chisen0501
2025-11-29 17:55:57
7118文字
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帝王とプリンス

大学野球if桐智。モブ野球部員から見た二人。

 桐島秋斗はすごい投手だ。
 俺の一学年先輩で、名門大学野球部の絶対的エースだ。多彩な変化球に驚異の制球力、キレのある速球が武器だ。自分で配球を考えることが出来る切れ者でもある。
 だけど彼には困った点がひとつあった。俺たち後輩連中を気分でいじり倒すのである。
 野球留学生として上京した桐島さんは、こっちに来て六年も経つというのに、今でもガチの関西弁です。ノリもまさにザ・関西である。俺たちは入学してからずっとその洗礼に耐えて来た。まあ、いじめとかパワハラとか、その手の陰湿な暴力ではないので、しょうがないっちゃしょうがない、と割り切っている。とはいえ、俺はいじられるのが昔から苦手だった。面白い返しが全然出来ないのだ。お笑い芸人とか、センスと回転の速いやつらを心から尊敬する。
 俺の所属する大学野球部はレギュラーやベンチ入りの選手は全員寮に入る。俺は都内に実家があるから大学まで通うことは問題ないんだけど、それが野球部の方針なので仕方がない。寮生は二十四時間一緒に生活するので、寮住まいの先輩にいじられる頻度も上がるが、レギュラー選手の宿命として堪えた。
 で、桐島さんの話に戻る。
 桐島さんが野球留学したのは私立氷河高校、野球の名門校である。聞くところによれば、その氷河で帝王と呼ばれていたらしい。見た目は優男風のイケメンだが、絶対的エースの実力とオーラで野球部員の上に君臨していたそうだ。それは、ここ、俺の所属する大学野球部でも同じだった。


「タカハシクン♡」
  噂をすれば何とやらで、件の桐島さんがこちらに視線を向け、軽い調子で俺の名前を呼ぶ。
 それだけでじわりと額に汗が滲んだ。正直、大ピンチだった。もうダメだ、と早々に諦めモードになる。目をつけられたら最後、桐島さんが飽きるまで、おもちゃにされ、いじられる運命だ。周囲を見回すと、後輩は誰もいない。誰かがいたら巻き込んで、少しでも負担を減らそうと画策したがダメだった。
 寮の自習室は閑散としていた。秋季リーグも終り、みんなホッと一息ついている時期だった。
 クソ、ついてない。俺は空気を読むのも、気配を察するのも苦手だった。桐島さんはこちらを見て三日月のように目を細めて笑う。V字に口角が吊り上がった口元は鮫に似ている。獲物を見つけて水面に背びれを立て、こちらに泳いで来る。
「元気?調子どう?」
 隣に腰を下ろし、ポンポン、と俺の背中を軽く叩く。
「あ、はい。おかげさまで、問題ないっス」
「元気そうで良かったわ。そしたら、何かオモロいことして?」
 来た……
 来てしまった。恐れていたものが。
 そんなすぐに面白いことが言えるなら芸人目指してるよ!とはさすがに先輩に言えず、最初から言葉に詰まる。俺たち後輩は桐島さん対策で何がしかネタを準備しているが、今は持ちネタがゼロだった。悲しい。油断していた。桐島さんは期待に満ちた顔で俺を見ている。帝王を楽しませなければならない。
「そんなの関係ね……
  咄嗟にネットで見た芸人のモノマネを披露する。
………………
  桐島さんの反応は微妙だった。口角は上がったままだが、目が笑っていない。クソ、相手が小学生ならこのネタで何とかなったのに。顔からドッと汗が噴き出て、心拍数が上がる。滑った芸人の気持ちを実感した。これはガチで辛い。今までに桐島さんにいじられたことは何度もあるが、たまたま一緒にいた同期の奴らが上手く調子を合わせてくれて、なんとか乗り切っていた。あの時はありがとう、みんな。でも今は一人、絶望的に受けないピン芸人だった。
「ふふっ」
 俺の隣で控えめな笑い声が上がる。
 絶望の淵に立たされていた俺は、その声で一瞬にして救われた。
 俺の救世主は要だった。俺を挟んで桐島さんの反対側に座っている。いつの間にそこにいたんだ……。俺が緊張しているのがわかって助けに来てくれたのだろうか。そんな、男前すぎるだろ……。桐島さんは要に気がつくと、お、という顔をした。俺は体が大きいので、ちょうど桐島さんからは影になって要が見えなかったのだろう。


