アユム
2025-12-07 08:27:55
4390文字
Public khmdワンドロワンライ
 

雪原の二匹

こは斑ワンドロワンライ【雪】珍しい雪祭りに行くふたりの非日常

「こはくさん、少し遠出をしよう!」
斑の声が響いたのは記憶に新しい。なにせ昨日の朝のことだ。隣の県あたりまでツーリングに行くのだろうと踏んだこはくはすぐさま首を縦に振った。久々のオフは重なっていると確認済みであったし、その時間を憎たらしくて愛おしい恋人と過ごさずにどうしろというのだ。
 

……なーんも聞いとらんわ」
「それはそうだ! 言わなかったからなあ! はっはっは!」
「報連相をしろっちあれほど言うたやろが!」
既に恒例行事となりつつあるこはくと斑の小競り合いが起こったのは、星奏館を出る朝七時半。斑が〝随分身軽だなあ?〟なんて揶揄いながら笑うから、こはくは既に機嫌が悪い。そしてその直後、
「スキージャンパーかなにかを買わないといけない☆ うっかり伝え忘れてしまったぞお!」
悪びれもしない豪胆な斑の声が響いたのだった。

 東京駅から新幹線が走ること三時間と少し。そこから猛吹雪の在来線に揺られて一時間。
「二両しかない電車なんぞあるんか!? しかもこん吹雪の日でも走れるんか!?」
山間部の豪雪の中をガタゴト走る古めかしい列車に、こはくの目は輝き、すっかり朝の怒りは治まっていた。
「線路自体に関東と違った工夫がたくさんあるから、この雪でも長年地元の人を支え続けているんだ。現にこうして観光客や帰省客を招いたりもしているわけだし」
その斑の説明を聞いていたのかすら怪しいが、到着の音楽と共に勇ましく駅に降り立つこはく。雪。雪。雪。――まるで異国の地だ。北海道ならまだわかる……ような気がする。イメージでしかないが、大自然と雪に圧倒されるといえば、まず大いなる北の大地だろう。しかし同じ本州で雪に囲まれる場所があるというのは、こはくには不思議な心地がした。
「よし! 粉雪に変わったぞお! これはいよいよお祭り日和だ!」
「お祭りぃ?」
斑の声に首を傾げるのも、今日だけで何度目か。
「ああ! 小さい地域のお祭りだが、通は全国から集まるし、なによりの四百年の伝統がある!」
「ほぉん……こんな遠くまで来るっちことは、魅力的なお祭りなんやろね」
「そうだぞお! さあ! まずは君の服を買いに行こう!」


「でっっ……か!」
こはくの驚きは斑に充分伝わったらしい。広場の中央に鎮座する巨大な雪像。こはくの頭より、いや、斑の頭より高い位置に顔がある――犬。犬の雪像。
「これがみんな犬神様みたいなもんっちわけか……
未だ惚けた声で、しかし隠しきれない高揚も混ざった声でこはくは呟いた。ほぉ……とため息を吐いて、立ち並ぶ雪像を眺める。
 なぜ犬を雪像にしているのか、それは街の祭りの委員会の人々や斑から話を聞いたが、今のこはくにはあまり届かない。それほど目の前の雪像に圧倒されていた。
「札幌の雪まつりなんかと比べると、どうしても地域的な小ささがあるが。こういうお祭りもまた、よい! ――が! 近年は日本中の犬好きが集まるぐらいに賑わっているしなあ!」
自分のことのように斑が胸を張れば、かつて斑に祭りを手伝ってもらったと喜ぶ地元の人々も胸を張る。粉雪がこはくのニット帽の上にうっすらと積もった。

