メメント森井もりさわ
2024-03-03 22:43:36
10457文字
Public
 

君は無秩序(カオス)な僕のアイドル

たぶん解放者√が一番近い世界線です。621がアイドル歌手になります。ウォルターとエアとラスティが出てきます。よろしくお願いします。

 遠い遠い惑星ルビコンⅢにおいて強化人間C4-621(通称:独立傭兵レイヴン)は、ルビコニアン達に“夜明け”を運んだ。長らく星外企業や惑星封鎖機構に虐げられ、苦しんできた者達は、あの日、大空を舞うカラスの羽ばたきに勇気づけられ、立ち上がった。再び自由な明日を手に入れるため共に戦ったのだ。こうしてルビコンⅢという惑星は他の何者にも侵されない、自由の惑星として生まれ変わったのだった。

 そして、今。621はルビコンに新たな夜明けをもたらそうとしていた。いや、本当のところ本人にその意思は無く、結果として“そうなった”としか言えない有り様だったが…… これから描かれるのは、ルビコニアンアイドル黄金期と後に(ごく一部の人間から)呼ばれるようになる、その発端となった出来事である。



 ルビコンから企業と封鎖機構が立ち去ってから1年が過ぎようとしていた。ルビコニアン達は惑星復興に取り組む日々を送っていた。観光地化とまではいかずとも、他の星系とも対等に交易や人の行き来ができるようになれば、自然と経済も活気づくだろう。
 気の早い商人達は他星の経済状況や株価をチェックし始めた。ルビコン周辺を漂うスペースデブリの除去事業や星内外のインフラ整備への投資を行う者も増えてきた。それに釣られて星内の物価も小さく細かく変動し始める。人々の生活の中に少しずつ、しかし確かな影響が起き始めていた。
 未だ形にはなっていないものの、近いうち何か大きな流行が起こる。それはきっと、コーラルや武器では無い何か。そんな予感に人々は浮き足立っていた。

 そんなルビコニアン達のソワソワ感とは無縁の人物がいた。そう、強化人間C4-621である。
 621は、ルビコン一斉蜂起が成就した後も惑星ルビコンⅢに残り、復興を手伝う毎日を過ごしていた。ここには621を知る者が多くいるからだ。
 621は、ザイレムでの戦いを思い出す。地上のルビコニアン達に協力を呼びかけてくれたエア。再び肩を並べる事になった解放戦線のラスティ。そして、コーラルと火が迸る天空の地獄で相見えたハンドラー・ウォルター。大気圏突入前にHALを捕まえられたのは奇跡に近かった。だが、猟犬よろしく一度捕まえたら決して離さないのも、621の得意とするところだった。今ではウォルターもすっかり回復し、ここルビコンで621と生活を共にしている。

 身辺が落ち着いて来た頃、621には強化手術を受ける前の人生を知る機会も何度かあったが、調べもせずに断った。621にとって“自分”というのはこの惑星ルビコンⅢで生まれたのだと、そこで得た体験が“自分”を作っているのだと、そう理解しているからだ。
 だから、ここでヒトになっていく事が、きっと正しい事なのだろうと621は考えている。ACを使った戦闘でしか自分を表現できなかったが、これからは言葉で意思を伝える事も学んでいこう。もっとヒトらしく世界と関わっていけるように。621は次の目標を定めた。



「エア。今日の学習を、振り返りたい」
『もちろん。構いませんよ、レイヴン』
 621は今日も沢山学んで帰ってきた。1日の終わりに、エアに付き合ってもらいながら、“教室”で学んだ事を復習するのが621の新しい習慣になっていた。621の“先生”を務めるのはルビコニアンの子ども達である。
 初めは余所者の621を遠巻きに眺めていた子ども達であったが、その英雄らしからぬボンヤリ感に次第に懐き、いつしか居住区で見かけるたびに621に纏わりつく程になっていた。ラスティ以外のルビコニアンとの触れ合いに戸惑っていた621も、少しずつ、子ども達と言葉を交わすようになる。
 そして、子ども達は会話の中で気付いた。621には、およそ常識のようなものが無いのだと。聞けば長い間“冬眠”していたせいで(もちろんこれは621が咄嗟に語ったカバーストーリーだったが)、色々忘れてしまったいるのだという。これでは余りに不便だろう…… という事で、ルビコニアンの子ども達が621の教師役を買って出たのだった。とはいえ、彼らがやれる事といえば、自分たちが学校で勉強して来た事を621に受け売りするくらいなのだが。差し当たり、それで十分と言えた。
 “授業”の間、子ども達はちょっとした優越感に浸る事ができるし、621もヒトとして初歩的なところから学べる良い機会を得られたと感じていた。Win-Winの関係なのである。周りの大人達も621と子ども達の関係を微笑ましく見守っていた。

