めめた
2025-12-05 20:01:29
10089文字
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なんの変哲もない特別な日(種曲)

20251202からチマチマ書いてたやつ。
モブ女子、捏造大曲家が居る。
既出公式情報との齟齬があるかもしれないです。全部捏造なので今更ですが。

 三段になった皿のことを何と呼ぶのだったか。この前読んだ小説の内容を思い出し、スリーティアーズだったと一人納得した。
 目の前のスリーティアーズの奥、テーブルを挟んだ向かいの席には女子が二人並んで座っている。
 彼女らは、竜次にとっては知り合いの、よく知った顔の写真――ブロマイドと呼ぶらしい――と、並べられた紅茶やスイーツを並べてそれをまた写真に撮っている。向かいに座る竜次は写り込む位置になるだろうと思い、端に避けた。

 予定が無かったら着いてきてくれないか。そう誘われたのは先週の事だ。
 初めてのことではなく、以前、本当にたまたま出先で出会って声をかけたら、一緒に居た男が慌てた様子で去って行った。しつこいナンパだったらしく、竜次が意図せず撃退したのだ。
 以来、少し繁華街へ近づく時には声をかけられるようになった。それはそれとして、あれが彼氏なら気まずくなるやつだと、デリカシーの注意は受けたのだが。
 そんな経緯もあり、竜次は今、明らかに自分が場違いなのだろうと分かっていながらも、女子二人が楽しむのを前に見ながらパフェを突いている。
「大曲くん、なにかキミ様のエピソードないの?」
「はぁ? …………あー………
 見知った顔のテニスの世界大会を共に戦った仲間の君島育斗のブロマイドやら、アクリルスタンドやらを持つ彼女らは期待に満ちた目で竜次を見ている。きっと、用心棒以外にこれも目的だったのだろう。
 とはいえ、ブランドイメージを大事にしている君島のことも、竜次はよく知っている。彼が今年の合宿で何をしたか。カメラの外の姿全てを把握しているわけではないがそれを他人から漏らすのも良くは無いだろう。
「カミソリ譲ってもらったな」
「えー! 優し〜い!」
 無い、と言えば詰められる予感がして、マイナスイメージにはならずファンなら繋がりそうな事を絞り出して告げた。
 予想通り、CMのやつだよね、などと話が盛り上がっている。
 目の前の二人は飽きずに話を続けていて、話題をころころ変えるのに話が止まる様子はない。
 竜次はふと、相棒兼恋人のことと騒がしい後輩のことを思い出した。連絡も取り合っているのになんだか懐かしくなって、パフェを口に運んで誤魔化した。
「わり、電話良いか?」
「はーい」
 そんなことを思っていたら、ちょうど恋人からの着信がポケットから響く。
 断りを入れれば彼女らは嫌な顔もせずに承諾した。
「どうしたよ?」
『竜次? 今そっちおんねんけど会われへん?』
「勘弁しろし……お前、また急に来やがって」
『やって、竜次に会いたいな〜思ったらふわ〜っと、な?』
「せめて新幹線なりで連絡よこせし」
『もしかして空いてへん!?』
……ちょっと待て」
 目の前の二人が急用かと竜次の様子を窺い始めたことに気が付いて、竜次は端末を耳から離した。
「ツレがこっち来てんだけど、合流させていいか? 悪い奴じゃねぇし」
 初対面だが、修二なら問題無いだろうとそこは心配していなかった。しかし二人はどうだか分からない。用心棒が増えると考えれば困ることでも無いだろう。
「相手はいいの? ウチらは良いけど……
「少なくとも、気にする奴じゃねーな」
 竜次はそう答えてから、再び修二に話しかけた。
「今人と居るけどよ、それで良ければ」
『行く! どこ!?』
 食い気味に答える修二に、竜次は店の名前と所在地を伝えてから終話ボタンに触れる。
 どれくらいで着くのかを聞き損ねたなと思いながら、竜次は再び残りのパフェをつつく事にした。
 二人は再び君島の話で盛り上がっている。新しい曲がどうの、雑誌のインタビューがどうの、世界大会のフランス戦がどうだっただとか。