 そしてもうひとつ。〝うぉん!〟と低くて太い、大きな鳴き声がする。それが犬のものだとは頭で考える前にわかった。
「へ!?」
こはくが振り向けば、もふもふと巨大な犬たちを連れた人々が集まる。集まる。集まる。
「そ、そういうことか!」
どういうことか、とまでは口にしない。未だに集まる犬の群れにも圧倒されたこはくだが、
「ほおら! どの子も立派で可愛いだろう! 撫でさせてもらってはどうだあ!?」
秋田犬を筆頭とした犬の群れに楽しそうに加わる斑を見ればいても立ってもいられない。胸に沸き起こるムズムズとした好奇心。
「撫でてあげてもええですか?」
「ん」
言葉少なに頷く雪国独特の言葉にも沸き起こるムズムズ。
「まずは鼻さ手ぇ嗅がせて……そうそう、下から、こうすっと怯えねぇがらな」
「お、おおきに……
お利口に座った大きな犬の前で、その鼻先にそっと手を近づける。私は怖くありません、攻撃しません、匂いを嗅いで確かめてください、挨拶しましょう。――犬への挨拶はそういったものだ。
「わぎゃ!」
こはくを受け入れたのだろうその犬が嬉しすそうにその顔を舐める。ぶんぶんと振られたしっぽでもわかる。べろりと厚くて長い舌が顔を舐め、後ろ足で飛び上がって雪の上にこはくを転がして、犬も転がって。そうして友好条約を結んだのだ。
「君、随分好かれたなあ!?」
「斑はんが言えたセリフか!?」
驚きとともに現れた斑。しかしその斑を中心に犬とその飼い主たちが何頭・何人と集まっているのだから、こはくの科白も当然だ。
「ははは! みんなで遊ぶと楽しいなあ!」
「うぎゃっ! 人を潰すな!」
「ほーらダイブ! 雪遊びしようこはくさん!」
「わあああああ! 犬群がりすぎやろがああああ」
「あっはっは!」
 こうして弾丸ツアーとなった祭りも時間が過ぎていく。あっという間だ。
 犬を模した飴細工のような、初めて見る食べ物をお土産にひとつ。白い毛並みに桜色と新緑のぶち模様。なんだか誰かさんたちを彷彿とさせてしまって、小銭を渡す指が照れたのは内緒の話だった。

 すっかり日も暮れ、燈籠の灯りに照らされた雪像が夜の黒に白く浮かび上がる。犬の吠える声と祭り独特の高揚。はらはらと粉雪が散って、幻想的な空間を作り上げていた。
 夕飯にと、かまくらできりたんぽを振る舞われた二人もそろそろホテルへ引き上げねばならない。明日は、朝一番の在来線の快速に乗って再び新幹線に飛び乗る必要がある。
 
……こはくさん?」
斑が足を止める。こはくはじっと、祭り会場の中央に座る一番大きな秋田犬の雪像を見ていた。昼間散々見上げて惚けた、あの大きな犬である。
………おっと! やはりこの子がお気に入りかあ」
「あ……あ!? つい立ち止まってもうた、堪忍な。ほんまに立派やね」
斑がそっと声をかければこはくは振り向き、眉を下げて笑った。ほな行こかと呟いて。
「滑ってもいいんだぞお?」
斑の声。振り向きそうで振り向かない、数歩先を行くこはくの足が雪をぎゅっと踏み鳴らす。
「なんやそれは。わしは子供とちゃうで?」
そういうこはくの声が揺れる。
 大きく鎮座する秋田犬の頭、胴体、四肢、そして巻き尾。座った姿で掘られたこの像こそ、祭りに来た子供たちの名物・雪の滑り台だった。巻き尾に登って遊ぶ子もいた。昼間は専属のカメラマンがいて、子供の滑る姿をその場で写真に収めてくれる――そんな賑わいはとうに過ぎ、今は静かな大人の祭りの時間。しかし。
「ふふ、滑りたいという声をしているなあ」
斑が笑う。
「ちゃう」
「ふふ」
苦笑でも揶揄でもない、甘くまろやかな笑い方だ。これがこの男の本来の笑い方なのだと知っている人は、こはくの他にどのぐらいいるだろう? こはくの胸は疼く。
「そんなん……斑はん、絶対笑うやろが」
ツンとした声。遠くなった犬たちの遠吠え。しんしんと粉雪の積もる中で、こはくの雪靴が、ぎゅっと音を鳴らす。
「ほら、行っておいで」
笑う斑。
……ぜったい笑わへんっち」
「約束しよう! 任せてくれ!」
今まで何度も揶揄してきた前科者の斑の言葉を信じるのはあまりに軽薄だが、しかし。こはくの雪靴がぎゅっと雪を鳴らす。ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ。少しずつ早足で粉雪を踏みつけて、こはくは雪像の前に立っていた。

