Unシル
2025-11-23 21:14:04
10782文字
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恋雪の話弐

pixivにあげたものを再推敲
原作軸沿い
狛恋で、十七狛治と十五恋雪
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 ――まことの心。
 見当たらなくなって随分と経つ。恋雪は大切なそれを、遠い昔、どこかにしまい込んでしまった。さっぱり治らない病が、それを蝕みそうになったので懸命に隠したのだ。
 自分のことを自分でしたい。母と縫い物をしたい。父と河原まで散歩をしたい、花火を見たい……たくさんの夢を、隠した。病は夢を見ることさえ許さなかった。
 ――いつわりの心。
 十五を迎えた恋雪は気づいた。見当たらないのではなく、たとえるばかりでいたせいで……見失ってしまったのだと。夢が叶わないかなしみから逃れるように、自分自身に嘘をつき、夢を……まことの心を、見ないようにしていた。
「私は大丈夫だから」「さみしくないよ」「……きっと、良くなるよ、ありがとう」「初詣?……いってらっしゃい!」
 父や母にさえ、夢を語らなくなったが。
(私の、真心は)
 花の蕾のように固く閉ざした心根でも、一枚一枚丁寧に開いてゆけば――秋天の下、開花する。
「花火は来年も再来年も上がりますからその時行けばいいですよ」「池の鯉を掬ってきました……もちろん内緒です」「猫を?描けますけど、……最近見かけるやつが――まぁ、ちょいと駆け引き中でして、楽しみにしていてください」
(私、やめたの。嘘をつくのを)
 昨日の恋雪は今日の恋雪と違う。歳を取って老い、やがて死ぬ……姿形は変わるのだ。秋の空も同じで、時の流れは皆ひとしい。きっと心もそうなのだ。

……赤蜻蛉」
 縁側に腰掛けて陽を浴びる。汗ばむ日差しはなく、風がほんのり涼しくて心地が良い。晴れた空に赤いものがちらほらと……宙に舞う赤蜻蛉を眺めていれば、聞き慣れた足音が近づいてくる。誰かがわかるから、心音が高鳴った。
「恋雪さん」
 花を愛しんだ男が、名を呼ぶ。恋雪のまことの心根は、彼がいなければ花開かなかった。
「庭を散歩しますか?」
 恋雪の顔色が良いとき、お天道さんの機嫌がそこそこな日は、決まってたずねてくる。臥せってばかりいた恋雪の体を想っての言葉だった。
 嬉しくて頬が――特別な熱が巡って、あつくなる。
「うん……!」

 狛治が狛治であるならば。
 恋雪は、恋雪で在れる。
 
 変わらないものは、そこにあった。




*******





 恋雪が齢十五を迎えた年の、秋。
 病弱な体は、狛治と父慶蔵の献身によって健康に近づきつつあり、高熱を出すことも咳き込むこともめっきり減っていた。
 そんな様子の恋雪へ、町医者の玄庵は養生訓を開き。
「そろそろ外に出て体を動かしても大丈夫だろう」
 散歩は恋雪の体を丈夫にする、と説く。
……庭とか、歩いていいの?」
「もちろんだとも。少しずつ体力を戻して慣らすんだ……そうしたら、やりたいことももっとできるようになるよ」
 寝たきりの生活で衰えてしまった体力を戻すのには、兎に角、動くことが一番だそうな。なんでも、お天道さんのひかりを浴びると骨も丈夫になるんだとか。
 玄庵の話を聞いて、恋雪の心音が高鳴る。
(やりたい、こと)
 長い時間を歩けれるようになれば、町へ使いに行ける。裁縫以外の家事を……竈で飯炊きができる。そして朝、三人そろってご飯を食べられる。水桶を持ち運べるくらい腕っぷしが強くなれば、お布団を干すのだって辛くない。
……狛治さん、すごいなあ)
 これらと素流の稽古、最近は慶蔵の便利屋の仕事も熟す彼は……よく食べ、よく動く。体が人一倍丈夫だと話すのは本当だから、恋雪は見習いたいと思う。
 そう。
 狛治のように自分のことを自分でして、それ以外のことも、できるようになったなら――
(お慕いしています……好いて、います)
 あなたと夫婦になりたいと。
 彼の目を見て、告げられるのだろうか。
(だいじょうぶ……!)
 狛治を想う都度、特別な熱は体の隅々まで行き届き、恋雪が未来を生きようとする、勇気になる。
「やりたいことはたくさんある、ので……ごはん。まず……私、ごはんをもっと食べます!」
「それはいい!まぁ、無理はしちゃいけないが……よく食べ、よく動き、よく寝ることが、一番大切だからね」

