shioyama
2025-11-27 00:55:39
2957文字
Public
 

ロマンティスト

Aconite:re 現行未通過×自陣×
HO3 SS

病室、または自宅のベッドが理想的だ。季節は冬がいい。結露がついた窓硝子から差し込む、冷たくて明るい朝日が綺麗だから。

体温と毛布の摩擦から零れきって死にゆく熱。ベッドからはみ出したつま先をそっと持ち上げて、温もりに引き戻してくれる人は肩にブランケットを羽織っている。寒いだろうに、付き添ってくれるのはどうしてだろう。空想に正解はない。僕がそうしてほしいと願ったことが、この世界では答えになる。瞼が重くなる、緩やかに遠のいていく世界の終わりは、優しい誰かの瞳だった。看取ってくれた彼、または彼女は、仕方がないといった風に微笑んで二度と目覚めない僕の頬を撫でる――なんて、バカバカしい。構成員の誰かに聞かれたら、腹を抱えて笑い飛ばされるに違いない。酒の肴にもならず、世迷言として流されるのが落ちだ。

現実はネズミが死に絶える路地裏、汚水まみれの海、よくて一人きりの寂しい自室だろうよ。

架空の飲み仲間が嘯く。真っ当なご指摘だ。思わず肩をすくめる。その通りすぎて面白みに欠ける。だけど、そんな寂しい場所で孤独のまま息絶えることが、僕には――何よりも恐ろしいことだった。


しゃんとしない意識に鞭を入れるために、ジンはシャワーを浴びていた。朝風呂はこの二週間ですっかり朝のルーティンと化している。氷の上に寝かされていたようにひんやりしている身体を、ぬるい湯が打つ。もう少し熱いのがいい。コックを左へ限界まで捻る。シャワーヘッドからはまっすぐ湯が降り注いでいた。もう髪は濡れきっていて、前髪が視界を塞いでいた。シャンプーはまだしていない。額からつたう水滴が、焦点のあっていない目に染みた。ジンは生気の失せた顔で、ただシャワーになすがままにされていた。

「あー……

数分後、枯れた声を絞り出す。拍子に水を少し飲んでしまった。腫れあがった喉にハッキリした痛みが走る。二日酔いの後みたいにガラガラだ。昨日は酒を飲んでいない。喉奥の異物感が辛い。咳き込むと、血の味が口内に広がる。自嘲気味な笑みが口角に滲む。おかげさまで朦朧とした意識も起きてきた。

「衰えたねぇ、僕も」

ふらつく体を支えながらボトルに手を伸ばす。指ざわりであたりを引いた。シャンプーをいくつか掌に落とす。

四十代を超えた頃からだろうか。体が言うことを聞かなくなってきたのは。武闘派として名乗っているからにはトレーニングは続けているのだけれど、ピークに比べれば当然落ちている。内面はまだまだ若いつもりではあるものの、やはり老化には抗えないのだ。

次いで嗜好も変わっていく。大好きだった肉は脂身がきついし、目の霞みも年々酷くなる。いいことといえば好みの範囲が広がったことぐらいだ。歳をとるとあらゆる弱くなるのだと身をもって体験している。

考え方も変わった。冒頭の理想的な死に方だなんて考える暇は、少なくとも若い頃はなかったし、特にこの二週間で強まったのは明らかである。

コックを締めて、シャワー室から出る。洗面台の鏡に映った上半身を拭きながら、花の痣をなぞる。すっかり鎖骨あたりまで侵食されてしまった。今はまだ隠せる範囲内だが、いつまでカバーできるかも分からない。近いうちに必ずバレる。症状は節々の痛み、耐えがたい咳。身体の倦怠感は日々ひどくなっていく。友人である医者のニコラスにも診てもらったが首を横に振られてしまった。見捨てず鎮痛薬を与えてくれるだけ喜ばしい。

