鹿
2025-11-23 17:56:24
12839文字
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そして今、ここにいる

ぐだ鯖WEBオンリー『ボイラー室横より愛をこめてW』開催おめでとうございます!
遅くなりましたが展示の新作です……!カルデアに来てから交際していたものの危うく別れそうになる土斎を周囲がフォローするワチャワチャ話です。
【注意】書き手の技量の問題で、このお話に登場する新選組は全員ポンコツ化しています。

 カルデアとは、奇跡のようなところだ。生きていた頃は敵という立場であったはずの人々、幼いころ夢中になった英雄譚の登場人物、果ては神霊に至るまで、同じ食堂で皆等しく肩を並べて酒宴の喧騒を形作っている様を片隅から眺め、近藤勇はつくづくそれを実感していた。
「藤堂さん、そっちのウエハースとこっちのオレンジ交換しましょう!」
「許可する前に交換するな! 二本あるからいいけど!」
 しかし、近藤にとってそれにも増して得難く感じるのは、かつての仲間たち――新選組の皆とこうしてまた笑い合うことが出来ていることだ。生前は病に臥せり笑顔も失せて食の細くなる一方だった沖田総司。新選組に殺され新選組を恨んで現界したはずの藤堂平助。その二人が並んでパフェなる生前見たこともない華やかな甘味を味わっている。藤堂の傍にはあの日のように穏やかな笑みを浮かべた山南敬助が静かに洋酒のグラスを傾けていて、隣の卓ではそんな彼らを眺めてかつてのように豪快に笑う永倉新八と、かつてよりも表情が柔らかく見える原田左之助が、競うように杯を重ねている。
 生前やあの特異点で自分がしてきたことを思えば、望んでいいはずもない光景だと、近藤は思わずぼやけそうになる視界を頭を振って誤魔化した。
「どうしました近藤さん、うらやましいなら一口いいですよ」
……ふふ、ありがとう、総司」
 不相応な幸福だと思っていても、はい、あーんと銀の匙を差し出す幼馴染の笑顔があまりに眩しく、断るという選択肢は近藤の頭から消えていた。口に入れたアイスクリームの冷たく甘い果実の香りが、まるで罪悪感まで溶かしていくようだった。
 
「尊い…………
 聞き馴染んだ声の呟きが、高速で鳴り響く無数のシャッター音にかき消される。音の方向を振りむけば、床に跪いて巨大なレンズのカメラで近藤と沖田の方を覗き込んでいるスーツの男の姿があった。
はじめ、記念撮影してくれるのは嬉しいが、さっきから何も食べてないだろう。せめて座ったらどうだ? 歳の隣が空いてるぞ」
 この酒宴が始まった時から無言を貫いているもう一人の幼馴染――土方歳三を指し示すが、腹心として彼を支え続けた男――斎藤一はまるでシャッターを止める気配がない。
「あっお気遣いなく。僕この尊みだけで向こう一年素うどんだけで食っていけるんで」
「そう……か? ええと、それじゃあ平助たちも撮ってくれると嬉しいのだが」
「藤堂、局長からのリクエストだ。沖田ちゃんと並んで撮られるんだからてめえの持てる全ての可愛さを出せ。ほら飛んでみろ、出せんだろ」
「どうしてそんなカツアゲみたいに可愛さを要求されなくちゃいけないんだ!?」
 このカルデアで再会した斎藤が、いつも飄々とした振る舞いをしていた彼にしては異様なテンションであることに、近藤も多少の困惑を覚えてはいた。ただ本人は楽しんでやっているということは伝わってきたので、ひとまず斎藤の自由を尊重することとして、近藤は視線を逆方向に向けた。
……なあ歳、どうした? ここしばらく、浮かない顔をしているな」
 実のところ、近藤は今日この幼馴染と話すために酒宴に誘ったようなものだった。
…………なんでも、いや、誤魔化そうってんじゃねえ。けど、これはあんたに言うことじゃ…………