 彼と肩を並べて洗濯物を干せる。
 そんな日が訪れると、未来に想いを馳せる――




 いざ、散歩をするとなると、狛治はごく自然に恋雪の傍にはべる。立ったとき、ふらついた場合に支えるために。家の中を歩いてまわっていたときからそうだ。
「俺はあなたの杖です」
 今日も、仏頂面で彼は言う。
「遠慮なく、掴んでください」
 縁側から腰をあげようとした恋雪へ、手を差し出した。
……私、もうだいじょうぶ……ですよ?」
 最近は、ふらつきもほとんどない。散歩中、つまづいて転んだとて、ひとりで立ち上がることはできるから、慣れたころには何度か断っていた。しかし――必ず狛治は首を横に振って、
「お気になさらず、これも看病のうちですから」
 熱のせいで、体が言うことを聞かないわけではのに――了承しないと狛犬の如く、その場を動かない。
 赤蜻蛉たちにとっては丁度良い、不動の止まり木のできあがり、だ。
(私も蜻蛉たちといっしょね)
 狛治の真心を無碍にしたくないが、差し出された手を握ることに、躊躇う。
(たのもしい、やさしいひと。あなたはいつも助けてくれる)
 よろけ、倒れる前に、彼の逞しい腕が抱き止めてくれると思うとホッとした。
 ――安心、するのだが。
……熱いの、とても)
 ちかごろ、狛治がそばにいると。
 恋雪は元気だのに……熱病の如く、身体中の血が沸くように熱くなる。
(だって……私、狛治さんに――恋、しているの)
 恋。
 字は、恋雪の名に使われている。
 一番身近にあって、長い付き合いになる漢字のひとつだ。
 意味は……実はよくわかっていなかった、と思う。人を好い慕う恋慕という気持ちだと読本には書いており、親が子を想い慕う、子が親を想い慕う情愛とは似て異なる〝想い〟からなるものだと。
 恋雪は、気を抜くと暴走しそうになるこの〝厄介な特別な熱〟に……てんてこまいっていた。
 恋の、熱は。――彼の顔をちらりと見やれば、殊更、ひどくなる。
 淡い桃色の、長い艶やかなまつ毛からのぞく藍に染まった目は、普段、凛々しく光っているのに、恋雪をみつめるときは水飴をとろりと垂らしたように膜が張って……やわらかな光を放つ。
 ――そんな目で、見つめらてしまったら……
 心臓の音が外に漏れて聞こえるんじゃないかと心配になるくらい、どくどくと脈打つし、握った手のひらは汗ばんで濡れてしまう。恋雪の小さい体が隅々まで熱くなって湯気が出そうだった。
 狛治のふとした瞬間のすべてが、恋雪を悩ませる。どうしようもないこの悩みは、
(もう、このまま……
 お天道さんのせいで――たちくらんだ、ことにして。
 彼の腕に縋りたい。
 狛治に触れたい。彼が恋雪だけに眼差しを向け、抱き締めて、歯が痛くなるような甘い甘い声で、名を呼んでくれた日には、今度こそ恋雪はのぼせて倒れてしまうのだろう……などと夢想することで、やわらぐのだが――解決はしない。
(お慕いしています)
 と、言の葉にすれば一瞬、やわらぎそう。
 でも、この気持ちは恋雪の、狛治へのさまざまな〝想い〟がにごっているゆえに、まだ、紡げない。
(心に嘘はつかないで、この気持ちを伝えたい)
 恋雪自ら決めたことだ。
 見目が整っているだとか、背丈が伸びて立ち姿が益荒男だとか、そんな理由だけで恋慕うんじゃない。床に臥せってばかりいた恋雪の沈んだ気持ちを、たくさんの言の葉で前向きな気持ちしてくれた。病人の気持ちに寄り添ってくれた優しい彼だから、恋雪は狛治を好いて……恋い、慕うのだ。
――私も、あなたに寄り添いたいから)
 ずっと心配される女のままでは。
 狛治のやさしさに甘えてばかりいては、恋雪が信じたい未来には近づけない。彼が恋雪に与えてくれた〝いつくしむこころ〟を、今度は恋雪が与えたかった。
