いしえ
2025-11-23 18:59:18
5696文字
Public テニ腐
 

口渇咬譚(こうかつこうたん)/海乾

全年齢ですが体の関係を前提とし、それについてが主題。

 走り込みから帰ると、母親が、スーパーマーケットで買ってきたというせんべいのミックスパックを示し、友人からおいしいと聞いたものが売っていた、と、うれしそうに言った。三種類の味が混じった袋だそうだ。俺はそれを眺めながら、乾先輩なら、どの順番で食べるのがいちばんしっくり来るのかとか分析するんだろーなと、自然思った光景をまるで間近に感じてるようで、まぶしいでもなしに目をわずかに細める。口元が少し緩むのも、誰に悟られたくないでもなく、そっと隠した。
 翌日部活後、二人でのトレーニングの時間も終え、それぞれの帰路に分かれるまでのつかの間、小休止がてら少しゆっくりめに歩く。別々の道に分かれてからはまた走るから、それまでの休憩、っつっちゃ不本意だが、トレーニングし通しもよくないと先輩が言うもんだから仕方ない。この先輩となら、多少はこんな時間もいいもんだと思うのが悔しいが。道すがらにある人目につきにくい木陰を、先輩はいつも、好むように選んで足を止める。わずかな街灯が、ひそかな電飾じみてこの先輩をふわふわ妖しくきらめかせるに充分すぎるから少し肩身が狭い。一本の傘に男二人で入るよりよっぽど肩をはみ出させたくなるのに、俺は実際にあったその状況の時と同じく、結局そこにちょこりと収まりきることを選んでしまう。薄光うすひかりに引き寄せられるかのようなそれは、電気を消した部屋でムードのかけらもなさそうなくせ幾らでも空気を作り込むデスクライトさえ思わせた。その明りの届く小さな範囲に、身を寄せ込んじまうっつーか。俺は両肩がいつも通りそわりとむずつくのを、かぜにすこし身じろいだかのように誤魔化した。
 俺の胸の内なんざ知ってか知らずか。そうして案の定、というべきか否か。先輩が、昨日俺が家で見たのとまったく同じ袋の写真を見せながら、言う。
「なあ海堂、これ、見てごらん。三種類の味が混じった、せんべいのミックスなんだ。少し前から、母親がはまっていてね。友人にも勧めてるって言ってたな」
 どきんと、跳ねる胸がそわつくのを抑えるように、俺は続く言葉を待つために相づちを打つ。
……へぇ。ウチのお袋も、買ってきましたよ」
ほう? なるほどねふふ、興味深い。ならば、今から俺がお前にだけ伝授する乾印のマル秘データは、お前のお袋さんのお役に、立てるかもしれないな」
 俺は、聞くまでもなくそのデータに見当がついていることに、この先輩慣れしている自分を感じ、そこに月日さえ感じて、今からきっと耳打ちされるでもないくせに、やはりそわりと浮ついた。誤魔化すように、少しだけその感情をはぐらかす。
……まあお袋のために、聞きますけど」
「ははっ、それはよかった」
 ああ、たぶんバレてるんだろーな。この先輩はこれに限ってはデータというより直感とやらで、俺が抱く感情の移り変わりをどうもある程度は把握しているようで、なんとなくムカつくが俺も素直に言うタマではないからそれに甘えておく。
 先輩が、俺に問う。
「このせんべいに、何味があるかは知っているか?」
「ええっと
 俺は、先輩が未だ見せたままのパッケージ写真をチラ見して答えた。想定の範囲内だろうに隠しもしないっつーことは、それで構いやしないのだろう。
「塩と、醤油と、ごま」
 俺が答えれば、先輩はにこりと、微笑むようにくちもとのやわらかさを増す。それがまたムズリと俺の脳裏に見慣れた光景をちらつかせて仕方ねえ。先輩の上に乗っかって、互いに余裕があるでもねえのに、がぷつく俺のあたまをよしよしと撫でてくるときみてえな、褒めてるのか催促してんのかわかんねえ、年上ぶったあの顔だ。俺はふるりと、ちいさく髪を揺する。先輩は、気にするそぶりもなく俺の正解をほめた。
「その通り。ごま味は、ハチミツを効かせた甘めの醤油味で、生地に練り込んだごまの風味が香る一品だ。塩味は、この製菓会社の看板商品らしい。そして醤油味は、醤油の風味をよりゆたかに感じられる “たまり醤油”を使っている点が特徴だよ。
 さて、海堂。俺の導き出した、これら三種のベストな食べ順は分かるかい?」
 いや、俺は実際食べたわけじゃないんでと、言おうとして、それも根性なしのようでムカつく。俺は、先輩の言葉を経験則から考える。俺が挙げたのとは違う順番で挙げられた味の詳細が、ヒントっつーか、とっかかりの唯一であるように感じた。
先輩が、今挙げた順番、っスか?」
