曖昧な眠りの中で夢見るのはあの荘園、エウリュディケ。いつかまた二人で行こうと言っていたんでしたっけ、けれど叶わなかった。わたしは一人でそこにいますよ。あの思い出の場所で、いつかおまえが来るのを、待っている。
三年前リッパーが死んだ。
しかし、エウリュディケ荘園から手紙が来た。リッパーからの手紙だ。奴はそこでおれを待っている。
そんな筈ない。
けれどおれを待っているんだ、リッパーが。
そんな筈ない。
けれど、けれどリッパーが手紙をおれに寄越したなら。
行かなければ。
エウリュディケ荘園は、奴がと一緒に一度だけ行ったことがある。あれから暫く経ったから、あの場所が今どうなっているのかなんて知りもしなかった。
車を荘園の前で停め、リッパーに会いに行く。
両手が震えている。ハンドルから話した手が、支えを失ったようだ。
再び訪れたこの場所は、霧が立ち込めるひとけのない廃れた場所となっていた。以前は、どうだっただろうか。それにしても、こんな薄暗い場所ではなかった筈だ。
エウリュディケ荘園に近付く。太陽を遮り拡散させてホワイトアウトの視界を作り出す霧、その中を進んで、エウリュディケ荘園へ向かう。霧の出所がエウリュディケであるように思えてならない。
けれど歩みを止める理由にはならない。湿った道路を進んで、廃れてノイズが聞こえる中を進む。
地図を確認しながら濃い霧の荘園内を進む。
霧からは人の姿を残した何かの影が蠢いている。
人影であれば訊ねないわけにはいかない、リッパーのことを。
耳にノイズが走る。
人影はしかし人ではなかった。
霧が視界を妨げる中、怪物が歩みを妨げる。
腕かどこかが不自由なのか、痩身に細く長い手足をふらふらと覚束なく動かしながら、攻撃性だけをはっきりと示して、ぐねぐねとこちらに向かって来る。ムカデのように這いずってさえ来る。落ちていた角材で応戦する。
「ぅらアーッ!」
叩き付ける。怪物は湿った肉が擦れる音を纏わせるばかりで、悲鳴は静かだ。顔がないのかもしれない。
怪物は霧が生み出しているように思えた。その動きは生きているのか死にぞこなっているのか。
エウリュディケ荘園は生死の分かれていない世界なのかもしれない。メメント・モリ、それも良いかもしれない。あるいは、ずっとここにいたまま、そのままなのかもしれない。
湿った道に混じって、赤いものが混じる。もっと何かが見える。霧が浮かぶ中、濡れた足下は鮮明に見えた。
進む中で怪物を屠って行く。それよりもノイズが気になる。不快ではあるのに、その中にリッパーの声が混じっているような気がするのだ。だから聞き入ってしまう。リッパーの声を必至で聞き取ろうとして。
ノイズの響く中建物に入ると、ラジオがある。ラジオはノイズを喚きながら、物語を語っている。その声はリッパーではなかった。落胆する。
死んだ相手を取り戻しに行く物語が確かあったな。そんな話が、世界中に散らばっている。
ラジオは持ち歩ける小型のものだ。取り上げて仕舞う。持って行こう。ラジオは色々な音を流す。またリッパーの声が聞こえるかもしれない。
ノイズの中敵を蹴散らせば、また進む。
しかし荘園内はぼろぼろで、建物の崩れや道の陥没で、通常の道が通れない。思い出の場所を目指すが、まだ入れる建物の中を通ってなら、辿り着けるかもしれない。
まだ崩れていない建物に入る。そこでノイズが鳴る。
そっと奥を覗き込むと、顔の見えない男が怪物を襲っている。軍刀を振り下ろして何体もの怪物を屠っている。
処刑人だ。
怪物に軍刀を叩き付ける姿は自分と重なるが、違う。自分とは別のものだ。
気付かれそうになるので、隠れてやり過ごす。そのまま建物の奥へ進み、反対側に出られないかと出口を探す。
しかし建物内にもノイズが響く。霧が絶たれても、中まで怪物達が入り込んでいるようだった。
進んで行くとまた処刑人が怪物を屠っていた。
今度はこっちに気付いて向かって来る。
軍刀と対面した時、大きなブザーが鳴った。
何処から鳴っているのか分からない、ひょっとしたら建物の外からかもしれないサイレンが響く中、処刑人はそれに反応したように、何処かへ方向を変えた。まるでこちらに興味が一気になくなったように。
暫くするとブザーもおさまった。処刑人が戻って来る様子もなく、他の敵も現れない。奴らが来る前に進んでしまう。
出口を見付け建物から出ると、ノイズもおさまった。そこでは霧も少し薄くなっている気がする。
一先ず通れる道を進んで、暫くノイズもなかった。
道の塀の上に、娘が座っていた。麦藁帽子を被って、足をぶらぶら無邪気に揺らしている。
「……君は?」
