メメント森井もりさわ
2024-08-05 23:25:14
3590文字
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復讐者の灰

暗いお話かも。許してください。

 "アッシュ"・ハンターは、もう若くはない男だった。だが、仕事を引退するには若過ぎた。
 私は、腕を惜しまれながら退職した"らしい"。
 鏡に写る自分を眺めながら、そう、アッシュは思った。
 原因は操縦していたMTの事故だという。目覚めた時、アッシュは記憶障害に陥っていた。事故に遭うまでの記憶を全て失っていた。自分が何者で、誰と何をしていたのか。個人の背景と言うべきものを全て、なくしていた。
 幸い、日常生活を送るための基本的な記憶は残されていた。だから、今はこうして自分の住んでいた(と教えられた)アパートに戻り、受け取った退職金で細々と暮らしている。
(その、事故というのは相当酷かったらしいな)
 アッシュは何度目かの苦笑をこぼした。右手で顔を撫で上げる。妙につるりとした感触は、手術で人工皮膚が貼られた事を示していた。人工皮膚は顔部のほか、左腕、腹部、脚のほとんどを覆っている。
 全身に火傷を負ったのだろう。アッシュは、そのように推測していた。

ーーー

 キャシーは良い娘だ。そう、文句の付けようも無く。記憶障害もちで仕事もリタイアせざるを得なかった自分を、こうして支えてくれている。
 アッシュは、目の前に座るキャシーに微笑み返した。いつものカフェのテラス席。自分たちのお気に入りの待ち合わせ場所だった。
 ……恋人なんだから、当然でしょ?
 キャシーの言葉が自然と思い出された。いつも微笑みと共に供される言葉。本当に良い娘だ。自分には勿体無いほどに。
「どうしたの?」
 視線に気付いたキャシーが首を傾げた。こちらを気遣うような、少し不安そうな素ぶり。アッシュは首を振った。「何でもないさ」
(君に相談して何になる?)
(私は、いつ、君と出会ったのかも知らないのに)
 アッシュは言葉を飲み込んだ。

ーーー

 許さないで。許さないで。
 もう一度、あなたの力を示してみせて。
 あなたのために大勢死んだ。
 子ども達は飢えた。大人達は焚べられた。
 全てはあなたのため。悲願のため。
 だから。
 あいつを許さないで。星を焚べたあいつを。
 許さないで。ころして。罰を与えて。
 でなければ、わたしたちは、何のために。

ーーー

 奇妙な夢に叩き起こされるのは、これが初めてではなかった。アッシュはのろのろと身を起こし、サイドテーブルに置いた時計を確認すると、再びドサッとベッドに身を放った。息を大きく吸って、吐き出す。汗ばむ身体が鬱陶しい。
 これは、一体何なのだ?
 カウンセラーの言うように、子どもの頃に観た映画とか、コミックとかの記憶なのだろうか?
 それにしては、あまりに"生々しく"感じられる。演技や作りものには無い生々しさ。
 以前キャシーに相談した時には「幽霊みたいで気味が悪い」と言われてしまったが…… いや、存外当たっているのかも知れない。

 アッシュの視界の端にチラッと黒い影が映った。

 これも数日前からアッシュを悩ませている"幻覚"なのだった。これもカウンセラーに相談すべきなのだろうか?
 注視しようとすると途端に見えなくなる黒い影。
 それは決まって、アッシュが部屋でひとりきりの時に現れた。鏡越しに自分の背後に立たれた時は心底ぞっとしたが、こちらに干渉する様子は無いようだ(幻覚ならばそもそも物理的に干渉する事なんて無い)。だから、放っておいた。
 アッシュは、自身の中で黒い影への警戒心が急速に弱まっていくのを感じた。それと同時に強烈な眠気に襲われる。
(明日は、何をするのだったか……)
 アッシュは深い眠りに落ちていった。

ーーー

 その日、アッシュはキャシーに会うのをやめた。
 彼女に対する違和感が拭い去れないからだ。
 カウンセラーに会うのもやめた。
 彼は何かを隠しているに違いなく、もはや信用する事ができなくなったからだ。
 処方されていた薬を飲まなくなると、途端に頭の中の靄が晴れた。すると、不自然な点ばかりだった事に気付き、アッシュは背筋が凍る思いがした。

