77nairo
2025-12-06 23:00:00
1166文字
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食欲


 松本はぴかぴかの新米が山盛りになった丼を前に、深いため息を吐いた。
「なした、松本」
 そう声をかけられて、松本は隣に座る河田の丼にちらりと視線をやった。すでに二回おかわりをしているはずの丼は底をつきそうになっている。
……河田、俺のも食うか?」
 松本はほかほかと湯気を上げる丼を差し出した。おかわりしたあと箸をつけていないから、新米は富士山のようにきれいな稜線を保っている。
「おめ、それまだ二杯目だべ。ノルマ分は自分でけ」
「まあ、河田はそう言うよな……
 毎食、丼二杯はメシを食うこと。それが山王工業バスケットボール部員に課されたノルマだった。ぱくぱくとすこやかな食欲を見せる河田を横目に、松本はもう一度ため息を吐いた。自分だって河田と同じ練習をして腹が減っているはずなのに、いざ食べようとすれば疲れ切った胃袋が食物の進入を拒否する。
「あ、また松本が不正しようとしてる」
 今度は正面から声が降ってきて、松本は顔を上げた。丼からはみ出しそうなメシの山が視界に飛び込んできて、思わずげえっと声が漏れる。
「ちょっと、人の茶碗見てげえっは失礼でしょ」
 腰を下ろした一之倉に睨まれる。助けを求めて河田のほうへ顔をそむけたけれど、そちらからも鋭い視線が向けられていた。
「おめ、しっかり食わねと大ぎぐなれねぞ」
……河田が言うと説得力あるな」
 山王に入ったばかりの頃、河田は一之倉よりも背が低かった。それが一年足らずで二十センチも身長が伸び、今や松本よりも大きいのだから、ぐうの音も出ない。
「それにしっかり食べないと走れないよ」
……一之倉が言うと説得力あるな」
 一之倉は秋の持久走大会で、全校一位だった。一年生から三年生まで一斉に、バスケ部員も陸上部員もいっしょくたに走る大会で、一位だ。ぐうの音も出ない。
「さて、食った食った。松本、ちゃんと自分でけよ」
 丼をすっかり空にした河田が、一足先に立ち上がる。その背中に恨みがましい視線を送っていると、一之倉がふふっと笑いを漏らした。
 むっとして松本が睨みつけても、一之倉は片眉を上げていたずらっぽく笑うばかりだ。
……なんだよ」
「松本にいいものあげる」
 そう言うと、一之倉はジャージのポケットからガラス瓶を取り出した。片手に収まるこぶりな瓶の中に、真っ赤な梅干しがぎゅうぎゅうに詰まっている。
「これ、うちのばあちゃんが漬けたやつ。超すっぱくて、超しょっぱい」
 一之倉はこちらの返事も待たずに小瓶を開け、梅干しをひとつぶつまみだした。松本の丼にそびえ立つメシの頂上に、ご来光みたいに梅干しが乗っかる。
「松本にだけ、とくべつ」
 きゅっと持ち上がった一之倉の梅干しみたいに赤い唇に、視線が吸い寄せられる。松本の口の中にじゅわりと唾液が滲んだ。