 こんな要領を得ない口ぶりは、いつもどんな苦境にあっても、ただ前を睨んで突き進む土方には全く珍しいことだ。何かよほど、この男をしてもどうにもならないことがあるというのだろうか。全てを自分の責として抱え込もうとするきらいのある幼馴染の肩に、近藤はそっと手を乗せる。
「歳、お前からしたら、私はさぞ頼りがいのない兄貴分だろう……けど、いつだって力になってやりたいと思っているんだ、せめて話だけでも……
「っそうじゃねえ! あんたがどうこうじゃねえんだ、これは――
「うわ……『美』じゃん……いいのかこんな芸術品観覧料も払わずに見られて……
 いつの間にかまた斎藤が向かい合う近藤と土方に向けて一心不乱にシャッターを切っていた。苦虫をかみつぶしたような土方の顔がゆっくりカメラの方に向けられる。
「副長すみません、視線は局長の方固定でお願いできますか。向かい合って横顔が並ぶと造形の差とそれぞれの美しさが際立って最高なんで」
 鳴り止まないシャッターからゆっくりと視線を外した土方の眉間にはいつにも増して深いしわが刻まれている。
 やがて肺の空気をすべて吐き出すような長い長い溜息の後、土方が近藤と出会ってからこれまで、聞いたことがないほど小さな、かき消えそうな声で言った。
「近藤さん、俺、恋人に振られてんのかもしれねえ」
 どれほど小さな声でも近藤の耳は幼馴染の言葉を聞き漏らしはしなかったが、その意味を理解するにはしばしの時間を要した。
…………え、こ、恋バナか!?」
 近藤は咄嗟に両手で口を覆ってもなお響く大声を出してしまい、少し離れた位置の永倉や原田までこちらを振り向いた。しまったとは思ったが、それ以上に幼馴染から初めて恋の相談を受けたという興奮で近藤ははしゃいだ気持ちを抑えられなかった。
「振られる!? お前みたいな男前がどうして、一体どんな娘さんなんだ!? まあでもここには美しい方が大勢いるし、お前のことだからさぞ気位が高くて……
「そいつだよ」
 土方の指が指し示す方向に近藤は顔を向けた。そこにはまた床に跪いてカメラを構える男が一人いるばかりだ。首をかしげて幼馴染の方に向き直る。
……どういうことだ?」
「だから……! 斎藤こいつだ! 俺は! 斎藤と付き合ってるはずなんだよ!」
 
 ぽかんと口を開けて近藤が見つめる中、土方は喉の奥から絞り出すような声を出す。
「俺は……上手くやれてるって思ってたんだ……あんたにだって、こんな形じゃなく、二人で挨拶に行くつもりで…………なのに、久々に会ったんだから幼馴染同士水入らずで話せだの、聖人主催の写真講座行くからだの、カメラが欲しいから周回バイト増やすだの言って俺を避け始めて、気がついたらでけえカメラ越しにしか俺を見もしねえ……! なんなんだ一体……!」
 幼馴染が苦悩する中、近藤はようやく言葉の意味を飲み込み、声をあげた。
「へ? …………えええ!?」
「はあ!?」
「いやなんで永倉さんも驚いてるんですか」
「だ、だって土方と、斎藤が? こいつ結婚して孫までいて、それに新選組うち衆道そういうの禁止で……
 自分の席で飲んでいた永倉が動揺のあまり立ち上がり、項垂れる土方とシャッターを切り続ける斎藤の間で視線をうろつかせたが応える気配はなく、代わりに答えたのはフルーツパフェを突つく沖田だった。
「ここじゃそんな決まりないですよ、第一土方さんの方からグイグイ迫ってたんですし」
「えーっ! 歳の方から!? なんて告白した? いつから好きだった? きっかけは?!」
「へえー意外っすね正直。生前は斎藤先輩の副長見る目じっとりしてんな~でも副長が応えるとは思えねえしな~くらいに思ってたんすけど」
「は? 左之助なんだそれ、生前は? 目? でもここでは土方が? え?」
 近藤は興奮して幼馴染を激しく揺さぶり、原田はビール片手にスポーツ観戦でもしているかのような態度だが、永倉の理解はまだ追いつかない。チョコレートパフェに集中することに努めていた藤堂もさすがに口を挟んだ。
