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織音
2025-11-30 22:57:19
5585文字
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chaleur.
『冷えた指先を握って、ひとりで凍える貴方へ』
寒がる指揮官を温めるリーというお題で書かせて頂きました。フォロワー様への献上品です。
遅くなりましたが、なんとか形になりました。
ふわりと舞う白銀がひとつ、視界の端を掠めた。
それは絶え間なく降る雨に似て、溶けて消えてしまうよりも早く地の色を覆い隠す。雨とはまた違う冷たさを伴い降り続く雪は、色褪せた廃墟はたった数時間で白く染め上げていた。しかしこの白銀の世界も数時間後には溶け、またいつもの色褪せた廃墟の光景に戻るのだろう。春が始まりを告げるまで溶けぬ氷となり、凍てついた白に廃墟を沈める日はまだ遠い。
そんな薄く積もった白銀の中を構造体はまだ新しい足跡を辿り、歩いていた。
この付近一帯は数時間前の任務で異合生物の掃討が完了したエリアだったためか、機体のセンサーが捉えられる範囲に敵性反応はなくパニシング濃度も低く正常値。赤潮の範囲拡大も見られない。急激に赤潮が範囲を拡大するなんてことがない限り安全と言っても過言ではないだろう。とはいえ、警戒することに越したことはないが。
行き先に見当はついている。改良型位置特定装置は持っているだろうから、きっと用事とやらが終わればそれで僕を『呼ぶ』か自分で帰ってくるかするだろうが、やはり指揮官一人で戦場だった場所を歩くと言うのは、いくつかの不安要素が拭いきれない、と言うのが正直なところだった。「リーニキは過保護だな!」と悪意のかけらもない笑顔を浮かべる構造体の言葉も今回ばかりは否定できない。
「
…………
」
不意に、世界から構造体の足音が消えた。通り過ぎかけた戦場の一端、視界の端に捉えた灰のロングコートは地を覆う白を舞い上げるように吹いた風に揺れている。一面の白銀の中で良く目立つ、そう静かに思った。
「指揮官」
そう呼んだ人物はコートの肩に薄く積もった雪も気にすることなく茫然と立っているようにも、呼ばれたことにも気付かずただ何かを祈っているようにも見えた。
「指揮官?」
二度目の呼びかけにも返事はないが、特筆して傷付くことでもない。この人は集中してしまうと中々声が届かなくなる。例を挙げるなら、仕事に没頭している時がそうだ。慣れたように距離を詰めても、こちらに気がつく気配は無い。
「指揮官」
「っ、わ」
とん、と軽く肩を叩いて呼びかければ、指揮官は体を震わせて驚いたように振り返った。かさ、と軽い金属のような物が擦れる音がして雪の上に鈍色が落ちる。それに気を取られ、目の前の人間がバランスを崩す前に腕を掴んで支えた。
「
……
いつから?」
「ついさっきですよ。何度呼んでも気付かないようだったので」
「う、ごめん
……
」
「こんな場所で何を?何か落とし物でもしましたか」
指揮官の腕から手を離し、雪の上に落ちた鈍色を拾い上げる。戦場で拾ったにしては錆も塵も付いていない金属の薄いプレート。しかし綺麗な印象とは反対に、先ほどまで戦火に晒されていたような不自然な傷が目を引いた。そしてすぐに納得する。
「認識票、ですか」
「うん
……
今日の任務報告は聞いた?」
「ええ。任務報告は提出済みです。当該エリア任務での負傷者は二十六名
……
犠牲者が三名」
認識票を受け取る指揮官の瞼がわかりやすく蝶の羽のように震えて、睫毛が瞳に影を落とす。
「
……
守れなかった」
ぽつりと呟くように言葉が落ちる。か細く紡がれたそれは後悔というよりも、犯した罪の許しを乞うような響きを伴っていた。
「貴方が気に病むことではありません」
「でもこの任務で総指揮を執ったのは僕だ」
「
…………
ええ、そうですね」
まただ。貴方だけのせいではない、そう伝えるための言葉はこうやって言葉ひとつで容易に跳ね除けられてしまう。今回も責任だのなんだの言って一人で抱えるつもりかと不機嫌を隠さずにいれば、指揮官は突然笑い出した。
「何がおかしいんですか」
「いや、何もおかしくない。言いたいことがあるなら言って良いんだよ、リー」
「
……
いつになれば貴方が誰かの負傷や死亡という責任を、『貴方の指揮』ではなく『その任務に就いた全員のもの』として分けてくれるようになるのか考えていただけです」
「流石に全部自分の責任だって抱えるほど、独り善がりじゃないよ」
「どうでしょうね」
