親戚以外の結婚式に呼ばれるのも初めてなら、二次会に呼ばれるのも初めてで、自分もオトナになったんだなと木兎は思った。
普段、手に取ることのない高級そうな封筒に入れられた招待状を受け取ったことも、それを開けたことも、入っていた案内に出席や欠席について返事をすることも木兎にとっては初めてのことでとてもワクワクしたし、作法がよくわからなかったため、こういうことはなんでも知っていそうな高校時代の部活の後輩に聞いたりもした。
招待状の差出人であるチームの元キャプテンは、今年でちょうど三十二になる。
その元キャプテンが引退試合を終えたロッカールームで手渡してくれたときの表情は、今日という晴れの日(あいにく季節は梅雨で、雨は降らなかったものの曇り空だった)までずっと木兎の脳裏に焼きついていた。
笑顔だった。
少し照れていて、でも自信と希望に満ちていて、誰かを自分は世界で一番幸せにするんだという、強くてきらきらとした気持ちが滲んだ笑顔。
チームをひとつにまとめ上げることは、とても大変な仕事だ。高校の時、部活で主将を任されていた木兎にもその苦労は少しくらいならわかる。ましてやプロのバレーボールチームになれば並大抵のことではない。
それでも彼はずっとこのMSBYブラックジャッカルに入団してから引退まで、いつ何時も誠意をもってチームの一員として、木兎が入団した頃にはすでに主将の肩書を背負い行動していた。そんな彼だからこそ、サポーターたちにも引退まで──いや、引退後の今でも掛け値無しに愛されている。
その人が、たったひとりを絶対に幸せにすると心に決めたのだ。幸せにならないわけがない。
木兎はそれを何一つ疑うことなく、今日一日を式から見守っていた。
結婚式がこんなに感動するものだったとは思わず、遠い親戚の誰かもわからない女性の披露宴で、一番後ろの円卓で子供心に美味しい料理が食べれるだけだと思っていたときとは思うことも感じることも違う。けれどそれは主役が誰なのか祝う相手が誰かではなく、単に立ち会う自分自身の価値観が変わったに過ぎないのかもしれない。
「ふつうのオトナになったんだなー、俺も」
「なんやねん、ふつうって」
披露宴から同じ卓で、いま行われている新郎と新郎側の会社の人間と元チームメイトやスタッフだけの二次会でも、同世代で何かと話しやすい(と木兎は思っているが、それを言うととんでもない顔芸をしてきて、それを顔芸というと今度はなんでやねん!と伝統芸能みたいなツッコミをしてくる)侑と木兎は、引き続き同じテーブルに座っている。
二次会は山側の式場から駅を挟んで海側にある路面の洒落たレストランを貸し切っていた。人気店の料理と酒は美味しく、昼間あれだけ食べて飲んだというのに、ついつい手が伸びてあっという間に胃の中だった。
結婚式までは皆、厳粛な場に相応しく品行方正にしていたものの、所謂身内だけの二次会になった途端、普段はセーブしている酒をここぞとばかりに楽しんでいる。シーズンも終わり、ナショナルチームの招集がある選手もいて木兎も侑もそのひとりだったが、酒が次の日に残るタイプでもなく、ピリピリと神経質にならなければならない過密な時期は過ぎていた。今日くらいは!とはしゃぐ男たちの中で、侑も例に漏れずツッコミの呂律はすでに怪しい。
「ツムツム、いつの間に酔っ払ってる?」
「えー? ぜんっっぜん? 酔うてないですけどぉー?」
「こんなになるまで飲むの、意外と珍しいね!」
「いや人の話きいて!?」
これでいて侑は、普段だと介抱する側に回ることが多い。酔っぱらうほど飲むことはなく、飯のついでに嗜む程度。木兎の目利きでは決して弱くないはずだが、シーズン中は自ら節制しているらしかった。
「やって木っくん、こんなめでたい日に飲まへんで、いつ飲むっちゅうねん!」
「そりゃそーだ! ほんといい式だったもんなー」
「俺、うっかりもらい泣きしそうなったわ〜」
しみじみと言う侑はソファ席の背もたれに思いっきり体重をかけて、天井を仰いでいる。着慣れないだろう糊付けされてパリッとしたワイシャツはすっかり第一ボタンが外れて、きっちりと結んでいたはずの光沢のあるネクタイは緩んでいる。
侑に習って、隣の木兎もネクタイを緩ませながらどすんと背もたれに身体を預ければ、木目の天井にはシーリングファンがぶら下がっていて、ゆったりと回転しているのが見えた。
「木っくん、いま彼女おったんやっけ」
「ううん、いない。ツムツムはあれだ、高校んときからの彼女?」
言動は絵に描いたような酔っ払いになっている侑だが、顔色は普段とさほど変わらない。
わかりやすく赤くなることもなく整った顔立ちのままだったが、その話題を振った途端、表情筋が緩まったのを木兎は見逃さない。
普段から侑に聞かされている、高校から続いているという彼女の存在。
この話題になると、決まって侑の顔つきは、仕事中でも試合中でも練習中でも見せない、一言で言うには入り組んでてやや複雑なものになった。
ニヤついている、というわけでもなく。
(いや、ニヤついているときもあるけどな)
自慢げにしている、というだけでもなく。
(でも自慢したそうにしているときはあったかな)
満ち足りていて、いまにも溢れそうな眼差しで。
(なのに、どっか足りなくて焦れている、みたいな?)