 そのためには、狛治の心を知らねばならない。知ればきっと、彼の心配を、少しでも取り除けるはずだから。……それが、恋雪の心が傷いてしまうことに、なろうとも。
……聞こえないふりは、しない)
 恋慕う気持ちで引っこめてしまいがちな心根に、度胸を纏い。
 自分の足だけで立ち上がって向き合う。
 ねえ、狛治さん。
「あの……嫁入り前の女を甘やかさないでください。私、そんなに危なっかしい?た、たしかに、何もないところでつまづいたり、小石を踏んで転んじゃうし。鈍臭いところがあるのだけど……ひとりで、屋敷の庭なら歩けます。信じてくれませんか?」
 彼の顔をじっと見つめる。
 狛治の藍色の瞳はほんの少し揺らいで、きつく結んだ口もとがふっと緩まる。差し出された腕は彼の側面に戻った。
――甘やかしてはいません。信じていないわけでも。嫁入り前の女子の顔に、傷がついたら元も子もないでしょう」
 なるほど。そのとおりですね、って。
 いつもなら引き下がる。慶蔵にも狛治にも、うんと大事にされている自覚はある。でも、今日はそうならない。
……大げさよ。転んだくらいじゃあ……お父さんが狛治さんを連れてきたときのような――ほっぺたがパンパンに腫れるようなお顔にはならないもの」
 狛治のきれいな顔が崩れた。
 眉や目は居心地が悪そうに動いて〝困った〟表情にうつろいおさまる。恋雪が涙を流すと顔にでる表情だが、今恋雪は泣いていない。
「っおっしゃる通り、ですが……
 彼にしてはめずらしく、言い淀んでいる。
「俺がいるのに……理由もなくあなたを一人には、させられない……俺にとっては、大げさな話じゃ、ない」
 ただならぬ空気が、狛治を包み離さない。
……どうして、ですか」
――それは……
 藍に染まった目がゆっくり細められる。ややあって、深い呼吸を一つしてから狛治は重々しく、告げた。
……目が届かないときに……同じ釜の飯を食っているひとがいなくなるのは……堪える……
 恋雪はハッとした。
 あざだらけで傷をこさえようが、痛そうな素振りを見せない狛治が――顔を歪めて、眉間に深い皺をつくる。どこが痛いの、なんて……聞くまでもないことを、恋雪は知っていた。
 彼は続けて、言の葉を紡ぐ。
「あらぬ心配ごとだ……奴らは、俺が試合で下しましたし。でも、どうしても……思い出しちまう」
 恋雪が頑健で武人の気質があり、女でも素流を継げたなら、自身を守ることができたはずで……そんな心配をする必要はなくなる。
――私が弱い、ばっかりに」
 奥歯を噛み締める。
 自分の弱い身体が、恋慕うひとの心を苦しめてしまったことに酷くがっかりした。
「違う!恋雪さん、自分を責めるのはよしてくれ……!これは、俺の弱さ……で」
……狛治さんは、お強いです。あなたの頑健さを、尊敬しない日はありません……!」
 狛治は力なく首を振った。
――人より辛抱のきく体のせいで……俺は、親父の心をわかってやれなかった。だから、また、同じことをしでかすんじゃないかと恐れています……
 恋雪には考えもつかないこと。
 それが、狛治の言う〝弱さ〟で、〝心配〟なんだ。
(でもそれって……弱さ、なの?)
 二人してお手玉を縫っていたときに、彼は亡くなった父親のことを教えてくれた。
 一緒に暮らしていたひとが突然、何の前触れもなくいなくなるのはこわいし――悲しい。恋雪にも心当たりがある。
 母が亡くなったとき、今度は父が亡くなったらどうしよう怯えて、そうなるならいっそのこと、自分が死んでしまえばいいんだと考えてしまった。
 ――心の傷は。
 ささいなことで開いたり、閉じたりする。
 大切なひとを永久に喪って心に傷を負った私たちは、ずっと〝弱い〟まま?
(ちがう。狛治さんは、同じ轍を踏んでない。弱くなんかない……!)
 そう思わせてしまった、きっかけは。
(傷が開いて痛むのは……私の、せい……
 ――あのとき、狛治は恋雪を救ってくれた。