「永倉さんここに来て二年経ってるんですよね?」
「そうですよ、たまに土方さんの部屋行くと斎藤さんが裸でベッドに寝てることがあるの何だと思ってたんですか?」
 厨房サーヴァントが趣向を凝らして作った甘味を危うく吹き出しかけた藤堂が沖田を睨む中、永倉は記憶を辿り視線を彷徨わせた。
「えっ……カルデアって裸同然の奴が多いし……そういう文化にかぶれて寝る時服着ない派になったんじゃ……? 何だとって…………は!? 付き合ってるって、ま、まさか!?」
「遅えよ、何もかもがよ」
 ようやく理解したと同時に顔中を真っ赤に染め上げた永倉に、原田は呆れて手にしたグラスで小突き、沖田はさくらんぼをつまみながら追い討ちをかける。
「よく気づかないでいられましたねえ~あの人たち週三くらいでぬるぬるぐちょぐちょと乳繰りあってたのに」
「なっ――!」
「歳!? こら! 歳!」
 その追撃に赤面し狼狽するのは永倉だけでは済まなかった。動揺した勢いで幕末サーヴァントにあるまじきステータス筋力Aで振り抜いた平手は、身の丈六尺重さ二〇貫の身体を吹き飛ばすには十分だった。
「まだ嫁入り前のはじめ……! いや違う一は結婚してるんだった、じゃあお前が嫁入り前なのにそんなぬるぬるだなんてはしたない……!」
「落ち着いてください局長、あなたの幼馴染はあだ名が怖い顔マンの三〇代男性です」
 新選組局長のあまりの混乱ぶりに事態を一歩引いて見ていた総長も流石にツッコミに加わらざるを得なくなる。
「それに今でこそ定期的にぬるぬるしてますが、そこに至るまでに相当時間がかかってますよ。私がここに来た時は付き合ってるのにまだ口吸いするしないで揉めていた始末で、むしろ土方君にあるまじき手の遅さだと――
……山南ィ!!」
 そしてフォローと見せかけた追撃は傷つくほどに攻撃力を増す男を立ち上がらせるに至った。
「あのなあ! こっちは手頃な部下で発散した方が面倒がないですもんねとか宣うやつを数年かけてようやっと口説き落としてんだ! それをヘタレみてえに……
「そうでしたねえ~~ここに斎藤さんが来てから一年以上、私のことも散々巻き込んでうだうだもだもだやってましたねえ~~」
「へえ~~あのもらった恋文をご家族に見せびらかしてた歳がそんな……詳しく聞かせてくれ総司」
「いや私かなりうんざりさせられてたんですからね……というか! そうまでして付き合ったくせに何あっさり振られそうになってるんですか!?」
「あっそうだった! 一体どうして……
 そうして近藤が顔を向けた先には、やはりカメラを構えたスーツ姿の男がひとり。
「幼馴染たちにズバズバ言われてぐぬぬ状態の副長かわいい~~~~♡」
「どうしてこんな他人事みたいな態度を……?」
 歯噛みする土方を笑顔で撮影する斎藤の構図からは恋人同士という空気感はまるで無い。
「お前ら本当に付き合ってんのか……? 流石に俺が鈍いとかの問題じゃねえよな……
「付き合ってたとしても実は腹の底で相当不満溜められてたんじゃないすか?」
「うーん……私が見た限りではお互い合意の関係ではあったと思うけれど……こういうのはあまり他人が首をつっこむことではないし、裏でどう思っていたかまでは……
「合意といってもどこまで気持ちが同じか怪しいものでは? 斎藤さん、土方さんの言うことはああだこうだ言っても従うんでしょう」
「ええ~!? どうなんですか斎藤さん! あなた土方さんに言われたからぬるぬるぐちょぐちょしてただけなんですか!」
はじめ、不満があるなら言ってくれ……! お前に対して歳が何かしてしまったのなら、兄貴分として私も一緒に頭を下げるから……!」
「やめてくれ近藤さん、あんたが謝る筋合いは何も…………おい斎藤! 撮ってねえで何とか言え!」
 そう言ってカメラを押しのける高圧的なところが良くないんじゃないかと皆が突っ込もうとした。