 大きく愛嬌のある秋田犬の巻き尾。目の前にしたら気持ちは止まらない。そっと手を伸ばして尾に触れれば、そんなことでは壊れないと雪像が胸を張る。とうとうこはくが尾に抱きついた。
「ふふ」
笑う声。雪を踏む音。
「つべた……
温かいわけがない雪像に血が通う瞬間。子供たちが踏み固めてできた犬の背の階段を上り、頂上に顔を出す。
「おおーい!」
手を振る斑が見える。
「こっちにおいで! こはくさん!」
「揶揄うなっち言うたやろー!」
そういうこはくの声は弾み、また雪を鳴らす。厚いゴムから出た少しのスパイクで足がかりを得て、犬の頭にまたがる。強いつよい大きな犬はびくともせずにこはくを待ち受け、
「うぉっ!?」
遂にこはくが鼻先を過ぎて前足を滑り出した。夜霧に晒されて氷り始めたそれはあまりにスピードが出る。思わずスパイクで強く前足を踏むが止まることはない。
「まっ! ちょ! あか、危な……!」
「うわああああっはははは!」
驚く途中から笑い声になってしまった斑の叫びに全身で飛び込んだ。こはくの左の雪靴は、脱げて一メートル先の雪に刺さる。
「あかん! 頭打ってへん!?」
「受け身なら取れているぞお」
斑がニット帽を直して、そのまま二人で雪の上に身を投げ出して腹を抱えて笑った。こはくはひょこひょこと靴を拾い、それでもまた斑の隣の雪に飛び込む。
 燈籠と月の光を受けた粉雪がキラキラ光って二人を包む。笑いながら目と目が合って、笑って、粉雪がニット帽に積もる。どれぐらいそうしていただろうか。
「こは――っ!」
突然だった。それでもわかっていた。こはくの名を呼び終わる前に、斑の唇がこはくに呑まれる。
……んっ」
一面の銀世界の真ん中で、斑の口が開くのを今か今かと待つこはくの舌が斑の唇を舐め上げる。二度、三度。四度目はなかった。斑の唇がこはくの舌を捕まえたから。
 雪の降る夜は寒い。しかし雪に囲われてしまえば存外暖かい。粉雪だらけの体が冷えて、マフラーの間から首に六花が舞い降りた。ひやりとするその瞬間も、二人で感じている。

……二人はどさ行ったっけな? ちゃんとホテルさ帰ったべか」
「誰か送ってったが?」
「いんや誰も」
「あや! この雪の中歩いてったっけ!?」
「バス乗ったんでねが?」

 しんしんと雪の降る、祭りの喧騒が遠退いた夜。
 粉雪の中で幾重にも重なる気持ち。
 ちらちらと照らすろうそくの火。燈籠の灯り。
 
「おおきに。……楽しかったわ」
真っ赤な耳と鼻先。こはくが告げる。跳ね続ける心臓は重なったまま非日常が頭の中で膨張して、今でもふわふわ、粉雪のような心地でいた。
……悪い子供だなあ、まったく」
「やかましいわ」
そうしてまた口づけをひとつ。斑の唇に降った一粒の雪の結晶をこはくの唇が溶かす。つめたくてあつい。
……俺も、楽しかった」
「ほっか」
「またひとつ君を知れた。なんてなあ」
――また、来よな」
 
 燈籠の微かな灯りが照らす白銀の大地。いつまでも。子犬のように二人の鼻先が触れていた。

fin.

こは斑ワンドロワンライ
【雪】
60min+20min