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ななき
2025-12-04 18:05:00
5351文字
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吸死
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シンヨコ雪女房譚 ーある婦人の取材音声
94世界の昔話ならこんなこともあるかな、という話。
ドとロは出ますがほんの少しで、またメインではありません。
!注意!
・モブの語りです
・昔話の『雪女房』を下地としています
兄嫁は、きれいな人でした。
私の生家は、雪深い山里の農家です。祖母と両親、兄と私。囲炉裏の周りで肩を寄せ合い夜を過ごす古い、小さな。その雪と年月の重みに辛うじて耐える家に、ある時、一晩泊めてくれないかと突然訪ねてきたものがありました。それが兄嫁です。
雪の降る夜をご存知でしょうか? 冬のはじめ、その年の根雪が積もる夜は、どかりとまとめて降るものです。音を吸って色を消して、雪の降るかすかな気配だけがする。そういう夜でした。
ほとほとと戸を叩く音と、兄が戸を開けた時のことは忘れられません。墨のような夜闇に浮かび上がった、雪と同じくらい真白な美貌と、珍しい淡い色の着物。どこから来たのか、雪靴すら履かず、着物の裾をびっしょりと濡らして、身ひとつでございました。
兄が、立ち尽くしたのも今ならわかります。一目惚れだったのでしょう。兄ですか? 頑固な田舎者でしたが、当時の男衆には珍しいほど優しい人でした。姿も悪くなかったと思いますよ、甘やかされた妹の贔屓目かもしれませんが。
ええ。普通なら、余所者など泊めたりしません。しかし、結ってすらいない黒い髪に二寸も積もった雪を、真っ赤になった手を、両親が哀れんで家に上げたのです。
ユキ、と名乗ったその人は、町で聞いたラジオの声のように訛りのない言葉と、上品な仕草で礼を述べました。
「何か事情があるんだろうが言わなくていい。この雪だ、泊めてはやるが面倒事は勘弁だ。雪がやんだら出ていっておくれ」
家長である父の言葉に、黙って頭を下げる姿まで溜め息が出るほど綺麗だった。
でも結局、姉さんは、
……
はい、姉さんと呼んでおりました。姉さんは、そのまま家に居着きました。
雪は三日も降り続き、出ていけとも言えず、いるならばポツポツと言葉を交わすこともあり、姉さんも宿賃代わりにとまめまめとよく働きました。雪下ろし、炊事に洗濯、繕い物に藁仕事。あれほど白い手と細い体でまあ、よくもこなしたものです。
余所の人が珍しくてまとわりつく私のことも、嫌な顔ひとつせず相手してくれました。兄が私を引き離そうとすると、
「私にも妹がおりました。おたまちゃんといると懐かしいのです」
そう言って、柔らかな腕で抱きしめてくれたものです。
それで、雪の小降りになった四日目には、暇乞いする姉さんを両親が引き止めるまでになっておりました。
理由は色々とございました。姉さんが言葉少なに語った身の上。何か大きな事故で一度に何もかも失い天涯孤独になったこと、行く場所もないこと。それを気の毒に思うと共に、両親が姉さんをすっかり気に入ってしまったこと。気難しやだった私が懐いたこと。そして、僅かな間に兄さんと姉さんが惹かれあっていることを皆が察してしまったこと。
「嫁としてここに残らないか」
両親も兄も、同じことを言って引き止めました。姉さんははにかんで笑うと、またきれいに頭を下げて。ああ、この時ばかりは頬が娘らしい桜色でしたねえ。
「どうぞおたのみもうします」
祖母だけは、じっと姉さんを見ておりました。
「あれは、鬼じゃ」
小さくこぼした声を聞いていたのは私だけで、その時の私は、私と同じく気難しやだった祖母の意地悪だと、そう思ったのでした。
正式な祝言は、村の慣習通り田植えが終わったら、となりました。家の者として働きながら、周りの家にも順繰りと挨拶をさせようと、そういうことでもあったように思います。
雪国の冬は長うございます。そして案外、忙しくもあるものです。母に連れられ、姉さんも集落の集まりや山向こうの家への使いに出るようになりました。そしてそのどこでも美しさに驚かれ、気だての良さで好かれて帰ってまいりました。なんだか私まで誇らしかった。