「え? すいません、それ幼馴染同士が庇い合う清らかな光景を撮るより大事なことですか?」
 しかしそうするには怒鳴られた斎藤はあまりに太々しく、目つきが据わっていた。なんなら周囲の昔馴染みを見渡してやれやれと肩をすくめる余裕を見せている。
「局長、何か誤解してるみたいですけど、僕は別に副長に不満があるわけじゃないですよ。むしろ今ようやく土方歳三は『完全』になったと喜んでるんです」
 カメラがのけられて露わになった顔には得体の知れない清々しさが浮かんでおり、それがかえって斎藤の元々持つどこか胡乱な印象を際立たせていた。
「不満があるわけじゃないなら、その奇行の理由は何なんだ……?」
 藤堂が思わず呟いた言葉に、斎藤は心底呆れたように笑った。
「仮にも試衛館から一緒のお前がわざわざ言われなきゃわかんねえのは驚きだけど、まあ一応最初から説明するわ。お前、新選組副長土方歳三の核ってのは何だと思う? そりゃあもちろん、沖田総司と一緒に近藤勇って男を支えようって語り合った、多摩のあの日の思い出だろ?」
 芝居がかった手振りを交えながら語る斎藤の目は、のらくらと真意を読ませない普段のものとはまるで違う真っ直ぐさで、しかし普段以上に理解できないものだった。
「土方歳三って男が新選組副長になったのも、あらゆる非道を成してでもその職をやり遂げようとしたのも、その報いを受けて何もかも失って、それでも進んで戦い続けたのも、自分が死んだことにさえ気づかないままサーヴァントなんてもんになって、とうとうカルデアまでたどり着いたのも、全部あの日語りあった夢のためだろ。どれほど遠くとも道が険しかろうとも手を伸ばし続けた、輝ける星ってやつだ。そして今、ようやくその夢の果てに――近藤局長の立てた旗の元に、あの日共に誓いを立てた沖田たちも一緒に集ったわけだ。この美しい結末を見て、人間が考える事は何だ?」
 斎藤の異様な様子に皆戸惑い応えることができずにいたが、斎藤は待たずに答えを示した。
「それはもちろん――『壁になりたい』だろ」
「何言ってんだお前……?」
 永倉がようやく呆然と呟いたが、斎藤の表情に揺らぎはない。
「お前は本当に頭が悪いね新八。じゃあしょうがねえから資料見せるわ」
 そう言ってどこからともなくタブレットを取り出し、それこそプレゼンをするサラリーマンのように一枚の写真を映し出した。
「これを見ろ、この世で最も美しい光景だ」
 それは数日前の素材周回の一幕を写したものだった。大したことのないクエストだったから、レイシフト先にあった団子屋に寄っていこうと沖田が近藤と土方を強引に誘っている――そんななんてことのない場面である。
……写真自体は良く撮れてると思うっすけど」
「沖田が笑って局長と副長の手を引いて、副長はそんな沖田に呆れたみたいに言いながら表情が柔らかくなってる。沖田と副長がそうしていられるのは二人を見つめて慈愛の微笑みを浮かべる局長がいるから……誰かが笑えばそれを見た他の二人も笑顔になる。止まることなく生み出される尊み、まさに人類が夢見た永久機関だ。これが存在して全人類に平和が訪れないならそれは世界の方が間違ってる」
 昔馴染みが皆唖然とするしかない中、恍惚とした笑顔を浮かべた男は――急激に、その笑みを消して地を這うような声を出した。
「この地上で最も輝かしい風景に…………存在していいわけないだろ! 目の下に隈作ったヘラヘラリーマンが!」
 突如としてテーブルに拳を叩きつける男に全員咄嗟に一歩後ずさる。
「邪魔だ! 世界の完成度が下がる! めんつゆの臭いが染みついた身体で花園に紛れ込むんじゃねえよボケ!」
「いやその花の一部たくあんの臭いさせてますけど!?」
「な、なんでそんなことを言うんだ!? 私ははじめも一緒に写ってくれたら嬉しいぞ……? 歳だって総司だってそうだろう……