指揮官に自覚はあるのだろうか。誰にでも手を差し伸べて共に何かを背負おうとする癖に、自分のことになると差し伸べられた手を取ることを躊躇うような、時に酷く独り善がりな一面を持っていることを。不機嫌をそのままに目を細めていれば、指揮官は困ったように眉を下げて笑った。
ただ少し寄りかかってほしいだけなのだが、この人にとってそれはとても難しいことなのだろう。指揮官という人間を良く知っているリーにとって、この人が無条件に寄りかかる場所になることの難しさを良く理解していた。しかし理解はしていようと、限界に近いほど擦り切れなければ頼られる場所になれないという悔しさを否定するものにはならないが。
ため息をひとつついて、表情から不機嫌を消すように努める。指揮官は小言が飛んでくることを恐れているのか、こちらの表情を覗き見るように縮こまっている。
「リー?怒ってる?」
「いえ、考え事をしていただけです。ところで
……
どうして認識票を集めていたのかお伺いしても?」
「ああ、空中庭園に帰してあげようと思ってさ」
「帰す?」
意図を図りかねて首を傾げれば、指揮官は頷いて先ほどと同じように目を伏せる。
「
……
遺体が完璧な状態で残るとは限らないでしょ、僕たちみたいな戦場にいるひとは」
そう言い放つ指揮官の声色には悲しみともつかない何かが滲んでいた。既存の感情の名前で呼ぶには上手く形容できないくらい透明で、悟るとも違う血の滲んだ何か。単に事実を述べるとは違う冷たさが静かに言葉の中で揺らいでいた。
「どこかが欠けた遺体はもう何千回も見てきた。こんな最前線の戦場に生きていれば当然かもしれないけどさ
……
下手すれば遺体さえ残らない可能性だって容易に考えられる」
地球奪還のために戦場で命を散らすことが軍人としての名誉だとしても、必死に未来に明かりを灯すために歩いてきた人たちが、生きてきた最期の姿が凄惨に散る肉塊に終わる。
「それって、すごく寂しいんじゃないかなって思うんだよ。
……
傲慢かもしれないけど」
「その欠けた部分の代わりに、認識票を?」
そう問えば指揮官はまさか、と力無く首を横に振った。
「代わりになるなんて思ってないよ。たとえ体のパーツに互換性はあっても、彼らという存在に互換性なんてないだろう?それに、空中庭園に遺体は持ち帰れないから」
指揮官は自らの手の中にある三枚の認識票へ視線を落とした。それはどれも、今回の任務で命を落とした構造体と指揮官のものだった。まだ任務経験が浅く一瞬の判断ミスで命を落とした。異常事態発生直後に救援を送ったが、間に合わなかった。
「名前はその人が生きた証だから、どうしても、空中庭園に持って帰りたかった」
数時間前に初めて顔を合わせたような相手でしかないはずなのに、指揮官はまるで長年の友人に向けるような優しさでそっと指の腹で汚れを払うように認識票を撫で、何処か悲しげに笑う。
「それにさ、認識票って遺されたひとたちが縋れるものでもあるから」
確かに、疾うに声を聴く機会も、触れる機会すら失った存在に縋る方法など指折り数えられる程しかない。その中のひとつとして挙げられる物が遺品だ。持ち主が死したとしても遺り続けるものだから。
だからこそ、指揮官は認識票をひとつひとつ拾い集めていたのだろうか。置いて逝かれた誰かが縋れるように、生きていた証たるものを一つでも世界に留めるために。
「
……
これはただの自己満足なんだ。僕自身はこの人たちのことは確かによく知らないし、偶然同じ戦場に立っただけの存在だけど、この人に置いて逝かれた誰かがいるのかもしれない。だから、その置いて逝かれた誰かの手元に帰るようにって思って」
自己満足、確かに自己満足の域を出ないだろう。僕たちにはできないのだ。同じ作戦に参加していたとしても、失われた名前を全て拾い集めることなど。
それでも彼は、彼の手の届く範囲だけでも失われたものを拾い上げて祈ることを選んだ。たとえ失われたものが脆い血肉で構成された有機物であろうと、骨格を模したフレームや血を模した循環液で構成された無機物であろうと。同じように祈り、同じように弔う。それが無意味な祈りであろうと、そこで失われたものが『命』である限り。
――
ああ、やはりこの人は変わらない。
「指揮官」
「小言なら戻ってから聞くよ。心配かけたね」
「いえ、小言というわけではなく」
僕は指揮官との距離を一歩だけ詰めた。この人はきっと、これからもひとりででも誰かの死に向き合っていくだろう。拾い上げ、弔い、次の戦場に向かうことをやめることなどしないだろう。
「次からは僕も同行します。戦闘後の敵性反応のないエリアだからとはいえ、もう少し警戒するべきでは?」
「そんなに心配しなくても自衛くらいはできるよ?」