「中学生の子もかっこよかったよね〜! 将来キミ様と共演したりして!」
 フランス戦で君島とダブルスを組んだ後輩の事を思い浮かべ、それは無さそうだなと言葉にはせずに思う。いや、しかしあれでいて目立ちたがり屋な面もあるようにも思う。いずれにせよ、竜次は彼のことに然程詳しくはないのだ。声を出さなくて正解だった。
 女子というものは凄いもので、話は止まらないのに目の前の皿は空けていく。竜次は残り少ない紅茶を飲み干すと、邪魔をしないように席を立つ。横を見て話に夢中の彼女らは、竜次に目を向けることは無かった。
 少しの間を置いてから席に戻ると、一人座って携帯電話を触っているのが見えた。
「今トイレ行ってるから待ってあげて〜」
「もう出るのか?」
「ショッピングには時間がかかるからね!」
 予定はあらかじめ聞かされていて、ここでの食事の後で鞄を買いに行くらしい。大型商業施設に行くと言っていたので、それなら時間もかかるだろうと竜次は納得した。
「お待たせ! 伝票は?」
「レジ管理じゃない?」
 リップを塗り直してきたらしい彼女はテーブルの周りを探り、もう一人も先程まで探していたのに見つからず首を傾げた。
「先払っといたし。さっさと出ようや」
 竜次は先に歩き出し、店員の挨拶に軽い会釈をしてから扉を潜る。
「ちょっと!」
「奢るって言ったじゃん!」
 二人が竜次の背中をベシベシと叩きながら言うように、誘われた時にカフェ代は奢るからと言われていた。それを承諾した覚えは竜次には無い。
「前は奢られてやったろ。それに鞄買うって言ってたじゃねぇか」
「それはそれで予算あるし!」
 用心棒として雇われているようなものである竜次だが、毎回女性に奢られるというのも居心地が悪く、それなりにプライドは刺激される。
「修羅場!?」
 急な第三者の声に二人は弾かれたようにそちらを見て、竜次は面倒くさそうに顔を向けた。
「ちげーよ」
 確かにここにいるのは恋人関係の二人と、その片方は知らない人物であり、口論をしている。そう見られてもおかしくはないが、彼が本当にそう思ったのならわざわざ声に出さないだろう。
「種ヶ島修二じゃん………!」
「種ヶ島修二じゃん! ちょっと! 言ってよ!」
「ちゃい☆ 俺のこと知っとるんか? 光栄やなぁ」
 二人は驚いたからか、竜次の後ろに隠れるようにして修二を見る。言ってなかったか、と竜次は修二との通話を思い返したが、いつも通りの会話の一言一句までは記憶していなかった。
「汗かくほど走んなし。風邪引くぞ」
 後ろの二人を無視して、竜次はハンカチを取り出すと修二の額に手を伸ばした。
「すまんなぁ、竜次のハンカチ汚してしもた。俺の使ってや」
 反対に、修二は自身のハンカチを竜次のポケットにねじ込んだ。竜次の手からハンカチを受け取りながら。
「な、仲良いの……?」
「俺は竜次と仲良しやで〜? 合宿では部屋も一緒やったし、ダブルス組んでたし……
「修二! 余計なこと言うなし!」
 放って置いたら有ること無いこと構わず言い出しそうで、竜次は咄嗟に遮った。
「さっさと行くぞ。修二も」
「慌ててる大曲くん初めて見たかも」
 そんな声が後ろからコソコソと聞こえた。慌ててなど居ない、わけでもないし、調子も狂わされた。しかし先程のことは一時的にでも忘れてくれたようでなによりだ。

□□□

「自分らと竜次はよう遊ぶん?」
 修二が合流し、四人は連れ立って目的の商業施設へと向かう。土地勘の無い修二は竜次の背中を見ながら、僅かに姿勢を低くして隣の女子に声をかけた。
「たまにね。遊ぶってわけでもないけど」
 背の高い修二を見上げた彼女は、隠すことなど無いといった態度で、たまに一緒に出かける経緯を話した。
「はぁ〜、かっこいいなぁ。流石竜次……
 話を聞いて出た声は率直な感想だったが、その声色に言葉以外のものが含まれないようにだけ気をつけた。
「種ヶ島くんは、いつから大曲くんと仲良いんですか?」
 竜次の隣、前を歩いていた女子が振り向いて問いかける。竜次も軽く振り返って、余計な事は言うなと睨みつけてきた。