 今年の初め。
 恋雪を――隣接する剣術道場の跡取り息子が無理やり連れ去さって、雪道に置き去りにした事件が起きた。
 連れ去られた日、屋敷には恋雪以外に誰もいなかった。慶蔵が狛治を連れて恋雪の体調が良くなるようにと、初詣へ出かけていたのだ……見計らったかのように剣術道場の跡取り息子は、来た。乱暴者の彼は、気に食わないことがあると直ぐ手をあげる。好きだ俺の嫁になれと言うくせに、恋雪にもそのようにふるまった。ひたすら、コトを荒立てないように話の受け答えをするのが父との取り決めだった、のに。
 飽くことなく道場のこと、慶蔵や狛治のことをなじって……その日、調子の良かった恋雪の頭は冴えていて、彼の話す悪口を受け流せず、
『いい加減、その悪いお口をとじてくださいますか?お父さんのことも、狛治さんのことも馬鹿にするはやめてください!』
 などと口走った。
……あ?』
 低い音。
 怒りをはらんだ声が縁側から這い寄る。逃げ出したくてもそれは出来ない。余計に、彼を怒らせてしまうかもしれない。
……はは、言うじゃないか。いっつもビクビクしてるくせして、お前、案外じゃじゃ馬か?……俺が大人しくなる方法なんざ、決まっている!お前が俺の嫁になることだ。寂れた貧乏道場の嫌がらせだってやめてやらあ。……そうだ――なあ、その意気込みがあんなら、示せよ』
『え?』
 初詣に連れていってやると、話された。
『俺と一緒にお詣りできたら……嫌だと言うことも辞めてやる。ただし、夫婦になるってのは変わらねえ。ほんの少し、先延ばしにするだけだ』
 恋雪の病弱な身一つでできて、大切な家族が困っていることを助けられるような、そんな、機会が、恋雪の目の前に降りてきたのだ。
 恋雪ができる、精いっぱいのことはなんだろうって考える。
 ……示す、だけなら。
 できるかもしれない。
……いいよ、私だって外に出られます。……素流道場の門下生が増えますようにって、お詣り……したいもの』
『ふん、決まりだな。俺と夫婦になるんだってのもお詣りしろよ』
………うん……
 恋雪は彼について行った。
 なけなしの勇気を奮いたたせて、これっきりだと言い聞かせて。
 確かに、総じて言えば〝無理矢理〟連れて行かれたことに変わりはない、が――紛れもない、恋雪の意思には違いなかった。
 〝冷たさ〟しか感じられない男のひとと、夫婦になる、だなんて……〝嘘〟を言ってしまった。
 恋雪は結局、初詣へ行けていない。雪道は過酷で、咳が止まらず呼吸ができず苦しくなる。動けなくなり、倒れて、雪の中でうずくまる。悪寒は止まらず、熱も出ていたと思う。彼が恋雪を置いていってしまったのも、狛治が見つけて助けてくれたのも、生死の狭間を彷徨ていたせいで覚えていない。
 このことがきっかけで、滅多に怒らない慶蔵が怒ってその剣術道場と試合をし、試合に選ばれた剣術道場の門下生全員を狛治が倒したと、話を聞いている。話の中には、乱暴者の彼と恋雪の縁談は出てこない。おそらく帳消しになったのだ――剣術道場の跡取り息子は、金輪際、恋雪に近づくことさえ出来なくなった、から。
(あなたは、道場の嫌がらせをやめさせて、私のことも守ってくれた……
 目覚めたとき、すべてが終わっていた。
 恋雪がやり遂げようとしたことを、狛治は成し遂げた――そんな、強い彼へ。
 本当のことを打ち明けたら、どう思われるんだろう。
 大切にされてきたのに……自分のことも、大切にできない嘘つきな恋雪を。