 要圭は俺の同学年で大学野球部の正捕手だ。他の投手の球を受ける事もあるが、桐島さんとバッテリーを組んでいる。要は中学時代、名門シニアで怪物バッテリーと呼ばれていた。組んでいた相手は今やプロ野球選手として飛ぶ鳥を落とす勢いの清峰葉流火だ。豪速球だけでなくキレのある変化球も制球力もある野球サイボーグ清峰に対し、要は智将と呼ばれていた。
 俺はシニア時代に怪物バッテリーと対戦していた。結果、完膚なきまでにボコボコにされた。要たちの宝谷シニアほどの名門ではないが、俺の所属するシニアも伝統があり、そこそこ強いチームのはずだった。
 それが、お前ではないと突きつけられた。捕手で四番を張っていた俺は清峰の球が打てず、チームは敗退した。清峰の球が凄いのはもちろんだが、要の配球も見事という他なかった。自分では絶対に勝てない、届かない領域があるのだと叩きつけられるのはとても苦しい。それで野球を辞める奴もいる。
 俺は野球を辞めなかった。心を折られそうになりながらも、意地汚く野球にしがみついた。まだやれると、自分の可能性に賭けていた。能天気な性格ゆえかもしれない。
 その後、運よく都内有数の野球名門校に推薦で入学した。
 ただ、捕手は諦めた。宝谷に負けた後、プレイするたびに要の姿が脳裏にチラついた。配球もフィールディングも何もかも、どんなに頑張ってもあれには手が届かないと思った。高校では希望がかなって一塁手にコンバートされ、二年生の時にレギュラーになったが、甲子園には手が届かなかった。
俺の高校は大学附属の私立なので、そのまま大学に進学した。多くの高校球児が高校までで野球を辞めてしまう中、大学野球部に入った。我ながら諦めが悪いと思う。
  そこで要圭に再会した。要は名門私立ではなく都立高校に進学し、そこから甲子園を狙った男だった。かつての怪物バッテリーの片割れは大学野球でも相変わらず凄い捕手だった。 
  シニア時代の要はホームランを打っても喜ばない男だった。笑顔すら見せずに淡々とホームベースを踏んでベンチに戻る。チームメイトの反応も応援も冷淡で、宝谷は正直、あまり空気が良いとは言えなかった。
 名門シニアってこんなもんなのかと思った。俺のチームは先輩も後輩も仲が良く、和気藹々とやっていたから、余計に要のチームは冷たいと感じた。
 そんなクールな要は大学ではまったくと言っていいほどイメージが違った。ホームランを打てば喜び、みんなの輪の中で笑顔を見せる。
(こんなやつだったんだ)
 人は歳とともに変わるものだ。シニア時代の中学生要圭は怪物バッテリーの名前の通り、ヴィランみたいなクールな選手だったが、大学生二年生になった今、物腰が柔らかく、同期や後輩に慕われる男になっていた。


「はは。あ、ごめん、タカハシ……ふふっ」
「え?いや」
 要は意外とよく笑う男だった。それも、俺のこんな超くだらないギャグで笑ってくれるのである。要が女の子だったら惚れていたかもしれない。むしろ付き合いたい。彼女にしたい要件その一、俺のくだらないジョークに笑ってくれる女の子。正直、かなり難しい条件かもしれない。
「タカハシクン、またな。新しいネタ仕入れておいてな」
「はい!」
「今度のはオモロいやつで頼むわ。キミのオジリナルな」
 ポン、と俺の肩を叩き、一言釘を刺して、帝王は去った。
 普通ならこんなにあっさりと解放されない。つならないネタを披露しようものなら桐島帝王に尻の毛を抜かれるまで絡み、いじり倒される。こんなことは奇跡だった。
「よかった」
 あまりにもホッとしたので、つい口に出してしまった。
「何が?」
 隣に座っている要が首を傾げ、俺の独り言に反応する。
「あ、いや。桐島さんがさ、こんなにあっさり解放してくれるの、奇跡じゃん?」
「そうなのか?」
「そうだろ?要は今までそういうの、なかったのかよ?っていうか今まで桐島さんに絡まれたことってある?」
 俺はふと気がついた。記憶にある限り、要が桐島さんに絡まれているのを見たことがない。
 要は一瞬考えを巡らし、ないな、と結論を出した。
「だよな。見たことないもんな」
「そうだな」
「何でだろ?」
 本当に何でだろう。後輩は例外なく帝王鮫の襲撃に遭っているというのに。
「バッテリーだから?バッテリー特典かもな?」
 思いついたように要が言う。何だよ、それ。めちゃくちゃ羨ましい。俺も捕手を続けてれば良かった。こいつがいる限り、正捕手にはなれないけど。
「ハハッ、知らねえけど」
 要は爽やかに白い歯を見せて笑うと、またな、と席を立った。


