月見
2025-11-23 16:23:06
5369文字
Public シャリエグ
 

多面体の憂鬱(シャリエグ)

背後霊ミゲルの苦労なお話。シャリさんが重い

 やあ、僕はミゲル・セルベート。一応はニュータイプで、ジオン軍少尉の身『だった』男だ。
 まあアレコレと経歴や特質は付いているけど、結局のところ単なる凡人な僕だが一身上の都合で文字通り蒸発、ついでに蒸発至った経緯故に二階級特進も無いんだがそれは今は重要じゃあない。
 今の僕は目の前のお人好しで馬鹿みたいに優秀で、そう、『本物』ってやつでどうにも腹は立つ、でも放っておけない確かに僕の特別な一人であるフラナガンスクール首席卒業サマであるエグザベ・オリベの背後霊ってやつをやってるんだ。
 なんでって? さあ? 養殖の凡人でも一応ニュータイプはニュータイプだったからか死んでもこうして残ってるのかもね。気付いたら半透明になって誰にも気付かれずエグザベの後ろに立って、離れられなくなってたんだから。
 そうじゃない? 守護霊じゃないのかって? まさか、僕はそこまで自惚れじゃないさ。こいつに対してそんな良いモノで在れないことくらい弁えてるさ。守護どころか、僕はこいつに害を成した存在だからね。
 反省とか自分が間違ってたとは今でも思えないが、それでも僕のしたことがこいつを、エグザベを傷付けたのは間違いない。それに僕はエグザベのことを好きで、大切な友人と思いながらも大嫌いな奴って思う気持ちもある。そんなの、背後霊が妥当だろ。
 死んで、こうして精神だけの存在になったからか余計に取り繕えずにそう思うね。僕はエグザベを見ていると自分に嫌気が差すし、妬ましいし大嫌いで、だけどこいつは本当に良い奴で放っておけなくて、物凄く大切な友人だ。ああクソ、ほら、こうやって全部剥き出しだ。幽霊ってのは辛いよ。
 

 まあそんな僕のことはどうでも良くて、今はこいつだよ、エグザベ。
 僕の死後、エグザベの周りは本当に信じられないくらいとんでもないことばかり起きて、エグザベ自身大変な目に遭って、流石と言うかなんと言うか、本人曰く(僕はそう思わないけど)運良く生き残って。
 なんでかあの灰色の幽霊と恋愛関係になんてなってる。
 どういう経緯でとかどんな風にその関係になったかはそりゃあ僕は実際に見聞きしていたから知ってるけどな、知ってなお「マジかよ」が率直な感想だし「ヤバいだろ」が一番に来る。
 なあエグザベ、お前本当に大丈夫なのか。なあ、お前のそういうところ、僕らの中で一番優秀で特別な、僕らにとってのホンモノだった癖に僕もあいつらも気を揉みまくったんだ。
 あんなことがあってもちっとも変わらない。ああ、そういうところ腹が立つよ。




 そんなミゲル・セルベートの鬱屈した思いも憂慮もエグザベ本人に届くことは無く、実体の無い拳は幾ら握りしめても意味がない。
 もとより行動に大した自由など無い死後の身体は、あるいは思念は、いつも以上に不自由にまるでその場に縫い付けられたかのように一歩も動けない。
 動けないまま、目の前で友人と、その友人の心身を手にした幽霊の異名を持つ男のやりとりを見ている。


「さてエグザベ君、ひとつ、私から伝えさせてもらっても良いでしょうか?」
「? はい、それは勿論」
 紆余曲折と速効性を両立させた経緯を経て恋愛関係に至った二人は、今日から元々シャリアの自宅であった公王庁を望むようなマンションの一室で住まいも共にする。
 エグザベの大して量の無い荷物も運び終え一通り荷解きも終えた昼下がりに、シャリアは広いベランダと室内を隔てるガラス戸から見える景色を眺めながら語り掛けた。
 それにエグザベが頷くと、シャリアはゆったりと視線を外からエグザベへと移して微笑む。その優し気な、深い笑みに後方で動けないミゲルは無い身体がギシリと凍るような心地を覚えた。
 何か声を上げたいのに発されることは無く、よしんば上げられたとしてもエグザベには、シャリアには届かない。
 止まったどころか塵一つ残らず灼け溶けたはずの心臓が妙な早鐘を打つ。これは、なんだろうか。

