お芋さん太郎
2025-11-23 14:08:04
1763文字
Public ちいさなSS @ONEPIECE
 

5巻3章




 背後にかすかな気配を感じた。シャチは水を一口だけ飲み、コップを流し台に静かに置く。少しばかり祈りを捧げ、意を決してふり向いた。
 潜水中の船の中は夜でも赤色光がついていて、完全な暗闇にならない。不気味な薄明かりの中には、誰の姿も見当たらなかった。
 シャチは流し台に背を預けたまま少し声を張り、いるはずの『彼』に語りかける。
「そこにいるんだろ? わかってるぜ」
 たっぷり三秒。間をおいて出てきたのは、信頼する仲間のひとり。操舵手のハクガンだった。
 いつもの白いツナギに白い仮面。いつも通り、表情はうかがえなかった。彼の背に隠されていて、右手は見えない。
「よくわかったな」
「わかるさ」
「おれがこの船で『なに』をしているのかも?」
「当然」
 いつも言葉が少ないハクガンが、流暢にしゃべる。冬の海より冷たい声だ。
 シャチはまだるっこしいやり方を好まない。すぐに本題へと切り込む。
「なぜ、裏切った」
 ハクガンはその問いには答えなかった。指先ひとつ動かない。ピリピリとした空気が肌をさす。
 シャチが眉根に皺をよせて続けた。
「仲間だと……仲間になれると、思っていた……
「いつ気づいた」
「確信はなかった。ただ、やけに操縦桿の扱いが手慣れてると」
「はじめから……か」
 ハクガンは大きく息を吐き、キッチンへと足を踏み入れる。ゆっくりと、焦らすように歩を進め、ちょうどシャチの真正面で止まった。
 すでに互いの間合いだ。
「悪いが、消えてくれ」
「ッぐ……!」
 ハクガンが、手にしたものでシャチの胸を突いた。医者が船長の船である。クルーは全員、ハクガンも含め、心臓の位置は熟知していた。
 シャチは反応できなかった。まだハクガンを、小柄でいつもクールな彼を、信じていたかったのだ。
 シャチが吹っ飛び、床に落ちる食器がガラガラと音を立てる。
 そこかしこに赤いものが飛び散り――

「で? 言い訳は?」
 ペンギンはイライラを隠さず腕組みをして、シャチとハクガンに詰め寄った。地べたに正座をさせられている二人には、ペンギンの額に青筋が見える。帽子で額すら見えないというのは、ひとまずおいといて。
「シャチから始めた」
「ハクガンが思いのほかノッてくれてさァ」
 互いに指さし、罪をなすりつけ合う彼らに、ゲンコツがひとつ、ふたつ。
「だからって、なーんで深夜に寸劇はじめるかなァ⁉」
「ごめん!」
「ギャー! いってェ~!」
 二人が深夜にいきなり始めた寸劇。これは『海の戦士ソラ』の五巻三章よりはじまる『裏切り・動乱編』の冒頭部分である。
 こういった寸劇は、ハートの海賊団では日常茶飯事だ。北の海で大人気の海ソラを熟読している者が多いため、似たシチュエーションに出くわすと誰かが自然に始め、誰かが自然とノッてくる。船のいたるところで、ある時はホウキで大立ち回りが、ある時はぶつかって精神が入れ替わり、またある時は大げさな食レポが始まるのだ。
 騒がしいことこの上ないが、みんなが海ソラを愛していること、また閉鎖空間である潜水艦でのストレス解消にもなるため、多少の悪ノリは船長のローも許容している。
 しかしTPOはわきまえるべき。
 ド深夜、騒音、ケチャップのムダ使い。スリーアウトである。
「でもさあ、深夜のキッチンといったらあのシーンだろ?」
「それはそう……じゃなくて、寝てるやつらのことを考えろって言ってんの!」
 悪びれないシャチに、ペンギンは一瞬納得させられそうになり、すんでのところでとどまった。ペンギンだって海ソラは好きだ。
「船長もなにか言ってくださいよ!」
「げ」
 眠そうにあくびしているローに、ペンギンが話をふった。説教コースかと、シャチとハクガンが身構える。
 ローはお騒がせな二人を鋭い目つきでじろりと睨んだ。喉から出てくる声はこれまでないほどに低く、少しかすれている。
 つまり、めちゃくちゃ怖い。
……シャチ」
「はい」
……ハクガン」
「うす」
 二人は冷や汗で背中をじっとり濡らしながら、ぴるぴる震えてやっと答えた。
「お前らなァ、

……次やる時はおれも混ぜろ」

「って、あんたもか!」
 廊下の奥から、「ペンギン、うるせェぞ~!」とヤジが飛んだ。