ぽんすけ
2025-11-23 00:15:30
1984文字
Public テセニュ
 

お兄ちゃんなんだから、

2025いい兄さんの日ということで。

ひゅお、と通りを吹き抜けた風の冷たさにテセウスは思わず肩を竦めた。
見上げた空は淡い橙に藍色のインクを流し込んだようで、すぐに暗くなっていくだろう。
ダイアゴン横丁の通りに並ぶ街灯の光がふんわりと降りかかってくる様子は視覚的には温かいが、冷え切った石畳は靴越しでもその温度を伝えるようだ。
買い物客達も下がってきた気温に早く帰路に就きたいのだろう、皆どことなく早足だ。
テセウスは目当ての店を見つけると冷たい空気を振り払うように扉からその長身を滑り込ませた。
カランカラン、と頭上でドアベルがけたたましく鳴る。
店の中はよく暖房が効いていて、独特の刺激臭が鼻の奥を衝いた。
店のカウンターに向かいポケットから取り出したメモを店主に渡す。
書かれているのはちょっとクセのあるニュートの字で、並んでいるのは薬草の名前だ。
そのニュートはといえば、現在魔法生物達の健康診断で手が離せないというのでテセウスがこうして足りない薬草を買いに来たのである。
やがて店主が乾燥させた薬草の入った袋を持ってきて、提示された金額をきっちりと支払うとテセウスは店を出た。
店の中が暖かかった分寒さは身を切るようだ。
先ほどまではまだ夕方の気配があった空はすっかり暗くなっていた。
「もう、お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」
「ママ、この前もそう言ったよ」
そんなやり取りが聞こえてきて振り返ると男の子と、その母親がおもちゃ屋の前で何やら言い合っている。
どこにでもありふれたそんな会話を聞き流しながら、テセウスはそういえば、と思考を過去に巡らせた。
テセウスは一度だって母親にそう言われた試しがなかった。
というか、言われるまでもなくテセウスは弟であるニュートを一番にしてきたのである。
初めてニュートに会った日のことは今でも鮮明に覚えている。
母親の腕の中に抱かれた弟はふわふわで柔らかくて、春の木漏れ日を見上げたような淡いグリーンの瞳がきらきらして。
テセウスの指を握ってにこにこしている弟という生き物があまりに愛おしく、この先何があってもニュートを守ると決めたのである。
テセウスがそれこそ寝食を忘れる勢いで弟にべったりだったものだから、母親はすっかり呆れていたけれども。
ひゅお、と冷たい風が吹きつけて過去の回想から引き戻されたテセウスは、弟の待つフラットに戻るべく足早に残りの買い物に向かった。


***


「ほーらいい子だ、こっちもよく見せて」
テセウスがニュートのフラットに戻った時、案の定というか、ニュートの声は地下室から聞こえてきた。
階段の上から覗き込むと何やらムーンカーフの群れに囲まれている弟の姿が見える。
どうやら目薬をさしてやっているようだが、好奇心旺盛な他のムーンカーフ達がなんだなんだと集まっているらしい。
「テセウスおかえり、ちゃんと買えた?」
「ああ」
「ありがとう、小屋に置いておいてくれない?」
ニュートに袋の中身を確認してもらい、テセウスは作業小屋の方に向かった。
その途中でニフラーの巣がある場所を通りかかり、おや、と足を止める。
親玉であるテディはどうやら留守で、ベビーニフラー達がきゅうきゅうと騒いでいる。
その側にいるのは麒麟の子供だ。
麒麟は普段であればテセウスを見つけるとすぐに飛びついてくるので、どうやらこちらには気づいていないらしい。
ニフラーの巣から転げ落ちた丸い物体――何かは分からないがとにかくキラキラしてはいる――を麒麟が鼻先で転がして遊んでいる。
ニフラーといえばキラキラへの執着心がすごいので、てっきり喧嘩に発展するかと思いきやベビーニフラー達はそわそわしながらもそれを見守っている。
妹分がキラキラを独占するのを許しているのを見て、テセウスはふっと小さく笑った。
どこも同じだな。
どうやらベビーニフラー達は“お兄ちゃんだから我慢“を頑張っているらしい。
「何笑っているの?」
「いや、何でもないよ」
いつの間にか隣に来ていたのか、ムーンカーフの世話を終えたらしいニュートも一緒になってテセウスの視線の先を覗き込む。
それでベビーニフラー達と麒麟の様子に気づいたのか、彼もまた視線を柔らかいものにした。
「最近ベビーニフラー達もお兄さんお姉さんになって張り切ってるみたいなんだ」
ニュートのその言葉に頷いたテセウスは、それに続くニュートの種族を越えた共同体としての習性がどうのこうのという話が長くなりそうな気がしてこほんと咳払いを一つ落とす。
「とりあえずちょっと休憩しないか?」
とびきり美味しい紅茶を淹れるから、というテセウスの言葉にニュートの話が途切れる。
「賛成」
まだ遊んでいる麒麟に視線をやってから、兄弟はリビングに向かった。
因みにいつの間にかテセウスの懐中時計はまんまとテディに盗まれていた。