 あまりの理不尽な物言いにとうとう斎藤の言う花園からも抗議の声が上がったが、それでも男の目に揺らぎは無い。
「いえ局長、これは僕の美意識の問題なので。いくらあんたらの言うことでも譲れません。あんたたちが戯れてる場に僕は必要ない。壁になって見守れればそれで良いんです」
「なんだその明らかに無駄な強え意志はよ!」
「その真剣な表情、こんな場面で見せて良いもんじゃねえっすよ!」
「ざけんじゃねえ……
 鬼の唸り声に皆が一斉にそちらに顔を向けた。しかし土方は止める間もなく、恋人に向けるにはあまりにも恐ろしい形相で、斎藤の胸倉を掴んで引き摺り寄せる。
「ふざけんじゃねえぞ……! なんでテメェが勝手に決めやがる……! 俺が! お前を必要だって言ってんだろうが!」
 しかしそんな激昂を受けた男の顔は、むしろ穏やかだった。
「二人がいたら、そんなふうに思うことなんてなかったですよ」
 囁いた声はあまりに小さく、正確に聞き取れた者は正面の男だけだっただろう。しかし、胸倉を掴んだ手が緩んだことで、男の動揺は見てとれた。そして掴まれていた男はその隙を逃さずするりと拘束を抜け出す。
……じゃあ、僕は写真のデータ整理しないといけないんでこれで。局長たちはどうぞ楽しんでくださいね~」
「っ! おい、斎藤! 待て!」

 ひらひらと手を振って去っていくヘラヘラ男と追いかける鬼を見送った新選組一同は、しばし呆然とした後、顔を見合わせた。
「総司……どうしよう……
「いやどうしようと言われましても……斎藤さん、ここに来た直後より酷いですねあの拗らせっぷり……
「それに付き合う付き合わないというのは結局のところ彼ら二人の問題ですし、外野がどうこうする話でもないのでは?」
「し、しかしこれだと私が来たせいで歳が振られているも同然では……!?」
「いやまあ……きっかけがそうだとしても、明らかに局長のせいじゃないでしょう」
「主に斎藤が拗らせ野郎なせいだしよお……そんな気に病まなくても……
 皆むしろ意図せず拗らせの中心に置かれた近藤に対し同情的であったが、近藤はそもそも自責傾向がひどく強い人間である。
「くっ……かくなる上は…………おおおおお!」
 また、生前は局長らしく構えておけという要望や諸々の罪の意識から、ほとんど形を潜めてこそいたが、元来の近藤は行動力があり過ぎるほどにある人間でもあった。
「えっなんですか近藤さん、なんで再臨変えるんですか」
 故に幼馴染の困惑をよそに黒衣の霊基に姿を変える。それは近藤がその自責の念ゆえに歴史そのものさえ危機に陥れかけた時のもの――黒の剣士と呼ばれる、変質した霊基である。
「迂闊に俺に近寄るな――この身に宿したマガツヒノカミの力はお前達をも蝕むかもしれんのだからな――
 霊基に合わせて性格も若干絡みづらい方向に変質するため、山南が代表して話しかけようと決心するまでに若干の時間を要した。
……あの、それでその姿で何を……?」
「あの特異点で俺がお前達を縛るために使った忌まわしきチカラがあるだろう――
「はあ……あの……裏・局中法度? でしたか」
「そう、その裏・局中法度で――はじめが歳の愛の言葉を聞き入れるまで出られない屯所』状態を作ってみようかと」
「忌まわしきチカラをそんな世にもアホ臭いことに利用するな――――っ!!」
 藤堂の渾身のツッコミは相手が幕末サーヴァントにあるまじき耐久Aのステータスでなければ吹き飛んでいたであろう強さとなった。吹き飛びはしなかったものの勢いの強さにこけた近藤に沖田が呆れて問う。
「ていうか裏・局中法度ってそんなサバフェスの同人誌みたいな使い方できるんですか?」
「いや正直ちょっとよくわからないが……俺の霊基含めあの特異点で色々と調整をしてくれていたのは弾正だし……まあ足りない部分はこう……気合いで……!」
 幕末サーヴァントらしく魔術への造詣がまるで浅い近藤は、とにかく自分の中にあるマガツヒノカミの残滓に訴えかけるようにして吠える。
