2025-12-02 20:21:23
6585文字
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雪解けは案外と近い(オルテンシア+ディアマンド(※ディアリュ♂))

オルテンシアとディアマンドの支援会話があるならお勉強会して欲しい~!の話。

外伝紡ぎし者後
いずれディアリュ♂が成立するソラネルです。神竜様は殆ど出ません。

 まだ幼さの残る指先から生まれた炎は、ほんの手のひらで掴めるほどの大きさを保ち煌々と燃えている。少女のまろい頬をなお紅く染めるそれはうねりながら形を変え、踊るように数秒渦巻いたのちにフッと消えた。

「見事なものだ、オルテンシア王女」

 目の前で見入っていたディアマンドからの手放しの称賛に、とーぜんよ! とオルテンシアは得意気に胸を反らせてみせる。昼も過ぎたカフェテラスの一角、人も疎らになった中に二人は居た。オルテンシアとテーブルを挟み対面に座っているディアマンドの周りには、数冊の魔導書が重ねられ、彼の手元にもまた一冊が開かれている。魔法式と解説が細かく敷き詰められたその書は、彼の祖国ではなくイルシオンで編まれたものだった。
 ソラネルのカフェテラスは、早ければ日の登る前から、遅くは月が天辺を過ぎる頃まで各国の人間が思い思いに過ごしている。そのなかで、ディアマンドが本を読んでいる姿というのは珍しいものではない。オルテンシアもカフェテラスに入ってきた当初は、ディアマンドの姿を認めたもののいつもの光景だと特に構うでもなくカウンターへと向かった。小腹の空いた者の為に常時置かれている果物や焼き菓子を見繕い、さてどこで食べようかしらと辺りを見回したところで、ディアマンドの読んでいる本の頁が目を誘ったのだ。学園で学んでいた頃に何度も読み込んだそれは懐かしく、未だ胸中に染み付く彼の国への怖れもこのときばかりは臥して、オルテンシアの唇は「ねえ」と動いていた。

「やはり実際に見ると違うな。ありがとう、とても参考になる。イルシオンの学生が使用する魔導書と聞いて、少しは読めるだろうと思っていたのだが……恥ずかしいな。一人では歯が立たなかった」
「そりゃあ、イルシオンの叡知の結晶ですもの。……なーんてね! 学生が使うって誰に聞いたのか知らないけど、その本は最高学年の子達が使うものよ。そもそも同じ著者の、より基礎の本を読んでなきゃ難しいと思うわ」
「そうなのか。これは、アイビー王女から借りたものなのだが」

 ディアマンドの口から出た姉の名前に、オルテンシアは驚きと納得が同時にきた。確かにブロディアの王子であるディアマンドがイルシオンの書を入手する方法といったら、それが一番手堅く易いだろう。

「お姉様が、学生の使う本だって?」
「ああ。今手元にあるもので、これが一番分かりやすいだろうと……

 人と人が学び合うことに格段の思い入れのある姉が、ひたすら誠意によってその本を貸し出した様子がありありと思い浮かんで、オルテンシアは内心溜め息を吐いた。アイビーは努力家だ。他国の王子、王女が皆そうであるように、自らの技量や知恵を磨き上げる事を苦としない。けれど自分の非凡な才というものにとんと無関心で、己が突き抜けて魔道に長けている自覚がないのだ。……もう少し自分のことを認めて、あたしみたいに胸を張ったっていいのに。彼女の努力にはそれだけの価値があるのを、彼女ばかりが知らない。

「初めはアイビー王女手ずから指導して貰っていたのだが。しかしどうにも彼女の教えが私には合わなくてな……っと、彼女を謗る言葉に聞こえたならすまない。ひとえに私の力不足が故だ」
……あー、うん、そうね。なんとなく分かるから大丈夫よ」
「はは、やはりオルテンシア王女には分かってしまうか。彼女と私とでは実力が違いすぎる……シトリニカにも、同じような顔をさせたものだ」

 アイビーは、今世の魔術師や歴代の王と比較しても頭ひとつ抜けて魔力が高い。幼い頃から発動を苦とした魔法はないと言われ、その研鑽の殆どを強すぎる魔力の制御に充てていたという逸話もあるほどだ。