「なんなの?」
「いや……。こんなところでどうした?」
「なに?おまえなんかにそんなこと答えてやらないの。リッパーさんのこと邪険にする、おまえなんか!」
「待て、おれが?どういうことだ!?リッパーを知っているのか!?」
「うるさい!おまえはリッパーさんのことが邪魔なんでしょ!?だからリッパーさんだって、おまえのことなんかきっと嫌いなの!ばーか!」
そう言って、彼女は塀の向こうに行ってしまった。
「おい、待て!」
彼女の麦藁帽子が壁の向こうに消え去ってしまう。
こうなっては仕方がない。一方的に暴言を吐かれたが、慣れている。兎に角先に進む。
向かうは約束の地。あいつが思い出の場所と呼ぶところ、公園に向かう。湖が見える、当時観光地として扱われていた地。
その中でも湖が良く見える場所を目指す。
そこに誰かいる。
「リッパー!?」
そんなわけない。
相手がゆっくり振り返る。
「リッパー……?」
良く似ている。
「……違う。」
しかし違う。あいつはもう少し品の良さを求めて、大人しく装う。振る舞いだけでも。
「わたしは、ジャックです。リッパーとは?」
「すまない。おれはナワーブだ。リッパーは、おれが探している相手だ、そのためにエウリュディケ荘園に来た。」
「へえ……。」
「死んだんだ、その筈なんだ……。可笑しいよな。」
間違えた手前後ろめたくて話してしまう。こんな話。
しかし相手は、ジャックは笑わなかった。引いた目で見て来ることもなかった。
「良いんですよ。それで、死んだのはいつのこと?」
「三年前だ。」
「それは、つらいですね……。」
霧を湛えた湖を背に、ジャックはこちらを見詰める。背が高い。本当に良く似ている。
しかし違う。違うんだ。
けれど思い出す度に浮かぶあいつの姿は、本当にジャックに似ているのに、同じくらい絶対に違うと重なることはないと確信出来る。ブレている。視界が二重になったようだ。
「わたしだったらそんなに待てません。」
ジャックはそう続けた。リッパーのようにおれを三年も待てないと言うことか、あるいはおれのようにリッパーのいない時間を過ごせないという意味か。それとも三年、三年も。
「それで……ここにいると思っていたんですか?」
「そうだ。けれど、ここじゃないみたいだな……。」
「いたのはわたしってことですね。」
「いや、君が邪魔だとか、そういうことが言いたいわけじゃないんだ。」
「分かってますよ。」
ジャックは笑った。
「じゃあ。」
ジャックがこちらに近寄って来る。
「わたしが代わりになれますか?」
リッパーの視線を思い出した。
「それは……君はリッパーじゃない。」
「そうですね。」
ジャックから距離を取る。彼はそれが面白くないような顔して、面白そうな顔で見て来る。
「わたしは思い当たる場所があります。」
「リッパーをか!?何処だ!?」
「……良い場所、この荘園の特別な場所ですよ。こっち。」
導くように進んで行くジャックを追う。
ジャックの背が語る。
「死んだ相手に会いに来るだなんて、死んで尚おまえの手の内におさめておきたいだなんて、貴方は我儘ですね。」
「……そんなことは。」
否定したかった。
いや、おれはただ。
「会いたいだけだよ。」
相手はわざわざ鼻を鳴らして嘲笑うような仕草して見せ、先を行った。
道行く先でもノイズが走る。向かって来る敵を屠る。突然現れても、段々息も上がらなくなって来る。
案内に従ってくぐった公園の門を閉じ、外側から持っていた角材を閂にする。
新たな廃材を拾い、先を進む。
怪物を屠りながら進む中、その異形よりもまともな死体も所々に落ちている。人の姿と分かる形がのこっている。
「誰なんでしょう?」
「さあ……おれかもな。」
霧の中を進み、古ぼけた荘園の古ぼけた建物の前でジャックが止まる。
赤い扉に立ったジャックが、振り向いて思わせ振りに見て来る。
その視線を受けながら扉に手を掛ける。
だが開かない。赤い扉は硬く閉ざされている。
するとジャックが近寄って来て、胸元から鍵を取り出しを見せた。扉はあっさりと開いた。
開いた扉の中の闇を進んだジャックの後に続く。
「……ここは?」
そこは酒場だった。大人の遊び場。舞台の上には金属の棒が突き刺さっている。
「ポールダンスに興味がおありで?」
「……ここが特別な場所だって言うのか!?」
「……怒らないでくださいよ。冗談です。少し休みたかったんです。」
思わず声を荒げたこちらを、ジャックは笑った。
ジャックはソファに腰掛けた。良く見ると確かに疲労が見られる。息をつく様子に、自分の焦りを落ち着かせる。
