桜崎
2015-04-27 23:56:51
4123文字
Public
 

白いもふもふ


 仕事終わりに寄った恋人の部屋にて、そいつは椅子を一つ占領し鎮座していた。巨大な白いぬいぐるみ。
灰の目をしたその物体は緑のリボンを首に巻いていて、ふわふわと手触りはひどく柔らかだろう。
……これ、どうしたの?」
「ああ、見かけて安かったから、買ったんだ、かわいいだろ」
そういってそれに抱き付く日向は頬ずりまでしてみせて、何だから少し面白くない。
……ふーん、そうなんだ」
とはいっても動きもせず声を発することもないただのぬいぐるみ。一瞬翳った思考を宥めて狛枝は、夕食の為、食卓に着いた。




「ねえ、日向さんどうして、これ、ここにいるの?」
今夜は泊るつもりで訪問した狛枝は、風呂上り、開口一番、目に入った状況に疑問を呈す。寝台の真ん中に悠々と転がるそれ。
「抱き枕にしようと思って。ちょうどいい大きさだし」
ぎゅうっと四肢を絡める日向は幸せそうで、ちょっとその対象が恨めしい。その位置は本来狛枝のものである。
とりあえずと横に並んだが彼女との距離が非常に遠い。その物体が手を伸ばしても触れるか触れられないほどの間を生み出して、苛立ちが募る。
そもそも泊りに来たのはただ同衾しにきたわけではなくて。
 視線の先には服から伸びる白い手足。上がる心拍にしかし、隔たりがある以上、手は出せない。
近頃仕事で忙殺されて日向とあまり会えずにいた身にはあんまりである。
……日向さん、狭いし、これどけようよ」
「ちょっとぐらい我慢しろよ。大体文句言うなら自分の部屋に戻ればいいだろ、なあナギト」」
「え」
「ああ、こいつの名前だ。ほらお前にちょっと似てるだろ、そのだから買ったってのもあるぞ」
後者の言葉は嬉しく思うが複雑な気分である。狛枝だって一度も名で呼ばれたことがないというのにぬいぐるみは軽々しくも日向に口にされているのだ。羨ましいを過ぎいっそ憎々しい。
狛枝より大切にされているようで八つ当たり気味にこっそりぬいぐるみを蹴ってもあまり気は晴れず、暗澹とした想いのまま眠りについた。



 仕事が片付くのが思ったより早く、昼食過ぎにはあがった狛枝は休みだと言っていた日向の部屋の戸を叩く。
しかし返事はなく、貰っている合鍵でそっと扉を開けて中に入る。どうやら、長椅子で寝ていたようで、だがよく見れば日向の下には例のぬいぐるみ。
夜には日向を独り占めして、邪魔な存在と化しているそれは並んでいるだけでも気に食わないのに、押し倒されているような形だと一層腹立たしい。
この際、彼女が起きても構わないと無理矢理引きはがして、日向を自分の腕の中に移動させ、久々の柔らかさと匂いを堪能する。
「ん、こまえだ……?」
「ごめんね、起こしちゃった?」
寝ぼけ眼の薄ら現れる枯草に口づけて、微笑したがどうも日向の焦点は狛枝に合っていない。彷徨う視線は何かを探すような素振りを見せいる。
「あれ、ナギトは」
……そこにあるけど」
引き寄せようと伸ばした腕を掴んで、少々乱暴に組み敷いた。唇を重ねるとさすがに狛枝を日向の双眸は捉えて、ようやく安堵する。
「ちょ、おい……
意図悟り警戒の滲む声を耳にしながらも釦に手をかけて、露わになる肌に触れた。以前は残っていた痕がすっかり消えているのが気に入らなくて、這わせる唇でそのまま色を刻む。
「まだ昼だぞ、やめろよ」
「最近してないし。ちょっとだけ、ね?」
「や、起きたばっかりで汗臭いし……それに、ほら、み、見てるし」
日向の目線に先に居るのは例の物体。確かに灰の瞳と合ったが、狛枝にとって何の障害にもならない。
……別にぬいぐるみに見られたって構わないでしょ、それよりこっち集中してよ、日向さん」
口実の様なものだと分かっていてもやはり煩わしい。
苛立ち交じりに鎖骨を食んで押し返す手を結いつける。痛みに顰める表情にぞくりとして、性急に下着へと手をかけた。
「っ、だから、いやだって言ってるだろ……!」
荒い語調と共に胸元へ沈む頭を叩かれ、動作を止める。剣呑さが宿る両眼に充てられて思わず拘束が緩んだ。
その合間を抜けていく日向は狛枝の頬に手をふるって手形を残す。乾いた音とじんわりと広がる痛み。
「やだっていってるのに無理矢理だなんて、嫌いだ、馬鹿!」
浴室への扉が閉まる音を凍り付く思考で唯一認識した。
脳内を巡回し始める言葉に打ちひしがれて、膝を崩す。その一言で嫌な想像が掻き立てられて、恐怖し、指先が震えた。
「嫌い……日向さんがボクのこと……
声にすれば余計、現実味が増して、泣きそうになる。ふと合うぬいぐるみの灰がやけに冷たく見える気がした。




