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花人
2026-02-20 23:00:00
3871文字
Public
渉英
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渉英 羅針盤が導く幸福について
渉くんの誕生日、舞台袖で会話する渉英の話。
拍手。拍手。拍手。大勢の拍手が聞こえてくる。そろそろ、舞台の幕が上がる。
心臓が強く脈を打ち、全身へ勢いよく血を送っていく。僕は靴の先を揃えると、顎を引き、背筋をスッと伸ばした。マイクを持つ手が、短めの手袋の下で熱を持ったのか、少しだけ汗をかいている。
この重たい幕の向こうに、大勢のファンがいる。僕は白色のペンライトが一面に広がる光景を、目の裏に思い浮かべた。大量の天使の羽根が、僕達の歌と踊りに合わせて揺れ動くようなその光景が、僕は好きだった。ファン達も僕達のステージを一緒に創ってくれているのだ。そう思うと、どんなに呼吸が苦しくても、息をすることができた。ファンとアイドル、両方が幸せになる現実を創造するために日々努力するのは、その瞬間のためだ。僕はその光景を見るたびに、やっぱりアイドルとして生きるのが一番好きだと思った。
生きてほしい。笑ってほしい。──そんなことを言われるたびに、己の目的のために人を傷つけ、貶め、血に汚れた自分にはそんな資格はないと拒んでいた。でも、僕には、そんな声を受け入れることを許してくれた親友がいた。
彼の支えがあったからこそ、僕は目に入れても痛くない、かけがえのない仲間たちに会うことができたのだと思う。僕がアイドルでいることを誰よりも望んでくれて、誰よりも支えてくれる後輩たち。彼ら3人がいてくれたからこそ、僕は夢の先にある偶像を現実にできたんだ。
僕一人では、僕は僕の夢を叶えることなど決してできなかったし、今日この日を迎えられなかった。
ゆっくりと目を閉じて、今日までの記憶を急速に遡る。あんなことがあった。こんなことがあった。そんなことをライブの前に思い出すたび、僕は今ここで生きているのだと実感できた。3人がいなかったら、今僕はここにいなかったし、ここで息をすることも許されなかっただろう。”ここ”が、僕の大好きな、fineだ。
僕は顎を上げて、まっすぐ前を見る。
華やかな飾り付けで彩られたステージには、誰もいない。僕達はあと数分経ったら、そこの上に出ていって、ライブをすることになる。
目を輝かせながら両手にペンライトを持つファン達が出迎えてくれる光景は、何度体験しても胸を打たれる。
あぁ、早く。皆に会いたい。
「英智」
暗い舞台裏でふわりと長い髪を靡かせながら、渉がそっと僕の左隣に立った。彼は前に向いたままの僕の目を追うようにして、ステージへと目を向けた。
水色のリボンや紫色の薔薇で彩られ、花びらが舞い散る豪勢な飾り付けがされたステージ。渉の左胸には、僕達と違うひときわ大きな薔薇のコサージュが付いている。
そう。今日は2月21日。今日のライブの最後に歌うのは、「The Tempest Night」だ。
「渉」
僕が名を呼ぶと、彼は「はい」と言いながら嬉しそうに歯を見せて笑った。
彼の名前は日々樹渉。僕の親友で、憧れの存在で、恋人。僕の憧れの人。僕の大好きな人。僕の愛しい人。僕にどこまでも続く広い世界を見せてくれた、大切な仲間。彼は、本日の主役だ。
「そろそろ、始まりますね」
渉の声は、心なしか、ワントーン明るかった。彼もきっと、僕と同じ気持ちなのだろう。早く皆に会いたくて会いたくてしかたがないんだ。今なら、僕は渉の気持ちが分かる。暗い舞台裏で紫水晶の透き通った瞳が柔らかくこちらを見てくるのを見て、僕は2年前のことを思い出した。
2年前。夢ノ咲学院。講堂。その舞台裏で、僕は僕と違う色の服を身に纏った彼と、ライブ前に話をした。
僕はあの日、主役だった。革命の一連の「物語」の演出上、つむぎや日和くん凪砂くんの後ろに隠れてパフォーマンスをしていたし、僕自身はあくまでその役を演じていただけで、僕は僕のことを主役とは思っていなかったけれど。あの日、僕と僕に扇動された大衆以外の人間から見れば、僕は晴れて念願の主役を勝ち取ったように見えていただろう。でも、僕にとっての主役は、いつだって、良くも悪くも僕ではない。
「うん。とうとう始まるね。|主役≪君≫ のライブが」
渉に相槌を返しながら、僕はマイクを握りしめた。
僕にとっての主役は、いつだって渉だった。今日だけではない。ずっとずっと前から、そしてずっとずっとこの先も、君は僕の世界の主役だった。僕が迷わないよう導いて、そっと優しく寄り添ってくれる。羅針盤のような人だ。
「英智。私にとっても、あなたは私の世界の主役ですよ」
「
……
恥ずかしいから心を読まないでほしいな。渉」
「フフフ」
