すだ
2025-11-22 12:25:43
4856文字
Public 婿スバカグ
 

いい夫婦の日

舞手カグヤと婿スバル。結婚後、子供はまだいません。布団の中で仲良くしているお話です。
#スバカグ

『カグヤ、こっち!』
『まって、あにさま! わっ!』
 昔から活発だった幼馴染は、雪の上でも俊敏だった。足元が悪いのにも構わずスタスタと前へと進んでいく。まだ雪原に不慣れな小さいカグヤはおっかなびっくり歩を進める。ふうふう息を整えていると、小さな掌が目に入った。
『ほら、早くいこう』
 差し出された手を握る。大好きな、お日様のような笑顔が返された。


 少しの肌寒さに目が覚めた。昨日は夏の里で床に就いたはずだ。それなのに珍しく涼しい朝だった。そのせいか、昔スバルと雪原を歩いたときの夢を見ていた気がする。辺りはすでに明るくなり始めていた。このまま眠ってしまうと寝坊してしまうかもしれない。もう少しうとうとしていたかったが仕方がない。身を起こそうとするが、
……だめ」
 伸びてきた腕に阻止された。そのまま引き戻され抱きすくめられる。
……ちょっと、スバル」
 目を開けず布団に引っ張り込むとは、一体どうやったのだろうか。あまりの器用さに呆れてしまう。軽く鼻を摘んでやると、眉根が寄せられた。
「んー……もうちょっと」
「起きないとお店に遅れちゃいますよ」
「だって……カグヤがいないとさむい……
「寒いですか?」
「うん……寒い。だから温めて」
「ここは夏の里なのに」
「うーん……でも今日はいつもより寒い」
「ひゃ」
 足を絡められ、思わず声が出た。確かに夫の足は冷たくなっている。少しひんやりとした朝の空気はカグヤには心地よいが、自分より寒がりなスバルには辛いのだろうか。本当に寒いのか、くっついていたいから寒いと理由をつけているのか、どちらなのだろう。
 どちらでもいいか。だって、くっついていたいのは自分も同じなのだから。
 胸元にすり寄る夫の頭を優しく撫でてやる。
「仕方のないひと」
 髪の毛の滑らかな感触をしばし楽しむ。スバルの髪はカグヤが羨むくらい綺麗だ。
 つむじの辺りに跳ねた毛を見つけ、何度か撫でつけた。
「寝癖がついています。後で直しますね」
「うん。じゃあカグヤの髪はオレが整えるよ」
 ひと房銀髪を取られ口付けられる。一連の淀みない動作に目が離せないでいると、それはそれは愛しげに微笑まれた。
 澄み渡った透明な笑顔に胸を打たれる。まるで幼い頃笑い合っていたときのように、何の憂いもない表情だった。
 そういえば、ここ最近は陰のある笑い方をすることが少なくなったような気がする。
 夏の里に住み始めた頃のスバルは憂いを帯びた表情ばかりしていた。どこか遠くを見つめていたり、笑顔を浮かべても陰があったり。彼が己を卑下するたび胸が痛んだ。
 過去に起こったことは消せない。彼の犯した罪もまた、生きている限り背負っていくものだと理解はしている。それでもいつか、心置きなく笑えるときがくるといいと願ってきた。
 幼い頃とは明らかに変わってしまったふたりの関係。それでもカグヤはありのままのスバルを受け入れた。どんなあなたでも大切なのだと辛抱強く伝え続け、恋人期間を経て婚姻を結び、今こうして同じ寝床の中で睦み合っている。
 やっとここまでこられた。
 やっと戻ってきた。大好きなお日様が。寧ろ一回曇ることを経験したためか、より輝いている気さえする。いや、これは惚れた欲目だろうか。
「カグヤ?」
 急に動かなくなったのを心配してくれたのか、スバルがこちらを覗き込む。
 琥珀色の瞳をじっと見つめた後、口付ける。少し驚いたように身じろぎした後、応えるように唇が押し付けられた。触れ合うだけの口付けを何度かした後、見つめ合う。さすがにこれ以上仲良くしていては今日の予定に支障が出ることを分かっているのだろう。白磁の頬を褐色の大きな手が滑る。
「カグヤ、今度はいつ休める?」
「ええと、予定を確認してみないとはっきりとは言えませんが……どうしたんですか? 突然」
「こんなに妻が可愛いのに、ふたりの時間をろくに取れてないからさ……カグヤ不足で動けなくなりそう」
 額が触れ合い、前髪が混じり合う。
「確かにそうですね……。分かりました。皆さんにお願いして、次のスバルのお休みに合わせて休めるよう調整してみます」