とにかく木兎からすると表現が難しい。
一度それを、何かと自分の言語化を手伝ってくれる後輩に話したことがあったが、その後輩もまた「自分もまだ人生経験が乏しいので、なんとも」なんて言われてしまった。
「それがな。聞いてや、木っくん。俺な、ついにやり遂げたんですわ」
「なにを?」
「なにを?って。決まっとるやないか。セックスや、セックス」
「ぶふっ
……!!」
口の中のものを吹き出しかけて地獄を見ているのは木兎ではなく。たまたま木兎と侑のふたりだけになっているソファ席を見つけて、飲み物が入ったグラスを持参して混ざりに来た日向だった。
日向は新郎とは直接シーズンを共にプレイしていないものの、社内の同じ部署で世話になっているという。トレードマークの明るい橙色の髪は、今日はフォーマルに前髪を上げる仕様となっているけれどネクタイはもう外してあって、光沢のあるワイシャツとスーツのスラックスだけが今日のフォーマルの残像だ。
「あはは〜〜、翔陽くんめっちゃ慌てとる〜〜」
「え、この侑さん、めちゃくちゃ酔っ払ってますよね!?」
「うん! わかりづらいけど、たぶんさっきからすげぇ酔っ払ってる」
「もしかしなくても、いまぜったい来ちゃ駄目なタイミングだったんじゃ!?」
「そんなことないて〜〜。ええから座って、翔陽くんも聞いてや。俺な、セックスしてん。ようやく」
「ツムツムて童貞だったってこと?」
「はぁ!? ちゃいますけどッ!?」
「あの、大丈夫ですよ! 童貞だからってべつになにか悪いことしてるわけじゃないと思いますし
……!」
「いや別に俺も悪いとか思ってへんし!? って、ちょお待って!? なんで俺が童貞だった感じで進めようとしとんの、この人ら!!」
背もたれに伸びていた侑の体が、慌てて起きて対面のソファに座る日向と、真横の木兎を交互に見る。
溶けるようにソファに身を任せていたが、余程童貞だった前提で話を進めたくなかったらしく、侑の口調が随分とはっきりとしてきたところで、日向は近くを通ったウエイターにチェイサーを人数分頼んだ。ウエイターが去っていくのを確認して、侑は「まあこの際、そこはどうでもええねん!」と座りながら重心を前のめりにする。ソファとソファの間に置かれたテーブルの真ん中に置かれたキャンドルライトの火が、侑の荒くなった鼻息で揺れた。
「彼女と高校んときから付き合ってんだよな? なのにヤってなかったってこと? えっちなこと」
「えっちなことはしてました〜〜! 本番までしてないだけですぅ〜〜!!」
「ツムツムが我慢してたってこと? それとも相手が嫌がってたってこと? え、だいじょうぶ?」
「い、嫌がられてるわけないやろがい
……っ!!」
「えー!? そんなのわかんねーじゃん、本人に聞いてみないことにはさぁー」
「ぐうううっ
……! そら、そうやけど
……! でもぜったいに!! 嫌がられてはっ!! ない、はず
……っ!!」
「そんな唇から血を出すまで食いしばって言うことなんですか!?」
「翔陽くん、ええか。男にはな。引いたらあかんときがあんねん
……」
「すごい
……! セリフはかっこいいのに、ぜったい使い時はいまじゃないことだけはわかる
……!」
チェイサーです、とウエイターが卒のない手捌きでグラスをテーブルに置いて去っていくと、侑はさっそくグラスを取り、酒を飲むように中身をぐびぐびと喉に流し込んだ。
いい飲みっぷりの侑が、学生時代から続いているという彼女と最後の一線を越えていなかったことについては、さすがに木兎も知らなかった。そこまで赤裸々な話を素面でするわけもなく、酒の席だったとしてもここまで口が緩くなっている侑は珍しかった。それだけ酔っているのか。もしくは。
「あれだな。幸せのレンドウ!」
「「レンドウ?」」
「ツムツムも言いたくなっちゃったんだろ? いま、すげー幸せですーって」
木兎もまた背もたれに寄りかかっていた体重を引き上げて、腹筋だけで勢いよく上半身を起こす。それからチェイサーを侑同様に一気に喉に流し込んでから、テーブルに頬杖をついて口の端をあげると、侑もまた同じようにニッと歯を見せた。
