お芋さん太郎
2025-11-23 14:12:25
2015文字
Public ちいさなSS @ONEPIECE
 

ルージュの境界




 ファミリーに潜入するとき、ロシナンテが一番驚いたのは兄が笑っていたことだった。
 ふたりの兄弟が、まだ子どもだったころ。まだ兄弟であったころ。『下界』に降りてからというもの、兄はいっさい笑うことなく、ずっと何かに怒ってばかりだった。
 その兄が、いまは笑顔を絶やさない。後ろに控えるファミリーの幹部たちも、気もちの悪いふやけた笑みを浮かべている。
 そんな不気味な光景に、ロシナンテはぶるりと背すじを震わせた。
「ドフィ、こいつは……
「ああ。弟だ。間違いねェ」
 筋書きはこうだ。ロシナンテはしがないコソ泥で、小さいころから誰かに取り入って生きてきた。そしていよいよファミリーの倉庫に盗みに入る。いつも通りに運悪くドジをして、ファミリーに見つかり、死なない程度に痛めつけられ、ドフラミンゴの前に連れていかれ、弟だとヤツが気づく。
 ここまでは順調だ。
「汚ねェネズミが這いまわってると思っていたが、フッフッフ……お前とはな、ロシナンテ」
『おれをファミリーにいれてくれ』
 そう書いた紙をさし出す。無遠慮に、そっけなく。誰も信じてない風に。
 ロシナンテの行為に、幹部たちは一瞬ざわついた。それぞれの経験から、ロシナンテの置かれた状況を自ら想像して『かわいそうな境遇の弟』を作り上げたのだ。
 ドフラミンゴは口角を上げたまま、地べたに座りこんだロシナンテに近づいた。一歩にもならない距離だ。
 色付き眼鏡が、視線を合わせる邪魔をする。彼の真意は計り知れない。
「お前がいなくなって十四年。さすがに死んだものと思っていたが……生きていたとは、な!」
 ドフラミンゴが長い足でロシナンテの腹を蹴り上げた。鈍い音の中に、やっぱり声は混じらない。
 痛みにえずくロシナンテの顎を、彼は乱暴に掴み。
「笑え」
 たったのひと言。ドフラミンゴはねっとりとした口調で、ゆっくりと時間をかけてロシナンテに言った。
 ロシナンテの心臓がはねた。わけがわからない。この状況で笑う意味が、まったくわからない。
 ドフラミンゴのパンチが飛ぶ。固い拳はロシナンテの顔面へ入った。
 ロシナンテが吹っ飛んだ衝撃で、倉庫に積もった埃がぶわりと舞い上がった。スッと光のすじが差し、ドフラミンゴの足元に道を示す。その光景は神々しくも禍々しく、ロシナンテにとってまるで悪夢そのものだった。
 逆光に浮かぶデカい影がゆるりと近づく。
 鉄臭さいのが鼻の奥にたまり、呼吸もできない。きっとこのまま殺されるのだろう。それでもギロリと、細長い巨体を睨みあげる。
 大きな手が、ロシナンテの前髪を鷲掴んだ。ぶちぶちとイヤな音が体の中をこだまする。
「笑え、ロシナンテ。おれたちのシンボルは笑顔、スマイルだ」
 ドフラミンゴが自ら掲げたジョリーロジャーを指さした。
 ロシナンテの口の端っこは、ふるふる痙攣するばかりで、ピクリとも上がらなかった。
 当然だ。十何年も笑っていない。もうとっくの昔に、笑い方なんて。
「話し方に、笑い方も忘れたか。いままで誰に何をされてきたんだか……
 なめらかな指先がロシナンテにのびる。ドフラミンゴは親指でロシナンテの鼻血をすくった。
 白い指が真紅に染まる。
 ねばついた赤。指先で遊ぶみたいにいじり、そのままロシナンテの口元へ。
「それなら、なおさらだ」
 口の端から耳の下まで。たっぷり伸ばされた赤い軌跡は、まるで道化のようで。
「笑え。ロシナンテ」
 ドフラミンゴはいっそう笑みを深め「よく似合ってる」と心にも無いことを言った。
「こいつをファミリーに入れる。まずはシャワーだ。ドブのにおいがする」
 ドフラミンゴの指示に、部下たちが動き始めた。幹部たちはロシナンテをじろりと睨み、それでもボスには逆らわない。
「来い」
 兄の後ろを歩く。いつぶりだろうか。
 思い出そうとして、やめた。絶対に肩入れはしないと決めていた。
 自発的に笑えないことに、ロシナンテはしんそこ感謝した。彼らが掲げるシンボルのように笑えないなら、彼らの本当の仲間ではない。そう自分に言い聞かすことができるからだ。
 兄はかつて父を殺した。首をもぎ、自分のために利用しようとした。残虐な化け物なのだ。そんな彼と同じ血が流れていようとも、おれは兄とは違う。そう思い込むことができるからだ。
 血の軌跡を指でなぞる。
 このメイクがある限り、ロシナンテはロシナンテでいられる。ドフラミンゴとは違うのだと証明できるのだ。
 だからこそ、きっとこの潜入は成功する。兄の凶行を止めることができる。ロシナンテはそう確信したのだった。
 三日後、ヴェルゴがスパイの任を受けてどこかに出て行った。ロシナンテが『二代目コラソン』の肩書をドフラミンゴからもらったのは、その同日のことだ。
 ルージュで引いた大げさなほどの笑みが、ロシナンテの口元を赤く彩っていた。