桜崎
2014-10-15 23:14:29
3404文字
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初めての


「ねえ、日向さん」
「なんだ、七海」
部屋の掃除当番を七海と共に割り振られていた日向は、掃いていた箒を止めて振り返る。じっと日向を見つめる大きな瞳。一拍の後小さな唇が開かれた。
……狛枝くんと日向さんって恋人だよね?それって友達とは別……だよね……?」
「あ、まあ、そう、だけど……
薄らと頬が染まるのは、未だ狛枝が恋人だという事実が日向の中で浸透しきっていないからかもしれない。どうも気恥ずかしさが混ざって、口調に躊躇いを帯びてしまう。
「うーん、じゃあ恋人って何をするの……かな?」
「え、な、何をするって……
反射的に浮かんだ情景に、顔が熱い。う、だとかあ、だと無意味な音が零れるが七海にある表情は純粋な疑問に溢れていて、日向の都合で答えないのは何だか心地が悪い。無意識に力が籠る手。心臓が痛い。
……その、手、繋いだり、ぎゅうってされたり、とか……
「ほうほうほう、創ちゃんたちははまだそこまでしかいっていない仲ということですな~!中々プラトニックな関係っすね!」
あまりにも唐突に七海との合間に出現した澪田に日向は驚きを隠せない。目を白黒させながら、一歩後退。塗り重ねた驚異を唇から押し出す。
「み、澪田、何処から出てきたんだよ、びっくりするだろ……
「ふふん、伊吹は何処からでも出現するっすよ!
それよりも創ちゃん、創ちゃん!いいこと教えてあげるっす!」
「いいことって…………
「凪斗ちゃんともっとらーぶらーぶになれる方法っすよ!ほらほら!耳を貸すっす、創ちゃん!!」
寄せられた顔によって耳元に落とされる言葉に首を横に倒した。聞き取れなかったわけではない。ただ内容に疑念が生じただけだ。
……なんだよ、それ」
「ふっふっふっ、騙されたと思ってやってみるっすよ!いやあ、凪斗ちゃん、きっと喜ぶっすねー!」
澪田の言葉にちょっと反応して日向は黙考する。狛枝が喜んでくれる。あの綺麗な貌が喜色に彩られて幸せそうに日向だけを映して微笑むのだ。想像するだけでも沸騰しそうなほどの熱が全身に行き渡る。
日向は、赤い頬を両手で挟んでひっそりと口元を緩めた。




 傾きかけた夕日が並ぶ影を色濃く際立たせた。コテージを前に重なりそうなそれにちょっとどきりとしながら離される手を日向は惜しむ。
「日向サン、今日は他の人にも誘われてたのにボクなんかと付き合ってくれてありがとう。こんなに幸運じゃ明日には死体になって海に浮かんでいるかもしれないね!」
「物騒なこというなよ、狛枝。大体、その、お前は……
そこで言葉を区切る日向は、薄らとに熱を集めながらも狛枝を真っ直ぐ見る。綺麗だと、片隅で思いながらゆっくりと溜めた音を吐いた。
……こ、恋人なんだから私が優先したいって思うんだよ」
尻すぼみになる声に何だか居た堪れなくて目元を伏せてしまう。横たわる沈黙に後悔が滲み始めて、しかし、不意に名を呼ばれるその声色の甘さに弾かれるよう面を上げた。
在るのは何か堪えるよう、歪む相貌。狛枝がこんな表情をするのは、嬉しいからだと最近分かった。幸せだから狛枝は怯えてもいるのだろう。その才能故、失ってしまう恐怖を常に抱えているのだと日向は知っている。
「その、……ねえ、抱きしめていいかな……?」
……あ、ああ、いいぞ」
感傷を呑み込みながら返せば最後まで言い切る前に狛枝の腕の中に収まる。何処か遠慮がちなのか、開いた隙間に日向はもどかしさを覚える。思い切って身を寄せれば、狛枝の体躯が震えた。数秒で失われる体温が何だか寂しい。
「じゃ、じゃあね、日向サン、また明日……!」
「あ、ま、待てよ、狛枝」
慌てたように背を向ける狛枝を呼び止める。
……なあに、日向サン……?」
振り返る貌。澪田に言われた通り、服の裾を引いて視線を寄せる。横に下される腕を引きよせ己のそれで少し温度の低い両手を包んだ。細いながらも骨ばった形が男だと強く焼きつける。
そのまま映り込む瞳を遮断するように瞼を閉じて、数秒待つ。