「ふむなるほど、いいデータがとれた」
 外れだったら紛らわしいだろと思いつつ、たぶんそーゆーコトじゃねえんだろうな、と経験から当て込んだ。俺の視線に、正解なのか問うものを先輩は感じ取ったようで、答え合わせをしてくれる。
「因みに、大正解だ。ナイス判断だよ、海堂。俺のヒントを、よく拾ったな。だが、時には誘導にだまされないよう、気をつける必要がありそうだ」
べつに、アンタ、テニスならともかく、日常会話で俺をミスリードするのなんざよっぽど意図があるときだけだろ」
ほう? はは、それもそうか。だが、時には俺だって、お前の知る俺を裏切ることもあるんじゃないか?」
…………まあ、それはそうっスけど」
 そんなモンいくらだってあるっつーの、と、言いたいのをこらえるが、それに限って今ひとつわかっちゃいなそうなこの先輩は、ああ、やっぱこのふわふわした色気は天然なんだよな、と思わせた。案の定、俺の“思い当たるそれ”を掘り下げる発想なんざてんでありやしねえのだろう。他のコトっつっても、話題の流れっちゃまあ流れなんだが、“それ”とは別の事柄について、先輩は掘り下げてその知識を次々と紡ぎ出す。ったく、マジでその自覚のなさ変わんねえのな。めちゃくちゃにしてやりたくなるんだよ。
「ところで、海堂。そもそも、せんべいのルーツは知っているか?」
「いや、知らないです」
 そこから、せんべいやはちみつ、ごま、醤油やら塩やらと人類の歴史についてや、食べ合わせの相性についてだったり今回のせんべいの食べ順により感じ取った相乗効果だとかを次々と、するするスムーズに展開するそれは、さながらその宝庫の博覧会だ。それが俺はきらいじゃねえけど、まるで俺ばかり抱え込んでるモノがあるみてえで、べつにそういうわけでもねえと知ってるくせ確認を欲しがるガキらしく少しむすりとして、そのくちを、ふさいでみようかなんて思った。
、先輩」
「ん?」
「ちょっと、失礼します」
「え? っ」
 くい、と引いた胸ぐら。俺より高い上背を、俺のペースに、引き寄せる。かぷりふさいだよくしゃべるくちが、その咬み痕にぽかんと唖然。少し小気味よくも後輩としてのさがでやや罪悪感。
……生命にとって、ナトリウムというものは、」
 さっきより近い位置のままで、続けられたその博覧に、むすりと俺はもうひと咬みする。
………そもそも塩化物とは」
 お互い様かもしれねえし、年上相手に言うのもなんだが、まあ俺とこのひととの関係性だから思うくらいは許されるだろ。懲りないもんだな。がぷり、もうすこし強めに咬みつく。
…………
 沈黙したそのくちもとが、浅く空いてるのが無意識下に誘いじみてやがる。ああ、人目につかねえ木陰とは言え街灯は少し届くし、いかんせん、今すぐどうにかするには不向きな屋外だ。俺は、自分の劣情をひととき抑え込む意味もこめて、ことばでの戯れにそれをシフトする。
……もう、おしまいっスか?」
 言えば、先輩は数ミリ程度眉を持ち上げ、ふい、と、見えづらい眼鏡の奥でちいさく、視線を逸らす。ああ、畜生。ぐっと、来るから困るじゃねえかよ。返る先輩の言葉は、単なる先輩後輩でもなくダブルスパートナーでもない、“俺”だけに向けられ得る空気をふわふわと少女漫画みてえに周囲に飛ばしてやがるから、俺の心臓は鍛える余地を幾らでも残してる。
……お前、こういうこと、するやつだったか?」
 見えにくくてもその目じりにちいさく朱を置いてるだろうそれが、俺だけの特権なのだろうと思うことは決して傲慢じゃないと俺は知っている。だからこそ、だ。俺ののどが、ぐっとくぐもる。丸呑みしたい蛇の舌を口のなかに抑え込む。大口開けたいのもこらえ込む。
……だれの、せいだかな」
 俺も少しだけふいと顔を逸らしながら、それでもじとり、熱のうすら沁みる目じりで、先輩をねめつける。ミリ単位より細かい動きさえこのひとにおいてはことさらに見逃すまいと、まばたきさえ惜しく思った。先輩は、心当たりこそろくにないにせよ、俺の指し示したものを確かに拾った。
……俺は、お前をそんなふうにしたつもりはないが」
「あんた自身にはそうしたつもりがなくても、俺から見れば、あんたの見え方は変わんねえよ」
……
 ……おまえの、その射貫く瞳の鋭さは、ズルいよ」
