袋が潰れちゃったら嫌だし、雰囲気は楽しめたから大丈夫」
「あ
……
そっか、ごめん」
自分の持っている袋のせいで私が遠慮していると思ったのか、阿梨夜がその袋を見て困ったような表情を浮かべた。
「その袋って忘年会の景品か何か?」
「ううん、買い物。家の近くのスーパーだと間に合わないかと思って」
阿梨夜がそれを持ち上げると、重そうだと見えたのは簡素なボール紙に包まれた瓶のようだった。
角ばった形からして、洋酒か何かの瓶だろうか。彼女がわざわざ洋酒を買うなんて。
「そういうお酒を買うのは珍しいわね」
「
……
ちょっとユイマンとやりたい事があって」
遠慮がちに言う彼女のやりたい事とは何だろう。洋酒を使うというなら、私がしたいと思ってることとは違うだろう。
「一緒に飲むのは構わないけど、ここだとダメよね」
阿梨夜の瓶も、屋台で売っているものも種類は同じお酒とはいえ、こういう場所で関係ないお酒をいきなり飲むものではない。
洋酒の瓶片手に女二人で回し飲みなんて、あまりにも異様な光景であろう。特に礼儀を気にする阿梨夜はそんなことしたいと言ったら。
絶対に、ユイマンやめなさいって叱るように言う。
「うん、だから家に帰ってからのお楽しみ」
その科白を言われてしまうと、もう家に帰るしか選択肢はない。阿梨夜はこの辺りの歴史の記録に役に立つかもしれないと、スマートフォンのカメラで人を避けるように風景を撮影している。
日常はいつか歴史の遺物になる。
そう語る彼女は、何かがあるとすぐ自分以外の写真を撮りたがるのだ。今日は忘年会の帰りだからスマートフォンだけど、仕事の時はカメラの方を使う。
「本場には敵わないでしょうけど、情報や文化の伝達の一つの結果だとすると興味深いわね」
阿梨夜のカメラロールにはいつもどこかの田舎の風景や変な像、道端で注連縄が巻かれた岩や木、もう文字すら読めない古い看板みたいなものばかり。
「
……
もう、私の事も撮ってよ」
それは仕事に結びつくから大事だと思っても。傍に居る私よりも枚数が多いと言うのは少し複雑。
阿梨夜は自分の写真を撮りたがらないから、私がわがままを言わないといつもこうなる。
「あ、ごめん
……
つい」
ばつの悪そうな顔をして阿梨夜は私の方にスマートフォンを向けるけど。
私は彼女の手を引いて像の前に行こうと促す。
「あの像と一緒に撮りましょ」
歴史の遺物の中に。私たちもいつか含まれると、貴方は分かっているのだろうか。
「ありがとうございましたー」
お店を出ていくときに腕にほんのり熱を感じると。その温かさが嬉しくなる。
私たちの住む家の最寄り駅は、イルミネーションもない静かな駅ではあるけれど。
コンビニは営業していたのでいくつか阿梨夜に買ってもらい、一緒に店を出たのだった。
お行儀が少し悪いけど、早速袋の中から肉まんを取り出すと紙を外し口を大きく開けて頬張る。
少し前まで温められていた柔らかい生地も。ぎっしりと詰まった肉や筍の触感に。我慢していた胃が満たされていくのが分かる。
「
……
本当にこれでいいの?お店に行ってもよかったのに」
「いいの。すぐ家に帰りたいし」
流石に観光地でもない場所のコンビニはあまり人がおらず。デザートコーナーにあるケーキは全滅していたけど、おでんや肉まんなどは残っていた。
家に帰ってから何か食べることもできたけど。そこまでは我慢ができず、阿梨夜のしたいことがお酒に関わるのならお腹の中に何か入れておいた方がいいと思い彼女に寄り道をお願いしたのだった。
「あ、阿梨夜も食べる?もう一個あるけど」
「私は忘年会で食べてきたから大丈夫。ユイマンが食べて」
お酒の瓶を持ちながら阿梨夜は苦笑する。買い食いしてふたりで帰ってると、なんだかふたりで実家にいた頃を思い出す。あの頃も、お腹がすくとこっそり買い食いしたっけ。