……ごめんなさい、狛治さん)
 後ろめたい気持ちがぐるぐるまわって、眩暈がしそう。心が沈んで目線は下がり、狛治の足元に落ち着く。
――怖かったことを思い出させてしまいましたよね……御免なさい……大丈夫ですか」
……うん。でも私、今は怖くない……です」
……良かった」
 ほんの半年前の出来事なのが嘘みたいに、以前と変わらず、穏やかに過ごせている。同じことが起きるなんて考えられないのは、狛治の配慮があってこそ。恋雪のあたりまえの幸せは、彼によって護られていた。
「でも……一人で屋敷にいるの、心細くはないですか?」
 思いもしない言葉に、恋雪は顔を上げる。
 いつくしみの眼差しが、泣きそうな恋雪を捉えていた。
「最近出突っ張りで何でも屋の手伝いが多いので……せめて屋敷にいるときはなるべく側に……って、まあ、これは俺の思い違いなら恥ずかしい話で」
 さみしいって。
 顔に、書いていたのかな。
 体調が良くなるといろんなことを考える時間が増えて、布団の中でじっとしているのも退屈に感じたりする。日中、稼ぎのために慶蔵と狛治は外へ出るし、その間、恋雪は縫い物や簡単な掃除をする。やれることが終われば、手持ち無沙汰になり、縁側に腰掛けてぼうっとしたり読本を見たりする。昨年の今頃は、狛治が絵を描いて見せてくれたり、調子の良い時に一緒に縫い物をしたり、その日あった他愛のない話を二人でして……楽しかったのだ、毎日が。
(恥ずかしいなあ……
 言い当てられて、頬から耳の切先まで熱くなる。
 狛治と居ない時間が長くなると、さみしいのだ、恋雪は。だから……彼がそばにいるとき、骨の髄まで蕩けそうなくらい、甘えてしまう。ついこの間は、裏庭の錦鯉がいる池に蛍がいると見せられに行った。恋雪がおぶって連れて行ってと言った我儘を、嫌な顔ひとつしないで。……好いているひとと密着して、きれいな風景を見ることが、どれほど幸せだったか。
 きっと狛治は、年下の妹のように恋雪を甘やかしてくれている。妹……だと、夫婦にはなれない。
――恋雪さんがさみしい思いをしていないなら、いいんです。俺ができることは、こうやって一緒に散歩したりすることくらいだから……遠慮なく、やって欲しいこと教えてください」
 こくりと、ぎこちなくうなずき。
……〝なりたい私〟は、こんなとき、なんて言うの)
 恋雪は瞼を閉じて、顎を引き背筋を伸ばす。ひとつ、深呼吸――好きの気持ちを穏やかにさせる、まじないだ。
 目を見開くと、ありのままの狛治が目の前にいる。
「庭の散歩。狛治さんは楽しいですか」
「?ええ、とても」
「私も……でもね、〝杖〟じゃないあなたと一緒なら、もっと楽しいと思うんです」
……は?」
「狛治さん、気負いすぎです。……もっと、肩の力を抜いてほしいな……
 狛治は目を見開く。
「そう……見えますか」
「はい。だから私、これからはもっとあなたに伝えます……言葉で!」
「ことば……