「高一の秋やな。合宿で、おもろい奴やな〜と思って」
 面白い奴、という評が女子二人は腑に落ちていないようだったが、修二がそう思うならそうなのだろうと深く気にしてもいない様子だ。
「確かに両手で別の本読んでるのは面白いかも」
「それ学校でもやるんや」
「おい、勝手だろんなもん」
「器用やな〜って。な?」
 初対面との相手の会話は、共通の知り合いのあるあるになりがちである。修二はもっと自分の知らない、学生の竜次の姿を聞きたかったが、竜次本人が不服そうでスッパリと諦めた。
 合流時に聞こえたところによると、彼女らは鞄を買いに行くらしい。商業施設は流石に、どの地域も同じなのだろうかと思案し、ふと今持っている鞄を見た。
 ほとんど身一つでやってきた修二と違い、二人はよく荷物が入りそうな鞄を持っている。
「お、サンサン」
 その鞄についたキーホルダーをよく見れば、見知ったスターのブロマイドが入っている。なるほど推し活というやつかと思いながら、口に馴染んだあだ名を呼んだ。
……君島のことだ」
 急になんの話かと首を傾げた二人に竜次が補足すると、目を大きく見開いた。
「あだ名呼び!?」
「な、仲良いんですか!?」
「悪くは無いよ☆」
 竜次は慣れた様子で、少しだけ歩みを遅くした。
 二人に詰められるが、あることでも勝手にファンに話せば君島は嫌な顔をするだろう。修二はそれをよく知っていたから、自分からなにかエピソードを話そうとは思わなかった。
「その鞄写真撮って送ってええ? サンサン喜ぶわ」
「ど、どうぞ!!」
 流石に彼女らの姿を送るわけにもいかないが、エピソードを話せないなら作ればいいのだ。反応が返ってくるかは分からないが、今日返信がなければ竜次に伝えて貰えばいい。
[サンサンのファンの子と会うたで〜☆]
 そんなメッセージに先程撮った写真を添えて送っておいた。
 そうこうしている内に人通りが増えてきて、目の前にはいつの間にか大きな建物があった。目的地だ。
 二人が目の前の店で鞄を物色しているのを吹き抜けのベンチで待つことにして、修二は竜次の隣に座した。
「ええ子らやなぁ」
「そう思うか?」
 竜次はそう言いながらも、店のほうをしっかりと見ている。頼まれたことを承諾した以上は真面目なものだ。
「可愛い顔して、なぁ」
 僅かに眉尻を下げた横顔を指でついて、修二は笑みを浮かべる。自分の発言に妬いたのだろうことは、聞かなくても分かった。
 無言で手を払った竜次は、目線だけを修二に向ける。こんな竜次の姿を見ることが出来るのが自分だけなのか、気が付くのが自分だけなのか。修二は他に誰もいないことだけは確信して、竜次を見つめる目を細めた。
「その顔やめろし」
 皮の分厚い手のひらが修二の目元を覆う。
「どんな顔?」
「見せたくねぇ顔」
 竜次の手首を掴んで問えば、神妙な声が返ってきた。そう言った竜次の顔が見られなかったことを残念に思い、掴んだ腕を下ろす。
「気ぃつけるわ☆」
 修二の視界が再び竜次を捉えたときには、先ほどと同じ横顔だった。
 妬きたいのはこちらのほうだというのに、竜次はまるで修二にはそんな感情がないかのように振る舞う。面倒見が良くて、情が深い。分け隔てなくて、優しい。それが竜次の良いところであるのは承知の上で、修二はもどかしい。
 他の奴と出掛けるときは予め連絡をして欲しいだとか、竜次の交友関係者全員と面識を持たせて欲しいだとか、修二だけに笑いかけて欲しい、だとか。そんなことを言えば、竜次は分かってくれるのだろうか。
 店先を眺めながら悶々と考えて、途中でやめた。竜次を縛り付けたい訳ではない。分かってもらったところで、竜次が気を使う結果になればそれ以上に嫌なことはないのだから。
「明日は? 今日帰んのかよ」
 明日は日曜だ。学校は休みだし、もし月曜日でも一日くらい欠席したって構わない。けれどホテルは予約していないし、帰りの切符も買っていない。
 竜次に会いに来た目的は達成している。二人きりではないが、可愛い顔も見られたし知らない竜次の姿も見られた。急に来たにしては、大きな収穫である。
