みすみ
2025-11-23 01:56:54
2653文字
Public
 

巡り巡り

同居を始めたarhmシャアム

「ただいま」
 昼間は暖かいが、朝と夜は冷えるようになった。そろそろコートが必要だなと考えながら帰宅したシャアは、ダイニングテーブルで頬杖をつきノートパソコンの画面を睨みつけていたアムロを背後からがばりと抱きしめた。シャワーを浴びたばかりなのか、頬を寄せた髪はしっとりと濡れている。
「おかえり。早かったな。飲み会だったんだろ?」
 アムロの平然とした声と、抱きしめたシャアの腕を当たり前のように受け入れ、応えるように軽く叩くアムロの手のひらに、シャアは自分の口もとがゆるむのを感じた。
 抵抗がないのをいいことに髪に鼻を埋めて深呼吸する。「吸うな」「嗅ぐな」「おい、聞け。吸い込むな」「疲れている時にひとの頭を吸う癖をどうにかしろ」というアムロからの抗議はすべて聞き流す。アムロの髪から香るシャンプーの匂いは、驚くほどの喜びでシャアの胸を満たした。
「また君はちゃんと髪を乾かしていない」
「自分のことは棚に上げて帰って早々に小言か。乾かしたさ、ほら」
「これでか? まだ濡れてるじゃないか」
 髪に指を通してシャアがわざとらしくため息を吐くと、むっとしたアムロは「シャア、お前はいちいち近いしいちいちうるさい」とシャアを押し退けて立ち上がった。シャアから少しでも距離をとるためだろう、アムロはシャアの腕の中からするりと抜け出し素早くキッチンに移動してしまう。
「スープを作っておいたぞ。食べるだろ?」
 小言はごめんだ、とアムロの顔には書いてあった。必死に話を逸らそうとする姿すら、いまのシャアにとってはおもしろく愛おしい。「もちろん食べるさ。着替えてこよう」と笑うシャアの背中には、「ごゆっくり」というアムロの心からの声がかけられた。
 シャアがアムロとの同居を始めて、早いもので半年が経つ。話を持ちかけたのはシャアからだった。「いっしょに暮らさないか、アムロ」といつものように、真っ向から、正々堂々と。
 初めのうち、アムロからの返答は普段からは考えられないほど曖昧で、のらりくらりとかわされる日々が続いた。どんな誘いにも乗ってきた男が……とシャアがひそかにショックを受けていると、そのことを察したらしいアムロは呆れた顔で子どもに諭すように告げた。「友達からの遊びの誘いと恋人からの同居の誘いを同列に扱われては困る」のだと。
 しかしもともと一度断られたくらいで諦めるつもりのなかったシャアが詳しく話を聞き出すと、そもそも現在無職のアムロが同居に難色を示したのは彼の性格によるものらしかった。アムロはただひと言「引っ越しがめんどくさい」と主張した。
 たとえば、お前といっしょに暮らすのが嫌だから、とばっさり切り捨てられていたとしたら流石のシャアも諦めただろう。とりあえず、ではあっただろうけれど。そうではないのであれば話は早い。引っ越し作業はすべてシャアが請け負うことで合意を得た後、アムロの気が変わらないうちにシャアの家にアムロが引っ越し、ふたりの同居生活は無事始まったのだった。
 適応能力の高いアムロはすぐにシャアとの生活に慣れた。というか、同じ空間で同じ時間を過ごしているにもかかわらず、アムロは驚くほどシャアに対して気をつかわなかった。同居の約束をとりつけたその日にアムロには就労者であるシャアの生活リズムに合わせるつもりはないと伝えられてはいたが、アムロはシャアの想像を易々と超えてみせた。出会った瞬間からいまに至るまで、どんな時も期待を裏切らない男なのだ。
 生活リズムがめちゃくちゃなのは当たり前。使ったものは出しっぱなし。気が向くと凝った料理を作るが基本的には食事も入浴もめんどくさがり、趣味に没頭し始めると返事はすべて生返事だ。家の中で姿が見えず仕方なく電話をすると、ペガサス号でドライブをしていると言われた日には脱力した。せめて家を出る前に声くらいかけてほしい。
 シャアは同居することを偶然会ったアムロの元上司であるブライトに話した時の「そうらしいな。アムロに聞いたよ」という素っ気ない返事から想像できないほど熱い視線を忘れられない。これまでのブライトの苦労が窺える。同居を始めてたった一週間で、シャアはブライトの視線に込められた思いを察したのだった。
 シャワーを浴びてリビングに戻ると、温かいスープが用意されていた。アムロは先ほどと同じように頬杖をつき、つまらなそうな顔で雑誌を読んでいる。シャアが先日買ったばかりのファッション雑誌だった。シャアの部屋から持ち出してきたらしい。ノートパソコンの電源は切られている。
 同居生活が始まる際に、この家にあるものはすべて好きにしていいと伝えてあった。「君に見られて困るものはないからな」と胸を張るシャアに、アムロはふうんと目を細めた。「それじゃあ遠慮なく」という言葉通り、アムロはシャアの部屋も自由に出入りしている。
 雑誌を閉じたアムロは正面に座ったシャアをじっと見つめた。
「そろそろ俺といっしょに暮らすことを後悔してきたか?」
「するはずがない」
 この問答も何度目になるだろう。同居を始めてシャアの小言が増え始めた頃にアムロからされた初めての問いかけがこれだった。もちろんシャアは即座に否定した。半年が経ついまもアムロは飽きずにシャアに同じ疑問をぶつけ続け、問いかけられるたびにシャアは律儀に否定し続けている。
 まったく、笑ってしまう。冗談だろう、と。逆に聞き返したくなる。
 同居を始める前の仕事終わりにアムロと待ち合わせて会う日々もよかったが、家に帰ってアムロがいる夜が、目が覚めた時にアムロが隣でぐっすり眠っている朝が、シャアにとってどれほど幸せなのか、彼にはまだ伝わっていないようだ。
「これが私が夢にまで望んだ日々だよ、アムロ」
「物好きなやつ……
 照れくさそうに目を逸らしてしまったアムロを、今度はシャアがじっと見つめる。
 ――君の事を考えなかった日は一度もないよ。
 心からの言葉をどれだけ繰り返し伝えても、シャアの偏屈な恋人はいつまでも信じてくれない。結局、そんなところも好きだ。
「アムロ、明日はコートを新調しに出かけないか? 夕食は久しぶりにもんじゃ焼きが食べたいな」
「休みなのか? せっかくならドライブでもいいぞ。俺がどこへでも連れて行ってやる」
 シャアはアムロによく似合う白いコートを見つけるだろう。得意げな顔をするシャアに、年下の優しい恋人はまた呆れた顔をするに違いない。