苛立ちを覚えるような、庇護欲のようなものを逆に感じるような、奇妙な感覚だ。
「……大丈夫か?」
「大丈夫です。」
そうは言いながらも、軽く咳き込んだ。少し休もう。
暫くしてから、酒場を出た。そしてまたジャックの案内に従う。道中の怪物を退けながら。
すると辿り着いたのは、植物園のような場所だった。石像に絡み付く植物は人の手を離れ、自由にしているのが、何処か悍ましい。
「ここか?リッパーは?何処だ?」
「……言ったでしょう、思い当たる場所ってだけです。」
「ここじゃない、ここじゃないんだ……。」
つい落胆を露わにした。
確かに草花のある、観光地には良さそうな場所だ。しかしここにリッパーと一緒に来た記憶はない。
「……もう行く。」
「そう?」
ジャックはまたここで休みたがっていたが、今度は具合が悪そうには見えない。このまま行くことにする。彼も着いて来るつもりのようだ。
「置いて行くつもりだったんですか?」
おどけたように言うジャックを伴って、先に進む。リッパーに会いたい。
何処かで物音がした。
リッパーだろうか。
そんな都合の良い話はない。
分かってる。
けれど行く宛がない以上、行くしかない。リッパーに会いたいならば。
向かって行くと、あの娘が建物に入って行くのが見えた。
「待て!」
「待ってください、叩いたりしませんから!」
娘を追って二人中に入る。
建物は、廃れた荘園に相応しく、中もぼろぼろだった。
「見てください。」
ジャックに指を差されてそちらを見ると、壁には娘が描いたかのような落書きが所々あった。
そのすみに一緒に書かれていた名前は。
「リサ。」
「早く見付けてあげないといけませんね。」
「ああ、そうだな。そうだ。」
部屋を一つ一つ確認して行く、落書きはあっても、描いた本人であろう娘はいない。
そこでジャックがよろめいた。
「どうした。」
「ああ、いいえ……少し、気分が……。ごめんなさい……。」
「そうか、分かった。ここで休んでいろ。」
部屋のソファにジャックを寝かせる。こういう力の抜けている成人男性一人を、こちらの力を消費せずに寝かせることには慣れている。
「リッパーが見付からなかったら、どうするんです……?」
「……考えてない。」
「……そう。」
ジャックを一先ずその場に残し、探索を続ける。
建物の中を進み、階段を登り、その中の一室で麦藁帽子の娘を見付けた。
「リサ。」
「……どうして名前を?」
「壁に描いた絵と一緒に書いていただろ?」
「あ!そうだっけ。」
「リッパーのこと知ってるんだろ、教えてくれ。」
「教えなかったら叩くの?」
「そんなことはしない。」
「……ふーん。……リッパーさんは病院で一緒だったの。去年お友達になったの。」
「……は?リッパーは三年前死んだんだぞ!?」
リサは驚いた顔をして、部屋を飛び出した。
しまった。リサを追う。
リサは一つの大きな扉の前で止まった。
「……ここに入ってほしいの。」
「……ここへ?」
「うん。」
驚かせた後ろめたさから、あまり拒絶的な気になれない。大人しく娘に促されて中へ入ると、突然その後ろで扉を閉じられた。
しかしノイズが走って部屋の中からは何かの蠢きを感じる。
「おいリサ!?」
「ふふっ!引っ掛かったの!ばーか!」
「リサ!」
閉ざされた扉を隔てた向こう側で、娘が走り去る足音が聞こえる。
部屋からは出られない。
戦うしかない。
ノイズの響き渡る中で怪物を相手にする。
閉ざされた部屋の中、やっとのことで敵を倒す。
しかしその振動でか床に穴が空き、おれは落ちた。
落ちた先で起き上がり、先へ進む道を探す。
どれ程落ちたのか分からない。しかし地上階ではなさそうだった。地下かもしれない。
兎に角今は上を目指したい。そうやって彷徨っていた。
「ああ、ナワーブ!」
声に振り向く。リッパー、いや、ジャックだ。
「どうして助けに来てくれなかったんですか!?」
ジャックにつのられる。弁解はしない。どうせ意味がない。
「そばにいてください。」
今度はジャックにしがみつかれた。
「……ここを出よう。」
ジャックの肩をそっと押し返す。
「リサはどうしたんです?」
「ああ……見付けた、だがまた行ってしまったんだ。」
「そう……ならまた見付けなければいけませんね。」
兎に角ジャックと合流し、先を進む。
リサはまた何処かへ行ってしまった。リッパーのことは教えてくれずに。
ならもうここを出たほうが良いかもしれない。
二人進んでいると、建物の中にもかかわらず、雨が降っていた。
「ありえない……。」
暗くて天井は分からない。
「良いじゃありませんか、ロマンティックで。」