「うおおお! 唸れ俺のマガツヒ! 歳とはじめの円満な交際のために!」
「そんなことのために呼び出されたらマガツヒノカミだって気の毒だろ!!」
「意志なき神でも困惑の感情が芽生えるんじゃないすか……て、なんだこれ」
 戸惑う原田の声に皆が反応して、その視線の先を見遣る。そこは本来ただの壁である、はずなのだが——
——穴が、空いていた。

「? この穴、どっかで見たことあるような……
 物理的な穴ではなかった。穴の向こうに見えているのは壁の向こう、カルデアの廊下ではない――見慣れぬ畳敷の部屋。生前、彼ら新選組の生きた時代の、どこかの宿のように見えた。
「これって……あの特異点で見たやつじゃねえか?」
「ああ……過去の俺を亡き者にするため、池田屋へと繋げた扉に似ている……しかし一体なぜ、どこに繋がっている……?」
「も~、気合いで適当にやるからじゃないんですか……って、あれは」
 部屋に見覚えはなくとも、部屋から出て行こうとする男と、それを引き止めようとする男のことをここにいる皆は知っていた。
「斎藤さんに……土方、さん?」
 知っているはずなのに、沖田の声が疑問形にならざるを得なかったのは、土方の顔があまりにも見覚えがないものだったからだ。
 顔立ちは同じであるはずだ。癖のある黒髪を後ろに撫で付けた短髪で、洋装を身に纏った姿はカルデアで再会した彼と同じ――それなのに、誰もが「こんな土方歳三のことは知らない」と、そう思った。
 土方は一歩前へ進もうとする。しかしその足取りは危うく、引き止めようとする斎藤がいなければ倒れ込んでいただろう。意志の強さが表れているはずの眼は、前を向いているにも関わらず澱んでいて、どこを見ているのかわからない。右手には何か手紙のようなものが、ぐしゃぐしゃになるほど強く握られている。支えている斎藤の手を掴んだ左手は、引き剥がそうとしているようにも、必死に縋りついているようにも見えた。
…………これは…………っあ!?」
 ――そして戸惑う一同を置き去りに、突如音もなくその景色はかき消える。その代わりに穴の向こうに見えたのは、やはり土方と斎藤の姿。しかしそれは彼らの知るカルデアの、先ほど酒宴の会場から出て行ったばかりの二人であることが知れた。
『斎藤! テメエいい加減に……
『こっちのセリフだよ! おかしいこと言ってんのはあんただ!』
 先ほどとは逆に進もうとする斎藤を土方が引き止めようとし、斎藤はその手を押しのけようとしている。土方を睨みつける隈の染みついた眼には、苛立ちにも憐れみにも似た光があった。
『あんたが、あんたにとって、俺は特別な存在だなんて勘違いしたのは…………近藤さんも! 沖田も! 大事なもん全部無くして、どん底の時に、たまたま俺が、あんたの近くにいたからじゃねえか!』
 吐き出した言葉に、扉の向こうから聞いていた一同も状況を察した。
 一瞬垣間見えたあの光景は、ある者は失意のうちに斃れ、ある者は自ら背を向けて……とうとうあの二人だけが共有することになった、最も暗い日の景色なのだと。
『あんたはあの馬鹿げた行軍の果てに、ようやくどうしても辿り着きたかったところに辿り着いて、会いたかった人に会えたんだ! なのにどうしてまだ、一番不幸だった頃の記憶になんか固執してんだよ……?!』
…………!』
 ぎり、と歯を食いしばる音が聞こえそうなほど、土方は唇を歪めて斎藤を睨む。しかし睨まれた斎藤もまるで臆することはなく、両者は膠着状態に陥った。
 
…………ああああ! もう! いい加減にしろ!」
 静寂を破ったのは、新選組の魁先生の声と……一つの爆発音だった。
 互いにばかり注意を向けていた土方と斎藤は、意識の外から飛来した物体に反応できず、その攻撃をまともに食らうことになった。
「っ痛ってえ!? ……は、なんだこれ……って」
