お芋さん太郎
2025-11-23 14:22:23
2128文字
Public ちいさなSS @ONEPIECE
 

金の継ぎ目




 ふだんの彼は、音を立てて廊下を走るような男ではない。
 いつも余裕そうなゆるりとした佇まいがたまらなく格好よく、なにより強い。隊長たちから絶大な信頼を寄せられ、多くの隊員の憧れの的となっている。そんな男だ。
 だから彼が髪をふり乱し、鬼のような顔をして廊下を駆け抜ける様子を見て、すれ違う隊員たちはみな一様に目をむいた。きっと何か、ただならないことが起きたのだ。
「何かあったんですか、イゾウ隊ちょ……
「どけ!」
「ぐへェ!」
 勇気をふり絞って声をかけた隊員は、かわいそうに壁にめり込んだ。それを見ていた隊員たちが、次々と道を開ける。二の舞なんて絶対にイヤだ。
 そうやってイゾウがたどり着いたのは船長室。自分の何倍もある扉をノックもしないで騒々しく開け、開口一番に叫ぶ。
「オヤジ!!」
 白ひげ海賊団の船長にして、みんなの父であるニューゲートは、扉の真正面に座っていた。それでも見上げるほどの大きさだ。
 イゾウから次の言葉は出てこない。口の端がふるふると小刻みに動いただけだ。
 ニューゲートはぶ厚い手をイゾウにさし出した。気遣うように、ゆっくりと。
 イゾウは彼の手のひらに乗ったものをジッと見つめる。
 たった一歩、近づくのに三秒かかった。イゾウにとって、それくらい許しがたい光景なのだ。
「おでんが、死んだ」
 いまにも崩れ落ちそうな息子を見やりながら、ニューゲートは静かに言った。それを皮切りに、イゾウがニューゲートの手にかけ寄る。
「あ、あ、あ――
 手の上のちいさな塵。おでんのビブルカードの燃えカスを、イゾウはひとつも逃すまいとかき集め、ほろほろと散り落ちる灰に手を汚す。かすれた声をやっと喉から絞り出し、彼はニューゲートの手に伏せた。
 その背の向こう、部屋の扉のあたりには人影がいくつかあり、いたたまれない視線を向けていた。おでんが白ひげ海賊団にいたころからいる古参の隊員たちは、イゾウがどんなにおでんを慕っていたか知っている。
 そんな彼らが、怒髪天を衝くイゾウの叫びにビクリと震えた。
「どこの野郎だ! 殺してやる! おれが、殺してやる!!」
 肩で息をするイゾウが扉へ駆ける。銃はすでに抜いていた。
「どけ、マルコ!!」
「どかねェよい」
「てめェ……
 これはやべェと思ったマルコが立ちふさがる。イゾウは仇を目にしたような形相で、さすがのマルコも冷たい汗を額に浮かべた。何年も一緒に旅をしているのに、こんなイゾウは初めてだ。
 イゾウが不死鳥の青い炎に銃口を向ける。ためらいなど、一瞬もない。
 スラリとのびた白い指が引鉄に力を伝え。
「やめねェか、アホンダラ」
「オヤジッ!」
 割って入ったのはニューゲートだ。マルコは止まっていた息を吐き出し、逆にイゾウは息をのむ。
「オヤジ! なぜ止める! おれは気が済まねェ! あの人を、おでん様を殺したやつを、殺さねェと、おれは、おれは――!!」
「イゾウ」
 優しく。ニューゲートはどこまでも優しく、イゾウの名前を呼んだ。
 応えるようにイゾウの眉尻が下がる。彼が目を伏せると同時に、なめらかな頬をいくつものすじが伝った。
「オヤジィ……おれは、どうしたら、いい」
「いま、おれたちにできることはなにも無ェ」
「う、うゥ……
 震えながら銃を握りこむ手が、ひとふさハラリと落ちた前髪が、激情を抑える丸まった背中が、すべてが痛々しかった。
 苦しみにあえぐ息子を前に、ニューゲートが淡々と続ける。
「ワノ国がどんな状況になっていたかは知らねェが、おでんをやったのは十中八九カイドウ。そいつを倒すとなりゃあ、国がどうなるか、何が起こるか、わからねェ訳じゃあるめェ」
 確実に、戦争になる。今の傷ついたワノ国は、きっと耐えられない。わかっている。
「おでんはおれたちを……頼らなかった。何も言わなかった。それがすべてだ。だから」
 わかっている。オヤジだってつらいということは、イゾウもよくわかっている。
 それでも。それでも――
「備えておけ」
 芯の入った言葉に、ハッと目が開いた。ニューゲートを見る。
 真っすぐに、目と目があう。
「『その時』は必ずくる」
 だから備えろ、と。カイドウの盤石の布陣が崩れるときは必ず来る、と。誰よりも信じられる人が、力強く言った。
 ニューゲートの金言はイゾウの心にじんわり染み入り、ひびの割れ目を埋めていく。より強く、より輝きを増して。
 丸めた背中がシャンと伸びた。袖口で乱暴に濡れた目をぬぐう。拳銃をしまい、マルコに頭を下げた。
「銃を向けて、悪かった」
「いいってことよ」
 マルコは笑って、彼の肩口をポンと叩いた。
 続けてイゾウはニューゲートへと向き直る。白くて立派なヒゲの下で、彼も少し笑っていた。
「オヤジ、おれは強くなる。いまより、もっと」
「ああ」
「『その時』、悔いが残らねェように」
「そうしろ」
 ニューゲートはそれ以上なにも言わなかった。言葉にせずとも、二人の間には確かな信頼があった。
 その信頼と覚悟を胸に生きてきた。
 二十年後の『その時』、イゾウはいよいよ故郷の土を踏んだのである。