メメント森井もりさわ
2025-06-04 23:23:36
3773文字
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モーゴット/モーグの乳母(妄想)

半分くらい夢小説のつもりです。
忌み捨ての地下の妄想や、モーゴットさん/モーグさんの妄想です。
あんまり本編に則していません。
許してください。

 悪夢から女は飛び起きた。
 寝汗で服がびっしょりしている。不快だった。
 女は上半身だけ起こした姿のまま、両手で顔を覆った。“また”あの夢を見る。わたしが、どれだけ無力で愚かだったか思い知らされる夢を。

 夢の中で女は地面に這いつくばって請うている。それは、己の記憶と寸分違わないものだった。
「お願い申し上げます。お願い申し上げます…… あのお二人を地下におやりになるのは余りのことでございます。お二人は女王のお子ではございませんか。どうか、お救いください」
 女は城付きの乳母であった。王家の子どもを健やかに育てることが使命であった。だが、今その子ども達が捨てられようとしていた。
「どうしても、ならないと仰るのであれば、ええ。わたくしも共に地下へ参ります。それをお許しください」
 たとえ彼らが人々から忌避される見てくれであっても、同じく尊い生命ではないか。まだ幼い子ども達ではないか。女は自身の子を失ったばかりであった。一度抱き上げた子らを見殺しにはできない。

 その時の女は、噂に聞く〈忌み捨ての地下〉がどれほど惨い場所であるか、充分には分かっていなかった。

 女は夢の残滓を振り解くように、長く、深いため息をついた。すると、隣で衣擦れの音がした。子どもが起き出してしまったのだろう。
「どうしたのだ」
 闇から幼い声が問う。双子のきょうだいの片割れ。もう一人はまだ眠っているようだ。
「いいえ、何でもございません。もう少し、お眠りになってください。今日はたくさん、歩いたでしょう」
「お前はいつも、何でもないと言う」
 子どもの不満げな声に女は苦笑した。女は口の中でまじないを唱えると、握った手を開いた。女の手のひらに微かな光が灯る。
 その小さな明かりに、闇の中で女と子どもの顔が浮かび上がる。女は子どもに、にっこりと笑いかけた。
「ほら、何でもありませんよ。ですから、ほら…… きちんと外套をお身体にかけてお休みになって。わたくしも眠りますから」
 女が明かりを消して身体を横たえると、しぶしぶといった風に子どもも横になった。身体に巻き付く角が擦れるのか、暫くごそごそと音がしていたが、やがて安らかな寝息に変わる。

 子どもが寝入ったのを確かめた女は、再び、だが今度はそろりと身を起こす。先ほど照らし出された光景が、女の瞼にこびり付いている。ここがどこなのか、思い出すたびに打ちのめされるようだった。
 屍体と虫。異臭と悪寒。闇の中を進めば人喰いの化け物や悪霊たちに追われる。温かな食事どころか清い水も望めないこの場所で、女と子どもらは悍ましいものまで口に入れた。

 聡いお子なのだ、わたくしの絶望を悟らせるわけにはいかない。この地下にはきっと出口があるはずなのだ。お二人を必ず外へお連れする。そのために、わたくしはついて来たのだ。
 でも、一体どうやって……

***

 どれほどの時が過ぎたのか、もはや誰にも分からない。
 女に連れられて子ども達は歩き続けた。地下には昼も夜も無い。空腹のままに屍体の山を掘り、歩けなくなれば身を寄せ合って眠った。

 一瞬一瞬、女は必死であった。化け物や悪霊も恐ろしいが、子ども達が弱らないよう心を、魂を尽くした。
 子どもらが傷をつくれば女がまじないで治してやった。凍えるように寒い風が吹き込む場所では自らの外套を脱ぎ、子どもらに被せ、その上から抱きかかえた。
 女は日に日に痩せ衰え、まじない以外の言葉を話すことも無くなっていった。全て子どもらに捧げる覚悟があった。

***

 そしてある時、ふと、女は立ち止まる。
 雨音がする。雨粒が地面で跳ねる音がする。
 外へ開け放たれた出口があることを、とうとうその手掛かりを得たことを悟った。
 走り出した女に子ども達もついて来る。
 雨音のする方へ! そこから外へ出られるはず!
 女はそう叫んだつもりだったが、声が出なかった。女の身体は前につんのめり、地面に強かにぶつかったのだ。脚を、切り裂かれていた。
 その場にくずおれる女に、人喰いの化け物が近づいて来る。ねばねばとした肉塊が蠢いている。伸ばした触手には骨のようなものが飛び出していた。動きは鈍重だか、女に戦う術は無い。逃げるしかなかった。
 と、子ども達が唸り声を上げ、駆け寄ってきた。女の制止を無視して、手にした刃で化け物を突き刺す。王家の血筋を示す、黄銅の短剣である。突然の攻撃に、化け物は身悶えして全身から触手を突き出した。
 驚き、跳ね起きた女が二人の子どもを抱えて逃げ出す頃には、二人とも傷だらけになっていた。