 さて、621が学んでいるのは読み書き計算だけではない。子ども達は学校から様々なものを持って帰り、621にお裾分けしていた。その中の1つが「歌」だった。惑星ルビコンにも固有の民謡や労働歌が存在する。これらもルビコニアンとしての自意識を育てるものだと大人達は考え、子どもに伝えていた。そして、その歌は621にまで届いたのだった。621は歌のもつ意味までは教わらなかったが、「歌を歌うと楽しい気持ちになる」くらいの感覚は理解できた。しかしこれは、どういう訳なのだろうか?621には次の“授業”で質問することが増えたのだった。



 果たして、「歌を歌うと楽しくなる」感覚は621を夢中にさせた。結局、“先生”に質問してもなかなか満足のいく答えを得ることはできなかったが、
「考えちゃダメ。感じるの」
 という言葉には1つの正しさがあるように思えたのだった。それで、621はよく歌を口ずさむようになった。物資の輸送中や調査任務の帰り道、プライベートルームにいる時なんかに。多くの曲を知っている訳ではなかったが、621は気にもしていなかった。気に入った曲を、何度でも。マイブームと言うべきものが621に訪れていた。
 ハンドラー・ウォルターは繰り返し漏れ聞こえてくる同じフレーズに若干辟易していたが、621が人間らしさを取り戻す過程なのだから、と人知れず我慢していたのだった。

 621の歌声に影響を受けていたのはウォルターだけではなかった。621と共にいる事を選んだ姿無きルビコニアン…… エアもまた、その歌声を聴き続けているオーディエンスのひとりなのだった。しかし、反応はウォルターとは異なっていた。脳内デバイスを通じて交信するという、独特なコミュニケーション方法だからなのか、621の感じている“楽しさ”がそのままエアにも伝わっているのだ。621が歌えばエアも楽しく、エアが喜んでいる感覚も621に伝わって、さらに歌う事が楽しくなる。この循環は誰にも止められそうになかった。



 ある時、エアはおずおずと621に話しかけてきた。ちょうど621が鼻歌を奏でている時だった。
『レイヴン、お願いがあるのですが……
 エアはちょっと躊躇った後に、
『貴方の歌を、私の同胞達にも聴かせてあげたいのです。これはあくまで私個人のお願いですから、貴方が嫌だと言うのなら…… 取り下げます』
 初めての依頼に621は少し戸惑った。歌う事は楽しく、エアが喜んでくれているのも良い事だ。でも、自分の歌は他の誰かに聞かせるほど技術力があるものなのだろうか?依頼を受けるからにはがっかりさせたくは無い。
『それなら心配ありません。貴方の歌はとても上手ですから』
 事実、621は良い歌手だった。習った事を自分のものにする事。これに621は秀でていた。一度聴いた曲は2、3度練習すればそれなりに歌えるようにしてしまう。さらに、エアは歌曲に興味を持ってから、自分なりに人間達のアーカイブを漁って色々な楽曲を聴き比べていた。身内びいきな自覚はあるが、それでも621の歌声は素晴らしいと、そうエアは感じているのだった。
 エアの意見を聞いて621は頷いた。それならば問題は無い。
「了解した。その依頼を、引き受けよう」
 こうして621は初めてのライブステージに立つ事になった。