冷めたら美味しくないので、肉まんを頬張りつつ家を目指す。クリスマスとは言ってもここは住宅街として機能してる駅だからもう静かになっていて。道行く人も私たちのような仕事帰りのような人ばかりでまばらだ。
駅前に居酒屋がほとんどないと、こんな感じになって当然か。静かに過ごしているのだろう。
「こんなに盛り上がっても明日からは切り替わるのよね」
「ん?」
一つ目の肉まんは食べ終わってしまったので、私が二個目を食べ始めたところ。阿梨夜は独り言のように呟いた。
「今夜でクリスマスが終わりだから。明日からはお蕎麦とか、お餅とかお節の材料が並ぶだろうなって」
あと一週間足らずで今年が終わるという事だけど。毎年彼女はそんなことを言ってる気がする。
年が明けたら私の実家に彼女を連れて行くけど。きっと、来年になっても阿梨夜は自分の実家には帰らないのだろう。
「新幹線のチケット買ったって言ったら、父から気合入れて用意しておくって連絡来たわよ」
狩猟解禁になってから仕留めた鹿と一緒の写真が届いたから。どうやら、今年も狩りの腕は相変わらずみたい。
「
……
お気遣いなくって、伝えておいて」
ユイマンの実家には十分にお世話になっているから。そう言ってるけど、私の実家で鹿鍋や酒をたらふく飲み食いさせられ。
姉や兄たちの子供の相手をさせられるのが目に見えている彼女は。静寂を愛する分、かなりの負担らしい。
きついなら私だけ帰りましょうかと言っても、伴侶としてちゃんとしているところを見せたいからと無理をしがち。
毎回、阿梨夜は静かな場所が好きだからって家族には言っているけれど。うちの家族が阿梨夜のことを気に入ってしまっている以上は意味のない注意なのだろう。
彼女が家柄の良い出身であることが理由ではないと思いたいけど。
どうせ末っ子の私が何を言ったって、いつまでも浅間の家では小さな子ども扱いなんだから。
「仕事の日も残り少ないしね。無事に終わるといいなあ」
「そうね。何も起きないのが一番平和よ」
私の口癖が阿梨夜にもうつったのか。一緒に暮らしているからこその現象に、思わず口元が緩む。
「仕事納めしたらゆっくりふたりで過ごしましょ。年越しのお蕎麦は鴨肉がいいなあ」
「じゃあ、スーパーで買いましょうか」
ちょっと鴨はお高めだけど、と彼女は言う。あれだけお金持ちの家で生まれても庶民的な感覚があるのは有難い。
金銭感覚がずれていると仲違いの原因になる。
年末の話をすると少し寂しいけど、わくわくした気持ちになるのは不思議だ。何度迎えても。
来年を迎える前に。今年、何かやり残したことがあったかなと思い浮かべてみる。
「あ、駒草さんのバーも大晦日前には行きたいな」
最近行ってないでしょう、と阿梨夜に言うと。
「え?あ、そうだね
……
店長さんにもご挨拶しないと」
ぼうっとしていたのか一瞬何か反応が遅れたけど、阿梨夜も人混みで疲れているのだろうか。気にせず二個目の肉まんの最後の一口を放り込む。
やっぱり、冬の温かい物は美味しい。胃も心も安堵したところで私たちのマンションが見えた。
いくつかの部屋は灯が消えているようだが、ほぼどの家もまだ灯がついている。
「ケーキもあったら買ってたんだけどなあ」
やっぱりクリスマスケーキを食べないと、クリスマスはどこか物足りない。甘い物ならプリンや和菓子も好きだけど、それでは満たされないのだ。
「駆け込みで今日買う人が多いからね。明日近所のケーキ屋さんに行ってみる?」
「んー
……
そういうことじゃないんだけど。食べられるなら今日食べたかった」
ケーキは日付が過ぎてしまったら意味がない。けど、阿梨夜は今年中に食べられればそれでいいと思っているみたい。
「私たち二人でホールはきついから、予約は無理だったし」
なら今度ケーキ屋さんでユイマンの好きなケーキ選びましょう。子供に言い聞かせるように阿梨夜は言う。