 要圭はイケメンだ。
 バッテリーを組む桐島さんもまたイケメンであり、顔のいいバッテリーとして女子の人気が高い。
 持てる者はすべてを持っている。野球の才能も、頭の良さも、顔とスタイルの良さまで。俺が桐島さんとバッテリーを組んでいたら美女と野獣ならぬ、帝王と野獣だったろう。俺は体が大きく体型もスマートではなくもっさりとしている。さらにヒゲが濃いので野球部の連中からはクマとかクマゴローと呼ばれている。俺のことを仇名で呼ばないのは桐島さんと要の二人だけだった。
 桐島さんが帝王なら、要はプリンスと呼ばれていた。スマートで礼儀正しく爽やかな笑顔のイケメン。まさに球界のプリンスだ。
 帝王とプリンスバッテリーは見た目の良さに反して実は性格が悪いことでも有名だった。見た目がきれいな性悪バッテリーと言ったところか。相手の意表をついて空振り三振を奪ったり、バットの芯を外してボテゴロで封殺したり。力で押すこともあるが騙し討ちにする。戦略もあれば、打席で打者に声をかけ、気持ちを揺さぶることもある。まあ、基本バッテリーと打者の対決はそんなものなので、むしろ性格が悪い、は誉め言葉と言ってもいい。この二人は容姿がクールなので美形悪役のかっこよさがある。桐島さんはサラサラした髪に切れ長の目をしたクール系イケメン、要は顔立ちが童顔で甘めなんだけど雰囲気がクールなタイプで、それぞれ個性が違う二人のバッテリー、という要素も人気の理由の一つだ。アイドルとかで個性が違う二人のユニットが人気があったりする。あれと同じなんだろう。
 悪役要素がある二人だが、実際には優しいので、そのギャップがまたファンを夢中にさせていた。
 そんなイケメンバッテリーの二人のある出来事を、俺は目撃することになる。


 年の瀬も迫り、野球部も冬休みに入った。寮にいる部員はみんな帰省するので、いつもは男共で賑やかな建物もがらんとして人の気配がなかった。俺は地元ということもあり、新幹線の予約などの旅支度も不要でのんびりしすぎたせいで、荷造りをするのが後々になり、すっかり出遅れてしまった。
管理人さんを除くと、寮にいるのは俺が最後かもしれない。俺は怖がりな質なので、人がいない暗い建物が苦手だった。焦る気持ちを抑え、コートを着てリュックを背負い、階段を降りる。途中の踊り場で話し声が聞こえた気がして、立ち止まった。声は廊下のすぐ横の部屋から聞こえた。野球部寮は二人部屋である。声のする部屋の表札を見ると、桐島さんと要の部屋だった。ドアが少しだけ開いている。あの二人、まだ帰省してなかったのか。俺より遅い部員がいると知ってなんだかホッとした。その時だった。

「言い訳はいらないです。事実かどうかだけ知りたいです」
「せやから誤解やって言うとるやろ?」
「俺はそんなに器用じゃないので、さすがに無理です」
「俺はキミに本気やって、さっきから何度も言うとる」

 桐島さんと要は二人とも知略家タイプで、理論で野球をする。たまには考え方の違いがあったりして、議論している姿を見かけたことがある。桐島さんは相手が後輩でもちゃんと話を聞いてくれる人だった。要は割とはっきりものを言う方で、組んでいる相手が桐島さんで良かったな、と思ったことがある。要のことを生意気と思っている先輩はいると思うが、なんせ帝王桐島さんの捕手なので文句は言えない。
 今のは何か、そういうのとは明らかに空気が違った。野球に対する見解の相違とか、そういったものではなくて、痴話喧嘩というか、付き合ってる二人の修羅場みたいな。いや、まさか。どういうこと?