小さく息を呑む気配に頬が熱い。狛枝も不審を覚えているに違いない。ああ、一体これに何の意味があるのだろうか。
羞恥に耐えきれなくなった日向はそっと視界を広げ、目前を支配する灰色に驚愕した。
「こ、ここ、狛枝!なんでそんな近いんだよ!」
日向の悲鳴じみた叫びに飛びのいた狛枝は、ただでさえ夕日で染まる頬をさらに赤くして、狼狽を示す。
「え、あ、だ、だって、その……していいのかなって……
……何をだよ」
忙しなく動いていた眼球が一点で止まる。辿ればあるのは己の唇。無意識に撫でれば狛枝の肌はさらに色づく。
……ス」
「え」
…………キス、していいのかなって」
紡がれた語を認識した途端、今し方その言葉を吐き出したばかりの唇に目線が全て奪われる。
目を瞑って差し出して、無防備な様を晒していたことに気づけば血液が逆流するかのような錯覚に陥った。気分を変えたくて心の中でいくら事態を引き起こした元凶に悪態づいても意識はそこから離れない。
「ちが、いや、……その……だから」
狛枝に負けず劣らず真っ赤になって俯く。自分の息遣いがやけに大きく聞こえて緊迫に心臓が痛い。しかし気づいてしまえばふと生まれる欲求に、日向は耐えがたくなる。
「な、なあ。狛枝、お、お前、したいか……キ、キス……
思い切って面を上げ、けれど、真っ向からは見れず、双眸を逸らしながら問いかけを投げた。嗚呼、口にしてから卑怯だと思う。したいのは日向だ。訂正のための言葉を重ねようとしてそれよりも狛枝の方が早い。
……したいよ、日向サン」
想像よりも遥かに近い箇所から聞こえる声にいつの間にか狛枝の体がほんの少し腕を伸ばせば触れられる距離にあることを知る。
伺うように恐る恐る手が頬を撫で、唇をゆるりと模っていく。
……させて、日向サン」
肯定の代わりに瞼を閉じた。今度は不安じみた感情は一片もなくただ、期待を帯びた高揚を胸に待つ。吐息が触れた。恐らく数秒にも満たない口づけだったのだろう、それでも随分と長い間を日向は感じていた。
開けた世界にあるのは、漫然とした狛枝の目。惚けたようにも映る色は、日向を絡め取って縛る。
……もう一回、していい?」
……い、いぞ」
日向の肯定に破願する面が近づいてけれど、鼻先が触れるほどの差で止まった。端正な容姿が間近にあることがひどく落ち着かない。
……ど、どうかしたのか?」
……ちょっとだけ口、開けてくれる。」
「こう、か……?」
緊張のためかきつく引き結んでいた口元を緩めれば、狛枝は満足そうに微笑した。
「うん、そのままでいてね……?」
熱がかかったと同時に唇が再び重なった。二度目はそこで止まらず、覆い尽くす様に貪られた。柔く歯が立てられて、反射的に逃れようとした日向はしかし、掴まれた掌のせいで失敗に終わる。何よりも次いだ行為に全ての思考は奪われた。隙間から潜り込んでくるのは、生温い感触で、一歩遅れて狛枝の舌だと気付く。
「ん、……ん、んっ!?」
咥内を這い回る舌先は、奥へと伸ばされて同じものに絡みつく。何度も角度を変えながらそれは繰り返され、水音が聴覚を支配する。
中をかき乱される度にぞくぞくと背筋が震えた。半身が疼くかのような抱いたことのない感覚に脅えが交る。それを見透かしたのだろうか、回る腕が日向を掻き抱いて、安堵させるために体温を馴染ませる。意識が底をつきかけた時にようやく開放され、肺腑に酸素が流れ込む。
「は……っ、はぁ…………
呼吸器を酷使したせいか、苦しくて、数度咳き込んだ。溢れる涙を拭おうとしてしかし、それよりも先に指先が顎をなぞった。促されるまま上を向けば陶酔を覗かせる両眼が日向を射抜く。何時もの穏やかさからかけ離れた姿にぼんやりと
……もっと、したいよ」
「え、」
「ねえ、ダメ……?」
切実な響きを含む懇願を耳に滴が伸ばされた舌に掬われる。
きっと最初のようなものではないのだと薄ら察して、だが、それを何処か望んでいる自身がいる。胸の奥底に燻るのは渇望かもしれない。
日向は気が付けば肯首を返していて、狛枝の手に自分のものを重ねた。絡まる指はひどく熱い。どちらか分からぬその温度を噛みしめながら、近づく唇を受け入れた。