「泊まっていかねぇか」
 物欲しそうに見えただろうかと、修二は竜次の方を見る。竜次は、今だけは修二の顔を見ていた。
 そんな竜次の視線に、修二の胸中には期待が芽生える。
「家族は居るけどよ」
「そら、そうやんなぁ!」
 大曲家に泊まるのは初めてのことではない。親や弟に挨拶もしている。あの家族が居る場所で竜次がそういった行為を許すはずもないのを、修二は瞬時に理解して自身の欲求を振り払った。
「ご家族皆が良いんやったら、お言葉に甘えさせてもらうわ」
「おう。飯は二人で食いに行こうぜ」
 竜次は携帯を取り出して、画面をすいすいと撫でる。すぐに操作を終えたが、竜次の顔が再び竜次のほうを見ることは無かった。
 いつものように、人好きのする顔を取り繕った修二はその実、内心では小躍りしだしそうなくらいに浮かれていた。
 竜次から泊まりの提案をしてくれて、食事まで誘ってくれた。これが竜次の欲求で、愛情で、甘えなのだと思うと、修二は今すぐにでも隣の彼を抱き締めたくなる。人通りも多くて憚られるが、辛抱出来なくてそっと、肩を組むことだけはさせてもらった。
 竜次は何かを言おうとして口を開けたが、結局何も言わずに閉じる。それがまた、修二の胸中をくすぐった。
「お待たせしました!」
 肩を組んだまま、ただそうしていたら前の店から二人が出てくる。竜次と共に空いた片手で手を振って応答したが、肩に乗せた腕は退けられない。
 可愛くて酷なことをするもんだ、と修二は名残惜しく思いながら竜次を解放した。
「ええ鞄、買えたみたいやな」
「付き合わせた上に待たせてごめんね」
「急に来たのは修二だし。気にしなくていいぜ」
「そうそう☆」
 ナンパをされるのも、竜次が面倒を見てやるのも分かるような気がした。いい子だ、と修二は思うがそれだけだ。
 外に出ると、もうすっかり陽が落ちていた。冬の短い昼間は、気を抜くとあっという間に過ぎてしまう。
「用も済んだし、帰ろうか」
「そうだね。地元でご飯食べよ」
 彼女らはそう言って、竜次と修二を見る。一緒にどうか、と聞きたいのだろう。
「なら俺らも帰るし。駅行こうや」
「最後までごめんね。ありがとう」
「種ヶ島くんも。ありがとうございます」
 高校ともなれば、各々地元も違うだろう。二人と竜次の家は近くは無いらしい。
 四人でまた話をしながら、一層明るい駅へと向かう。同時に改札を通り、その先で二人と別れた。全くの逆方向だったようだ。
 別のホームに二人の姿が見えたが、すぐに電車が来て、遮られてしまった。修二は竜次に続いて電車に乗り込み、発車とほぼ同時に彼女らが居たホームにも電車が停車するのが見えた。最寄り駅から家の距離を知るところではないが、無事に帰宅できることを祈る。
 押し合わない程に混み合った車内で、修二はふと思う。
「手土産もなんも持ってないな……
「誰も気にしねぇし」
「でもなぁ」
「風呂入って寝るだけだろ」
「そうなん?」
 つり革を下げる棒を持った修二は、竜次に向かって口角を上げる。
「そうしろ」
 竜次は視線を逸らした。
 律儀につり革を掴む竜次は、今何を考えているのか。気になったが、ここで話を続けてもお互いに見せたくない顔を晒すことになるだろう。
 修二は機嫌良く閉口して、車窓に流れる景色と反射する自分の姿を眺めた。
「次、降りんぞ」
 竜次に声をかけられて車内の案内表示を見る。タイミングを合わせたように流れ出した車内放送は、修二の知る大曲家の最寄り駅とは違う名前を伝えていた。
「地元に店なんてねぇし」
 そうだったか、と修二は以前訪れた時のことを思い返したが、自然があり、道はきちんと舗装されていて、住宅街のようで。
「確かに、見かけへんかったかも……?」
「そういうこった」
 電車が停まると竜次は先に降りて、修二もそれを追う。
「つっても、どこにでもあるファミレスしかねえが」
「なんでもええよ。竜次が居るなら」
 修二の目的はあくまでも竜次なのだ。竜次と共にいる時間が過ごせるなら、寒空の下コンビニのおにぎりを公園で食べたって構わない。髪の間から赤くした耳を見え隠れさせている彼には、酷な提案かもしれないが。