「本当? 言ってみるもんだな……。約束したからね」
「はい、私は約束は守ります」
「知ってるよ、昔からキミはそうだった」
 そう言うと、一層きつく抱き締められた。少し苦しいが、スバルの想いの強さを表しているようで、嬉しくなってしまう。
「休みの日、何かしたいことはある?」
「したいこと……
 スバルと一緒なら何でも楽しいに決まっている。いっそのこと何もしないでゆっくりするのも悪くないだろう。
……あ」
 ふと思いついたことがあり、声が漏れる。
「何か思いついた?」
 スバルに問いかけられたものの、口にするのは少し憚られた。
「大したことじゃないんです」
「オレにとっては大したことかもしれないだろ。言ってみてよ」
……笑いませんか?」
「笑うようなことなの?」
……多分」
「絶対とは言えないけど、笑わないようにするよ。ほら」
 両手で頬を挟まれスバルの方を向かされる。
……
「カグヤ」
 促され、とうとう白状した。
……手を繋いで、お買いものに行きたいです」
……手をつないで」
「はい」
「買いものに」
「はい」
 そのまま固まってしまった夫の胸元をポカポカ叩く。
「だから言ったじゃないですか! こんな子供じみたこと言って、自分でも恥ずかしいんですから」
 叩いていた手を取られ、丸ごと抱き込まれた。
「笑わないよ。笑ってないだろ?」
……でも今、絶句してたじゃないですか」
「それは、オレの奥さんが可愛すぎて言葉を失っていただけ」
「か、かわっ……?」
「うん、可愛い。オレにできることだったら何でもするつもりだったけど、そんなささやかなことで幸せを感じられるオレの奥さん、可愛い」
「そんなに何度も可愛いって言わなくていいですから!」 
「ええー。何でも話して下さいって言ったのはカグヤなのに」
「たしかに言いましたね……
 確かに恋人になってすぐの頃、そう言った。ただし、心に浮かんだ言葉を何でも口に出して欲しいという意味ではない。しかも可愛いだなんて。
 結婚してから数えきれないほど甘い台詞を垂れ流すようになったスバルに、ただただ面食らうばかりだ。
「急に変わりすぎですよ……
「変わったつもりはないんだけど、今まで心の中で思っていたことを口に出すようになったからかな」
 心の中では、ずっと可愛いと思われていたということか。恥ずかしすぎる。
「スバルは恋人になる前、口にも顔にも出さなかったじゃないですか。さすがに恋仲になってからそんなことはなくなりましたけど……。突然聞かされるこちらの身にもなって下さい」
 恋人の間だけでも充分愛の言葉を囁いてくれたスバルが、夫になった途端更に拍車がかかろうとは予想だにしなかった。人のいい兄のようなふりをして、ずっと恋心を抱いていたとか、可愛いと思っていたとか、後になって聞かされる身にもなって欲しい。あのときどんな気持ちだったのか、などと考えてしまうではないか。
「まあ、恋人じゃない年頃の女性に言うことでもなかったし。もう隠す必要がないから、これからは正直に口に出すよ。だから慣れて?」
「うう……善処します。恋人のときだって充分大切にしてもらったのに、戸惑います……
「あはは、ごめんね? でも、恋人のときはもっと甘やかしたくても、しつこくして嫌われたらどうしようってまだ不安だったから」
 不安に思わせてしまっていたのか。思わず背中に回したままの腕に力が入る。揺れる琥珀色を見つめた。確かに交際中のスバルは、まだ遠慮があった気がする。年長者として余裕を見せようとしていたような。カグヤもスバルを兄のように慕っていたこともあり、甘えてしまうところがあった。それではいけない、いずれ夫婦になるのだから対等な人間として見てもらわないと、と奮起した。兄としての仮面を剥がすのは骨が折れたが、今ではすっかりこの甘えっぷりである。達成感は大いにある。
「今は、不安はないですか?」
「全然。だって、カグヤはオレのことを愛してるだろ?」
 悪戯っぽく笑う夫に口元が綻んだ。
「ええ、勿論。愛していますよ、あなた」
「ありがとう。オレも愛してる」
 頬ずりされると、少しひげが当たる。優男のスバルでも、ひげはきっちり生えてくるらしい。当たり前だろうと言われそうだが、結婚するまで全然知らなかったのだから、いかに身だしなみに気をつけていたのかがよく分かる。