 621はコーラル湧出地調査の許可(これはあくまで口実だった)を得ると、エアが指定したポイントまで調査用ACで飛んだ。周囲に居住区の無い、人目に付かない場所をエアは選んでくれていた。
 選曲もエアによるものだった。621は運転をオートモードに切り替えると、リストを開いた。1曲目、2曲目は621でも知っているようなものだったが、3曲目には知らないタイトルが載っていた。首を捻る621に、エアは、
『実は、3つ目は私が作った歌なのです』
 と、少し恥じらうように言った。621に依頼する楽曲を探すうちに、エアも自然と作詞作曲の経験を積んでいたらしい。真似事ではあったが、621のために立派に1曲作ってみせた。
『人には自らのメッセージを歌に託す文化があるようです。ですから、この歌には人とコーラルの共生を願う私の思いを込めてみました』
 621は感嘆して頷いた。少し興奮さえしていた。
「すごい事だ、エア。俺はそれを、良い、と思う。……その曲は、今、聴けるだろうか?指定ポイントに、着く前に覚えて、おきたい」
 621の肯定と前向きな態度はエアを喜ばせた。エアがコンソールに干渉すると、すぐにコックピットがスピーカーから流れる新しい曲で満たされた。歌詞に込められたメッセージは、人とコーラルの共生について真剣に語られたものだったが、ポップで明るい曲調が悲壮感を和らげ、親しみやすくしていた。
 エア作詞作曲の新曲【この惑星で、貴方と】は、すっかり621のお気に入りになった。621は、この曲を指定ポイントに着くまで繰り返し繰り返し聴き、自然とメロディーが口から溢れるまで、楽しんだ。そんな621の様子を、エアは心から喜んだ。

 この時の621はまだ知らなかった。自分の歌がエアの同胞達にも喜ばれてライブが大成功をおさめる事や、それによってコーラルが物質として安定した状態になると発見する事を。帰還してからも口ずさんでいた歌が、たまたまルビコニアンの子ども達の耳に入り、いつの間にか大人達にも知られるようになる事を。
 そして、621の歌を流していると(621の知らぬ間に録音されていた)、安全にコーラルの近くで作業ができると気づいた者が、621にこう依頼する。ぜひ、ウチのレーベルで歌手デビューしないか?と。
 621は、皆のためになるなら、と頷いた。エアも、もしかしたらこの方法で人とコーラルの共生を実現できるかもしれない、と心を躍らせていた。ウォルターはひとまず621の判断に任せてみる事にした。621だって今は立派にひとりの人間なのだから、と。



 621の歌は爆発的に売れた。
 ルビコンは結局のところコーラルと共にある惑星だった。コーラルはインフラに深く関わっているものの、未知の部分が多い物質である事には変わりなく、頻発する事故が復興を妨げていた。そこへ、621の歌が入ってきた。現場作業員達はこぞって621の歌を流した。初めは単なる安全のため、次第に娯楽のためにも聴かれるようになった。かねてより始まっていた星内外の開発の波に乗っかる形で621のデビュー曲【この惑星で、貴方と】は広まっていった。
 時にはライブも行った。より売れるためには、もっと知られる必要がある。そう言われて(なるほど、傭兵稼業と似ている、と思った)621はルビコンじゅうにツアーした。ライブをするからにはもっと多くの楽曲が必要だったが、エアの他にもルビコニアンが積極的に提供してくれたので困る事はなかった。彼ら、ミュージシャン達は戦火の中で息を潜め、再び音楽文化が芽吹く時をじっと待っていたのだ。彼らにとって、独立傭兵レイヴンは、惑星ルビコンに音楽文化の夜明けをももたらす存在だった。

 楽曲は飛ぶように売れ、ライブの回数は増加し、ファンクラブができ(いつの間にか会員番号2番にラスティがおさまっていた)、621はいつの間にか独立傭兵ではなくアイドル歌手として知られるようになっていた。
 以前ほどACに乗る事ができなくなってしまったが、621はそれで良いのかもしれない、と考え始めていた。依頼を受けて、金を稼ぐ。皆は喜び、自分やハンドラー・ウォルターの食卓がちょっと贅沢になる。ただ、残念なのはアイドル歌手としての日々があまりに忙しく、ウォルターやラスティと会う機会が減少してしまった事だった。実際に、今も次のライブ会場へ向かっているところなのだ。列車に揺られながら、自分が操縦していない乗り物に乗るのには、まだ慣れないな、と621は考えていた。