□□□

「おかえり〜」
 そう言いながらリビングルームから顔を出した弟にただいまと返す。弟は竜次の後ろに修二の姿を見ると、軽く手を振った。
「おじゃましま〜す!」
 修二の元気な挨拶が家内に響く。家族全員が顔を出した。
 久しぶり、だの、ゆっくり過ごしてくれ、だのと修二を構う家族達は、何故だか修二を気に入っている。
 賢くて明るく愛想も良い、さらにこの上なく美丈夫だ。他でもない修二を気に入っている竜次本人が、自身の家族も修二を気に入る理由に疑問持つのは、おかしなことだった。
「部屋にお布団出してもらったからね」
「ん、ありがとよ」
 母の口ぶりから、運んだのは父のようだった。
 弟の相手をする修二から上着を剥ぎ取って、先に部屋へと向かった。
 自室の扉を開けると、電気をつけなくても部屋の端に寝具の塊がいるのが見える。テーブルを避ければ充分な広さを確保できるだろう。
 竜次は自分の上着と、修二の上着をそれぞれハンガーにかけた。
「竜次〜お茶もろたで!」
 声とは裏腹の静かな足取りが階段を登ってくる。それを背中に聞きながら、竜次はホットカーペットの電源を入れた。
「もういいのか?」
「夜に騒いでも迷惑やろ?」
 弟とのじゃれ合いは、そうして打ち切られたらしい。そんなに歳の離れた弟ではないが、実兄とタイプの違う歳上の男相手では柄にもなくはしゃいでしまうようだ。住んだことのない場所の話が聞けるのが楽しいとも、前に言っていた。
 竜次は自室に修二を迎え入れて、扉を閉めた。ひやりとした空気が、少しだけ熱を持った気がする。体温のおかげか、温かいお茶のおかげか。
「先、風呂入れよ。部屋暖めとくし」
 竜次は部屋の端にある小さなヒーターを持ち出して、プラグを挿した。いつもはカーペットだけで事足りるが、ブランケットは一枚しかない。
「服は……なんでもいいか」
 それから、衣装ケースを開けて修二に合うサイズの部屋着を探す。そこまで身長差があるわけでもないが、自分の服を着て見窄らしくなった修二は見たくない。なにより、竜次自身のプライドが傷付く。
 後ろから体重をかけてくる修二を横目に見て、竜次はするりと抜け出した。
「なんだし」
「いやぁ? 人のタンスの中ってあんま見れんよなぁ思て」
「変わんねーだろ大して」
 竜次は手にしていたタオルを修二の胸元に押し付けて、そのまま部屋の扉まで押す。
「とっとと風呂行けし」
「じゃあ、ありがたく頂くわ」
 修二が居なくなった部屋は、やけに静かで耳がキンとする心地だった。ヒーターの風の音がさみしげに鳴っている。
 お風呂いただきます、と修二の声が聞こえた。誰かとすれ違ったのか、わざわざ言いに行ったのか。おそらく後者だろう。機嫌の良さそうな父の声が僅かに聞こえたが、何を言ったのかは分からなかった。
 奥から厚手のトレーナーを引っ張り出して、念の為匂いを嗅いでみれば、柔軟剤か洗剤の香りがして安堵した。これなら修二にも着られるだろう。後は合わせても変にならないズボンを重ねて置いて、先ほど買った下着と歯ブラシの入った袋を手に部屋を出た。
「服、置いとくぜ」
「おおきに〜!」
 ジャバジャバとシャワーの音が響く中に修二の声が混ざる。竜次はなんだか胸のあたりが擽ったくなって、さっさと部屋に戻ることにした。
 バンダナを外して髪を結び、竜次はやっと腰を下ろす。
 読もうと思っていた本に目を向けたが、手は伸びなかった。修二が家にいるのは初めてではない。そのはずなのに、今更緊張をしている事に気が付いた。
 折角来た修二をあのまま帰すには惜しかった。あの場で誘わなければ、修二は今ごろ新幹線の中だっただろう。級友と別れた時にそのまま帰っていたはずだ。
 予定も聞かずに会いに来る修二に悪いところもある、しかしあの男が信頼して甘えてきているのだと思えば無碍には出来ない。きっとそう考える竜次の事も、全て修二は知っているのだろう。
 それでも竜次は、修二が求めるのならいくらでも手を握ってやりたいとすら思う。