「そんなことは百も承知ですよ。その上で同行するとお伝えしているつもりですが」
「え」
指揮官はまっすぐな言葉に、ただ固まることしか出来なくなったようだった。瞳にどうしてとわかりやすい感情を浮かべて。
「貴方は良くも悪くも強い
……
心身ともに。ですから、一人で抱えてしまった方が楽なことも知っています」
そして、それを一人でどうにかできてしまうことも、一人でできてしまうからこそ吐き出せないことも。
だからこそ指揮官を守るために同行する、それを理由にしてでも、ひとり心を擦り減らしながら死に向き合っていく貴方をどうにか支えたかった。
「ですから
――
僕に少しだけ預けてくれませんか」
かつて、貴方がそうしてくれたように。
独り善がり、かつてそう称されたのは貴方ではなく他でもない僕自身だった。仕方ないことだったといえば仕方ないことだったが、時間をかけて指揮官が「一人ではない」と伝え続けてくれたおかげで、僕は誰かを信頼して預け、共に背負えることを知った。だから次は僕の番、なんて大層な理由ではないが、ただでさえ多くを抱える指揮官が羽を休めるような場所くらいになれればと願わずにはいられないのだ。
全てじゃなくていい。ほんの少し肩の荷を下ろすように、忘れかけた呼吸の仕方をもう一度思い出せるように。言葉にしないままの願いを伝えるように、いつもの手袋に覆われていない指先に機械の指先が触れる。肌を指すような冷たさの中で、人間である彼の手は当然のように震えていた。
「やっぱり、震えているじゃないですか。戻ったら温かいものを淹れましょう」
収まる気配のない小さな震えからして、きっと相当寒かったのだろうと思う。赤く染まった指先を温めるために触れたはずが、外気温に曝され続けた機械の手では冷たかったようだ。指揮官はほんの僅かに眉を寄せると、そんな冷たさを受け入れるように緩やかに口角を持ち上げた。
「
……
こんな寒さの中じゃ、君の手も冷たいね」
「早く手袋を着けてください、このままでは体に障りますよ」
「うん
……
わかった」
「用事が終わったなら戻りましょう。まずは体を温めなければ」
ほら、と差し出した手を掴む手の温度は手袋に阻まれて触れることは叶わない、が重ね合わせた手のひらからは小刻みな震えが伝わってくる。
「少し歩きますが
……
耐えられそうですか?」
「多分
……
もう少し防寒対策してくるべきだったな、震えが止まらなくて」
このまま外気温に曝され続けては、指揮官が凍傷や低体温症を起こしてしまう可能性がある
……
既に軽度の凍傷を起こしていてもおかしくないが、幸い拠点までの距離は遠くない。道中さえ凌げればいいが、せめて末端だけでも温めたい。
「指揮官、少し機体温度を上げます。ルシアの機体ほどの温度は難しいですが、ひとまず冷えた手を温めるには十分でしょう」
「
……
ありがとう」
その言葉と共に一層強く握られた手を眺めながら、いつもは重ねた手のひらから温度を分け与えるのは貴方だったのに、なんて思う。生きた温度が冷たい雪の表面を融かすように、機械と人肌という物質的な隔たりを少しだけ溶かして温かさをくれる。それが僕は好きだった。だからこそ普段と反対に熱を分け与える、ということは不思議な感覚がした。
「
……
少し、不思議な感じがするね」
「やはり指揮官もそう思いますか」
「うん。不思議で、新鮮な感じがする。冷たい君の手に僕の温度が移っていくのが好きだったから」
「
……
そうですか」
「でも、君の手から温度をもらうのも悪くないね」
冷たかったはずの手のひらへ、熱が移っていく。冷たさをじわりと溶かして、柔らかな温もりに触れた指揮官の手から強張りのようなものが消えていく、そんな感覚がした。
「ねぇ、リー」
「はい」
「僕は不器用だから、自分のことは上手く君に伝えられなくて
……
きっと君を心配させることがたくさんあると思う」
「今更でしょう。それに、お互い様です」
「そうだね。だからもし、ひとりに耐えられなくなったらまた君の温度に頼ってもいいかな」
人間に良く似た、機械仕掛けの温度。それに寄りかかり、縋ることを許してほしいという、他者から見ればあまりにも当たり前でささやかな願い。しかし誰かに寄りかかり、弱さを晒す場所すらないまま、温もりに縋ることすら忘れた心が擦り切れるよりも先に、この繋いだ手のように温めることができるのなら。
僕は返事を言葉にしないまま、自分の内側で生まれる熱を分け与えるように指先を絡める。それが返事だと気が付いた指揮官は寒さで赤らんだ頬を緩めるように、人間らしい熱の通った笑みを溢した。
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