「俺、めっちゃアイツのこと好きやから、ホンマめっちゃ頑張って我慢しててん。俺はどっちだってええよ言うてんのに、そこんとこアイツも『プロの身体にそんなことできへん。こっちの気持ちの準備ができるまで待っとけ』の一点張りでぜんぜん聞かへんし。でもあいつがええよって言うまでは絶対に無理させたくなかったし、ちゃーんと〝待て〟しとったんやで。健気やろ? そうやって健気に待ちに待って、よおーやく『ええよ』言われてん。
……あかん、思い出して顔緩む」
どっちだっていい、っていうのはセックスできなくてもいいって意味だろうか。
でもそれだと彼女の健気なお願いの意味がいまいちよくわからなくなる。それにプロの身体って言われても、大好きな彼女との1ラウンドや2ラウンドで身体に影響が出るような鍛え方、逆にしてなくない?と木兎は思わないこともなかったが、酔っ払いの言うことをお酒の入った自分が聞いてるわけだしと、そこはあまり深く考えないことにした。それはそれとして。
「たしかに、好きな子に『準備できるまで待って?』とか言われたら、可愛くていくらでも待てちゃうかも?」
「はーーー!? なんやねん可愛いて。アイツの可愛いは俺のやねん、木っくんまで可愛いとか言わんといて!?」
酔っ払いの呂律なのに真顔でダメ出しをしてくる侑がだいぶ面白くて、木兎はまた笑みを深くする。そしてそのイタズラっぽい笑みの深まりに、対面に座っていた日向は「あ。これ、木兎さんもけっこう酔っ払ってるやつだ」とここにきて気づき、チェイサーをもう一度ウエイターに声をかけた。
「あ、でも待って。逆かも」
「逆ぅ?」
「むしろ俺がソノ気にさせてあげたい!て燃えるかも
……?」
木兎がいきなり真剣な表情をしたかと思えば、もし自分が同じ状況になったら?と脳内でイメージしてぽろりと溢したセリフに、侑は途端「ないないない! 可愛いないし!」とムキになって片手をブンブンと左右に振った。
「アイツそんな可愛ないから!! ソノ気にさせるとか!! 木っくんはちっともせんでええて!!」
「え!? 可愛くないの!?」
「いーーや!? そんなんめっちゃ可愛いですけども!? この前、初めてした朝なんかなあ! いつもは俺より早く起きて朝飯作ってくれてるのに全然起きんし、ものっすごい気だるく布団のなかでうにゃうにゃしとって! よし俺が朝飯食わしたろってベッドから出ようとしたらな!?『
……いかんで?』て寝ぼけて言いながら手ひっぱってきてん!! さびしい、離れんで?ってとろんとろんな声で!! はぁーー、かわいい! 俺の相方、かわいいの天才!!」
「侑さん、言っちゃってます! 可愛いとこ全部言っちゃってます!!」
「だって翔陽くん!! 木っくん、アイツんこと可愛いない言うたぞ!?」
「言ったけど、言ってません!!」
「いやどっちやねん
……!! ええか、木っくんアイツはな、身体どっか痛いとこないか?って聞いたら『ぎしぎしで最悪やボケカス。責任とれ』って口で言うくせに、ふにゃんて嬉しそうなツラして笑ってんねんぞ!! どこが可愛くないて!? 世っっ界一、可愛いやろがいっ!!」
「おー! ツムツムやるじゃん!」
「やって俺ほんまに頑張らせていただきましたし!? アイツが少しでも気持ちいように、痛い思いさせんように、これでもかと準備したし、そんなすぐ動かんようにめっちゃ堪えたし!! でも
……」
「「でも?」」
「したらアイツ『ここまで我慢してくれてありがとう。もう、ぜんぶお前のもんにしてや』とか、エグい煽り散らかしてくるから〜〜
……」
思い出しているらしい侑はまた可愛かったとうっとりため息を吐いて、テーブルに突っ伏していきなり動かなくなる。
「侑さん、そろそろ限界ですかね
……?」
「ツムツムってこんな彼女にデレデレだったんだなー」
「彼女さんの話はちょこちょこしてくれますけど、こんなにデレデレっていうか、
……ここまで堂々と惚気る侑さん、初めて見たかも。あんまり詳しいことは言わないようにしてるんだろうなって思ってましたけど」
「ツムツムってさー。身内認定した相手に、ちょっと脇が甘く?なるとこあるよな。
……え。使い方、あってる?」
「あってます!