その言い方は、私の姉が私の我儘を諫めたり宥めたりする時の言い方に似ているから。
やっぱり阿梨夜にとっても私は幼い頃のままなのだ。
「大丈夫よ。今夜阿梨夜と一緒にお酒飲むもの」
もうお互い伴侶なのだから子供扱いしないでと、コンビニの袋を鞄に入れると。
阿梨夜の袋を持っていない方の腕にぎゅっと抱き着く。
「ユ、ユイマン
……
」
「早くお風呂に入って、ゆっくりしましょうね」
人通りの少ない道とはいえ。誰かが通れば気まずいからと阿梨夜は慌てる。その姿が可笑しく、愛おしくて。
追い打ちのように今夜は阿梨夜からしてくれる?と囁くと。阿梨夜はまたマフラーで口元を隠して俯く。
「うん、いいよ
……
」
俯きながらも、ちゃんと私の顔を見て返事をしてくれるのは。彼女も幼い頃のままではないという意志表示だろう。
マンションのエントランスに到着して管理人室の横を通ると。もう管理人さんは帰宅しており神と静まり帰っていた。
家族で住んでいる住人が多いため。もう宴は終わってゆっくりと過ごしている人が殆どなのだろう。
管理人さんも孫とゆっくり過ごすと言っていたから、きっと今頃は二人で仲良く過ごしてるだろうか。
「管理人さんにも今年お世話になったね」
「そうね。馴子はもう冬休みかしら」
管理人さんの孫の馴子も、たまに遊びに来ては私たちに色々謎々を出したがる変わった子だけど。
祖母と孫だけで暮らしているっていう時点で、きっと苦労も多いだろう。それでも私たちの事をあまり深堀したり興味本位で聞かない部分は。分別のある子だと思っている。
阿梨夜は通る度に謎々をいちいち出すなんて、どこかの怪物の真似事みたいだって言うけれど。それくらい相手をしてあげればいいのに。
郵便物ボックスを開けて中身を確認すると、年越しと初詣の案内や不動産、冬期講習のチラシだけ。不在票は入っていなかったので阿梨夜の本の購入はないようだ。
今年も沢山本を買った彼女の本棚は、新たな地層みたいになっており。
私が何度片付けてと言って片付けさせても、いつの間にか元の形に戻っている。不変の本棚と呼びたいくらいに。
「近所の神社、大晦日から初詣にかけてずっとお参りできるんですって」
チラシの中から一番面白そうなものを見ながら部屋に向かって行く。実家にいた頃は大きな神社があったから、そこにお参りするのが通常だったけど。
こっちで暮らすようになってからは特に決まった神社というものはなく。私の職業に関して加護があるという神社にお守りを買いに行くくらいだ。
「年越し
……
楽しそうだけど、ユイマン起きてられる?」
「失礼ね、起きていようと思えばできるわよ」
少し意地悪な声で阿梨夜が私を揶揄うので、頬を膨らませつつ異議を唱える。
労働時間が異常だった時期に躰と精神に限界が来てしまい、それから徹夜も怖くなった私は。
ともすれば最近の中高生でも起きているであろうと言う時間に眠り、老人かと言われるような時間に目覚めるのが習慣になっていた。
体制が変わった後の、社内の健康診断ではお医者さんに実に健康的だと太鼓判は押されたけど。
日付が変わるまで起きてそのまま朝を迎えられるか、といわれると少し自信がないのだ。
「阿梨夜は夜更かし上手なんだから一人で行って来たら」
論文や研究の為なら、何日でも部屋に籠って徹夜してしまうから。貴方も私ばかり心配せず自分を心配して欲しい。
「ごめんごめん
……
行きたければ起こすからさ」
「でも、来年は色んな寺社を巡るのもいいわね。阿梨夜最近そういう本ばかり読んでるでしょ」
鉱石や地層、化石の本ばかり読んでいた彼女。今年は何を思ったのか神話や寺社に関わる本を買い漁り。積んだ本を何とかしてよと私に小言を言われつつも。
フィールドワークとして寺社を巡り資料を集めたり、興味本位で私も付いて行ったりしてみた。