「君も知っての通り私はまあ、目的を遂げるためにそれなりに人脈も築いてきましたし、表立ってはいませんがそれなりのことを動かせも融通出来もします。少々無理は通すことになりますし誤魔化して私的なことに使えるのは一度きりでしょうが、少なくとも公的な手段を使って人間一人がこのコロニーから抜け出すことを阻んだり、居場所の特定をすることも、やれなくはない」
 新政権の影の立役者となったシャリアは、それでなくとも一年戦争の英雄でもあり、本来中佐という地位で収まらないような伝手にしろ表裏問わず様々な影響力も、苦労もあるだろう。所掌することになった業務の中で今シャリアが述べたような強硬手段を取る場合も、恐らく。エグザベはそれはそうですねと頷く。
「経済力についても、木星船団の功績、ああ私にとっては功績でもなんでもない、愚かな旅でしたが、とにかくそれや戦争での褒章であったり、名目だけは綺麗な金として勢力争いをしていた双方から自分に与せよの意で手当てを頂いたりなんなり、そうですね、年若い青年一人何不自由なく、例えこの部屋から一歩も出さず一生養える程度の貯えも給与含め定期的な収入もあります」
「はあ」
 自慢、とも違うよなと呆けた相槌を返すしかないエグザベにシャリアの言葉は続く。ミゲルは二人のやり取りを、エグザベのまあるい後頭部とシャリアの仄く光る眼を見つめながら、頬が微かに引き攣り始めた。
「それからこれは過ぎた呼称にも思いますが、一応ジオン最強のニュータイプともされていて、実際単純な能力としては君より優れていることは分かりますね?」
「それはもう。あの、シャリアさん?」
 いったい何を。とエグザベが流石に訝しみ始めても、シャリアは笑みを崩さない。
その身体から、存在から、じくりと滲みだす圧は紛れもなく今シャリア自身が述べた優れたニュータイプのプレッシャー。
 重く、深く、ぐるりと渦巻くそれはエグザベの息を詰めさせあわや膝を崩れかけさせ、動きを阻む。それはミゲルも同様だった。むしろニュータイプとしてはエグザベより余程脆弱で、挙句幽霊なのか思念体なのか、精神が剥き出しといえる存在であることが要因なのかシャリアのプレッシャーを浴びて自分という朧な存在が完全に消し潰されるような錯覚に陥った。
 否、きっと錯覚ではない。この男の笑みを、瞳を見た瞬間過った凍り付くような感覚は、正しく己を消失させるに足る力への本能的な恐怖だろう。

──エグザベ、なあエグザベ

 思わず、枯れた喉を奮い立たせるように呼び掛けるもミゲルの焦燥に塗れた声は何一つ届かない。
 眼前では溢れさせたプレッシャーを解いたのか、フッと消えた圧力にカクリと体勢を崩しかけたエグザベの腰を抱きとめるシャリアが居た。常の、ひんやりと凪いだ気配を纏って。
「すみません、驚かせましたね。とまあ、こんな調子で私には君が単独で振り払うには難しい程度の圧力をかけることが出来ますし、『勘が良い』のである程度君の様々な思惑もまあ、察せるでしょうね」
「ちょっと、心臓に悪かったです」
 解かれたプレッシャーと優し気な腕にエグザベはへなりと曖昧に微笑んで安堵を見せるが、ミゲルにはその反応もシャリアも信じられなかった。
 今すぐにエグザベに駆け寄りたくとも本当にどうしてか、今の自分にはこの場で叫び呻き蹲る程度しかできず、一歩とて足を踏み出せない。
 そうしてシャリアの手はいつの間にかエグザベの腰から手首へと移り、ぎゅうと枷のように握りしめられていて。
「一応、実感してもらいたくて。早々しませんのでご安心を。それとねエグザベ君、見てのとおり我々には少々対格差があります。そしてそれはそのまま筋力差とも言えるでしょう。こうして私が君を捕らえれば、押さえ込めば、ええ、生半可では君が敵うことはない」
 良く引き締まった、しかし言い換えれば細身で薄い身体のエグザベと鍛え上げられた厚みのある身体をしたシャリアの腕力差は見た目通りかそれ以上だろう。
 ぎし、と骨が軋むような音すら立てて手首を握りしめられ、エグザベの顔が苦痛に歪む。流石に引き剥がそうとするもシャリアの言う通りビクともせず敵わない。
「っ、ゔぁ」
 苦悶に満ちた声が上がったところでシャリアはパッとその手を離し、痛かったですね、すみませんと心底申し訳なさそうに赤い痕が付いた手首を撫でて労わった。
「あの、本当にどうしたんですか。貴方の伝えたいことって……
 困惑と、確かに滲む不快感ないし、憤り。警戒。それがエグザベの声音から見えてミゲルは僅かでも安堵を得る。
 はたから見ても、この友人の恋人に収まった男の行動は、言動は普通ではない。それに対し無警戒でいたら、ただ相手を思いやるだけであったらどうしようとかと思った。
 地獄を見てきたはずなのにお人好しも純朴さも消えないエグザベと言えど、流石になんらか察してくれたことは喜ばしい。
 ミゲルはなんの効果も無いことに歯噛みしながら殊勝な顔でエグザベを見つめるシャリアを睨みつけた。
 さっきからこの男が言外に何を含ませているか、何を理解させようとしているのか、ミゲルには分かる。
 自分に実体があったなら、否、無くても、それこそディアブロの役を負った少女のような不可視の力があれば、と不甲斐ない己に唇を噛む。