 事件が起こる数時間前の事であった。



 どうやら自分は、少し前から“嫌がらせ”を受けていたようだった。621は崩れ落ちてくるライトを見上げながら考えていた。
 本人に自覚がなくてもその影響力は凄まじく、621がデビューしたレーベルはルビコンで知らぬ者はいないほど有名になった。しかしその一方で、市場は厳しく、消費者は残酷なくらいに正直だった。具体的には、621が所属している所以外のレーベルは軒並み潰れてしまったか、そうでなくても風前の灯、といったところまで追い込まれてしまったのである。621は多くの、そして大きな怨みを買っていた。
 初めは気のせいで済むような“イタズラ”だった。呑気なところがある621は気にもしないほどの。それはライブスタッフやファンの顔を被って現れた。もしくは匿名の誰か。次第に目に余るような嫌がらせも起こるようになり、その都度事務所が対応して(表には出せないがエア達の干渉もあり)その場をおさめていた。しかし、あまりにも621の影響範囲が大きすぎて未然に防ぐまではいかなかった。それが、この結果を招いた。

 ガラガラと音を立ててステージが崩れていく。621はリハーサル中で、立ち位置を決めているところだった。
『レイヴン!』
 バランスを崩した621に逃げ場はなかった。エアの悲鳴に似た叫びを聞きながら、ライトが落ちてくるのをただ見ているしかなかった。ACの外では621はあまりにも無力なのだ。そばにいたスタッフが621を突き飛ばしてくれなかったら、本当に危ないところだった。
 現場は騒然となった。その日から開催されるはずだったライブツアーは急遽中止となり、スタッフは事故の原因究明とファンの対応に追われた。621には無期限の休暇が言い渡され、久々にウォルターのいるセーフハウスへ帰還したのだった。

 レーベル側からの報告を聞いたウォルター(いまだ世間に疎い621に変わり窓口を務めいた)は、眉を顰めた。ステージは何者かによって土台から“崩されていた”。明らかに621に危害を加える意図で行われた“悪質な”行為だった、と。やはり止めるべきたっだか。ウォルターはそう思ったが、すでに手遅れだった。
 この事実について関係者の間で緘口令が敷かれたが、当然のように長くは持たなかった。ファンは動揺し、ファンじゃない人間も野次馬根性で噂の真実を知りたがった。犯人探しや庇い合い、罵り合いが起こり、争いが争いを呼んだ。ルビコンじゅうが疑惑と怨恨に燃え上がり、騒がしくなった。
 こんな状況になって、621は自分の選択は誤りだったのではないか、そう考えるようになった。ただ自分の楽しみのために始めた歌だった。深い考えもなく依頼を受け続け、気が付けば、人々の争いを生んでしまった。
「エア。……俺は、間違った選択を、したようだ」
『レイヴン?』
 エアの声には動揺が混じっていた。621が突然切り出した話に不吉な予感があったからだ。
「俺は、AC乗りだ。人も沢山、殺した。悪い人間も、良い人間も、みんな。……歌を知ったのは、良い、事だった。だが、俺は誰かを、喜ばせるほどのヒトじゃ、なかった」
 621は項垂れた。
「俺は、争いの火種でしか、ないのだろう……
『レイヴン…… もし、選択が誤っていたのだとしたら、その責任は私にもあります。いいえ、初めの依頼は私によるものです。だから』
「それは、違う、エア。君は確かに、依頼をした。だが、その依頼を受けると、選択したのは、俺だ」
 それは621からエアへの感謝であり慰めであり拒絶であった。エアは621がアイドル歌手を引退する選択を聞いても、引き留めるだけの言葉を持っていなかった。こうしてひっそりとルビコンからひとりのアイドルが消えた…… かに思えた。




 その日、621は人気のない寂れた飲食店の隅でうどんを啜っていた。
 621がアイドル歌手としての活動を辞めた後も、騒ぎは収まるどころか拡大していくばかりだった。あれだけ影響が大きいと引退ですら騒ぎの燃料になってしまう。やる事なす事裏目に出て、621はさすがに落ち込んでいたのだ。それで、ルビコンの中でも開発の進んでいない、いわゆる“田舎”に身を潜めていた(ウォルターもこの選択には賛成してくれた)。ここなら621の顔まで知っている人間はほとんどいない。
 だから、カウンター席がガラガラに空いているにも関わらず、自分の隣に誰かが座った時、621は警戒した。しかし、「やぁ、戦友」という聞きなれた、今となっては懐かしい呼び掛けに621は嬉しさと安心を露わにした。そこにいたのは、ラスティだった。
「君がなかなか見つからなくてね。あちこち探し回ったんだ。君を捕まえるのには、いつも苦労する」
 ラスティはそう言って、微笑んだ。