「フタマタされるとか、勘弁してください」
「フタマタやないって。キミ、思い込み激しいんとちゃう?」

 要の方がかなりヒートアップしてる。桐島さんがそれをなだめているようだ。フタマタ?フタマタって聞こえたよな?
 俺は誰かと付き合ったことがないから絶対とは言い切れないが、これはどう見ても付き合ってる関係の修羅場だ。桐島さんが要と付き合ってる?その上で別の誰かとも付き合っていて天秤にかけてるってこと?
 あっ、とその時に気が付いた。桐島さんが要だけいじりの対象にしない理由。嫌われたくないんじゃないか?しつこい男はどうしたって嫌われる。モテない俺ですらわかる。野球部の先輩だからという理由で、後輩の立場としては甘んじて受けなければいけないいじりも、恋愛だったら関係ない。まさか、あの帝王がプリンスに忖度している。俺には衝撃だった。

「なあ、要クン、待ってや」
「しつこいって言ってるだろ?」

 あの、帝王桐島秋斗に対して後輩がタメ口!しかもめちゃくちゃ強気!声が絶対零度の冷たさ。要、いくら何でも生意気すぎるだろ?
 ありえない。野球部の先輩後輩としてはあってはならない。俺たち野球部員は先輩に対する服従をいやというほど叩き込まれている。今の二人は先輩後輩としての立場じゃないんだ。俺は雷に打たれたように廊下の曲がり角に立ち尽くした。


 貴重な冬休みが終り、野球部寮に部員たちが戻って来た。正月休みでなまった体を元の状態に戻すため、長くしんどいルーティンをこなし、夕飯を終えた頃には瞼がくっつきそうだった。そんな俺を待っていた男がいた。
「タカハシクーン♡」
 帝王の甘さを含んだ声に飛び上がりそうになった。俺は冬休み前の一件をすっかり忘れていた。家に帰る道々は、あの出来事は一体、と衝撃が尾を引いていたが、実家に帰って地元の友達に会ったり家族と出かけたりしているうちに完全に遠い過去の出来事になっていた。
「元気?実家で美味い物、ようさん食べたん?」
「はい、おかげさまで」
「そうか。なまった身体、しっかり元に戻さないとアカンな」
「はい」
「余計なことは全部忘れて、な」
「あ、はい」
「なあ、俺が言いたいこと、わかるやろ?」
 一段低い声で囁き、ポンポン、と優しく背中を叩かれた。笑っているが目が怖い。俺があの場にいたことを、この人は気づいていたのだとその言葉でわかった。
「ウッス……
「頑張りや。お笑いネタもな」
 優しく肩を叩かれて、俺は解放された。額にも背中にも汗をかいていた。ヤクザならぬ帝王の恫喝、半端ない。今にも目を閉じそうなほどの眠気が完全に吹っ飛んだ。
「タカハシ」
 呼ばれて振り返る。振り返らなくても俺の呼び方と声で誰かわかった。要だった。いつものイケメン笑顔を見せて俺に近づいた。
「調子、どうだ?」
「おう、まあまあ。要は?」
「俺も」
 一瞬の間が開く。要が何を言いに来たのか、今度も直感で気づいた。桐島さんと同じだ。
「春のリーグ戦目指してじっくり鍛えないとな。余計なことは忘れて」
「お、おう」
 この二人、何で俺がいるって知ってたんだろう。イケメンバッテリー、怖すぎる。いや、顔の良い性悪バッテリーだ。本当に似た者同士だ、この二人。
 じゃな、と要はさらっと俺を解放した。


 俺はトボトボと重い脚を引きずって自室に戻ろうとした。
 その途中で管理人室の前を通り、あることに気が付いた。寮には誰が残っているか、管理人室に名札がかかっている。あの日、俺のものが残っていたのだ。わかってみれば大したことではないが、さすが知略家バッテリーだ。ぬかりなくエラーをカバーする。敵に回したくない二人だった。
ふと階段の上を見ると、桐島さんと要が連れ立って二人部屋に戻るところだった。桐島さんの手が、さりげなく要の肩に回されている。今までなら単なる親しみの現れとしか感じなかったその仕草が、まったく違うものに見える。今、桐島さんはどんな顔をしているのだろう。
 そんなことを考えながら二人を見ていると、要がこちらを振り向き、視線が合う。部屋の中に消える前に、ニッと口の端を上げて笑った。強かであると同時に、見たことのないほどの色気があった。目元に涙ホクロがあるのだと、今さらながら気がつく。廊下の照明が要の顔に当たり、茶色の大きな目がきらっと光った。
 ほんの一瞬だけ、俺の鼓動がドクンと跳ねる。桐島さんの気持ちが少しわかった気がする。そのへんの女子よりきれいな顔をしているし、何よりもあの色気。いや、だめだ、そんなことは絶対に。桐島さんに間違いなく殺されてしまう。泥沼の三角関係も、バッテリーの間に割って入るのも、どう考えても最悪だ。そんなヤバい世界に足を突っ込んじゃ終わりだ。俺は無意識にブンブンと首を振っていた。そしてふと思った。
 
 あの二人、あんなに険悪だったのに、仲直りしたんだな。