mishiadd
2025-11-23 11:35:57
3344文字
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あなたは子供だった

【宮本兄妹】「#宮本兄妹の梅結び」タグ参加作品。兄が兄でなくなった日。

ええ、いいですよ。セイバーさんは、あたしとふたりっきりになると決まって兄のことを聞きたがりますね。
今日もまたひとつ、兄の話をいたしましょう。――あの人が、あなたを長屋ここにあたしとふたりで残していって、通りの万屋で買い物をして、またここに戻ってくるまでの短い間に。

兄と初めて出逢った日のことは、あたしは覚えていないのです。きっと兄の方はもうとっくに物心もついていただろうから、あたしがどういうところから貰われてきて、どういう様子の子供だったかということを、はっきりと覚えている。
あたしは、別に良家の出自などではなかったのだと思いますよ。きっと、お師匠さまに拾われてくる前の兄と大差ありませんでした。きっとあの家に来る以前は、兄にもたくさんの兄弟がいて、あたしにもきっといた。――でも、あたしは覚えていません。兄以外の兄のことを、あたしは知りません。

兄とは六つ歳が離れていると言っています。でも、本当のところはわかりません。あたしも兄も、自分の本当の生まれ年を知りません。あたしはもしかしたら自分で思っているよりも年上なのかもしれないし、兄も自分で思っているよりも年下なのかもしれない。――兄上は上背があるでしょう。きちんと食べてくれないから背丈の割に身体は細いけれど、背が高くて、大人っぽい表情をしているでしょう。だからもしかしたら、お師匠さまも、まわりの大人たちも、そして兄上自身も――皆あの人のことを、実際よりも『大人』だと勘違いしている。そんな可能性もきっとあるでしょう。

兄上は、よく出来た優しい兄でしたよ。分別なくぐずるあたしをずっとあやしてくれたのはいつだって兄でしたし、あたしが何かを強請ねだったりしたら、自分の分を我慢してでもあたしのために融通を利かせてくれた。幼い頃はそれが当然だと思っていた。だって、兄は優しくて完璧だったんです。兄はいつだってあたしを守ってくれて、強くて、いつだって正しかった。――あたしにだけじゃなくて、いつだって誰にでも優しかった。兄の言うことに間違いなんか絶対になかったんです。

あたし、兄みたいになりたかった。兄のやることすべてに興味があったし、なんでもかんでも兄の真似事をしていた。兄が料理をしていたらあたしも料理をしてみたかったし、兄が剣の稽古をしていたらあたしも真似をしました。……料理は無事に覚えました。剣はからっきしでしたね。

兄が作ってくれた木彫りのおもちゃを片手に握って、そのあたりに落ちていた木の棒をもう片方の手に引き摺って、あたし、ずっと兄の後ろをついて回ってた。道場の庭で素振りをしている兄を見ながら、縁側の上で木の棒を振っていた。しばらくすると稽古を終えた兄があたしを見て笑いかけて、あたしを背中に背負って庭を駆け回って遊んでくれた。兄は強くて優しくて、いつだってかっこよかったのです。兄はいつだって正しくて、欠点などただのひとつもなくて、完璧な人だった。――兄が、あたしの世界のすべてでした。兄が世界の中心で、世界の中心である兄は完璧だったから、あたしの世界は完璧だった。心配するべきことなど、ただのひとつもありませんでした。

あたしの前では、兄はいつだって強くて優しかった。あたしがべっこう飴が欲しいのだとぐずって泣いたら、なんの躊躇もなく自分の分もくれた。あたしと近所の男の子が喧嘩をして泣いていたら、まるで大人みたいな顔で仲裁に入ってくれて、お互いの話を根気強く聞いてくれて、またふたりで仲良く遊べるようにしてくれた。剣の腕前だって、お師匠さまの道場で一番強くて――ねえ、本当に格好良かったんですよ。自慢の兄でした。「カヤちゃんの兄君、かっこいいね」なんてよく言われたりしたんですよ。そんなの、当たり前で当然で、あたしはとっくに知ってたことでしたから、「そうでしょう」なんてあたしは言っていた。まるで自分が褒められたみたいに、いつだって誇らしかった。