「今君に伝えたのが、私という人間です。君に焦がれて欲して、何があろうと手離したくないと思っている人間が持っているものです」

 君はこれから、こういう人間と共に暮らします、生きていきます。
 シャリアは唸るミゲルを他所に、というより感知もせず、エグザベの頬を愛おし気に切なげに撫ぜながら語った。

「ですから、ねえ。君には忘れないで欲しい。君がもし私から逃れたいと思ったときに、私という人間が持ちえるものを、私が君を手離せないと心の底から思っていることを」
 そう、パチパチと瞬きを繰り返すエグザベの額に口付けてやわらかく抱きしめて、シャリアはそう告げた。
 そのあまりに静かな動きも掠れた声も、それこそ、男の異名『灰色の幽霊』のようで。
 エグザベにどこか縋るように、捕らえるように抱きしめながら、ちらりと上げられた灰緑の眼、その中のフローライトの、光。
 視線が、無いものであるはずの自分と、かち合って。

──忘れないで、頑張ってくださいね。

 響いたその声は、言葉は、果たして音になっていただろうか。エグザベの耳朶に、ミゲルに、ふわりと吹き込まれたそれは。





「お前今すぐ逃げろ別れろこの馬鹿!!!!!!!」

 あの後、張り詰めていた空気は何処へやら、当たり前のように幽霊の名を冠する男はエグザベを寝室へと連れていき、この時ばかりは幸いにエグザベと離れたまま動けない僕はリビングに取り残され、やっぱり幸いに防音も利いているのか寝室から何が聞こえることも無く。
 やがて急な呼び出しが来たのか幽霊、シャリア・ブルはエグザベを置いて出て行って。
 のたのたよたよた、原因を考えたくはないおぼつかない足取りでリビングのソファに腰かけたエグザベは、まだ薄っすら痕の残る手首をぼぅと見つめた後でこう言ったんだ。
「誠実な人、だよな……
 馬鹿か! 本当に馬鹿か!! 散々並べ立てられた「お前を逃がさない」「それが出来る力を自分は持っているぞ」という脅しを受けて、お前の感想はそれか!
 僕は冒頭の台詞を目一杯叫ぶしかない。「逃げろこの馬鹿」って。
 最悪じゃないか、権力財力腕力、あらゆる力を行使してお前を捕まえてやるって言ったんだよあの幽霊は。だから逃げようなんて考えるなって脅してきてるんだよ、それでなんでその感想が出るんだ馬鹿野郎。
 薄っすら赤くなっているエグザベの眦を見ないようにしながら、僕は必至で捲し立てる。やっぱり聞こえやしなくて徒労に終わるんだが。
 あの恐ろしい男にはどうやら自分の存在が認識されているかもしれないことを含めて本当に恐ろしい。
 なあエグザベ、本当にしっかりしてくれ。アレの何が誠実なのか僕にはお前の感性も善性もやっぱり理解できない。畜生、何が「頑張ってください」だ。
 僕は頭を抱えて蹲り、唸る。

 やってやろうじゃないか。
 僕は自分を奮い立たせる。この腹立たしくも放っておけない、どうしたって大事ではある友人が少しでもお前から逃げたいと、別れたいと思ったら絶対に僕がそれを成し遂げさせてやる。
 権力も財力も腕力も何も無い、ニュータイプとしての力も無い僕だが、お望み通り頑張ってやろうじゃないか。
 何が灰色の幽霊だ、こっちは本物の幽霊だぞ。





 ミゲル・セルベートは拳を握る。

──頑張ってくださいね。

 微かな笑みを含んだ、切実な、それでいて怪しく焦がれるような心からの声を改めて思い起こし、ふざけるなと吐き捨てて。
 ミゲルと同じ言葉を思い返しつつも、そこから最悪を恐れる祈りを見出して苦笑する呑気なエグザベの頭を思い切りひっ叩いて。

 そうして当然、その拳は間抜けにもすり抜けるだけだった。