 カーペットに暖めてもらいながら、竜次は天井を見た。大切に出来ているのだろうかと、修二の顔を思い浮かべながら考える。けれど、らしくなくてすぐに止めてしまった。
「上がったで。お待たせ竜次」
 言いながら部屋に入ってきた修二の顔が、先程の思考が無駄なことだったと思わせてくれる。
「ちゃんと浸かったか?」
「弟くんが泡の入浴剤くれたわ☆」
「そりゃ、良かったな」
 修二は言いながら両手を伸ばして耳に触れる。じんわりと温かく、しっとりとした手のひらが修二の体温を伝えてきた。
 見繕った服は僅かにサイズが大きいが、ニッカポッカの裾はピッタリだった。足の長さを見せつけられたようで、竜次はそっと目を逸らす。
「なにしてたん?」
「なにもしてねえよ」
 修二は徐に距離を詰めて、額へと触れた。
「おい、風呂まだだし」
「俺って竜次のおでこ、好きやねんで」
「そりゃあ、光栄だな」
 ほんの僅かな時間だけ触れた唇を、修二は見せつけるように舐める。
 身体の奥から熱がこみ上げてくるのを感じて、竜次は咄嗟に修二の手を剥がして扉へと向かった。
「風呂」
「逃げられてもうた」
 楽しげな声を背中に、扉を閉める。
 深呼吸を一度だけして、熱を収めてから風呂へと向かう。
 家族に見られたら困ると思ったが、皆もう寝室へと行ったらしい。リビングの電気は消えている。
 いつも通りに風呂に入って、髪を乾かし終えた頃には既に日付が変わっていた。
 自室の扉の隙間から部屋の明かりが漏れている。先に寝ていていいと伝えておくべきだったと竜次は申し訳なく思い。そうっと扉を開けた。
「修二……?」
 暖かな部屋で、修二は間抜けな顔で眠っていた。テーブルにはこの前買った雑誌が広げてあって、ベッドを背もたれにして目を閉じている。狸寝入りかと思ったが、寝息は聞き慣れたそれだったので寝落ちてしまったのだろう。
 京都からやって来て、歩き回って、疲れていないはずもない。
 竜次は起こそうとした手を逸らして修二の身体を抱くと、そのまま抱え上げてベッドに下ろした。
「んふふ……
「あ゙?」
 修二の体重でマットレスが沈み込む。そのまま手を離そうとしたが、抱き返して来た修二がそれを許さなかった。
「起きてたのか?」
「ん……やさしなぁ……りゅうじ」
 少し離れて過ごしただけで、判断力も鈍ったのかとうんざりしたが、どうやら起きてはいないらしい。
 ふにゃふにゃと言う修二の意識はどこにあるのか。
「おやすみ、修二」
 まさか、誰にでもこうな訳は無いだろうなと不安を芽生えさせつつ、今の修二に問い質したところで意味は無いだろう。
 先程されたのと同じように、竜次は額を隠す前髪を指先で掻き分けて肌を晒したそこに唇を落とした。
 力の抜けた腕の中からようやく脱して、竜次はテーブルにある雑誌を手に取る。それを本棚へ置いてから、二つの湯飲みを小さな盆ごと持ち上げた。
 半分程残った、すっかり冷めてしまった茶を一気に飲み込んでから、しっかり洗う。
 そうして再度戻ってきた自室は、すっかり余計な物の無い状態になった。
 ホットカーペットとヒーターの電源を落としてから寝具の塊を見る。触れるとひんやりとしている気がした。先程の熱を思い出して、竜次は手を離す。
 自身のベッドを見ると、我が物顔で気持ち良さそうに眠っている修二が居る。そこはそんなに居心地が良いのか、毎日寝ている寝具なのに、修二が居るだけで特別なものに見えてしまった。
 だから、折角出してもらった寝具はそのままに、竜次はいつも通りベッドに寝転んだ。
 部屋の明かりを消せば、隣にいる修二の体温と寝息をより鮮明に感じる。
 冷えていく空気から逃げるように、寒いからだと誰にでもない言い訳をしながら、竜次は修二の方へと詰めていく。結局、ただこうしたいだけなのだと言い訳を止めて認めてしまい、温かい身体を抱き締めてから目を閉じた。
 ふわふわの髪からは、嗅ぎ慣れた香りがする。
 いつもよりも早い就寝になったが、ゆっくり眠れるだろうと、そう思いながら身体を沈めた。