「アイビー王女やシトリニカにとって魔法とは、油の中に放り込んだ炎をどう導くのかということだ。対して私は、強風の中で揺れる灯火を保つ術を知らなくてはならない」
 
 武力の国の王子の例えは的を射ているとも、珍しく彼にしては過ぎた自虐とも思えた。そういうのは彼の弟の専売特許だろうに。……つまるところ、生来強い魔力を持つアイビーの指導はディアマンドの目指すところから遥か彼方にあり、彼女もまた揺れる灯火を保つ術を知らないのだ。それでアイビーは、ならばと書物を貸すこととしたのだろう。

「オルテンシア王女は、この書について全て理解しているようだ。流石だな」
「え? ま、まあね。これでも優秀だって評判だったのよ。成績も、同じ学年の子の中で一番を取ったこともあるわ!」

 同じ学年、と言えどオルテンシアは飛び級に飛び級を重ねて周りは二つも三つも年上の学友ばかりだったが、そこまで話してはひけらかし過ぎだろうと言わなかった。王女たるもの慎み深くなくてはならない。それでもディアマンドはオルテンシアに惜しみのない賛辞を贈り、精悍な瞳を細めて柔らかに笑った。

「それは素晴らしい、君の努力の賜物だな。アイビー王女も誇らしいだろう」
……あ、ありがとう……

 実直な言葉はすきっと心地好く、なるほどこういったところが──かの美しい神竜の心を射止めたのかもしれない。
 約束の指輪、なる故神竜王ルミエルからリュールへ継がれた指輪の存在が明らかになってから、ソラネルは静かに浮き足立っていた。苦境に立たされている戦況は変わりないが、久しく聞かなかった慶事の先触れだと皆の表情にはかすかな笑顔があった。神竜に近しい王族やその直下の王城兵のもっぱらの関心は、リュールが誰へ指輪を贈るのか……ではない。あの『ディアマンド王子』へどう神竜様が指輪を渡すだろうか、というもの。

(神竜サマがディアマンド王子を特別好きだって、誰がどう見たってバレバレなのに。どうしてディアマンド王子だけが気付かないのかしら)

 オルテンシアが思い浮かべた疑問は、ディアマンドとリュールを除く神竜軍の総意だった。いつでも真っ直ぐに立ち、凛と前を見据えるリュールの赤蒼の瞳を思慕に照らさせるたった一人。あの光差す慕わしい眼差しを向けられて、どうして気付かないでいられるのだろう……
 
……オルテンシア王女?」

 皿に乗せられた軽食もそのまま思索に耽るオルテンシアに、ディアマンドが「体調が優れないか?」とあさっての心配を問いかける。それに反射でニコ、と綺麗に造られた微笑みで「なんでもないの」と返して、オルテンシアは考えを続けた。そもそもディアマンド王子は、本当に神竜サマの気持ちに気付いていないのかしら?
 ディアマンドは武力の国の王子として、その強さや戦での場慣れした立ち回りが目を惹くが、決してそれ一辺倒の朴念仁というわけではない。先ほどのように率直に人を褒め、他者の心情に寄り添い、解しようとする努力もできる。戦場やソラネルでも、よくよく臣下や従者に頼られている姿が日常だった。リュールに対してもその振る舞いは変わらず、二人が親しく交流していることは神竜軍全員が知るところだ。
 もしかして、知らないふりをしているとか? だとしたらどうして? などとオルテンシアがこんこんと思考している横で、ディアマンドは開かれた頁の魔道式を睨んでいる。どこかで躓いたようで、書き付けの手も止まってしまっていた。 オルテンシアは相変わらず余所事を考えたままに、テーブルに積まれた本の一冊を引き抜いて慣れた手付きで頁を手繰っていく。循環する魔素の散逸量について……。恐らく彼に必要な一文を目の前でぴっと指し示す。ディアマンドはそれに一瞬呆けて、次の瞬間はっとした様子で筆を動かし始めた。オルテンシアの示した文章と手元の魔道式とを忙しなく見比べて、解を求める者特有の貪欲さに顔を輝かせている。なんとも教え甲斐のある生徒だ。