渉はニヤリと笑うと、「すみませんね」と悪びれもなく僕の手に自分の手を絡めてきた。
「ですが、どうしても言いたかったので」
「
…………
」
「英智。貴方はもう知っているでしょうけど、私は渡り鳥でした。一か所に留まることができず、ふらふらとあちこちを飛び回り、自分自身すらどこを目指して飛んでいるのか分からないような不安定な存在でした。ですが、貴方は、私がどんなに人里離れた遠く高い場所にいても、どんなに記憶を失くして彷徨っていても、必ず追いついて迎えに来てくれましたよね」
遠い記憶を思い起こすようにステージを静かに見つめる渉の瞳が、照明の光を静かに取り込んで少し揺れているように見えて、僕は弾かれるように口を開いた。
「それは
……
当たり前だよ。僕が君と一緒に居たかっただけだから。
……
どんな手を使ってでも」
僕は渉の手を強く握った。渉は眉を下げて少しだけ笑った。
「
……
でも、私はその『当たり前』が、本当に嬉しかったんです」
握られた手がさらに強く握られる。渉は僕の目をじっと見つめた。
「
……
私はもう、私自身に関しては、どれが嘘でどれが本当なのか分かりません。でも、私は貴方がいるから、どんなに遠くに行っても、また”ここ”に戻って来ることができるんです。貴方が迎えに来てくれると分かっているから、私は広い空を飛び回ることができるんです。
……
貴方は、私の帰る場所です」
「
……
渉」
「いつだって、貴方は私を温かいところに連れて行ってくれる。導いてくれる。
……
貴方も私の羅針盤ですよ、英智。いつも私のことを迎えに来てくれて、本当にありがとうございます」
2年前と変わらない優しげな紫色の瞳が、僕を包み込むように見つめてくる。渉は繋いでいた僕の左手をとると、自分の手にのせて両手で挟んだ。左右から手袋越しに伝わってくる熱が、彼の想いをおだやかに伝えてくる。あぁ、なんて温かいんだろう。
僕は目を閉じた。
僕は今、ここで生きている。そして、渉も今ここで生きている。それを実感して、僕は目に薄い水の膜が広がっていくのが分かった。
溢れてしまわないように、目をぱちぱちさせて、呼吸を整える。そして胸いっぱいに息を吸って、僕は紫色の瞳を見つめた。
「渉。誕生日、おめでとう。今年もこうして無事に君の誕生日をお祝いできること、本当に嬉しく思うよ」
突然かけられた言葉に驚いたのか、渉は目をパチパチさせるとおかしそうに笑った。
「ありがとうございます。この日々樹渉、今年もこうして貴方に直接祝っていただけること、心より嬉しく思います」
ニコニコ笑うと、渉は赤い薔薇を1輪どこからか差し出して、僕の衣装の胸ポケットに差し込んだ。
「ふふ。良かった」
「ですが! 分かっていますか、英智? まだ誕生日パーティーは終わっていませんよ? むしろ、始まってすらいません! 貴方には悪いですが、まだまだ私のお誕生日をお祝いしてもらいますよ! 準備は良いですか、英智?」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべる渉に、僕も口角を上げた。
「うん。勿論だよ。君も、まだまだお祝いされてほしいな。お祝いされる準備はいいかい、渉?」
「はい! 勿論、バッチリですよ! 今日も、たくさん愛を頂いて、たくさん愛を届けましょう」
すっかり温まった僕の手を片方とると、渉はそっと手の甲と指先へキスを落としてきた。それが少しくすぐったくて、僕は小さく笑った。渉も僕につられたのか、またにこっと笑顔になった。
ファンとアイドルの幸せの創造。スタプロが掲げるそれが、今ここで少しだけ叶ったような気がした。小さな小さな幸せが、こんなにも心地いい。
君と会わなければ、きっとそんな幸せを一生知らないまま、無駄に広い屋敷か誰も来ない冷たい病院の一室で僕は一生を終えていただろう。
「ねぇ、渉。生まれてきてくれて、ありがとう」
沈黙の中呟かれた言葉に、渉は微笑んで頷いた。
「貴方も、生まれてきてくれてありがとうございます。英智」
僕も微笑んで深く頷いた。
僕も、生まれてきて本当に良かった。最愛の人の誕生をこうやって何度も何度も祝うことができるんだ。こんなに幸せなことはない。
あぁ、今日も生きていて良かった。そう思わずにはいられない。
「さぁ、行こうか、みんな。僕のfine」
幕が上がる。今日も僕のfineは万全だ。だから、大丈夫。きっと全て上手くいく。
3人分の足音が、僕の足音に続いてステージに鳴り響く。4人の足音が連なって、ファン達の拍手をさらに大きくさせる。2年前とそう変わらない広さのステージだというのに、そこから見える景色はどこまでも遠くに続いていくように広く見えた。
ライブが、始まる。世界で一番大好きな人の誕生を祝うライブが。
僕はマイクを握りしめると、深く息を吸った。
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