格好良くて、何でもできて、強くて正しくて優しい、自慢の兄。――あたし、不安なことなどなにひとつなかった。怖いことも、苦しいことも、全部兄上がなんとかしてくれる。兄は、あたしにとって――そう、紅玉の、本の爺ちゃんがなんと言っていたかな――きっと、『ヒーローひいろお』というものでした。



――『そうじゃない』と気づいたのが、きっとあたしの『物心がついた』瞬間だったのでしょう。



兄の剣の話ですから、あたしは詳しくは知りません。でもきっと、お師匠さまに新しい型でも教えてもらった晩のことだったんだと思います。――真夜中にあの人、庭の池の中にいるのが見つかったんです。
あたしは寝ていて、住み込みのお弟子さんたちで道場が騒ぎになっているのに起こされた。裸足のまま、とたとたと縁側を下りていったら、すっかり藍色になって薄暗い道場の庭の中――鋭いような三日月の、眩いような真っ白な月光の中で、池の中に人影がひっそりと浮かんでいる。

黒々とした水面に月光が映って、そこに更に人のかたちをした影が落ちていて。腰から下が水に漬かっている兄の――あの整った綺麗な顔が、真っ白な月光に照らされていた。それが、あまりにも――あまりにも、あどけない顔をしていたんです。

子供のあたしにもわかりました。――ああ、この人子供なんだって。

湊の村から焼け出されて、お師匠さまに貰われてきて、年下の『妹』まであてがわれて。今の今まで、精一杯大人のふりをして生きてきて。――その実、ずっとずっと子供のまんま、ここまで生きてきてしまったんだって。

秋も終わりかけの、冬のような寒さの夜でした。池の中から引っ張り上げられた兄ちゃんは、大人たちに口々に「なんでこんなことしたんだ」って叱られていて――それで、きょとんとした顔をして言ったんですよ、あの人。「『掴んだものは離すな』と師匠に教わりましたから、こうして水の中で稽古をしておりました」って。

――翌日、当然ぶっ倒れましたよ、あの人。高い熱を出して、一週間。

ね。だから。その日からあたしの世界、『完璧』なんかじゃなくなりました。……それでもきっと、あたしにとってはあの人は世界の中心ではあり続けたけれど。でも、何があってもきっとあたしを守ってくれる、絶対的で一方的な『ヒーローひいろお』などではあり得なかった。

あたし、あの人を守ってあげないといけないんだって思いました。そうなんだって、ようやくわかったんです。

あの人きっと、自分のことは守れないんです。そういうふうにできていない。あの人は、誰かを守ることでしか自分のことを守れない。だからあの人が、昔からなにひとつ変わらず、あたしを守ることで自分を守ってくれるのなら、それでいい。――それがあたしのあの人を守れる唯一の方法だというのなら、それでいいです。

きっとあの人は、今までも、これからだって、ずっとあたしの『ヒーローひいろお』であろうとしてくれることは変わらない。それはきっと、あたしが気付いてしまう前からずっとそうで、それ以降もずっとそうだったっていう、ただそれだけの話です。だからこれは、兄が変わったという話ではないのです。ただ、あたしが気付けたという話。――きっとそれが、『成長する』ということなのだという、たったそれだけの話なのです。それが『物心がつく』ということで、それが『大人になる』ということだという、たったそれだけの、普遍的な人生の話。

ねえ、だから、セイバーさん。来てくださって、ありがとう。本当に、心から感謝しているのですよ。あなたが『義姉上』になってくださる話、兄はああ言っていたけれど、あたしは冗談なんかではありません。どうかあたしと一緒に、あの人を守ってあげてください。器用でなんでもできるのに、生きるのだけが下手なあの人を、どうか――

ああ、兄ちゃんおかえりなさい! もう戻ったの? 買えたかったもの買えた? ううん、セイバーさんと明日の献立について話してたから全然退屈なんてなかったよ。――それじゃあセイバーさん、兄ちゃん、また明日ね! おやすみなさい。






あなたは子供だった・了