曰く。興味のある神が出て来たからだそうだけど。何故興味があるのかと聞いたら、私たちと名前が似ているから。
そういう単純な理由とはいえ、似通った組み合わせの名前同士なのは偶然なのかしら。字は少し違うけど。阿梨夜が調べている神の名前は阿梨夜の名字とほぼ同じだ。
「遠いけれど行ってみたい神社はあるの」
エレベーターが到着したので乗り込むと、阿梨夜は私たちの階を押して言う。
籠の中には、年末のごみ収集の最終日が案内してあり。
早めに出さないといけないと、案内の撮影をしておいた。
「どこの神社?」
「例の神様を主神として祀っている神社。車を借りないと難しそうな場所にあってね」
「じゃあ私運転しましょうか。久しぶりに」
実家にいた時は乗っていたし。山道だって結構走っていたから久しぶりに走るのもいいだろう。
「
……
そうね」
だけど阿梨夜は乗り気でない表情。私の運転する車に同乗すると、いつも降りる時この世の終わりみたいな顔をしていたけど。車酔いが怖いのだろうか。
「遠出は都合を合わせないといけないから、まずは近場から行きましょう」
エレベーターが階に到着して止まる。扉が開いて降りると、阿梨夜が家の鍵を取り出しやっと私たちは帰宅した。
帰宅を望んではいたけど。すぐにがっつくようなことはしたくないし。阿梨夜が私としたいこと、と言うのが何かも見たい。
「とりあえず着替えてきて。直ぐ準備するから」
阿梨夜はリビングに入りテーブルの上に洋酒の瓶を置くと、他にも色々買って来たみたいで袋から取り出していた。
中には製菓用に使う生クリームのパックもあるようで。ケーキでも作る気なのかと頭の中で疑問符が湧く。
洋酒と生クリーム。相性が悪いとは思わないけど、それで浮かぶものがなくて。
阿梨夜の言うとおりにしておけば疑問は解決するだろうと、着ているコートとマフラーを脱ぎ始めると自分の部屋に掛けに行く。
どちらもすっかり外の冷気を孕んでしまい。触れるだけで指先が冷えてしまいそう。
電子音がリビングからしたので、彼女が部屋を暖め始めてくれたと分かる。
コートも脱がないで何をするつもりだろう。
部屋の中で鞄の中を整理したり、仕事用の服を脱いで着替えたりしても。その間台所から色んな音が聞こえて来る。
電気ケトルのスイッチを入れる音。棚をスライドさせてグラスを用意する音。
私の為に何を用意してくれるのだろう。部屋着に袖を通しながらもその音に冷えて疲れた躰が起こされ。
私の仕事のせいで楽しみ切れなかったクリスマスマーケットも、きっと後で思い返せばいい思い出になると。
ゆったりとした裏起毛の部屋着。それを着てリビングに戻ってくると、阿梨夜はコートとマフラーを脱いだ格好のまま台所で立てたスマートフォンを眺めている。
遠目から見てレシピを見ているようだけれど、同時に紙切れみたいなものも傍に置いてあった。
「阿梨夜」
「あ、もうちょっと待って。お湯沸いたらすぐだから」
彼女に話しかけると、ソファに座って待っていて欲しいと言われ。心なしかその表情は楽しそうに見えた。
こういう時の表情って。何か探求心を刺激されるときや、自分の好きな分野の本を読んだりしてる時かしら。
褒められたり、プレゼントを貰ったりする時もお礼や喜びの表情は見せてくれるけど。少し困ったような表情が混ざるのを彼女は気づいていない。
生い立ちや性格から仕方のない事だけど。だからこそ、あんな楽しそうな表情を浮かべるのが。意外だった。
カチリと音がしてケトルのお湯が沸騰を告げる。私は彼女に言われるままソファに座りスマートフォンを眺めた。
今夜はクリスマスだから、SNSの皆が騒がしく、あわただしく、楽しそう。楽しめてない人もいるみたいだけど。
全員が満足できる日なんて、永久にないのが恒久よね。
「ねえ、駒草さんのお店今夜は早めに臨時閉店ですって」