「あっ……許嫁がいるとか……!?」
「どうしたんだ、急に」

 第一王子なれば、その可能性は十分にあってしかるべきだ。本を抱えたまま唐突に声を上げたオルテンシアに、ディアマンドは律儀に筆を止めて顔を上げる。

「ご、ごめんなさい。思わず声が……

 気にしないで、とぱたぱたと手を振ると、ディアマンドは不思議そうにしながらもまた魔道式の解読に戻っていった。それから暫く互いに無言の時間が続き、オルテンシアが皿に取った焼き菓子の最後の一つを食べ終えた頃、ディアマンドも同時に一区切り付いたようだった。開けていた本を閉じると、煮詰まった頭を冷やすようにふうと息を吐いている。

「お疲れサマ」
「ありがとう、オルテンシア王女のおかげで大分理解することが出来た。では、今度は私の番だな」
「え?」
「先ほどからずっと、何か考え込んでいただろう? 私で力になれることがあればと思ったのだが」

 ディアマンドは「無理には聞かないが……」と控えめに続け、長らく放って置かれて冷えた紅茶を飲み干した。ただ素朴にオルテンシアを案じる様子に、いっそ素直に「あなたに許嫁がいるのか気になって」と気楽な体で尋ねようとして……はたと開きかけた口を閉じる。イルシオンの王女からブロディアの王子に問いかける内容として、あまりにも政治的で具合が悪いような気がしたのだ。というか……よくよく考えてみれば、それはあり得ないような気もする。ディアマンドに許嫁がいるとあれば、ブロディアの第二王子や臣下達があそこまで手放しでリュールの応援をしている筈がない。シトリニカとジェーデはよく結託して、ディアマンドの好みそうな装飾の類いを誂えてはリュールに贈っているし、先日はラピスと共にディアマンドの好物料理の練習をしているところを見かけた。スタルークとアンバーはリュールが聞けば聞くだけ、いや、聞かれなくてもディアマンドの情報を横流ししているし。口さがない一般兵の中には、神竜の伴侶となればブロディアの利になるのであれほど必死なのだと言う者もいるが、オルテンシアはそうは思えなかった。それになんといっても──。

「許嫁がどうの、と聞こえたが」
「あう……!」

 あれだけ明瞭に声に出していれば、それは気にもなるだろう。眦を下げるディアマンドを見るに、彼もまたオルテンシアと同種の具合の悪さは抱えているらしい。ここは下手に誤魔化すよりもはっきり聞いてしまった方が得策かもしれない。

……あなたって許嫁とか、いる?」

 くてくてと胸元で指を組みながら問うたオルテンシアに、ディアマンドは「私、か?」と全く予期していなかったというふうに目を瞬かせる。そこに内政に口を出される煩わしさが滲んでいないことに背を押され、こく、と頷けばあっさりと答えが返ってきた。

「いないが」
「そう、なの?」
「ああ……

 …………。沈黙が二人の間を通り過ぎる。この返答がオルテンシアの悩みにどう繋がるのだろうと首を傾げるディアマンドと、聞いたはいいものの次の言葉が無いオルテンシア。カフェテラスの外から、鳥達の涼やかな鳴き声がいやに大きく聞こえた。

……ブロディア王族はあまり許嫁を作るということをしないんだ。時勢によっては無いこともないが、大抵はな」

 オルテンシアの沈黙をどう受け取ったか、ディアマンドの方から話を広げてくれた。しかしディアマンドの口調は重たく、彼が自国の慣習にあまり好意的でないことが受け取れる。

「王も王配も、求められるのは血筋よりも武勲だ。王が適齢となる頃に、周囲からより武勲を立てた者が王配に……

 ディアマンドの言葉が不自然に途切れた。眉根が寄せられ、空になったカップを再び口許へ運んでは、無意味な己の動作に苛立っているようだった。大きな手のひらは閉じられた教書を気散じになぞろうとして、表紙に刻印されたイルシオンの国章に俄に止まった。
 ブロディアで賞される主だった武勲。それが何を示すかなど、言われずとも分かる。オルテンシアの、愛する祖国への──。無遠慮に言葉を続けることも出来ず、さりとて謝罪することも出来ないディアマンドの誠実は、オルテンシアに臆病な安堵をもたらした。在りし日の、優しい父の面差しが脳裏を過る。ブロディアによって傷つけられた学友の瞳が翻る傍で、イルシオンの手で異形と成り果てた父を討つディアマンドの慟哭が反響する。