……何やってるんだよ、お前」
浴室の前で縮こまっていた狛枝は頭上から降る呆れかえった声に面を上げた。
過ぎる視線が何時もより無感情な気がして、ぞっとする。
……ごめんなさい……もうあんなことしないから嫌いにならないで」
必死に絞り出した弱弱しい声に応えるのは小さな嘆息。しばらくの沈黙の後、日向からそれは破られる。
……悪かったよ。嫌いは言いすぎた」
言葉と向けられる笑みに全身のこわばりが溶け、ひどく呼吸が楽になった。
……ボクキミに嫌われたら生きていけないしその時は目の前で自殺するからね」
「それは脅しか、絶対やめろよな……
苦笑に変わる表情の日向から手が伸びる。おずおずとそこに己のものを重ねて立ち上がった。
頭を撫でられて、心が溶ける。腕の中に収めたいような欲が顔を出したが、先ほどの名残に躊躇いが生じた。逡巡している間に日向との距離が出来てしまって、そっと肩を落とす。
「何か淹れてやるから、そっち行って待ってろ」
「あ、いいよ。日向さんはお風呂上りだしゆっくりしてて。ボクが淹れてくるから。コーヒーでいい?」
頷く日向に緩く笑って、水場に向かった。お揃いのカップを機嫌よく取り出して、中身を注いでいく。両手に持ち日向が腰を下ろす長椅子へ歩んで、しかし、眉が寄った。
丁度真ん中、狛枝が座るつもりだった日向の隣にまたいるぬいぐるみ。浮上して良かった気分も急速に萎む。
双眸を細めてふかふかとした頭を撫でる日向。瞬間、胸が空く。じっと手元に目を移せば、並々と液体が埋める容器がある。刹那、過ぎる躊躇いはけれど、すぐに消えた。
彼女が少し離れた瞬間を見計らって踏み出す。
何気なく、脚がもつれたふりをして転倒すればカップが空を舞う。中身を撒き散らしもちろん、白いそれにも被害は及んだ。
不運なことに義手ではない方である右腕付近にも降りかかり、火傷故の鈍痛が広がっていくが本望である。もしかしたら故意を疑われて、日向をまた怒らせるかもしれないが、その内赦してくれるならそれでいい。もっと時間をかけて策を考えれば、彼女に気づかれないように引き離せるかもしれなくてだけど、早急に片づけたい事象である。とにかく白い物体は当分視界にいれたくない。
痛みに呻きながら起き上がれば剣呑な瞳に射ぬかれて、身構える。気に入りのものを派手に汚されたのだから当然の反応だろう。
「あ、ご、ごめんね、日向さん、汚しちゃって……
「それどころじゃないだろ!早く冷やせ!」
想像とは違った怒声に呆然としていれば浴室に連れられ、冷水を浴びせられた。和らぐ痛みに手の感触が添えられて、憂俱を灯す瞳がそこを過ぎてゆく。
「大丈夫か?上の服、脱いだ方がいいぞ」
薄ら頬を染めながらも心底、不安そうに具合を確かめる日向に罪悪感が蔓延して、言葉に詰まった。
表情を歪め、今にも決壊寸前の水膜に日向は慌てて水量を増やす。
……狛枝、そんなに痛いのか?」
「ちがっ……ごめん、ごめん、日向さん、ボクもういっそ死んだ方が……ううん、ボクなんかが死んだくらいじゃお詫びにならないしどうしたら……
「何言ってるんだよ、もしかして私にかかったとか思ってるのか?別に掛かってないし、何、謝ってるんだ、お前」
「だって……わざと、零して……
……は?」
…………ぬいぐるみ汚そうと」
数秒、黙した日向は内容を理解したのか眦を釣り上げる。先ほどよりその剣幕は激しくて心肝が冷えた。
「何やってるんだよ、馬鹿!」
「ごめん、ちゃんと同じの買ってくるし、なかったら作っているとこまで探しに行くから……
「そうじゃないだろ!!何火傷してまでそんなことしてるんだよ!」
……汚したの怒ってないの?」
「それよりお前の行動の方が腹が立つ!痕残ったらどうするんだ!!」
強引に腕を取られ集中的に冷水がそそがれる。
赤い素肌はじくりと熱を帯び始めているが、そんな痛みなど気にならなくて日向を見つめた。
……ボクなんかがあれより大事……?」
「当たり前のこと聞くな!比べてどうするんだよ!」
…………日向さん」
「でもそうだな、ちょっと意地悪してた私も悪かったな」
「え?」
……私より仕事忙しいのは知ってるし、あんまり会えないのは仕方ないのも分かってるけど、最近、お前、会ってもするだけして帰るから拗ねてたんだよ」
思い返せば、時間がない分、日向に触れることで狛枝は会えない隙間を埋めていた気がする。受け入れられて温もりに浸れば、愛されているような安堵があって満足していたのかもしれない。
「素っ気ない態度取ってごめん。だからなんかがなんていうなよ」
抱き付いてくる日向は、だが、傷のことを思い出したのか力を緩めようとする。それを制してむしろきつく腕の中に閉じ込めた。



後日談


 さすがに廃棄には追い込めなかったが、寝台には現れなくなったぬいぐるみをじっと見下ろす。
 何となく何時も彼女がしているように抱きしめてみれば染みついているのか日向の匂いが鼻腔に充満した。
今まで敵視していたが何だか悪くない。
「日向さん……
そのまま沈む意識に任せて、狛枝は瞼を閉じた。


長椅子で眠っている狛枝の隣に座る。その腕の中にはあのぬいぐるみがあって微笑した。
「なんだ、仲良いじゃないか……
ちょっと嫉妬したとことは胸に日向はその肩に頭を乗せた。