お芋さん太郎
2025-11-23 14:21:05
2392文字
Public ちいさなSS @ONEPIECE
 

除霊ロッカー




 べポの口から、朝食の干し肉がポロリと落ちた。原因は出会いがしらのローのひと言にある。
「べポ、お前また昨日の夜、おれのベッドに忍び込んできたろう。まったく……しょうがないやつだ」
 しょうがないと言いながら、ローはまんざらでもない様子。一緒にご飯を食べていたペンギンとシャチが「まーたべポばっかり甘やかして!」とブーブー言うが、べポの耳には届いていなかった。
「悪い夢でも見たのか?」
……ううん、大丈夫だ。勝手に入ってごめんよ、キャプテン」
 様子をうかがうローの視線に、べポのフリーズが解けた。笑ってごまかして、皿に落ちた干し肉を食べる。
 まずいことになったと、本能で悟った。問題には対処が必要である。それが大好きな船長に関わることなら、なおさらだ。
 その日、夜が更けたころ。べポは航路のチェックに行くフリをしながら部屋を出た。
 誰にも見られないように自分のロッカーをあさり、目あてのものを取り出す。あっという間に準備は完了。廊下に出て頭の上の丸い耳をぴるぴる動かし、『やつ』の居場所を探る。
 ああ、見つけた。簡単だった。でも居場所が悪い。
 ――船長室の前だ。

 息が切れる。
 やけに冷たい空気が鼻に触れ、寒くもないのに凍えてしまいそうだった。足がガクガクと震え、たったの一歩前に進むのさえも億劫だ。
 彼はいま、化け物に追われている。
 すぐ後ろに迫ってくる白い毛むくじゃらは、右手に血の滲んだバットを握りしめ、左手には揺れるほどに熱いヤカンを持っている。正直に言って、かなり怖い。
 彼は走りが得意だが、化け物も巨体のわりに素早く、必死に逃げても振り切ることができないでいた。
「おい、待てよ。待って待って。ちょっと話をするだけだから、ねっ!」
 バットが壁にめり込んだ。
 話だけだなんて絶対に嘘だ。足を止めたら、やられる。
 化け物がヤカンの湯をぶちまけた。足の裏が熱くて、思わずぴょんと飛び跳ねる。
 そのまま徐々に廊下の隅に追い詰められていった。行き場がなくなり、耳はぺたんこ。無意識にグルグルと情けない声が出た。
「海水だよ。本当はお前みたいのには清めの塩がいいんだろうけど、物資は無駄にできないし、適当に祈った清めの塩水ってことで効いてるかな」
 ちゃんと効いてるので、せめて沸かさないでほしかった。絶対に確信犯。完全に嫌がらせだ。
 白い化け物とまっすぐに目が合う。その瞳からは何の感情も受け取れない。
 彼にわかるのは、ヤバいことに足を突っ込んでしまったということだけだ。
「動物霊なんてそこらにいるから、こういうのは初めてじゃないんだ。まあ、お前みたいなバカでかい虎の霊は、なかなかいないけど」
 化け物は口だけを動かして、棒立ちで、ぶつぶつ呟くように言う。やけに不気味に思えて、彼――虎の霊はうなりを上げた。
 図体のでかさでは、目の前の化け物よりも虎の霊の方が少し勝っている。なのに押し負けるイメージしかできないのだ。
 勝ち目などまるでない、やめておけ、これ以上手を出すな。心の奥底からそんな声が聞こえる。
「キャプテンは今まで何度も死に目にあってる。『あっち側』に近いし、憑きやすいんだろ。しかもあんなに優しくて、かっこよくて、強くて、魅力的。わかるよ。近寄りたいよな。おれもそうだから、よくわかる。しょうがないよ」
 化け物は自分が言ったことにウンウンと頷いた。少しテンションが上がったのか、声も少し高い。誰かに聞かせるというよりは、自分の中で納得しているような口調だ。
 希望が見えたと虎の霊は思った。同じ気持ちなら見逃してくれるかも。
 愚かにもそう思ってしまった。
「でも添い寝はダメだろ」
 油断し、息をもらしたほんの一瞬。
 化け物は雰囲気を地獄まで落とし、鬼のような顔で虎の霊に詰め寄った。海水で濡らしたバットの先を虎の顎にちょんちょんと突きつけるものだから、そこから震えがはしり抜ける。
 しかしバットよりも脅威なのは、その化け物自身。満月の灯が照らす肉体は、いつの間にかぶ厚い筋肉の塊に豹変していた。
 やつの体は全体がどんどん膨れ上がり、虎の霊の顔ほどにもなった巨大な手の先では、十センチもある鋭い爪が出番を待っている。うす闇の廊下を、白い長毛がまるで侵食するみたいに覆い尽くしていった。
 虎の霊は口を開けて、間抜けな顔で化け物を見上げるしかなかった。逆光の暗がりにふたつの目玉がギラリまたたくと、そのおぞましさに全身の毛がぶわりと逆立つ。
「お前、ただでさえモフだしさ」
……ギャッ!』
 化け物の平手が頬をぶち、吹っ飛ばされて壁にブチ当たる。
 そのまま首を押さえられて身動きができない。
「しかも連泊? 何様だよ」
 頭の真上。
 うすら赤いバットが、音をたてて空を切り。
「海賊ナメんな」
 暗転。

「ベポ? なにしてる。眠れないのか?」
 ちょうどべポがロッカーを閉めたところに、ローが通りかかった。心配そうなまなざしに、べポの心がポカポカと温まる。
「キャプテーン! おれ、怖いオバケの夢見たー!」
 目をバッテンにしてギュウと抱きつくと、もっとポカポカだ。
 ローはクルー以外の人間とあまり慣れ合わないから、この温もりがたまらなく嬉しい。十三年間、このポジションはずっとべポのものだ。
「しょうがねェな。来い。寝るぞ」
「アイア〜イ」
「図体はデカくなっても甘え癖は治らないな」
……すいません」
「責めてねェよ。それがお前だろ」
「ありがとキャプテン。これからもよろしく」
「こちらこそだ」
 ローにひと撫でされて上機嫌。うす暗い気持ちは鍵をかけたロッカーに全部しまって、純真無垢で愛らしいシロクマに戻る。
 なんにも心配はいらない。
 べポは、ローが大好きなだけなのだから。