 恋雪はこの先ずっと、か弱い女のままだろう。それでも、狛治のおそれる〝弱さ〟や〝心配〟をやわらげることなら、できるかもしれない。傷口を縫った糸がほつれたなら、また縫えばよいように。
 そのためには。
「つまり……助けて欲しいときは、助けてって叫ぶの。怒ったときは頬を膨らませて、楽しいときは、笑うわ。悲しいときはわんわん泣いて――だから……私をみていてくれますか、狛治さん」
 狛治は恋雪をじっと見つめる。
「そして、教えてください。あなたが……どうしたいのか」
 言の葉にしないと伝わらない。想っているだけでは、真に、ひとのこころには寄り添えない。
「私、狛治さんと一緒に話すの、とても楽しいし嬉しい」
 狛治は硬直した。
……俺のことなんか、いいんですよ恋雪さん。じゅうぶん、貰っているから……
 顔を恋雪から背ける。
 ぶっきらぼうで、ちょっと、素っ気ない……狛治が家に来たばかりの頃を思い出す。
(そうだ)
 はじめのうち、彼のことを聞こうとすると、こんな口調でさけられていた気がする。
 また、拒絶されるのは……悲しい、から。
――そんなこと言わないで。私泣いてしまいます」
「うっ!?そ、それは勘弁してください……!!」
 木枯らしが二人の隙間を縫って秋天へぬける。
……あぁっと、今日は風が冷たいんでした」
「そうかなあ。私はへいき、っ……ん」
 今日初めて、狛治は恋雪に触れる。逞しい掌は、われものをあつかうように、幼い女の頬を撫でる。
「冷えてます。調子が良くとも、どてらを羽織ったほうが良さそうだ……持ってきますね」
 あんなに顔が熱くなっても、風の冷たさには敵わない。好きのきもちを紛らわしてくれた木枯らしに、心の中でありがとうと呟いた。
 頬から離れる掌が名残惜しくて、我慢できずに、彼の手の甲へ自身の手を重ねる。
「立ち話、たくさんしてしまいましたから……狛治さんの手も、つめたくなっちゃった」
「俺は平気ですよ」
 あっけからんと言う。
 仏頂面がまた張り付く、けど。なんだか、いつもと違うような気もする。
……これから、もっとするのでしょう?」
 他愛もない話、のことだ。
「う、うん!」
 ――それはあっという間で。
 重なった手を包み込まれる。それを狛治は自らの頬に引き寄せて、恋雪のおでこに自身のおでこをこつりとつける。眼前に、狛治のまつ毛がふるえていた。
――熱は、ないですね」
 びいどろのまつ毛の隙間から、水飴を垂らした藍色の飴玉が覗く。くちすい、してしまいそうな……距離だ。
 ぶわりと、おさまっていた特別な熱が再び恋雪の体を巡る。
「俺も話したいから……恋雪さんが元気だから、忘れちまいそうになりましたよ」
 外の寒さを、と、掠れた声が耳に残って――
「俺の鍛錬が足りません、ってことです」
 いたずらっぽく、笑うと。
 彼の場合、唇から八重歯がのぞく。
……好き。大好き、狛治さん)
 いろんなしがらみが、抜け落ちたような。