しかしあの年は楽しく良いことばかりでもありませんでした。集落中で具合を悪くするものが続いたのです。皆、熱などないのにふらふらとし目眩などを起こして倒れるのです。寝込んでも、どんどん具合が悪くなることさえあったそうで。
私の家では、まず祖母が。その次が兄でした。しゃがみ込む兄の背を、姉さんがさするのをよくみました。祖母は、具合が悪くなってからなおさら姉さんを嫌うようになりました。そばに寄ることすら嫌がるので、両親も無理に姉さんに世話をさせないことにしたほどです。
おかしな病でございました。人から人へ感染るような様子もなく、昨日はあの家、今日はそこから一番遠い家、とばらばらと罹って。煎じ薬も、とっておきの熊の肝も効かなかった。ただ、命まで落とすものもおりませんでした。それも不思議な話です。あの頃、冬に病にかかることは三途の川の河原を歩くことでしたのに。
医者ですか? お若い方、貧乏な集落では医者は贅沢品だったのですよ。町から呼んで薬もなんて、とてもとても。
兄嫁は、具合の悪いもののいる家へ手伝いにも行っておりました。傘をつけて、雪靴を履いて。
姉さんは、どこの家でも歓迎されました。不思議といえば、そのことも不思議です。どこから来たともしれぬ娘が病を連れてきたのだと誰かが言い出してもおかしくなかったのに。それとも、私が知らぬだけで心無いことを言われていたのでしょうか。今となっては、知れぬことですが。
その姉さんまで様子がおかしくなり始めたのは、牡丹雪の降るようになった頃。ああそうか、ご存知ありませんね。牡丹雪は、暖かくないと降らないのです。冬の終わりの雪なのですよ。
……
婆の長話ももうじき終わります。もう少しだけご辛抱くださいな、お若い方。
冬の間、分厚い雲で蓋をされる土地でしたが、春に向かえば晴れる日も増えてまいります。姉さんはそういう日に、具合を悪くするようになりました。天気でどこか痛むなんてことは、ままあります。それと同じかと初めは。
しかし、姉さんはお天道様が照っているところへ出ると白い肌を真っ赤にして倒れてしまうのです。糸が切れたように崩れる姿に肝を冷やしたものです。
そんな病は、村の誰も知りませんで。村にわずかにあった薬草も薬らしきものも例の病で使い果たしておりました。できたのは、寝かしておくことだけ。
姉さん自身も申し訳無さそうでした。元気にしているときでも、ふと、ぼんやり
空
くう
を見るようになって。
集落で、例の病は良くもならず悪くもなりすぎずだらだらと続いておりましたが、春が近づくにつれ皆、快方に向かいました。
ええ。姉さんだけが、皆の病を引き受けるようにどんどん悪くなっていった。
……
あの時代、あの田舎では、嫁とは働き手を意味します。体の弱い嫁など、お荷物以外の何者でもない。しかし兄は、遠まわしな離縁の勧めにも頑として頷きませんでした。惚れていたのでしょうねえ。祝言はまだとはいえ、仲むつまじい二人でした。姉さんも、兄が町で買うてきた櫛を小さな袋にいれて首から下げて。大事に大事に、しておりましたよ。
そうして、とうとう田の雪が溶け野良仕事が始まった頃には、姉さんはほとんど家から出られなくなっておりました。日陰や日の落ちた後はなんともないのに、日向にはどうしても出られない。
姉さんが、手だけを日向へ出しているのを見たことがございます。たちまち真っ赤になったそれを引き戻すと、胸元で握りしめて静かに泣いておりました。美しい人というのは涙も真珠のようだと、場違いなことを思い浮かべるほどに悲壮で哀れで美しい光景として覚えております。
それで。はい。
晴れた日。村の女衆が、姉さんを無理に連れ出したのです。陽に当たらぬからなおのこと悪くなる、仕事できずともせめて木の下にでもいて慣らしたらいい、と。
誰も止めなかったのは、なぜだったのでしょうね。姉さんが嫌われたりやっかまれるようになっていたわけでは、無かったように思います。
でも。でも、もしかしたら、みぃんな、どこかでわかっていたのかもしれません。
姉さんは半ば抱えられるようにして連れて行かれ、村の田のはずれで杉の木の下に座らされました。独りきりで。
昼には誰かが様子を見に行ったはずです。だからそこまでは、姉さんは元気とはいかなくとも座ってはおったのでしょう。
しかし中休みに女衆が杉へ行ったときには。そこには誰もいなかったのです。
見覚えのある着物が落ちていて、その上に竈の灰のようなものが積もっていて。その灰の中には首から下げる紐のついた袋と、それに入った櫛が。私はそう、聞いております。