「それにしても、やりたいことがずいぶん具体的だったね?」
「実はこの間、年配のご夫婦と知り合ったんです」
 都から孫の顔を見るために秋の里を訪れた老夫婦と知り合ったのは、一週間ほど前のことだ。道を聞かれ教えると、とても感謝された。しばらく逗留するというので、ヤチヨの店で茶を飲みながら身の上話を聞かせてもらったのだ。その後、秋の里を訪れるたびふたりが散歩をする姿を見かけた。手を繋ぎ、何を話すでもなく穏やかに歩いていたのが印象的だった。
「仲良く手を繋ぎながらお散歩をしていらして」
 きっと、あのふたりは長い歳月を共に生き、色々なことを乗り越えてきたのだろう。言葉がなくても通じ合えているように見えて眩しかった。
「私たちはまだ新米夫婦ですけれど、歳を重ねてもあのおふたりのようにずっと睦まじくいられたら素敵だな、と思ったんです」
「それで、手を繋いで買いもの?」
「はい。もう老後のことなんて、気が早いですかね?」
「オレは嬉しいよ。だって、お爺さんお婆さんになるまで一緒にいたいって思ってくれてるんだろ?」
「当たり前です。スバルと添い遂げることが私の望みなんですから」
「うん、オレも。これからもふたり一緒にいるために、話し合いながら乗り越えていこうね」
 その後は、言葉を交わすことなく互いの体温を感じながら布団の中で大人しくしていた。朝陽が竜神社に差し込む。眠りから醒めたように蝉の鳴き声が遠くから聞こえてきた。スバルが大きく息を吸った後、声を上げる。
「よぉし、元気出た! 今日も一日頑張ろう!」
 威勢よく布団から出て行く姿に笑みがこぼれる。
「さっきまで寒くて元気がなかったのに、げんきんな人ですね」
「だってカグヤと一緒に過ごせる約束を取り付けたんだ。それまでに仕事をちゃっちゃと終わらせておかないと」
 お日様の笑顔を浮かべたスバルが、カグヤへ手を差し伸べてきた。
「おはよう、カグヤ」
 手を取ると、力強く引き上げられ軽く抱擁される。結婚してからというもの、スバルに抱きつかれる回数が随分増えた。
「おはようございます、スバル」
 背に手を回し答えると、嬉しそうな笑い声が耳をくすぐった。
「手繋ぎデート、楽しみだね」
「もう!」
 自分の子供じみた願望をわざわざ声に出さなくてもいいのに。目の前の胸を叩こうとして思い直した。あの老夫婦のように長年連れそうためには、もっと素直になるのも大事だろうか。背伸びして耳元に囁く。
……楽しみにしています」
「うん」
 スバルの明るい笑顔に、思わず目を細めた。


 カグヤの大好きなお日様の笑顔を持つその人は、今日も明るく笑っている。曇ってしまったときもあったけれど、乗り越えた先で再び輝き始めた。
 天気と同じように、人もまた移ろうもの。様々な要素が重なり陰にもなれば陽にもなる。カグヤとスバルは運命に翻弄され、苦しみもがきながらも互いの手を離さなかった。いや、何度も離そうとしたスバルを繋ぎ止めたのはカグヤだった。スバルだって、結局離すことはできなかった。
 共にあることを、互いに強く望んでいたから。
 これからもずっと命ある限り、共に生きていくのだ。