ジャックは軽く言って見せた。
「冗談ですよ。」
笑っていた。
そうして進んでいると、開けた場所に来た。いつの間にか雨はやんでいた。
ノイズが走る。
しかしそこには顔の見えない男がいた。
軍刀を持っている。
こちらに襲い掛かって来る処刑人だ。
「走れ!」
二人で逃げる。
昇降機の扉の手前。勝手に閉まるそれを挟んで、ジャックと隔てられた。二人で必死に閉まる扉に抗う。
しかしジャックが通る幅の扉の隙間を確保出来ない。
あの男が迫る。
男の軍刀がジャックを斬った。
ジャックが目を見開いたまま固まった。
こちらに伸ばしていたジャックの手を掴み取る前にそれは扉の向こうに消え、扉が遂に閉じ、昇降機が動き出す。
その中でおれは、目を見開いたまま崩れ落ちた。
昇降機が止まった場所で降りると、近くの壁が崩れて、その先へ行くことが出来た。
その近くの壁も同様に崩れ、中に入る。
その建物は医療器具やカルテが散らかっていた。
ノイズが聞こえるが、自分が持っているラジオからではない。
近くにテープレコーダーがあった。患者との遣り取りの記録か、施術する時の記録か。
再生する。
「……ジジッ……さんには、手を施しているわ……勿論他の患者にも!……さんだけに多くの医療費を掛けているわけではないわ!」
女医の声のようだ。
それを聞いて、ついかっとなる。
「黙れ!あんたこそ!あいつと親密になって入院日数を増やそうと、病を助長しているんじゃないのか!?」
「そんな!ジジッあの症状は本当に深刻なものなのよ!それに……さんは帰りたがってる!……貴方がどう思っているかは分からないけれど」
「そんなことはない!」
「それなのに……!……三年……ジジッ」
「違う!」
思わずレコーダーを叩き潰した。
「……絶対に。」
レコーダーはもう何も言わない。
その場を立ち去る。
先の部屋では大きな穴が空いていた。
覗き込んでも底は見えない。
飛び降りる。
飛び降りた先には、壁に様々荘園の場所の風景が飾られていた。古いものもある。
とある時代の荘園の場所では、処刑が行われていたらしい。この地は断罪の場所。罪の場。
床に穴が空いている。
飛び降りる。
今度は監獄のような施設だった。しかし囚人向けの教会のような場所があった。懺悔室があり、その窓に向かう椅子には、足下にトラバサミがある。
教会施設を抜け、檻が並ぶ通路を進むと、ノイズが走る。
檻やら通路の先から怪物が現れ向かって来る。それらを叩き潰して進む。
なんだかこの辺りになって、怪物達が著しく悲鳴を上げ始めた。ノイズの音が薄れて聞こえる程に。
そうして静かになった先の、何処か隔離されたかのような檻の中に、誰かいる。
「リッパー!?」
違う。
「いや、ジャック……おまえ、生きていたのか!?」
「何が?」
「おまえ、あの時軍刀でやられていただろう!?」
「何を言うの?何かの記憶違い?……ふふ、おまえは昔からそうですよね。あの時、エウリュディケ荘園に泊まった時だって。居館の部屋にビデオテープを忘れた時。確かに持ったっと、おまえ、そう言ったのに、帰ったらなかったんですから。」
ジャックはそう言って笑う。ちょっと待ってくれ。
「どうしてそれを!?それを知っているのは……リッパーがそれを言うならまだしも……!」
ジャックは笑うのをやめ、肩を竦めた。
「わたしはリッパーではありません。おまえがそう望んだのでしょう?」
「おまえはおれがつくり出したって言うのか!?おまえは……ここにいるのに!?」
「自分がつくり出した時点で、自分から外れた存在ですよ。」
「……そうか。」
ジャックは静かだった。
「どうして檻の中でそんなに平然としていられるんだ」
「檻?ここが?出られるのに?」
「は?」
ジャックは檻の扉を開けて、ゆったりと出て来た。いつでも出られる状況で、自らここにいたとでも言うのか。おれはそれを呆然と見ていた。
「わたしはわたしで良いじゃありませんか。こうして生きている。」
「それは……おまえがジャックだから。」
「人間、死ぬのは一度だけ。そう何度も死にません。」
「そうか。」
そうだな。もう、先に進もう。
もう、ジャックが着いて来ているかどうかも、いちいち確認することはなかった。
通路を行く。道なき道も、行く。
「貴方は何故これがギミック装置だと分かるのです、こんなものが、操作出来るものだと?」
「動いたんだから良いだろう。」
動かせるものは動かすだろう。進む道があれば進むように。
「水辺が怖いですか?」
「息が出来なくて死ぬからな。」
「人は元々羊水から産まれて来るんですよ?」