……たぶん!」
「でもコートに入った途端、むしろ身内にいちばん容赦がない!」
「たしかに!」
突っ伏してしまった侑に、顔を見合わせた木兎と日向が和やかに口を揃える。
そんなふたりに構わず、侑は突っ伏したまま誰にも聞き取れないくぐもった声で何やらブツブツとつぶやいていたが。
「
……指輪。ええな」
腕に突っ伏していた顔が、むくりと上がる。
視線の先には本日の主役。
新郎が、沢山の人々に囲まれながら楽しそうに酒を飲んでいて、そのグラスを持つ左手薬指にはシンプルな銀色の輪が光る。
木兎は学生時代にいた彼女とは別れているし、いまは相手もいないため、結婚という二文字はまだまだ自分事には直結しない。自分はもちろん、同世代の親しい友人たちからもその手の報告はまだもらったことがなく、少し先の話だなというのが素直な感想だった。
「ツムツムは、彼女とそろそろ〜って話になったりすんの?」
一方、何年も付き合っている相手がいる侑なら、自分に重ねてみたりするのかもしれない。
尋ねてみると、侑は「うーん
……」となにやら曖昧に唸り出した。
「せやなぁー
……。式とか、そういうのはできへんけど」
「うん」
「ふたりで揃いの指輪くらいは欲しいなって。今日、思った
……」
「へぇー! ツムツムって結婚願望そこまでなさそーって、ちょっとだけ思ってたけど」
「どうなんやろ。これは結婚願望なんかな。紙切れひとつ、輪っかひとつで、あいつのこと縛りつけられるとか思わんし。そもそも縛りつけられるタマちゃうし」
侑が〝やらない〟ではなく〝できない〟と言ったのを、木兎はほろ酔いながらも聞き逃さなかった。けど木兎はもちろん日向も、そこにあえて話を向けることはしない。
木兎は入団してからしか知らないが、侑の彼女はずっと変わることなくたったひとりで、何より侑が相手のことも、相手との関係も、とても大切にしてきたことくらいはわかっているつもりだ。
その侑が、こうした物言いをするからには、何かしら事情があるんだろう。
「アイツが泣いたり笑ったりすんのは、俺の隣がいい。俺が泣いたり笑ったりすんのも、アイツの隣以外は嫌や。くたばるときまで、ずっと。ぜったいに。誰にも
……こんだけは、譲られへんねん」
(あ、
……そっか。たぶんコレ、おんなじだ)
これまで時折、侑が彼女の話をするときに乗せてくる感情。
そこに横たわるものに奥行きが深く見えて、とても複雑そうだと思っていた。けれど、もしかすると木兎が思うよりそれはずっとシンプルだったのかもしれない。
侑の表情が、この結婚式に呼んでくれた元キャプテンと薄っすら重なる。
「
……そういう約束が、ちゃんとカタチになるのはええなぁって、
……思う」
木兎は腹にすとんと何かがキレイに収まったような、そんな感覚を覚えた。
言葉の、その一文字一文字を、いとおしそうに紡ぐ。
自分の人生だけでなく、他人の人生までも道連れにするという覚悟。
それを当然と思えるほどの。
思いたいほどの──
「あれ? ツムツム、寝た?」
「侑さーん! 起きてくださーい!」
「うーん
……、あとごふん
……」
「ダメだこりゃ!」
「治さんに連絡してきます!」
「いや
……寝てへんし。サムなんか呼ばんでええし
……どーせ来ーへんし
……」
「まあまあ。寝てても寝てなくても迎えは必要だって!」
「そらそうや
……来ても来んくても、俺の片割れは最高や
……」
「わはは、今度はミャーサム自慢が始まった!」
日向はふたりのやりとりを背にすると、電話をするため喧騒から避難し、レストランの外へと出ていく。
それを見送りながら木兎は、半分寝ぼけて自分の片割れは最高なのだと殆ど意識を沈めながら言う侑の、その顔や声色に「あれ?」と首を傾げた。
「アイツは、
……けっきょく、ゆるしてくれんねん
……俺をゆるしてまう。それがわかってるから、