何かイベントをやっているかなと、駒草さんのお店のアカウントを眺めて見ると。臨時閉店のお知らせというタイトルでクローズのドアが写真にアップされていた。
「
……
店内で提供できるお酒がなくなったためって、そんなにたくさんお客さんが来てるのかしら」
「記念日で飲みに来る人が多いからじゃないかな」
今年お世話になった駒草さんの話をすると、阿梨夜はもっともらしい理由を答えたけど。あの人なら日によって変わるお酒の量を考えて調整しそうな気もする。
ウワバミみたいに飲み続けるお客さんが現れたとか、そんな品のない飲み方をあの人は許すだろうか。それとも
―
いずれにせよ挨拶くらいはしておこうと、年末はいつまで営業しているか調べていると。香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
朝毎日のように嗅いでいる香りを、深夜に嗅ぐ不思議。目が冴えてしまうからと、阿梨夜は飲まないはずなのに。
「コーヒー淹れてるの?」
「うん。もう少しだよ」
コーヒーと生クリームの組み合わせなら分かるけど。それに洋酒というのが合わさるとどうなるのだろう。
今手にしているスマートフォンで調べればすぐに答えは見つかるかもしれないけど。情報だけを先に得てしまうのは、阿梨夜に悪い気がしたからじっと待つ。
何かを掻き混ぜる音。金属の蓋を捻って開けて擦れる音。
色んな音が、暖房で温まり始めた部屋に響き。それはとても高揚するような、落ち着くような、そんな音。
「お待たせ」
その声に顔を上げれば。阿梨夜はマグカップを二つ持って私の傍にやってきてくれる。
私の前に置かれたマグカップ。見た目は、生クリームを乗せたコーヒーだけれど。
熱さに耐えつつ鼻を近づけてみると、コーヒーの香ばしさと一緒に、駒草さんのお店で嗅いだ匂いがした。
これは、確か。何だったかしら。
瓶の中身は琥珀色の液体だから、ウイスキーとかブランデーとかそういう系統のものだったかな。
まだ熱くて怖くて飲めない。ふうふうと冷ましながらその液体を眺めていると。阿梨夜が隣に座って私を見つめる。
眼鏡の奥のその目は、幼い頃と変わらずいつも優しい。
「大丈夫?飲めそう?」
「大丈夫だと思うけれど
……
これ、カクテル?」
お酒と何かを混ぜるのがカクテルと呼ばれるなら。これもそういう類の飲み物だろう。でも、駒草さんのお店で飲んだ時は冷たいカクテルばかりだったから。
私の問いに阿梨夜はゆっくりと頷き。マグカップに口を付けて飲み始める。
そうして、一口含むと。溜息に近い安堵の吐息を漏らす。
「これはね。寒い時にぴったりなカクテルだそうよ」
「コーヒーのカクテルなんてあるのね」
酔い覚ましの飲み物と、酔うための飲み物を組み合わせるなんて。
「アイリッシュコーヒーっていうカクテルみたい。元は寒い国で生まれたらしくて
……
」
研究や勉強した分野について語りだすと阿梨夜はずっと話し続ける癖があるため、その前に聞きたい事だけは聞いておく。いきなりこんなカクテルを作り始めるなんて、絶対に関わっている人がいるからだ。
「これ、駒草さんから教わったの?」
ネットで探せばすぐにレシピは転がっているだろうけれども。手書きの紙があって、あれは阿梨夜の字ではなかったから。
そうなると彼女に知識を与えられる存在なんて、そんな悩むことはない。
夏に行って以来は二人で行ってない筈なのに。こっそり一人で飲みに行ったりしていたのだろうか。
お酒を飲みに行くななんて言わないけれど。私に無断で飲みに行くという事が信頼されてないみたいだから。
「
……
結果的には言い訳がましいけど。ユイマンに隠すつもりじゃなかった」
気まずそうに目を反らし、語る彼女の顔を。獲物を追い詰める蛇のように迫り私の方を向かせる。
「言ってくれれば別に一人で飲んでもいいわよ。けど、こそこそ行動されると嫌なのよね」