「……臍の緒はもう切られている。」
吊るされた籠を落とすため、紐状に繋げたシーツに火を点ける。
「何故わざわざ燃やすんですか?」
「は?」
「火がなくともそれを断ち切る手段は幾らでもあるでしょう。何故わざわざライターの部品を各所で探し集めてまで、燃やすという作業が必要なんですか?」
「……良いじゃないか、これで切れるんだから。」
籠は落ち、床に穴が空いた。
「今落ちて行ったかたは、女だったのでしょうか、それとも男だったのでしょうか?」
「さあな。」
「あれは赤子?」
「……知るか。」
穴に飛び込む。
落ちた先を進んで行くとノイズが走る。
しかし現れる怪物達は、何処か弱った様子だった。揺れた体が、何処か弱々しい。
こちらが何もしていなくとも、勝手に倒れることもあった。赤子よりも頼りない。充分な図体をしているのに、こちらが世話を強いられるかのような。
だがそんな中、その後ろからは、あの軍刀を持った男が来ていた。
向こうは相変わらず頑強だ。
逃げる。
しかし背後の男を見ると、男が追い掛けて進む道が同じことで、こちらの目の前に道が切り開かれて行く。こいつは何処にでも行けるのかもしれない。そして今ならこちらも行ける皮肉。
開いて道となったところにどんどん飛び込んで行く。そうしていずれ男が追って来なくなった。
そして少し開けた場所に出た。
そこには軍刀が落ちていた。
それを拾い上げる。
奴がそうだったように、それを持っていると道が出来た。
そこを進んで辿り着いたのは、墓場だった。
そこにある数ある墓の中に、自分の名が、自分の墓があった。
穴が空いている。墓穴は空洞だ。誰も埋められていない、まだ。
「ハァー……っ、ハァー……っ。」
勝手に息が上がる。止められない。
「ふっ……!」
飛び込んだ。
「リッパー……!」
落ちた先で、また冷静さを取り戻す。
道中の怪物を屠りながら進むと、目の前に扉が現れた。そこを開いて進む。
扉の先は外だった。明るい。いつの間にかエウリュディケ荘園に来て一夜を明かしてしまったようだ。
薄明かりの霧のエウリュディケ荘園を進む。
湖のほとりに来た。桟橋に小舟が停められている。
小舟に乗って、湖の中心に向かう。そこには小島があって、おれたちがこの荘園で泊まった居館がある。
舟を島の桟橋に停めて、陸に上がる。
相変わらず生き物の気配のない荘園に一つ風が吹いて、霧が薄められる。そこへ流れて来た一枚の紙を拾う。紙は地図で、居館の間取り図だった。
その中のある部屋に、メモ書きが。
「待っている。」
待っているんだ、リッパーが。
二人で泊まった居館の部屋を目指す。そこには、おれが忘れたビデオテープもあるはずだ。
花の咲く庭園とそこに設置された噴水を通り過ぎる。
「三年経つが、まったく変わってないな……。」
居館の扉の横には。
「おかえり。」
あの頃もあったのかどうなのか、流石にここまで記憶はない。
居館に入る。
居館の壁に、またリサが絵を描いていた。
「リサ。」
「あ。ナワーブ!」
娘に近寄る。
「逃げなくて良いのか?それとも、奥の部屋にまた閉じ込める?ばかナワーブには当然の仕打ちか?」
癇癪はいつも浴びて来た、子供のものでなくとも。
「うーん……もう、良いや、今はね。ナワーブはばかだけど、でも、まあまあ優しいの。」
「そうか……。」
娘は気が済んだようにはにかんだ。
「ナワーブ、リッパーさんは見付かったの?どこ?教えて?」
「まだだ。」
「ふーん……。」
娘は少し考える様子でこちらを見詰めていた。
「手紙に書いてたのに……。」
「手紙?本当にリッパーが!?」
ここにいるのか。
「見たい?」
娘は上目にこちらを見て、そして手紙を差し出した。
「リディアには言わないでね。」
「リディア?」
「病院の先生。ロッカーから内緒で持って来たから。」
手紙には、リッパーがリサと仲が良い友人だったこと、リッパーがリサを気遣っていたこと、それからおれのことが書いてあった。可愛いリサ、わたしは帰れることになりました、しかし貴女はナワーブのことを避けるけれど、あのひとは不器用なだけで、わたしの代わりに頼って良いんです、わたしだったら貴女を養子にすることも考えたのですが、兎に角、八歳の誕生日おめでとう。
手紙をリサに返す。手紙の書き方がおれに届いたものと違う気がするが、それよりも気になることがある。
「リサ、今幾つだ?」
「んーと、八歳。先週にそうなったの。」
「え?」
目の前が遠くなる心地だった。
「リッパーは三年前に死んでなかった……?」
なら、三年前におれが失ったリッパーはなんだったんだ。