…………なんていうか、ほーんと実力主義。ちょっと呆れちゃう!」
「オル」
「そんなんじゃ、次は武術大会でお相手を決めるー、なんて言い出しちゃうんじゃない?」

 分別を知らぬ王女の、無邪気な揶揄いにでも聞こえていれば良いと思った。穢れを知らぬ真白の雪のように、ただ笑ってみせるのは得意だった。けれどディアマンドはオルテンシアの笑みに騙されてはくれず、かといって心の内を暴くでもなく、彼もまた行く手のない感情を不器用な笑みに作り替えて微笑んでみせた。

……ありがとう」
「なあに? あたしは思い付いたことを言っただけよ!」
「ふ、そうか」

 ディアマンドの掌が、雪片に触れるように慎重に、しかし確かな意思を持って今度こそ本の表紙を柔く撫でる。それを認めて、オルテンシアは空の皿を手に取ると椅子から降りてヒールを鳴らした。

「あたし、もう行くわね」
「君の話はいいのか?」
「なんだかそんな気分じゃなくなっちゃった。悩み事なんて大袈裟なものでもないもの。……あ、神竜サマ」

 視線の先、牧場の方へ歩いて行くリュールの姿に思わず名前を呼べば、ディアマンドもそちらを振り返る。フランとクランを従え歩く神竜の腕の中には、守り神たるソラではなく黒ぶちのエレオスケンが抱かれていた。確か三日ほど前に保護をした、脱走癖のある困った仔だ。また放牧地から逃げ出していたのを、神竜直々に捕まえられたのだろう。リュールの腕の中でじたじた動いているのを、フランとクランがどうにか宥めようとして、

「「あ」」

 オルテンシアとディアマンドの声が重なった。リュールの腕から飛び出した黒ぶちは、矢のような速さで放牧地とは反対の果樹園の方へ走っていく。その後をリュールが「待ってくださーい!」と追い掛け、さらにその後ろを守り人達が追う。どこからかミスティラの「こういう時は追いかけちゃ駄目だよー!」の声が飛んでいき、騒ぎを聞き付けた幾人かの紋章士もふよふよと集まり出す。青く光る彼ら彼女らは、跳ねる仔犬とリュール達を微笑ましげに眺めては、触れぬ身体で何が出来るでもなしと気楽に応援したりなどしていた。

「ははっ、流石の神竜様でも仔犬には敵わないか」
「ベレトまで楽しそうにしちゃって。あたし達が行っても出来ることもなさそ、う……

 数多の恋愛書曰く。恋する者というのは、眸で分かるものらしい。我らが神竜様がそうであるように。ディアマンドの竜を映す赤銅が今まさに、あの光と同じ色で照らされているように。
 
(そうよ、そうよ、あたし達は知ってるのよ。ディアマンド王子も、神竜サマが特別好きなんだって! 本当に、どうして気付かないのかしら!)

 この二人ときたら同じ想いを向けあっているのに、顔を合わせれば澄ました仮面を被って相手に悟られぬようと必死なのだ。仲間全員が気付いていることに、二人だけが気付いていない。立場あるものとして、揺らめく恋情などに現は抜かせないと毅然と立っている。周りにはバレバレなのに。

…………神竜様は、誰に約束の指輪を渡すおつもりなのだろうな。詮索するものではないと、分かってはいるが」

 …………………………

「ディアマンド王子、この後はまだ時間はある?」
「平気だが……どうした?」
「もうっ、補習よ、補習! ロサードとゴルドマリーを呼んでくるから、待ってなさいよね!」
「なぜその二人が……?」

 ぽかんとしたままのディアマンドを置いて、大切な臣下の名前を呼びながらオルテンシアは駆けてゆく。今こそ学園生活で学んだ数多の恋愛知識を彼に授けるべきだ。

(ブロディアの王子の恋を手助けをしたイルシオンの王女、なんて、いつか教科書に乗っちゃうかもしれないわね)

 まだ遠い未来の夢物語の可能性を追うように、オルテンシアはこつりと靴を高らかに鳴らした。