 この部屋は、私が暮らしていた場所ではない。
 
 それだけでは無かった。
 部屋には、アッシュ以外にも"誰か"が生活している痕跡が見付かった。
 私は、何日も、何ヶ月も正体も知らぬ誰かとこの部屋で暮らしていたのだ。ずっと認識を狂わされていた。おそらく薬をすり替えられていたか、そもそも全員がグルだった可能性もある。
 相手にアッシュが事実に気づいた事を悟られるのは危険だった。その前に即刻この部屋から離れるべきだった。しかし。
 しかし、アッシュはそうしなかった。
 動機が知りたかったのだ。
 あの奇妙な夢の理由や、失った記憶を取り戻すきっかけを得たかった。アッシュは自身の背景を取り戻したかったのだ。

 アッシュは好機が訪れるのを待った。

ーーー

 身体が平衡感覚を失っていく。
 机に突っ伏す体勢にでもなっているのだろうか?
 オキーフは頬が冷えた液体に触れているのを感じた。飲み水のボトルに薬を混ぜられていたようだ。自分の迂闊さに舌打ちしたくなったが、指一本も動かせなかった。
 テーブルの向こうには恐らく彼が座っているはずだ。そして、こちらを静かに眺めている……
 オキーフが思い描くのは、アッシュ、いや、"ラスティ"がこちらを冷ややかに見つめる、その視線だった。
「あなたが何者かは知らないが、随分と手の込んだ芝居だったな」
 アッシュ/ラスティは、立ち上がると男の身体を背もたれに寄りかからせた。男は碌な抵抗もできないようだ。飲ませたのはアッシュ/ラスティ自身に使われていた薬だ。効能は折り紙付きだった。
「一体、何を企んでいた? 何が目的だ?」
 アッシュ/ラスティは相手が返答できないのを承知で尋ねる。言葉を掛けながら、男の身体をぽんぽん叩いた。何か隠しているとすれば、肌身離さず持ち歩いているに違いない。
 果たして、アッシュ/ラスティは小さなキーを見つけた。アパートの部屋を開け閉めするためのキーだった。

ーーー

 遠のく足音から、オキーフはラスティが隣の部屋……オキーフが寝起きしている方の部屋に向かった事を知った。
 ここが潮時だった。そこで彼は全てを、彼を取り巻く運命を知る事になるだろう。

 気の迷いとしか言いようのない行為だった。
 燃えるザイレム。堕ちゆく機体。
 黒い鳥は星を焼こうとしていた。
 ルビコンは灰になり、リリース計画も潰える。
 であれば、自分がここでなすべき事はもう無い。

 ザイレムに潜んでいたオキーフは全てに背を向けると、ただ、堕ちてゆくオルトゥスを掬い上げることに専心した。
 愛では無い。憐れみでも無い。
 だが、ここでラスティが終わってしまうのが惜しいと思った。それだけだった。

 目覚めたラスティが記憶を失っていると知り、オキーフは初めて後悔した。軽率に生命を救ってしまったのではないかと悩んだ。
 それで、彼に新しい身分を与える事にした。せめて新たな人生では不自由を感じてほしくなくて、カバーストーリーを編み上げた。薬や暗示でオキーフという男を認識できないようにもした。この処置にはうんざりしたが、不安定なラスティを見守る上で必要な事だった。
 だが。

(所詮は三文芝居か……)

 オキーフは目を閉じた。

ーーー

 ラスティは、あの男の部屋に入った。
 薄暗く、生活感の無い部屋だった。 
 サイドテーブルの引き出しに、1枚の写真が入っているのを見つけた。
 写っているのは自分と、あの男。笑顔を浮かべた男が、顰めっ面した男の肩に腕をまわしている。
「はは……
 ラスティの口から乾いた笑いが溢れた。
 その写真を見て、ラスティは、何も思い出せなかった。何も感じなかった。写っているのが自分だとは、どうしても思えなかった。
 これが、私の過去だと?私の背景だと?

 ラスティは首を振った。

 これはきっと、真実に近づくための一歩に過ぎないのだ。背景はもっと奥深い所、光の当たらぬ所に隠されてしまっている。そう、直感した。
 ラスティは写真を指でなぞる。
 鐘を模したマーク。
 口枷を嵌めた狼のエンブレム。
 今のラスティには、これだけだった。

ーーー

 いつか。ここから先の未来で。
 オキーフが心のどこかで恐れていたように、ラスティは復讐者になるだろう。
 星を焼いた黒い鳥。それを狩らんとする者に。
 背景を取り戻し、ただしく戦士として戦場へ舞い戻るだろう。

 その闘いの末は、
 神のみぞ知る。