しかしもう一通リサに差し出されたことで、そちらに視線が行く。
「こっちはナワーブの分。」
「おれ?」
「本当は、開けちゃおうかと思った。ナワーブに渡したくなくて……。でも、リッパーさんはナワーブに呼んでほしいと思ったから、読まなかった。」
今度は娘がおれ宛だと言う手紙を受け取る。
「……何もないぞ!?」
開封したが、中身はからだった。
「そんな筈ないの!……何処かに落としちゃったの?探して来るの!」
「リサ!待て!」
娘は行ってしまった。
こちらも動くことにする。リサを探しつつ、この居館では探したいものが幾つかある。
先ずリッパーが待っている筈の部屋に向かう。
「ナワーブ!ナワーブ……!」
中からリッパーの声が聞こえる。
しかし部屋の前は何故かそこだけ鉄の格子門が置かれ、厳重に鍵が掛かっていた。どうしても突破出来ない。
仕方がないので一度引く。
部屋は他にも閉まっている所も幾つかあり、開いている部屋に入ってからベランダの柵を越えて隣の部屋に移動する。
基本は同じ筈なのに、部屋の様相は様々だ。部屋には赤い飛沫がべったり着いていて、そばにはブラッドレッドのカラー表記の赤いペンキ缶が転がっている。
「なんです、わたしのやったことではありませんよ。」
いつの間にかそばにいたジャックが言う。もう驚かないし、一々反応もしない。
缶のそばに転がっている、赤くなった電球を拾う。
その部屋のベランダから見える、温室の硝子屋根の上に乗っている鍵を、缶を投げて硝子を割り、落とす。
部屋を出て鍵を取りに行く。
温室から鍵を取って戻り、別の部屋を開ける。その部屋の鏡の上に赤い電球を取り付け、電気を付ける。すると浮かび上がる文字を暗号に、金庫を開ける。中に、また別の鍵があるから持って行く。
居館の地下には従業員専用の施設があり、居館の管理にかんする部屋がある筈だ。鍵を使って従業員扉を開ける。
扉の先には地下へ続く昇降機があり、乗り込む。
しかし重量オーバーのブザーが鳴るので、一旦降りる。
近くの棚に武器に使っていた廃材や持ち物を残して行く。
「置いて行くんですか?」
いや、手紙は持って行こう。
手紙を持ったままでも、昇降機は文句を言わずに今度は作動した。
従業員用施設には専用に設けられたスペースがあった。
「宿泊客の忘れ物入れ。」
その中に、おれが忘れたビデオテープが置かれていた。
テープには鍵が括り付けられていた。リッパーと一緒に泊まった部屋の鍵だ。
昇降機を上がって戻ると、荷物を回収する。
リッパーが待つ部屋に向かう。
居館は入った時より荒れているように思えた。
部屋に着いた。リッパーはいるだろうか。
扉を開ける。あの時泊まった部屋そのものだ。
リッパーは、いなかった。
誰もいない。記憶通りの、部屋に置かれた一人用のソファとその前のテレビがある。
テレビの下にはビデオデッキがあり、テープを差し込み、再生する。
「ふふ、なんです、また録って。」
リッパーだ。
「良い場所ですね、エウリュディケ荘園……もう少し、いたかった気がします。だから……また来ましょうか。」
再生された映像は、この部屋でおれがリッパーを録った映像だ。
「もう、良い加減録るのやめてくださいってば……」
ノイズが走る。
「ゴホッゲホッゲホッ」
苦しげに激しく咳き込みながらくずおれるリッパー。そして乱れた映像の合間に、ベッドにぐったりと横たわるリッパーに、刃を突き刺す自分の背が映る。
リッパーには暴れて抵抗する力もない。ただいつもよりかは苦しげな呻きが鈍く聞こえるだけ。おれより背が高くて、乱雑で横暴な性格の筈なのに。あいつはもう気力も健康もすっかり失せてしまっていたのだ。
酷くなる咳はあいつをどんどん弱らせ、遂には咳一つするのも億劫そうにするようになった。背の高い肢体はただの痩せ細った影になり、その体を不規則に震わせ何を考えているのか分からなくなって行った。落ち窪んだ目は光を失い翳りを帯びて尚たまに怪しく光る。頬は痩け、元々そんなに食べるほうでもなかった食欲は完全に失せたようにも見え、食べるのが好きなおれにとってはあいつがそうなってることすら苦しかった。おれ自身も食べる気が失せた。好きだった飲み物へ受け付けなくなり、水を飲むのも一苦労だ。一人で起き上がれなくなると、何にも興味を持てないかのようだった。描いていた絵も、もう出来ない、話題にも出さない。ただ病と残りの命に対する苛立ちを、自分自身に、そしておれにぶつける。あいつは叫んだ、罵倒をがなった。そしてその声を震わせて、今度はここにいてと言うんだ。その喉が、顔が、体が、病と薬に蝕まれて行く。立って歩こうとしても覚束ない、獣の歩みにも劣る。そして歪におれの名を呼ぶ。それを抱き締めることも出来ない、苦しめるから。
