桜崎
2015-02-18 23:54:04
5620文字
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夫婦


 作り終えた朝食の味を確かめて、狛枝は、寝室に向かう。休日は何時もとは逆だ。次の日が休みとなれば行為にも熱が入るもので、日向は疲れ切っていて狛枝より先に起きる事はない。けれど起こしに行くのも起こされるのもどちらも婚姻を結んだ証のようで幸せだと思う。
 窓の隙間から差しこむ光に照らされて、身を横たえている日向の傍らに寄りその頬をゆるりと撫でた。
「おはよう、創サン、ご飯出来たよ?」
「ん……おはよう……?」
おもむろに開かれる瞼が狛枝を映す。枯草色が細められて模られる微笑。
……ちゅーしてこまえだ」
どうやら寝ぼけているらしい日向の額に唇を落とせば、数度、瞼を瞬く。鼻へ頬へと繰り返して唇を重ねる。ん、ん、と応えてくれる様が可愛らしく、夢中になって貪っていたのだが不意に強い力で引きはがされた。目を白黒とさせる日向はどうやら完全に覚醒したらしい。
「っ……な、なな、何してるんだよ!」
「何ってキミがしてって言ったんでしょう?」
……い、ったかもしれないが、しつこい……!」
面をを真っ赤にする日向は、掛布へと潜って、小さく唸る。しばらく沈んでいた日向は顔だけ覗かせてくいくいと服の裾を掴まれたかと思えば睨みが飛ぶ。
……狛枝、もう、起きたから出ていけよ」
「え、どうして?体、辛いなら抱っこして連れていってあげるよ?」
「だ、大丈夫だ……それに服、着るんだよ、お前がいたら布団から出られないじゃないか!」
散々、昨夜、目視したというに未だ、肌を晒すのが日向は恥ずかしいらしい。籍を入れて二年ほど経っているが何時までも残る初々しさに可笑しさと愛しさが込み上げてくる。口元を緩めていれば、催促するよう体を押された。あまり長居しては今度は手が飛ぶことは確実で、狛枝は背を向ける。
「あ、狛枝」
「どうかしたの?着替え手伝ってほしかった?気が利かなくてごめんね」
「そうじゃない、……馬鹿」
頬を染めながら唇を尖らせる日向は、思案するために俯く。しかし、一向に語は出されず狛枝は催促のため隣に座ってその顔を覗き込んだ。揺れる瞳がゆっくりと向けられる。
「なあに、創サン?」
「や、やっぱりなんでもないから……ち、近いって!離れろ、凪斗!」
ちょっと目を剥く。
思わずと言った様は本人が一番驚いているようで、その表情は狼狽がありありと浮かんでいる。日向が名を呼ぶのは狛枝が強制した時、情事で理性をどろどろに溶かしでもしないと口にないぐらいだ。だから自然と呼ばれるのは嬉しくて口元が緩む。
「もう一回呼んでよ。創サン」
「ちょ、調子に乗るな、ばか!ほら出ていけ!」
剣呑さが浮かび始めた表情に潮時だと渋々、立ち上がり、突き刺さる視線を受けながら部屋を出た。




 リビングに戻って、作っておいた朝食を卓上に並べる。
箸を出していれば朝食が冷めてはいけないと思ったのか、早々と姿を現す日向は前に腰を下ろし、並べられた料理と狛枝を見比べた。
……今日は、怪我、大丈夫か?」
「大丈夫だよ、創サン。包丁が柄から抜けて足に刺さりそうになったけど」
……大丈夫じゃないだろ、それ。やっぱり料理は毎回、私が作った方がいいんじゃないのか?」
「創サンにだってお仕事あるんだし今まで通り当番制でいいよ?」
狛枝は家での作業が多く、手も空いているが日向は外での仕事が主である。何より、その程度の不運、日向の傍に一生いられる幸福に比べれば気に留める価値すらない。
「でも……
何処か不安そうな日向は口でどれほど言いくるめようが納得しないだろう。こういう場合は誤魔化す方が最善だ。
「そんなに気にしないで、ほら今日の美味しく出来たんだよ」
「ん……
言及を避けるよう掬い上げたスープを口元に運んで含ませる。咀嚼して目元を緩ませる日向に狛枝は笑って、何度かそれを繰り返した。
「も、もういいぞ、自分で食べる」
現状を理解して急に恥ずかしくなったのかほんのりと頬を染める日向は次を手で制し、視線を避ける。
「じゃあ、創サンがボクにしてよ」
ほんの少し黙考した日向は、俯きがちに狛枝を上目づかいで見て、無言でスープを掬った匙を狛枝に差し出す。少し腰を浮かせて、咥内にいれれば耳元まで真っ赤にする日向が小さく囁く。
……い、っかいだけだぞ」
羞恥に目線を背ける姿は愛しさだけではなく情火も煽る。どんな些細な仕草だって狛枝にとっては神経を侵していく甘い毒だ。
……あは、襲いたくなるね、その顔」
どうやら声に出していたらしい。すごい貌で睨まれる。しかし、その後、熱っぽい目で卓上を見下ろすのは、もしかすれば昨日の行為を思い出しているのかもしれない。
……ここでするのはもう、ごめんだな」
ぼそりと落とされた声は無意識だったのだろう。己の発言に気付いた日向は、先ほど以上に朱を灯し、言葉も喉元に詰まってしまったようだった。ぱくぱくと開閉される唇からは、弁明すら飛び出ない。
「ボクは全然構わないよ。キミがテーブル見る度に思い出して真っ赤になるのは可愛いし。ねえ、今度はキッチンでする?」
「い、いやに決まってるだろ!
……そんなの料理も出来なくなる」
想像したのか潤んだ瞳にこっそりと胸の内で機会を考えて、狛枝は機嫌よく、目前の料理を口に含んだ。




