いを
2025-11-30 17:35:17
1814文字
Public 刀神
 

白鯨と荒雲

水隠

 あなたは嗅覚や、聴覚がするどい。なのでそういったものを見てみなさい。常人とはちがう捉え方ができるでしょうから。宗匠せんせいは、そういった。僕は僕の目のことをちいとも、なんとも思っていないことを知っていての言葉だった。僕は僕をかわいそうだとは思わない。なぜなら、分からないから。もとから分からないものを、そしてこれからもずっと分からないであろうものを、分かろうとするものではない。ある意味での傍観を、もとから得ていた。人間にとって必要なあきらめもこの世にはあるのだ。そうやって、自分の気持ちを守っているのかもしれない。色というものを知らずとも文字は読めるし、困ったことといえば火加減が分からないことくらいか。そのため料理はうまくできたためしがない。生食できる野菜などは、時折宗匠からもらう。遠いところに住む家族のいいつけどおり、火は使わない。僕が今ひとりで住んでいる家は間借りしているところなので、火事をおこしたりすれば周りも大迷惑だ。僕ひとりが責任をとるだけですめばよいのだけれども、そうはいかない。僕は天照の刀遣いで、そう、刀を使うものであり神の遣いなのだから、文字通り、そっちにも飛び火する。負いきれるわけがない。命を持って償うなど、最近は流行らない。流行、流行。はやり。だれかがきめて、それをいいねと思うひとたちがつくりあげた、偶像アイドル。アイドルといえば、僕がすきな音楽はあるけど、ちかごろ有線で聞かない。音楽のサブスクリプションに入っているので、もっぱらそちらで聴いている。有線、昔はリクエストなどできたものだけれど。いまは、どうなのだろう。
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 宗匠がいった言葉を思い出しても、僕にしか捉えられないものが一体何なのか、分からない。なまのにんじんをかじりながら、空を見上げる。上には、雲と酸素と光と水のかけらが、ちらちらと輝いているはずなのだ。僕には見えないうつくしい世界がそこにある。きっと。
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 耳につっこんでいたイヤホンをケースにいれて休憩室からひとり、退出する。窓のむこうに夕景が横たわっていた。繊細なグラデーションなどは分からないが、そこにある景色はうつくしいのだと知っている。概念としての夕景。僕にはそれだけでよい。なにもそれ以上のものを望んだりはしない。これから、符をつくるために缶詰だ。宗匠がずっと前にいっていた。終わるまで部屋から出ないことを、缶詰というのだと。煉魔の大事件のときに、僕は現場に出たりはできなかったけれど、宗匠は生きて帰ってきた。現場に缶詰だったのだろう。ずっと符を書いていたといっていた。生気が枯渇して、危うい状態だったみたいだけれど。そうもいっていられない状況だったことくらい、僕にも分かる。
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 よく緊張感に欠けるねと言われる。僕もそう思いますとそのたびに頷いた。固定バディも組まず、現場にも滅多に出ず、天照本部にこもって符や式神をつくっている。せっかく妖刀をあつかうための才能があるのだから、もったいないと言われることもあるけど肆段の、ごくごくふつうの一般的な力しかない男が現場にでても、足手まといだということを自覚している。だからといって刀遣いとしての使命をまっとうしないわけではない。行けと言われれば行くし、そうでなければ符や式神をつくって裏方に徹する。僕はそんな、確固たる意思で刀遣いになったわけではないし、宗匠みたいな立派な霊力を持っているわけでもない。だからきっとあのとき殴られたのだろう。ぼんやりとしていて、あいまいで、水のようにかたちのないものしか持っていないから。
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 でもね宗匠だって、あなただって似たようなものですよ。あなた人間なんだから、人間に生まれたのなら、人間としての責務を手放しちゃいけない。あなたはどこに逃げたって、人間なんですよ。人間にしかなれないんです。
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 それも分からない、なんてかわいそうな宗匠!
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 ――なんてね。
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 でも僕、きちんと尊敬していたんですよ。いえ今もしています。どれだけ狂ってしまっていても、僕は、宗匠の弟子ですからね。しまつもきっちりつけます。
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「傾く夕日の空から、淋しい風が吹き渡ると、落葉が、美しい美しい涙のようにふり注ぐ。僕はこの歌が好きで。僕から見ると風は色づいているし、夕日もとってもきれいだし、落葉も……。そういえば、涙には色があるんでしょうか?」
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