ビデオが終わった。
テレビはノイズを走らせたままだ。
「ナワーブ!ここにいたの!」
部屋にリサが入って来た。
「リッパーさんは見付かったの?」
「……リッパーは……リッパーはいない。もう死んだんだ。」
「うそ……病気が悪化しちゃったの……?」
「おれが殺した……。」
「えっ!?……そんな、手紙があるのに!なんで!?ナワーブのばか!ひとごろし!ばかばかばか!ナワーブのばか!なんで!?」
リサはおれを叩いた。何度も。
「リッパーさんはナワーブを待っていたのに!なんで?リッパーさんのこと嫌いだったの!?邪魔だったの!?」
「……すまない。」
リサは走り去ってしまった。もう追うつもりもない。
ただその場に座ったままでいた。
そのまま何年も経った気がした。おれの中で思い出として大切にしていたものへの興味が完全に失われ、ただの事実となったようだった。そのように色褪せ、衰え、朽ち果てた。
そのような光景が今目の前に広がっている。あの美しい思い出の光景が光を失くして、廃れた廃墟の姿が。ここがエウリュディケ荘園だ。罪の処刑場。
ラジオがノイズを鳴らす。
「何処にいるんです、ナワーブ。もう直ぐ、もう直ぐです。待っていますよ。」
立ち上がった。漸く部屋を出る。
ぼろぼろの居館を進む。床が弱くなっている廊下にカートを運んで来て、床板を抜く。
飛び込んだ。
廃墟の中、テープレコーダーがあった。再生する。
「……ジジっ……リッパーさんは……治らないわ……リッパーさんのこれ迄の……苦しみに……意味があったのかは……私にも、分からないわ……。それは……この先を……生きる……貴方が決めることよ……ジジジッ。」
止まったテープを後に、先を進む。
現れた怪物達はしかしこちらが何かする前に、こちらに辿り着く前に倒れ伏して行く。一度倒れたら自力で立ち上がることも出来ず、病人のようだ。這いつくばって、怯えているようにも見える。こちらを見て、近付くと、後退る。怪物のくせに。この怪物は。
暗い道を進んで行く。暗い暗い、けれど開けた場所に出た。
そこには処刑人がいた。
ベッドに縛り付けられたようなジャックと共に。
「ナワーブ!……ゴホッゴホッ!」
「……もうやめてくれ!もう苦しめないでくれ!」
しかし処刑人は軍刀をジャックに向ける。
振り下ろす。
その背だけが見える。
「うあああああああっ!」
その場で膝を突く。
処刑人は今度は、軍刀を持ってこっちを待ち構えている。
だが。
「もう、要らない。」
おれには処刑人が必要だった。だけど、もう良い。もう要らない。
「分かっている。もう。自分で決着をつける。終わりにする。」
そう決めると、処刑人は自分自身に軍刀を突き刺し、そこで動きを止めた。
処刑人を置いて、その場を去る。
歩みを止めない。その間にリッパーがおれに言う。花を持って来たんですか、要りませんよ、そんなもので病が治ると、そんなわけないじゃないですか、指先に力だって入らない、こんなに苦しいなら、見て、ただの骨みたい、もはや鋭い刃のよう、肌の色も斑らで、怪物みたい、おまえもわたしのことが恐ろしいんでしょう、憎いんでしょう、髪も抜け落ち、わたしのほうが花びらを散らしているよう、何を勝手に哀れんだ目で見ているんですか、おまえがどんなに優しく触れたところでわたしにとっては凶器になる、出て行きないさい、早く、ああ嫌です、嘘、ここにいて、ナワーブ。これはノイズじゃない。本当の、リッパーの声だ。記憶通りのリッパーの声だった。おまえって本当に不器用ですね。
進む先、上へ伸びる階段に差し掛かった。一本道のか細い階段を、ひたすら登って行く。
高い場所、エウリュディケ荘園が見下ろせるくらい。明るい場所。外が見えるそばに置かれたベッド。
そこにいた。
「リッパー!」
「ナワーブ……!」
駆け寄って抱き締める。
「リッパー、会いたかった……!」
会いたかったんだ、本当に。
そして見詰める。
「ナワーブ、ずっと一緒にいましょうね。」
そして離れる。
「違う。」
「ナワーブ?」
「……分かってるんだ。」
「そんな、行かないで、ナワーブ!」
「おれはもう分かってるんだ、だから、もうやめなければならない、こんなこと。終わりにしなければならない。」
「どうして!わたしだったら、こうして触れてあげられるんですよ?何をしてほしいんです?さあ、なんでも言ってご覧なさい?」
ジャックの大きな手に頬を包まれる。