 621の元に訪れたラスティは色々な話を聞かせてくれた。ウォルターは元気でいる事、フラットウェルは変わらず621に仕事を依頼するつもりでいる事、“教室”の子ども達が寂しがっている事……
 ラスティの口調は普段と変わらない調子であったが、それと同時にこちらの様子を伺うような気配もあった。ラスティが伝えたい事は別にある。そう予想した621は、
「ラスティ、君の、用件を聞きたい」
と、切り出した。ラスティは少し迷った様子だったが、結局せがまれるまま情報端末を621に見せた。それはゴシップマガジンのページだったが、見過ごせない文字列があった。【音楽業界、抗争発生か⁉︎】621は驚いた。
「抗争……?」
「そうだ。君がいたレーベルは相当な恨まれようでね。割りを食わされた連中が手を組んで、ひと暴れしてやろうと、そういう魂胆らしい」
 圧倒的な影響力を持った621が去り、均衡が崩れたのが原因の1つだと言う。裏では実際に元傭兵や血の気の多いドーザーを雇い始める動きがあり、ただのゴシップと切り捨てられない危険性があるのだと、ラスティは説明した。いよいよ大変な事になってきた。
「しかし、君のハンドラーは先見の明があるな。この事態も予測して君を逃したんだろう」
「そう、だったのか……
「戦友?」
 621は項垂れた。自分がいると争いが起こり、かといって、いなくなればまた別の争いが起こる。ヒト初心者の621には手に負えない問題に感じた。俺は、どうするべきなんだろう?
「そう落ち込まないでくれ、戦友。君には味方もいるんだ。君のハンドラーや、君の友人のエア…… それに私もね」
 ラスティが励ましてくれている事は理解できたが、621にはそれに応える元気がなかった。ラスティは曖昧に頷く621を見て、やはり騒ぎが収まるまで黙っておくべきだったか、と少し後悔していた。



 ラスティが去った後、621は迷いに迷って(というのも、迷惑をかけている事を後ろめたく感じているからだ)、ハンドラー・ウォルターにコールした。621の懸念に反してウォルターはすぐに応答してくれ、621は安堵のため息をこぼした。
「どうした、621。何か問題があったか」
 621は促されるまま語った。自分の選択は誤りだったに違いなく、このままルビコンで暮らしていても人々に争いをもたらし続けるだけだろう、と。621の周囲にいるヒト達(もちろんエアも含まれる)が傷ついたり、悲しんだりするだろう、と。そして、621自身がそれに耐えられそうもない。そんな事を語った。
 621の話を聞き終えたウォルターは言った。
「選択には責任が伴うものだ、621。だがお前の選んだ生き方だ。俺は否定しない。もし、お前がここを去りたいと言うのなら、止めはしない」
 だが、と621のハンドラーは続けた。
「だが、全てを諦めてしまうには早すぎる。そう俺は考えている。621、お前にはまだできる事があるはずだ」
「ウォルター……
 初めてウォルターに叱られた。そう、621には思えた。かつてレッドガン部隊の総長が部下を鼓舞するために行なっていた叱咤激励。それと同じものをウォルターの言葉から感じた。だから、621は言った。
「俺はやれる事を、やってみたい、です。……いいえ、やってみせます。絶対に」
 こうして、一度はマイクをステージに置いたルビコンのアイドル歌手は、再び立ち上がる事を宣言した。

 通信を終えた621は、エアとラスティに依頼した。抗争が起こるまでそう時間は無く、手段を選んではいられなかった。だから、無線有線問わず、できるだけ多くの通信機器をハックして欲しい、と頼んだのだった。2人の友人は621の“作戦”に賛同し、協力を惜しまないと言ってくれた。
 621も作戦決行の日のため着々と準備を進めた。この選択が、必ず良い結果を運んでくるとは限らない。迷いはあったが、何もしないよりずっと“良い”。621はそう考えられるようになった。