「手首……? こりゃあ……
 それはあの油小路の惨劇を経て、復讐者の霊基を得て現界した藤堂平助の義手。着脱可能な手首を、腕に仕込んだ大筒の力で射出する――いわゆる、ロケットパンチであった。
「あっ通れる! 通れますよこれ!」
「いけるもんなんすね、勢いだけで開けた穴なのに」
「やはり入れてみるものだな……気合いは……
 手首の飛んできたと思われる方向に二人が目を向けると、食堂に残してきたはずの新選組の一同が、空間に開いた謎の穴からゾロゾロと抜け出てきていた。
「テメエら……
「歳、怒りを向けるのなら俺だけにしろ。俺がこう……ぐっと力を入れたら偶然こんな風に繋がってだな……
「今責任の所在とかどうでもいいんですよ!」
 飛んでいった手首を拾って藤堂が怒鳴る。復讐者として定義され、身の内に消えぬ激情を抱えた声を、斎藤に向けて。
「斎藤さんこそ、カルデアに来て何か勘違いしてるんじゃないですか!? 僕らは皆、何もかもを間違えて、その果てにここに辿り着いたんでしょう! 間違えた事実は消えない! 僕の身体がこんな風になったことだって、近藤さんが何か……こんな風になったのだって! 土方さんが何もかも無くしてどん底に落ちたことだって、近藤さんたちに再会したら忘れられるようなもののわけないだろ! 土方さんも土方さんです、よりによってあんたが言い返せもしないなんて情けない……!」
 捲し立てる藤堂に斎藤も土方も呆気に取られ、何も言えずにいた。間抜けに口を開けるしか出来ない彼らに、次に声をかけたのは永倉だった。
「なあ……斎藤よ。お前、ここで新選組の連中と再会したら、会津や東京で出会って一緒にいた人らが、大事じゃなくなるなんてことあったか?」
「ああ゛!? ンなことあるわけねえだろうがボケ八が!」
 咄嗟に激昂した斎藤に、普段は張り合って怒鳴り返すのが常である男は、ひどく穏やかだった。その浅葱色の目は、斎藤と同じく、明治の世を生き抜いた男の年月が浮かんでいる。
「なら、土方にとってもよ、そうなんじゃねえのかよ」
――――ッ!」
 言葉を呑んだ斎藤に、また別の声がかけられる。俯き目を逸らしても、そっと寄り添うように、染み渡るように響く声が。
「それに――君があの日、土方君の傍にいたことは、何も偶然ではないよ。私たちは誰もそこに辿り着かなかった」
――そうっすね。俺たちは結局、皆テメエで選んでこの有様になったんじゃないですか」
 どうにも憎めない男の声が続いた。どこか皆に一歩引いているようでいて、その実いつだって隠しきれない親愛が滲んでいる。今でも密偵をしていたなんて信じられない声が。
「俺があの時に新八を連れ戻さずに、新選組を抜けるって決めたのは……副長の命令だからじゃない。結局は自分の意志です。先輩も、そうだったでしょう?」
「他でもない君がその強さと、自由さで、選び取った結果――自分の傍にいてくれたことが、土方君も、嬉しかったんじゃないのかな」
 どうだい、と親切者が視線を向ける先を、斎藤は見ることができない。
「それだって…………俺は結局……最後までは…………
「は――――! ほんっとうに! ヘラヘラのくせにジメジメ新選組なんですから!」
 溌剌とした声が廊下に響き渡る。ここにいる者たちは皆、この声がもう一度こんな風に、明るく発せられることを願っていた。
「私、前にも言いましたよね? 斎藤さんは、見届けてくれましたよ、土方さんのこと……新選組のことを。この弱っちいくせに意地っ張りな人が、絶対に諦めないって、新選組は終わらないって、たった一人でも進むって決めた日のことを!」
「その決意の果てに……あり得ざる奇跡を得て、俺たちは、再び集った」
 変わり果ててなお、懐かしい声だった。もう一度聞くことはないのだと、諦めていたはずの声。
「この霊基の俺が言うことではないだろうが……それでも、言わせてほしい。ありがとう、はじめ。歳のことを支えてくれて、一番辛い時に傍にいてくれて……そして……