ジンは自由気ままな半生を送ってきた。特定の相手を作らず、欲の向くがままに好みの男女を口説く。そうして気づけばこの業界に流れ着いていた。マフィアの構成員。常時崖っぷちに足が掛かっているような職業に彼は笑顔のまま人生を捧げている。家を追い出されただとか、寝処に困ったからだとか、特に暗い過去などもないまま、ただその場のノリで暴力を振りかざしている。正気のままではあるのだが、故に狂気の沙汰でもある。真っ当なまま捻じれて生きてきた彼には常識と非常識が備わっている。悪役になるのにバックボーンは必要ないのだ。

だからだろうか。この痣に侵食されて死ぬことについては、正直あまり怖くはない。

でも。死ぬのは怖くないけれどね。一人ぼっちで死ぬのは寂しい。

深く息を吐いた。肺が軋む気配がする。身勝手な夢だという自覚はある。もしこの病が完治したとしても、いずれ寿命は訪れる。死神は命ある者に平等だ。数年後、数十年後には同じ夢に縋るだろうことは既に決まっている。歳をとると、どうしても弱くなる。身体も、心も。

髪の毛をある程度拭きながら寝室へと戻る。シャツに手を掛けようとして、サイドテーブル上の煙草が目に入った。指でつまみ上げる。お気に入りの銘柄。喉に染みるから吸う量が減った。

所詮、理想は理想で終わる。好き勝手に生きてきた自分が、今更死にざまを選べるなんて思っちゃいない。都合がよすぎる。でもね、夢を見たっていいじゃないか。夢は見るものだし、望みは抱くもの。眠ることは全人類に与えられた平等な権利だ。僕だってそれぐらい許されてしかるべきだろう。

「ごめんね、リー。僕、少し嬉しいんだ」

裏切者がいる。真っ先に自分へ相談してきた可愛い子への謝罪を零す。誤魔化すように咥えた煙草の苦みが唇に触れた。拭き損ねた水滴が前髪から滴る。

こんなこと誰にも言えないし、言うつもりもない。だからここだけだ。ここだけに本心を綴る。

理想は愛しい誰かに看取ってもらうこと。それに変わりはない。誰だってそう死にたいだろ?でも、間に合いそうになかった。あと数日足らずで恐らく自分は死ぬ。可愛い構成員たちの顔を思い返す。ダメだ、あの子達は巻き込めない。こんな醜くて寂しい年寄りのワガママに付き合うなんて可哀想だ。

だったらもう、仕方がない。妥協だ、妥協。いわゆる理想の落としどころを見定めるべき時が来た。

裏切者がもしいるとするなら。彼、または彼女に優しくする必要はない。遠慮も不要だ。あっちから切ってきたのだから当然だろう。どうせ逃げられたとしても、一度人を裏切ったやつはいずれ誰かに刺されて死ぬ。不思議と世界はそういうふうに出来ている。だったらその命、僕にくれたってよくないか?

──いいよ、いい、すごく!ぐしゃっとタバコの箱を高揚感のまま握りつぶす。

でもきっとその人は逃げようとする。当然だ、悪い子はそうする。だから、足の腱を切って僕の眠りに付き合ってもらおうか……ああ、看取ってほしいという部分も変更になるか。悪い子が僕が眠るまで付き合ってくれるとは思えない。だったら道連れにしてしまう、うん、いいじゃないか、そっちの方が楽しいに決まっている!

一緒に地獄に落ちよう。二人ならどこにいたって楽園になる。死んだ後も一緒だなんてロマンチックじゃないか。素敵なアイデアに口角が緩んだ。痛みが少し遠のいた気がする。

ジンは煙草に火をつける。喉に広がる煙の苦みも、夢を叶えるための苦難だと思えば甘さすら過った。吐き出した煙が揺らめき、まるで願いを運ぶ白い祈りのように消えていった。

願わくば、僕の好みに少しでも近い子であれば嬉しい。

「まあ、若けりゃ誰でもいいんだけどね」