「戦友、準備は整っている。君のタイミングで始めてくれ」
 621はラスティの言葉に頷く。今、621はコーラル湧出地にいた。かつて、エアと訪れ初ライブを行った場所だった。人目につかない所。これから行う作戦にぴったりだった。
「エア、“繋げて”くれ」
『分かりました』



 その時、弱小レーベルが密かに買い取ったガレージでは、ドーザー達の乗る機体の最終調整が行われている所だった。また、別の場所では足りない弾薬を買い足すため通信を行なっている所だった。また、ある者は伏撃地点で合図が来るのを待っている所だった。
 突然、通信が途切れ(または切り替わり)、音楽が流れ出した。
「おい!どうなってやがる⁉︎」
 誰かが通信機越しに叫んだが、その叫びは誰にも届かなかった。どこもかしこも混乱が起きた。通信を復旧させようと機械を弄くり回す者もいたが、徒労に終わった。ただ、スピーカーから流れてくる音楽を聴く他なかった。しかも、その音楽ときたら、ポップで明るく可愛らしい曲調なのだ。これから出撃しようとしていた(あるいはすでに出発していた)者達は毒気を抜かれ、呆然とした。
 イントロが終わり、歌声が聴こえ始めた。
 引退したはずの、あのアイドル歌手の声だった。



 621は生まれて初めて、歌に意図を込めていた。
 できるだけ多くの人にこの歌が届きますように。争いが収まりますように。楽しい気持ちになってくれますように。
 素朴だが、確固たる想い。
 621はそれを、エアが初めて自分のために作ってくれた曲【この惑星で、貴方と】に込めて歌った。結局グルーヴもハーモニーも理解できなかった自分だが、「歌を歌うと楽しい気持ちになる」事だけは忘れていなかった。そして、歌は考えるものでは無く、感じるものだという事も。621はルビコニアンの子ども達を思い、ウォルターを思い、エアやラスティを思った。そして、この歌を聴いているはずの皆の事を。
 歌はサビに入ろうとしていた。

 歌いながら621は不思議な感覚になっていた。エアの感情がフィードバックされているのは普段通りだったが、そこに何かが混ざっているような…… いや、むしろこちらがあちらに混ざっている?いや、これは……
『レイヴン!』エアが嬉しげに言った。『コーラルが、私の同胞達が、歌っています!』
 エアの言う通りだった。621の歌に合わせてコーラル達が共振を始めていたのだ。か細い、さざめきのような音が、次第に大きくなり広がっていった。ラスティが息を呑む気配。コーラルの歌声は621以外にも聴こえているらしい。きっと、スピーカーの向こうにいる人達にも。

 621は沢山のコーラル達の声を見た。あふれ、はじけ、たゆたい、ながれてゆく光。きっとルビコンじゅうが光に包まれているはずだ。ウォルターも見てくれているだろうか。この美しい景色を。
 その時の621は、惑星に満ちるコーラルそのものであったし、コーラル達も621を通じてヒトと関わりを持ち、喜びを感じていた。621は、この歌が惑星にあるものすべてを重なり合わせ溶け合わせ、そして、すべてがひとつになるのを感じた。

 やがて、歌は終わった。



……最後まで、聞いてくれた事、感謝する。ありがとう」
 歌い終えた621はルビコニアン達に語りかけた。
「俺からの、依頼をどうか、聞いて、欲しい。俺はこの歌を、もっと沢山の人に、歌って欲しいと、望んでいる。誰でも、どこでも、構わない。皆がもっと自由に、歌を楽しめれば、それで、良い」
 どうか争わないで。621はそういって話を終わりにした。上手く意図を伝えられたか不安だったが、数分後、ラスティから抗争が取り止めになったと通信が来た。621は心から安堵した。621の“作戦”は成功したのだった。

 こうして、惑星ルビコンⅢの音楽文化は守られた。そして、新たな時代がやって来る。621の言葉を受けて、各地でアイドル歌手がデビューし始めたのだ。デビュー曲は、もちろん【この惑星で、貴方と】。いつか銀河のヒットチャートになる歌だった。