 いよいよ顔をうつむきじみて朱染しゅぞめ、俺から遠いほうの手の指で口元をわずかに隠す先輩に、余裕ぶる年上のそれを崩せている俺だけの特権を感じ取るから、ああ、やっぱりすぐにでも押し倒したいムズつきをこらえるのがもどかしい。この先輩は、俺の行動にスマートぶって対応するときはどうもシミュレーションを膨大にしているらしく、初めてそれを知ったとき、めちゃめちゃ意識されてんじゃねえかって胸がバクバクどきついたのを今でもそっくり思い出す。たとえば今のこのやりとりさえ、もしかしたら先輩のてのひらの上なのかもしんねえ。だったら、先輩が俺にキスされたがってるっつーコトになるけどな。もしかしたら、無自覚のうちにはそうなのかもしんねえ。この先輩は、どうすれば俺が行動を起こすのか、どうすれば俺の劣情が容易く煽られるのか、まるきり知ってるみてえに、いつも正解かそれ以上の想定外をぶちかましてくる。そして俺は、それがどの程度無意識でどのくらい意図したものか、どうでもよくなるときがあるのを、このひとに思い知らせたくなる。懲りるくらい、そのくちを咬んでやろうか? それとも、いくらでも天井知らずの俺の底なし沼にずぶりとその身を引きずり込んでやろうか。――答えは、決まってる。
っ、……あんただって、俺の心臓も脳も、いつだってズギャンと射貫いてやがるんスけどそれは置いとくとしても、――あんたが、射貫かれるのが俺の目だけでいいなら……、っつうか、いいのかどうかで、帰ってから、あんたのコト考えるにしても、俺のほうは、加減が変わってきますね」
 シミュレーションなんてしゃれたもんじゃなく、もっと泥臭い、ただただいくつも想定して総当たりするような、いくらでも想像をふくらめるような、あおくさい煩悩を、つぶしてはまた引き起こすだけの、そんな時間を俺は示唆する。走り込んでもとうてい消えようのないそれを、振りきる必要なんざ何にもないとこの先輩のせいともおかげとも言えるままに知っているそれを、ちょうどの加減でなだめて次の休日前のトレーニング後までしのぐ程度に済ますのか、それとも、可能な限りその芽を潰しに潰しまくって凪ぶって、もっとしのがねえとならねえのか。学校が休みだろうが部活が休みだろうが、先輩のスケジュール帳にほとんど毎日、俺とのトレーニングの印が刻まれてるのを俺は知ってる。だからこそ、俺は、うかがいをたてたんだ。それこそがこの先輩にしてみれば“ずるい”らしいが、俺にはよく解らねぇ。
「っ、………
 ……俺のほうも、お前の意向次第で、当面の予定の組み立てが変わってくるが」
 ああ、その意向だか希望だかが間違いなく心底俺からのものであると同時に、あんたがそうさせてる以上あんたの意向でもあるんじゃねえかといつだって俺に思わせるのを、俺は指摘することを今は避けた。チーム戦に臨むとき全般、ことさらにダブルス組んでるときなんかによく感じるのとは系統こそ違うが、同じほう向いて、同じ努力や時間を重ねるのは、この先輩となら明確に、っつうか、これに関してはこのひととしか生じ得ねえものなんだけどな。俺にとってその時間は、プラスの感情を抱かせるものだ。最初こそめちゃくちゃ戸惑ったし、余計な邪念だと思った。だが、先輩の存在ごと、俺自身のその感情さえ空気ごと丸呑みしていいんだと教えてもらってからは、俺は、テニスと同等のウエイトでこの先輩の存在を、俺の人生の走り込み路に置いている。その転機こそ先輩の誘導じみたが、それだってめちゃめちゃシミュレーションしたものだと服も着直さねえうちに知って押し倒し直したくらいだったし、いつも長ズボンで隠れてるその脚を咬み痕だらけにしたいのを部室を思い出してこらえたくらいだ。俺がどうしたいかだけじゃどうにもならねえのを知ってるくせに、この先輩は、自覚もろくになさそうなのがマジでずるい。――それにあまえる俺も、この先輩曰く、ずるいのだろう。
………なら、今度の休み前、ふたりでトレーニングする予定のあとの先輩の都合、聞いときたいっス」
 ぐっと、のどにわずか呼吸をくぐもらせて、ふう、と吐き出すよう絞り出されたことばのあまさに、ああ、くらめくことしか知らねえ。
――かたちはどうあれ、お前と、過ごす予定だった」
 伺いも別段たてられてなかったそれに俺が首を振るわけがねえことを、知ってるくせに。どちらともなく渇きに湿るくちは、のどよりもっとずっと奥底から欲するものをまる咬みする時間を、自ずともろともに、求めてやまねえ。この先輩に、俺の人生は、ちょっとだけ書き換えられたまま進み続けるんだろう。たぶん先輩のほうも同じことを思ってくれてるらしいっつーのが、俺の渇いた喉を、面はゆくくすぐりいくらでも、いつでも、ムズつかせる。ああ、やっぱ、このひとのこと好きだわ。思うのが、重なってる気がするのを視線の明滅に感じて、俺の肩はちいさく躍った。








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