 家事を軽く済ませ、昼食後は夕食等の買い物でだが、狛枝の気分的にはデートである。最近、出かける事が稀に思えて今度の休みは遠出しようかと独り夢想する。
玄関で待って出てくる日向の手を掴むと微妙に緊張するのが分かり、その度に慣れて欲しい気持ちとこのままでいて欲しい想いが拮抗した。
 照れの残る日向を引いて、道なりに歩く。近所にある大型のスーパーに入って食品売り場をまずは散策し、食材を選ぶのだが日向はどうやら狛枝に肉を食べさせたいらしく、次々に加えられていくパックに癖癖とする。日向の料理を食べられるならまだしも今日作るのは狛枝である。日向曰く、狛枝が作ると野菜中心になっていて、体を心配されているようだが、この量を二人で食べきれるか、否、狛枝が食べさせられるのだから、片しきれるのか甚だ疑問である。かといってそう言えば、誰か呼べばいいと返ってくることは確定的で、休日は二人で過ごしたい狛枝は、反論はせずにいるしかない。
なるべく油分の少ない肉を買うように誘導しながらも結構な量を日向は籠の中に入れていて、苦しい夕食になるだろうとげんなりする。
……全部使うんだぞ」
…………分かったよ」
明日に持ち越そうと考えていたのも見透かされていたようで、狛枝は横目で積み上げられたパックを一瞥し、嘆息した。




 残る買い物である新しいテーブルクロスの買う為に二階に向かう途中で、服飾系統の店が目に入った。腕を引けば日向の顔が上がって、首を傾げられる。
「どうした?」
「ねえ、創サン、新しい寝間着買おうよ」
「寝間着?私、最近、新しいの買ったぞ」
「いいでしょう、お揃いがいいな、ボク」
返事を待たずに進めば、当然の如く日向も隣に並ぶ。日向のあまり着そうにない可愛らしいながらもシンプルな柄の同じものを二つ手に取り籠へと放り込んだ。
……狛枝、それサイズが」
「時々交換しよ?ね?」
強引に丸め込んでさっさと会計を済ませてしまえば日向も反論できない。肉問題で沈み込んでいた気分は上昇して、今は揃いの寝間着を着ている日向の姿しか頭にないのだから、現金なものである。
「あとはテーブルクロスだよね」
「ああ、お前が汚したやつ」
「キミも同罪でしょ。……何時もと違う場所だったから興奮した?」
耳打ちすれば、綺麗に色づく頬。欲求に後押しされて顔を近づければ少々固い感触でどうやら口づけが落ちたのは掌らしい。
「そ、外はやめろって言ってるだろ……!」
「誰も見てないし見てても見ないふりしてくれると思うけど」
壁へと押しやり逃げ場を奪う。不意に服が引っ張られ、体勢が崩れたかと思えば視界も揺らいだ。
柔らかなそれが触れる。
…………これで我慢しろ」
頬に落とされた感覚に微笑して、絡んだ手に力を籠めた。