……けっきょく甘えて
……」
なにより大事で。
なにより大切で。
それでも欠けることは許さない。
許してやることが、できない。
「そんでも俺の手を取ってくれたとき、
……もう離したらあかんて
……決めてん
……」
いま目の前の仲間は、誰の話をしているんだろう。
彼女との話に戻っているのか。それとも──
木兎の猛禽類のような金色の瞳が、ぐりりと動いて、途端に点と点が繋がり出した。目まぐるしく思考回路が再構築されていく。
あのときの行動も、あのときの言葉も、あのときの台詞も、もしかして。
思い起こせば起こすだけ、全ての辻褄が合致して、流石の木兎もちょっと驚く。驚くけれど、でもそれだけだ。だからどうということもない。
少なくとも木兎の中では驚きよりも、何もかもが線で繋がった達成感の方が大きく上回っていたし、それに。
「身内に甘いっていうか、むしろ甘えてくれてる?」
「んー
……身内が、なん
……?」
「えーっとね。ツムツムはそんなこと言ってるけど、ほんとはミャーサムに来てほしくてたまんないんじゃねえかなーって」
治を呼ばなくていい。どうせ来ない。
侑がそう言っているのは、来てもらえなかったときの悲しさや寂しさへの保険だ。
木兎は「ちょっと、わかっちゃったかも」と言わんばかりにニンマリと頬を上げて歯を見せる。すると侑は、今日一番でわかりやすく狼狽えた。
「は、はぁああ!? べ、べつに来てほしいとか、そんなんちゃうし
……!?」
「え? じゃ、ほんとに呼ばなくていい?」
「
……よ」
「よ?」
「呼んでほしいです
……」
「あはは! だよな!」
「
……あんな、ぼっくん」
「うん、なに?」
「俺な。
……アイツのこと、幸せにしたいとか、してほしいとかとちゃうねん。幸せには自分でなるし、アイツもおんなじやろなって、わかってる。でも
……アイツ、ぜんぶおれに、くれたんや。せやから、おれも、ぜんぶ
……」
侑の声がだんだんと細ぼっていき、台詞の最後は寝息に溶けていく。
揺れるキャンドルライトの火に照らされる侑の寝顔は、実に健やかだ。いつもよりしっかり固めてある金髪の前髪が僅かに解けていて、木兎はその降りた前髪を、人差し指でそっと上げてやった。
気持ちよさそうに、うにゃうにゃとまだ何か言っている侑のその顔つきは、まるで今日の主役のように満ちたりている。
「こんなに大好きだー!って顔して、俺たちに話してくれてるってこと。言われてる本人に教えてやれたらいいんだけど、なんか方法ねーかな〜」
と木兎が思わずぼやいたところで、ちょうど通話するために離れていた日向が戻ってきた。
「侑さん、ほんとに寝ちゃいました?」
「うん、たぶん。ミャーサムはなんだって?」
「あと40分くらいで来てくれるって言ってました」
「なら、それまで寝かしとこ。なんか気持ちよさそうだし」
「そうっすね!」
テーブルに乗せた両腕を枕にして寝入ってしまった侑の、少し伸びてきた黒が混ざるつむじを見ながら、木兎は日向に自分のチェイサーのグラスをグッと掲げた。
「ツムツムが、そのうちウマイコトいきますよーに!」
「なんかよくわかんないですけど! うまくいきますよーに!」
カツンッ、とグラスの縁と縁がぶつかり、澄み切った音が、その場に気持ちよく弾けた。
軽快で美しい響きに、周りのテーブルから視線が木兎たちに集まる。それに気づいた木兎は「仲間の幸せな未来にー! かーんぱーい!」と唱和を促し、酔っ払った仲間たちも何を知らずとも共に「乾杯ー!」とグラスと祝福を掲げてくれた。
大切な人と、大事な約束をしたんだと。
隣で寝こけている大切な仲間も、今日の主役のように胸を張って誇らしげに、少し照れた様子で自分たちに報告してくれる日が、きっと来る。
木兎は願うでも祈るでもなく、この場でただひとり、確信している。