 全てに絶望し、変わり果てた姿になっても、やはりこの人は、自分たちが慕ったあの局長なのだと斎藤は実感せざるを得なかった。
「生きていてくれて、ありがとう」
 ただ一言言葉をかけられるだけで、ただ微笑んでくれるだけで、こんなにも嬉しくなってしまうとは。
「なあ、はじめ。お節介な兄貴分の我儘かもしれないが……どうか歳のことを見捨てないで、話を聞いてやってくれないか」
 新選組局長にそう言われて、新選組三番隊隊長斎藤一が否を言うことはあり得なかった。局長の視線の先をゆっくりと辿ると、そこには新選組副長――近藤勇の弟分の、土方歳三が、周囲の隊士に小突かれながら、居心地悪げに佇んでいた。
…………斎藤」
 一つ大きく息を吐いて、土方は斎藤に向かい合う。
「俺は……何もかも間違って、誰も彼も死なせて、それでも止まらねえ勝つまで諦めねえってここまで辿り着いた馬鹿野郎だよ。ここにいる土方歳三ってのは――
 どこまでも苛烈でどこまでも純粋な眼。それが斎藤に、真っ直ぐに向けられる。
「お前に惚れてんのは、そういう男だ」
 それに射抜かれて、斎藤に動く術はない。
「お前に死ぬまでやってろって言われた時は、とうとう大事なもん何もかも失くしたって思ったが、もうお前は俺のせいで死にもしねえんだって嬉しい気もしたよ。あん時の俺にゃ、それだけでも十分だった――けどお前、会津で戦死したとか言われてたくせにやっぱりしぶとく生きてやがって、孫までいて大往生だったって聞いてよ。こんな愉快な話ねえって、俺がどんだけ笑ったか知らねえだろ。その上、それだけじゃ飽き足らずに――
 ふ、と片頬を上げて笑う。精悍な大人の男の顔立ちになっても消えることのない、多摩のバラガキの笑顔だった。
「お前――邪馬台国まで俺に会いに来てくれるんだもんなぁ」
……別に、副長に会いに来たわけじゃないですけど」
「それでもいい。お前は昔と何にも変わらずに新選組の三番隊隊長名乗って戦ってくれて、この屯所にまで来てくれて、いつも、どこまでも頼りになる男だったよ。なあ、そんなもん、惚れるしかねえだろ」
 土方がすっと腕を伸ばして、目の前の男の頬に触れる。
「なあ、お前はどうなんだ、斎藤。お前もちったあ俺を想ってくれてるってのは――俺の自惚れか」
「そういう聞き方やめてくれよ……! 俺がなんであんたから離れたかったかくらい、わかるだろ!」
 頬を撫でる手を捕らえて、斎藤は目の前の男を睨みつけた。
「俺は! あんたがどんだけひでぇ男だろうと! いっとう幸せになってほしかったんだよ……!」
 張り上げた声はしかし、徐々に窄んでいった。
――それなら、お前も傍にいなきゃ話にならん」
 睨んだ相手が、あまりにも柔らかく笑っていたからだった。
 そして土方は、泣きそうな男の腕を引いて、胸に抱き留める。
「なあ知ってるか、俺はな、ここに来て、お前に会ってからの五年は特に……幸せだったんだよ」
……っ!」
 斎藤も、土方の背に腕を回して抱きしめ返した。
 
「よ゛っ、よ゛か゛ったな゛……ふたりとも゛……!」
「まーったくもう。二人ともいい年してほんと傍迷惑なんですから」
 ようやく丸く収まった二人に周囲は祝福したり苦笑いで肩をすくめたりと和やかな雰囲気であった。
 しかし――――
……それで、近藤さん。どうするんですかこの穴」
 マガツヒの力で空間に開いた穴は、相変わらずそのままだった。
「えっ……勝手に消えてくれたりしないのか……どうしよう……
「どうしようって言われたって知りませんよ!?」
「なんかこれ食堂じゃないとこ繋がってないすか?」
 この後この穴が時空間を超えて様々な場所につながる事故が起き、新選組一同が『私たちはまた内輪揉めで騒動を起こしました』の札を首から下げることになることを、まだ皆気づいていなかった。