お芋さん太郎
2025-11-23 14:14:51
2285文字
Public ちいさなSS @ONEPIECE
 

おれの物語




 白い空間にいた。ローがキョロキョロとあたりを見まわすと、遠くのほうに人影がみえる。
 影はだんだん近づいて来ているらしい。しだいに大きく、色が濃くなっていく。
 豪快に手を振る影のシルエットに、ローは見おぼえがあった。息をすることすら忘れ、その影を一心に見守る。
 影が音もなくピタリと止まった。ローの手が届く距離だ。三メートル近い長身の男の顔を、ローが見上げる。デカいと思ったが、あのころよりはよっぽど近い場所にある。
 どちらともなく手を伸ばした。あのころとなんら変わりない、かたいタコのある、温かい手だった。雪にまみれて、冷たくなってしまったはずの手だった。
「ごめん、コラさん……本当に、ごめん」
「ロー……
「おれのせいで、あんたは死んだ。おれが、死なせた……
 うっすらと開いたローの口から転がったのは、心からの謝罪だった。カラカラに乾いた喉からやっと出た声が、かすかに途切れる。
 聞きとりにくいはずなのに、男は「ウンウン、怖かったな。かわいそうによォ」となぐさめるように頷いた。大きな手が、腕を、背中を、頭をなぜる。揺りかごみたいな優しい手つきは、夢にまで見たそれだった。
 男は真っ直ぐにローを見て、ピエロのメイクを楽しそうに歪ませた。
「おまえに言ったとおり、海は自由に果てなく広がってる。友達と一緒に、旅をしてたんだ」
 男の背後をのぞくと、ローの両親、そして小さな妹がおだやかに手をふっていた。
 それはローにとって、何よりも魅力的な光景だった。どんなに金を積んでも、欲しがっても、もう二度と手に入らない。ローの失くしたすべてが、そこにそろっている。
「おれも一緒に行ってもいいか?」
「もちろん」
 ローが問うと、男がすぐさま肯定を返した。
 幼いままの妹がにっこり笑って、血色の良い小さな手をローへとのばす。病に苦しむ姿が最期だったから、彼女の笑顔はずいぶんと久しぶりだ。
 からっぽだった心に、温かな幸福が満ちる。ずっと、この瞬間を待っていた。誘われるように無意識に、ローも彼女へ手をのばし。
「でも、まだダメだ」
 触れる寸前、阻まれる。
 目のまえの大男のしわざだ。
「おまえには、まだやることがある」
「何があるってんだ。モンスターと罵られ、オペオペの実を食った嫌われものの海賊だぞ、おれは」
 白い町に暮らしていたころ、まさか自分が海賊になるだなんて思いもしなかった。あの美しい町で、おとぎ話のように幸せに暮らしていくのだと疑いもしなかった。
 それがいまはどうだろう。鼻には死臭がこびりつき、血で舗装されたレッドカーペットは地獄まで続いている。妹と食べたはずのアイスクリームの味なんて覚えちゃいない。吐き気のするほど甘ったるい記憶は、カビくさいパンのように味気ないものになり果てた。
 たくさん傷つけられて生きてきた。同じくらい、たくさん傷つけて生きてきた。そんな生き方しかできなかった自分に、いったい何ができるというのだ。
 途方にくれるローの指を、男がさらう。
 ローの手は、もう白い斑の浮かぶガリガリに痩せこけた手なんかじゃない。黒い墨のはいった大人の手だ。なのに男は赤ん坊をあやす手つきで、大切にていねいにローの手を包みこんだ。
「この手は人を救う手さ。二本の足もある。自分の船もあって……信じられる仲間がいる」
 男とのやわこいふれあいが抱擁にかわる。男が誇らしげに言うたびに、彼のよく吸うタバコの香りが、悲しく鼻をくすぐった。
 はじめて会ったときからずっとひどい男だった。それなのに、どこか希望に満ちた男だった。希望だけを、無責任に残していく男だった。
 だからこそローは、永遠に彼から目をそらせないでいる。まるで光に惹かれるちっぽけな羽虫だ。
「なァ、愛しのクソガキ」
 男がそっとローの耳に口をよせ、ささやき声で歌うように続けた。
「じつはな、これはおまえの物語だ」
 その瞬間、ローを襲ったのは、かつて言われた「生きろ」の熱量だ。
 ハッと目を見開いて、顔をあげる。男の抱擁から逃れ、彼の腕だけをぎゅっとつかんだ。
 居心地よいはずの場所なのに、急にうすっぺらの嘘みたいに感じられた。自分のいるべき場所はここではないと、本能が、心が、つげる。
 男がすべてを悟ったふうに、ニヤリと口の端をあげた。真正面から向かい合い、ローはまっすぐに言った。
「ガキあつかいするな。おれは医者で――
 そう、おれは。
「海賊だ」
 暗転。

 次に目を開けたとき、ローは騒々しい戦場に身を横たえていた。
 ガレキだらけで背中は痛いし、口を開くのさえもおっくうだ。嗅ぎなれた鉄の匂いは、土ぼこりよりも鼻につく。にぶる頭を必死にまわして、泥にまみれた縦ロールの金髪に声をかける。
……状、況は」
「トラファルガー! よかった目を覚ました! 一時的に心臓が止まって、もうダメかと……
「麦わら屋は……
 ドフラミンゴがでたらめに暴れる音がきこえた。
「覇気がきれたらしい。いま逃げているが、回復まであと四分」
 痛みを無視して体を起こす。まだ動く。
「逃げきれなければ……この国は終わる」
 指を三本立てる。まだ動く。
「そうか。なら、おれが適任だ」
 心臓も動いている。だから、大丈夫。
「トラファルガー⁉ まだ安静に……! おい聞いてるのか!」
 制止の声は聞こえないふりをして、能力を展開した。麦わらの男の気配に近づく。
 ひとりでも多くが救われることを切に願って。
 なすべきことを、成すために。