***

「申し訳ございません。申し訳ございません。あぁ! こんなにたくさん傷を負って……
 二人の子どもが久しく聞けなかった女の声である。それは悔やみと悲しみに満ちていた。
 幸運なことに、足を引きずり血を溢しながらも、三人は来た道を引き返し、安全な横穴まで逃げ延びることができた。女はすぐさま、まじないで子ども達の傷を癒そうと躍起になった。
 と、子どもの一人が女の細い腕を掴む。
「待て。お前の傷の方が深いのだ。先に治してからにするが良い」
 王命を下すかの如く、厳しい口調であった。だが、女は首を横に振るばかり。
「いいえ、そうするわけには参りません。お二人のお身体の方が大事なのですから」
 意外なことに、女は子どもの手を振り解いてまで二人の治療にあたった。時間が無いことを、女は理解していた。
 手を動かしながら、まじないを唱える合間合間に、女は子ども達に噛んで含めるように言った。
「よろしいですか。お二人だけで、雨音を辿るのです。この雨が止んで仕舞えば、わたくし達は再び出口を見失ってしまうでしょう。わたくしは傷を癒した後、お二人を追いかけますから、どうか先にお行きください」
 そう言うなり、女は子ども達を横穴から追い出そうとする。子ども達は逆らった。
「ならぬ。お前も来るのだ。お前がいなければ道を照らせぬだろう」
「こうしているうちにも、雨は止んで仕舞う。あぁ! どうかお願いでございます。きっと後から参りますから……
 女も、二人の子ども達も、泣き出すほどに必死だった。女はとうとう、その両腕で二人を捕まえると胸にかき抱いた。
「あぁ! 後生ですから、わたくしの願いをお聞きください。道が暗く進めないと仰るならば、わたくしの灯し火を差し上げます。化け物が恐ろしいと仰るならば、お守りを差し上げましょう」
 女は双子の一人にはまじないの灯し火を、もう一人には守り袋を、半ば押し付けるように渡した。そして終いには、
「お二人は王家の血を引いていらっしゃる。いつまでも、わたくしのような女の手助けが必要などと仰いますな。今は、お二人だけで進むべき時なのです。ご覚悟、なさいませ」
 二人は矢張り子どもであった。初めて見る女の怒りに気圧され、とうとう子ども達だけで行くことを承知した。女は微笑んで、
「それでこそ、わたくしがお仕えする方々。……僭越ながら、わたくしから祝福を」
 女は二人の子どもそれぞれの額に口付けると、小さく短いまじないを唱えた。

 そうして、子ども達は互いに逸れないよう手を繋ぎ、女の方を振り向き振り向き走り去る。女は、二人の姿が闇に溶け込むまで見送っていた。

***

 その実、女が子どもらに与えたのは祝福ではなく「忘却の呪い」であった。女の元から離れるごとに、術者の存在を忘れてゆく呪いであった。
 決して、二人がここへ引き返してくることの無いように。
 女は二人への愛の証として、何も残らぬものを贈ったのだった。

***

 お二人は、無事に地上へ辿り着くことができるでしょうか? いいえ、強く聡いお子達です。きっと、成し遂げるでしょう。
 わたくしは、悲鳴を上げる身体に鞭打って立ち上がると、闇の中を歩き出しました。まじないで両手に明かりを灯します。脚の怪我はそのままに。血の匂いは奴らを引き寄せるのに好都合でした。
 時間が無いというのは、雨のことだけではありませんでした。先ほどの騒ぎと獲物の流す血に、化け物達は呼び寄せられるでしょう。わたくしに出来るのは、一匹でも多く奴らを呼び寄せ、お二人から引き離すこと。

 暗がりからこちらを伺う気配。ぐじゅぐしゅという蠢き。悪霊の怨嗟。わたくしを切り裂き、貪ろうとする昏い意思。

 吐き気がするほど恐ろしい。
 ですが、わたくしは勇気を振り絞って、両手を振り回します。ここにいるぞ、と相手に見せつけます。

 喉から悲鳴が迸る。 わたくしの、悲鳴。
 腕が熱く、身体が床に倒れ込んだことにも、脚と髪を引っ張られ、痛み、衝撃が骨をつたう、痛い、こわい、口を無理矢理こじ開けようとする何か、腹をほじくるように何かが入ってくる、
  、

    、
 がつっ、と頭を打ちつけられ意識がのぼ、するどい痛み、叫び、後悔すらよびおこすような 、

***

 やがて、女は息絶えて、化け物達も貪るものが無くなると離れていった。
 見るも無惨な屍体は、他の屍体と混ざり合い、いつか腐って朽ちてゆく。

 黄金樹、華やかなりし頃のお話。