浮気とか、不倫とか、そういう言葉がある以上。阿梨夜が絶対にそれをしないという保証はないのだから。
駒草さんは唆すような人じゃないって思うけど。あんな綺麗な人に迫られたら、自分は醜いと言って聞かない阿梨夜が平常心でいられるか分からないもの。
「一人で行ったのはこの前一度きり。店長さんにはお願いの為に行ったんだよ」
「お願い?」
「あれから少し、カクテルのこと本とかで勉強してみて
……
何か家で飲めるようなカクテルがないかって聞いたら」
このカクテルを教えてくれたのだと、阿梨夜は語った。
「ユイマンは暑がりだし寒がりだから。冬が少しでも辛くないといいなって」
その言葉を頬を赤らめつつ手で口を覆いながら言う彼女。
口元がだらしなく綻びそうになるのを、私はマグカップを口につけて隠す。熱いかと思っていたけど、生クリーム自体は冷たいままだから思ったよりも熱くはなかった。
「
……
」
でも、やはりウイスキー自体の強さは流石のもので。一気に躰が焼けるように暑くなり。
寒がりの肌も熱を持って内側から温められるようだった。甘味があるのは生クリームと、多分砂糖も入っている。
「お酒も近所で探したんだけど店長さんがお勧めした銘柄がなくて、結局今日やっと酒屋さんで買えたの」
職業柄勉強熱心で探求心が強いのは知っているけれど。
それでも、阿梨夜の几帳面さや終わりなき好奇心は感心してしまう。私の為なら、本当労を惜しまない人。
「美味しい」
「そう?よかった
……
」
眼鏡が曇るのか阿梨夜は眼鏡を外す。殆ど度が入っていないそれは、意味があるのかと思うけど。
彼女にとってそれは自分を隠すためのツールである。そしてそのツールを外して見られるのは、私だけ。
こんな美味しいカクテルがあるなんて知らなかった。もっとその情報が欲しくなって、スマートフォンでカクテルの名前を検索すると。
阿梨夜は呆れたように私の顔を見る。
「ユイマンはすぐ調べたがるんだから。嘘の情報もあるから信じすぎたらだめよ」
そうは言っても。何か調べたくなってしまうのは、誰の影響かしらね。甘えるように阿梨夜の肩に寄りかかると、阿梨夜はマグカップを持っていない方の手で私を抱き寄せる。
コーヒーと、お酒と、彼女自身の匂い。阿梨夜は私よりも速いペースでカクテルを飲み、躰はいつもよりも熱い。
「あ、あった。元々は乗り継ぎの飛行機を待つお客さんの為に作られたのね」
ある程度は信用できそうなサイトの情報を読み上げていく。その中には、レシピ以外にも歴史やそのカクテルの意味が書いてあって。
「
……
ねえ、阿梨夜」
「何?」
「駒草さんにこのお酒の意味って聞いた?」
花言葉みたいに、カクテルはそれぞれ意味を持っているとも言われていて。このお酒も意味があるひとつだった。
「
……
一応ね」
駒草さんが教えてくれなくても。研究熱心な彼女がそれを知らずに作るとは思えなくて。
凄く遠回しなお誘いを彼女からしてくれるのは、驚きであり、喜びであり、何よりも代えがたい思い出になる。
もうお酒で赤くなっているのか、照れて赤くなっているのかも分からない阿梨夜の顔を。
空いている手で私の方に寄せると、珍しく彼女の方から私に口づけてくれた。強いお酒が入って大胆なのか、行事を大事にする私の気持ちを慮ってくれているのか。
どちらでも、構わない。ほんの僅かな苦みと酒の匂いが、彼女の熱に混ざって私の皮膚を完全に綻ばせていく。
「あたためてくれる?」
「勿論」
それが誘い文句なら。あの頑固な阿梨夜もかなり素直になったと思う。
まだお互いお酒は飲み切ってなくて、夜は残っているから。熱はお互い溶け切るまで、止めどなく上がり続ける。
終わり
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