 特別な微笑みを――恋雪に見せたのだった。








【おまけ小噺〜あの簪の話〜】


 庭にはまだ朝露が残っている。
 野草を縫うように蜘蛛の糸が張っている所に露が連なって、きらきら輝いていた。
「何か、入り用で?」
 狛治は問うた。恋雪が足を止めた目線の先から連想する。
「い、入り用っていうのは……
「いずれ町への行き来をするでしょう?」
「は、はい!」
「えっと、その……女子は、粧し込むのが好きだから……簪や櫛が欲しくなるもんだと親父が話していたなぁ……と、思い出しまして……どんなやつが、欲しいとか。ありますか」
 恋雪は動かなくなった。
――余計な節介ですね。野暮な話でした、御免なさい」
「!そ、そんなこと、ないです……あの――簪、欲しいです……は、狛治さんが、選んだものを……差したい」
「俺が選ぶ簪、ですか……
 強く頷かれた。
――わかりました。なんだかすごく、重大なお役目を授かった気分です」


――町の小間物屋にて


「あまい!」
……はあ」
「甘露甘露もいいところ……口出しした暁には、あたしゃあ、馬に蹴られてあの世ゆき、だ」
 つまり、助言をなくして選べと、女主人は語る。
「訳を話せと言ったのは手前でしょう……こりゃあ、話損だ」
「まぁまぁ。慶蔵んとこの弟子とはわかっちゃいるが、その入れ墨みたら聞かない訳にはいかないしね、お客の意図を汲むのも商売のうちだからさ。此度は偶々、あんたの場合はこっちから願い下げな〝訳〟ありだったって話。それにしても……かわいい子じゃあないか。お前の選んだものが良いって言ってんだ。気張ってきな」
 恋雪は――かわいい。可愛らしい。
 そして、人一倍優しいから……きっと、狛治の選んだ櫛ならば、なんでも喜んでくれる。
(困った……
 本心、陳列する櫛も簪も、全て似合うんだと思う。
……なんでも似合うんだからなんでもいいってのは一番ナシだよ、坊主」
 図星をつかれて手に取った簪を落としそうになる。
「ふむ……察しはいいが、女心をわかっちゃいないとみえる」
……ええ、はい、そうですね……
「おや、素直に認めるのかい?負けん気が強そうな面してさ」
……初めて、ですから」
 みかねた女主人はつぶやく。
「そうさねえ……あたしなら、――ばあさんになっても付けていたい。そう思えるような簪を贈られたいねえ……
……難しい!)
 流行りに関係のない、何時でも付けれるような、その人らしい簪ということだろうか。
 いや、そもそも。
「兄のような男からのものでも、それはいいんですかい?」
「お前……
 ありえないものを見ている目で、狛治は見つめられる。
「?」
……いや、櫛や簪も贈る理由なんざ、まあ……あんたが、その子をどんな意味で慕っているかも問題じゃないし、その子があんたをどう思っているかも問題じゃないんだよ」
 つまり。
「大切な人に、長生きしてほしい、いつまでもお元気で……と願う気持ちは、どんな思いにも通じないかい?」
――俺が、いつも思うことだ、それは……
 長く使えるもなら、名前にちなんだものが良いのかも……しれない。
(雪のかたちのものは、どうだろう……!)
 恋雪の名前には、雪という漢字が使われている。
(雪、は……
 白く、つめたく、とけるもの。
 そして――きれいだ。
 降る雪に触ってみたいと話す恋雪をおぶって、雪の降る庭を散歩したことがある。狛治の髪の毛についた雪を見て驚いていた。目を凝らしてよく見れば、雪にはいろんな形があるとはしゃいでいたんだ、恋雪は。
……慕う女の、幸せを願う……か)
 恋雪の微笑んだ顔が、浮かぶ。
 名前のようにとはいかなくても。簪は、見届けてくれるかもしれない。
(あった)
 そんな簪は、ひときわ輝いて見える。導かれるように手に取って眺めた。複雑な雪の模様が三種連なる銀製の縁取りにガラスで細工されたもの。銀特有の冷たさがじんわり広がる。狛治の熱が伝わると、その簪もあたたかくなっていく。本物の雪ならば溶けてしまうが、ちゃんとカタチは残ったまま……恋雪の頬のようだ。
 ――ああ、やっぱり。
「綺麗だ」
「雪の紋様。雪華って言うんだよ」
「せっか……
 雪の華と書くという。花といえば、恋雪の瞳にも浮かんでいた。真白い、花が。
……みせにきな。その子が、お前の贈った簪を刺した姿を」
 楽しみにしてると、女主人は笑った。
「ちなみに、簪を男が女に贈るのにはこんな意味がある」


 あなたを守ります