騒ぎにはなりましたよ。
逃げたのだという者、焼けて死んだのだという者、ユキなのだから溶けて消えたのだという者までおりましたね。
探さなかったのか? 探しませんでした。まるでタヌキの化かしから覚めたかのように、みな、姉さんが余所者だと思い出したのです。それで、はい、私の両親でさえそうでした。酷いことですが。
でも、兄だけは。兄も、ひとりで遠くまで探すなど勝手はできませんでしたが、私は知っております。兄は時間をみつけては近くの川や谷底を探していた。町にいけば、若い娘が来なかったかと尋ねて回ってもおりました。
しかしそれも、次の冬までです。
しんしんと冷え込む夜。あの日のように根雪となるだろう雪の積もった夜に、空を見上げて
「帰ってはこんのか」
寂しそうにぽつんとこぼして、それきり兄も姉さんのことを口にしなくなりました。
時々、思うのです。祝言を挙げていれば、何か違っていたのですかね。きちんと、私達の家のものになっていたら。
ああ、お若い方、お優しいのですね。でもこれは昔の話なのです。あなたがそんな顔をする必要はない。
ええ、では、これで終いです。素性の知れぬ娘が、雪とともに現れ雪とともに消えた、それだけの昔話。
……
私はずっとずっと、姉さんのことを誰かに聞いてほしかった。ありがとう。
◇
武骨な手がボイスレコーダーを止める。持ち主である吸血鬼退治人兼作家の青年は、何か言おうと口を開き、躊躇って、黙った。
代わりに、その隣に座る痩せぎすの吸血鬼が口を開いた。
「大切なことを抜いてお話されましたな? 文才がおありだ」
視線のさきでは、白髪の婦人がころころと笑っている。その口元からは牙が覗き、瞳は赤い。
「わかりきったことは伏せたほうがお話として楽しくなくて?」
「それは一理ありますな」
「でしょう?」
顔を見合わせて笑うと、白髪の吸血鬼は柔らかな笑みを退治人へ向けた。
「小説にお使いになるなら書いてくださいな 」
退治人はさすがに顔をあげ、困ったように眉を下げて女吸血鬼をみた。
「『姉さん』が吸血鬼だったことを?」
「『私』が姉さんに吸血鬼にしてもらったことも」
腹を空かせたはぐれ者の女吸血鬼が食餌をさがして、雪に埋もれる農村を訪れる。
催眠でごまかしながら腹を満たして、適当なところで消える。その予定だったのに、離れがたくなってしまった。人間の青年に、恋をしてしまったから。
進退を迷ううち、日光の毒が積み重なり弱っていく。萎えた身体では食事を得られなくなりさらに弱る、の悪循環で最終的には、恋を抱いたまま日に焼かれて死んだ。
それが、昔話の真相。
「姉さんは、吸血鬼被害で人知れず絶えた村の生き残りだったようです。気まぐれか、美しかったからか、姉さんだけは吸血鬼にされた。動物の血で食いつないで、人から逃げて北へ北へ。でも、雪でどうにもならなくなくなって私達の家へきた」
ふむ、と手袋に包まれた手を顎に当て、吸血鬼が問う。
「ではあなたは、どうして吸血鬼に?」
「三途の川とこちらを行き来する子供だったもので。姉さんが鬼だと気づいて無理やり頼みました。どうせなら、生まれ変わりたかった」
「お兄さんにバラすと脅したのを『頼んだ』とは言わないのでは」
返ってきたのは、穏やかな笑み。無言は肯定であろう。
「ご自身は、よくご無事でしたな」
「無鉄砲で薄情で卑怯な子供でしたから。具合の悪くなったフリと、姉さん譲りの弱い催眠でやり過ごして、次の冬に全部捨てて逃げました」
部屋の窓の外には、新横浜の家々とビルの明かりが見えていた。見た目よりも長い時間を生きている白髪の女吸血鬼は、それを見ながら独り言のように続ける。
「姉さんも兄と逃げてしまえば良かったんです。兄は姉さんが吸血鬼でも添うたでしょう。そうして、たとえ一時でも楽しく生きたら良かった。この街で暮らして、いっそう、そう思うようになりました」
「まあ、誰であろうと楽しく生きていることだけは折り紙付きの街ですが」
痩せた吸血鬼は肩をすくめてみせる。
少しだけ笑った女吸血鬼の瞳にふと、深い色が差す。年若い、この場で唯一の人間の青年に向かってしみじみとした声をかけた。
「いい時代になりました。吸血鬼は吸血鬼として暮らしていて、逃げる必要も、飢えと罪悪感の間で苦しむこともない。
……
姉さんの話、きっと素敵に書いてくださいね」
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