温もりを感じる。冷たかった、冷たくなったリッパーの手とは違う。
「おまえがわたしに、好きに触れることも出来る。好きにして良いんですよ?わたしはおまえのためにここにいるんですよ!おまえのしたいことが出来る、わたしとだったら!何も出来ないリッパーとは違って!」
「……それでも。」
それでも。
「おまえは違う。リッパーじゃない。……すまない。」
徐々に距離を取るこちらを、ジャックが見て来る。リッパーの好んだ服装のジャックが。鋭い目付きで。
「駄目です。」
そしてジャックは落胆したように俯いた。
顔を上げたジャックはぎょろりと剥けた目がそのまま落ち窪み、体がベッドフレームに拘束され、フレームが手足のように床を引っ掻き、こちらに襲って来た。応戦する。
リッパーは、こんなに、本当に怪物だっただろうか。
叩き潰したジャックは、倒れて動かなくなった。
寝台が棺のようだ。
「ナワーブ……。」
刃を振り下ろす。
気付いたら、弱ってベッドに横たわるリッパーのそばにいた。
気丈で病を知らない姿のジャックではない。不健康に痩せた姿の、おれが最期に見た姿のリッパーだった。
「あら、ナワーブ……会いたかった。」
「ああ、おれもだ……!何よりも……!」
リッパーはおれの必死な様子が可笑しかったのか、弱々しくも少し笑った。
「ずっと……ずっと待ってました……ゴホッゴホッ……医者があの日行った……もう帰っても良いと言う通達……わたしは嬉しかったけれど……帰った先のおまえは嫌がるかもしれないと思った……最期の時間だったけれど……どうせおまえの望んだ時間にはならない。」
おれはリッパーを一心に見詰めた。リッパーもこちらを見ていた、目を動かすことも出来ないだけかもしれないけれど、おれを、見ていた。
リッパー。
「……どうして……わたしを殺したんですか……?」
リッパーの痩せた手を両手握った。
「リッパー!……おれは……おれはおまえを、いなくなれば良いと思った、邪魔だと思った、憎んだんだ!おれは……!」
リッパーを見ていられなかった。それでも見ていた。
リッパーもおれを見ていた。
「……それなら、おまえ……どうしてそんなに泣きべそかいているんですか。」
リッパーが震える手で、痩せ細った手で、手紙を差し出して来る。
「仕方ありませんね……。」
戸惑いながらも、リッパーの体にそれ以上負担が掛からないように、早めに受け取る。
「これは……?」
リッパーは穏やかだった。
「……おまえは、このために来たんでしょう。このエウリュディケ荘園に。」
手紙には、リッパーがおれに出す筈だった、リサが開けなかった筈の内容があった。三年前にリッパーを失ったと思っていた自分が受け取った筈の、エウリュディケ荘園で一人で待っているというリッパーからの手紙の、本物だった。
曖昧な眠りの中で夢見るのはあの荘園、エウリュディケ。いつかまた二人で行こうと言っていたんでしたっけ、けれど叶わなかった。わたしは一人でそこにいますよ。あの思い出の場所で、いつかおまえが来るのを、待っている。けれどおまえは来ませんね。わたしがそう言ったのかもしれません、そうだったかも。わたしに会いに来る度に苦しそうなおまえには、もう憎まれているのかもしれません。わたしがそう言ったのかも。ならばそれはわたしの罪なのでしょう。おまえは病に罹る前のわたしを覚えているでしょうか。取り止めはなくなってしまいましたが、わたしが死んだらこの手紙がおまえに届くように頼んでおきます。けれどここで記しておくのも良いと思ったのです。ナワーブ、わたしはおまえとの日々が、悪くありませんでした。
長い三年間だった。
その割に、この街に帰って来て過ごした時間も、随分長く感じた。車に置いて来た、死んだリッパーに会うまでの時間が。
本当は、車を棺にして湖に飛び込むつもりだった。硬く鋭いベッドフレームなんかじゃなくて、おれと。
きっとジャックの言葉に甘えて選んでも、ふらつく体でリッパーを思い出したに違いなかった。
おれはリッパーに何も言わずにあいつを殺してしまった。なのに殺したあとのあいつにも会いたくて、恋しくて。話したかったんだ。また二人で行こうと言った、この場所で。
廃墟となった霧の荘園には、それでも怪物なんかいやしない。
「ばかナワーブ!」
居館の外では麦藁帽子の娘が怪物の、いや、リッパーの絵を描いていた。
あいつは去年既に、随分病気が進行していた。
「リサ……手紙、見付けたよ。」
彼女は仕方ないという顔で、そして満足げに頷いた。
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