 まだ夕食を作るにも時間は在って、のんびりとこの穏やかな空間を過ごす。
室内であれば大抵の願いは聞いてくれる日向に最初は長椅子で膝枕程度であったが、傍に存在があれば、もっとと触れたくなるのも仕方がないだろう。そのまま甘い雰囲気に突入するのは不可避であり、休日だからか日向の意思も脆い。
寝台でと叫ばれたが、すでに肌を撫でるだけで甘い音を吐く日向を陥落させるのは簡単だ。ここもまた彼女にとって狛枝との行為を思い出す箇所になることがひどく甘美で一際、興奮を煽る。
日向の意識を飛ばしたことを何度目か数えるのにも飽いた頃には日が沈みかけていた。
 狛枝に凭れかかってぐったりとする日向の髪を撫でる。とろんとした瞳に恍惚の余韻を残す日向は、狛枝の首筋に腕を巻き付けて至近で唇を開く。
「なあ……狛枝……
「なあに、創サン」
数度、唇が開閉。肩口に額が乗る。
……服、着ろよ、恥ずかしいから」
「今までもっと恥ずかしいことしてたのに?」
……っだって、いっぱいついてるし」
首を倒して、疑問を示す。きつく腕を回してしがみつくような形の日向は数秒唸ってから顔を上げ狛枝をねめつけた。
「わ、私が付けた痕が見えて恥ずかしいんだよ!」
「キミがつけたいから付けたんでしょ」
「お前ばっかり悔しいし…………それに、浮気防止になるって聞いた」
「え、なにそれ、ひどいよ、創サン!つけてくれるの嬉しいなって思ってたのに浮気疑ってつけてたの!?」
恥ずかしがって、顔も見せてくれなかった頃に比べ積極的に痕を残すことに浮かれていたのにその理由が何だかあんまりである。所有を望んでくれるのは喜びたいが信用されていない事実が胸に刺さる。
不服そうに眼をやると若干、ばつのわるそうな表情とぶつかった。
「防止だって言ってるだろ……!」
「でもするかもしれないって思ってるんでしょ……
「それはまあ……お前、頭おかしいけど顔だけはいいから目当てで寄ってくるのいっぱいいるだろ。そのうち、好みの子がいたらついみたいな感じで……
「何も起こさないよ!?大体、顔だけなのボク……
……他の人間にとってはだ。私は、その……全部、す、好きだぞ」
あまり言ってくれない好意を示す語に意識はすべて奪われた。疑念を抱かれていたことなど、押しやられて、その姿にとらわれる。嗚呼、ひどく単純だと思った。
「絶対浮気しないからね」
「したら?」
思考は一瞬で閉じる。綺麗に笑ってだけど、真剣にその瞳を見た。
……うーん、殺していいよ、ボクのコト」
「やっぱり頭、おかしいな、お前」
そう言いながらも日向は狛枝が赦せば何でもしてくれる気がする。
軽く小突かれて苦笑する日向に歪む唇で口づけた。




 髪の毛を乾かしつつ、日向が風呂から上がるのを待っていれば、しばらくしてその姿は現れる。しつこく着て欲しいとせがんだせいか、買ったばかりの寝間着で、口元が緩むのを止められない。
……狛枝、これ、裾、踏みそうになるぞ」
「寝るだけだし大丈夫じゃない?」
裾も袖も明らかに長くいつも以上に日向が小さく見えてずっと囲っていたくなる。
抱き寄せて上から視線をゆっくりと下して眺めていると光が突然、遮断された。どうやら、手で両眼を覆われたらしく、次いで不機嫌そうに零される。
……そんなに見るなよ、恥ずかしい」
「お揃い嬉しいし、日向さん、あんまり可愛らしいの着ないでしょ」
そっと指を外し、抵抗を封じるために絡めた。
普段、見られないような姿をもう少し、堪能していたくて、日向が耐えきれなくなり瞼を閉じても眺めつづける。
ようやく満足ししたころには日向は、精神的に蝕まれたのかぐったりとしていて、目元も赤い。事後のような様にぞくりとして組み敷きたい衝動を、けれど抑え込んだ。度を超えると日向の叱咤が飛ぶことは経験済みである。
目視され続けたことがよほど堪えたのか熱い体を横たえ狛枝も隣に収まる。日向を抱き込んで眠る体勢に入れば、ふと裾を引かれた。
……な、なあ、狛枝」
「んーどうかしたの、創サン?」
逡巡しているのか、数秒の無言。向けられた目が艶やかでどきりとする。
「その…………したい」
稀な日向からの誘い。思考は簡単に寸断される。巻き付いてくる腕に応えて、首筋に顔を埋める。舌を這わせて、昼間付けたばかりの痕に重ねればさらに色が際立った。
……明日、休みじゃないけど、いいの?」
問いながらもすでに掌は胸元に滑り込んで指先が先端を弄っていた。日向から請われてはそう理性は持たない。
い、いいから」
全て脱がしてしまうのは惜しいと思って、中途半端に肌を露わにした。散る赤に征服欲は満たされて、同時にもっとと渇望する。
「ま、て。その前に……その、なお願いが
半身に伸びようとしていた腕が阻まれる。
……いいぞ」
「え」
「こども欲しいから避妊しなくていいぞ……って」
括目する。言葉を咀嚼しても上手く理解出来なくて、無意味な音だけが零れる。ようやく認識しても、聞き間違いかと思ったほどだ。だってそれは夢のような幸福だ。
「今も狛枝が傍に居てくれて幸せだけどお前と家族を持てたらもっと、幸せだと思うんだ」
…………本気で言ってるの?」
「嫌……なのか……?」
首を振った。日向がはっきり見えないのは、視界が揺らいでいるせいだ。
……嫌じゃ、ないよ、創サン」
幸せそうに破顔する日向にどうしようもないほど愛しさを覚える。
まだ聞いたことのないような子供の声を、家族の笑い声を耳の奥で聞こえた気がした。