しったか
2025-11-21 11:42:31
3706文字
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虻と蜂

!狂スロ絆礼装の微ネタバレ含む
戴冠戦で相性がよかったばかりに交流ができてしまった剣スロと剣ジルの居心地の悪い話

 此度の現界ではまったく奇妙なことばかり起こる。冠位戴冠戦と名付けられた法外な戦いの果て、最優と謳われるセイバークラスの頂点に、敬愛する王すら差し置いてランスロットは立った。自身の武錬に関しては一切謙遜も卑下もなく、ある意味当然のものとしてその冠を戴いている。
 以降毎日三度ほど、セイバークラスの同胞を率いて異邦の剣豪・宮本武蔵と戦う日課を繰り返している。出陣前の茶会――慰労や壮行会の類ではなく、サーヴァントとマスターの結びつきを強くする術式の一環として行われる一服の席につくのも、もう慣れたものだった。
――目を逸らさぬのだから、事実、貴殿は立派な御方だ」
 男の呟きはひどく凪いでいて、称賛の形こそしていたが虚ろで、かといって嫌味たらしくもない。何の意味も持たない響きをしている。 
 もう何杯飲まされたかもわからない夕闇色の紅茶を口に運ぼうとして、ランスロットは動きを止めた。隣に座る男は続けて、いっそ水筒で渡していただきたいですねえこれは、と独り言のように愚痴ったので、自分に向けられた言葉に気づくのに一瞬の時間を要する。
 僅かに眉を上げたのに気づいたのか、青白い顔をした優男――若き日のジル・ド・レェはうっすらと微笑んだ。上流階級特有の、外交の意味しか持たぬ笑みである。それを受けて、ランスロットの身に刻まれた宮廷流の振る舞いが咄嗟に似たような笑みを作る。憂いを帯びたといえば聞こえはよいだろうが、どうにも陰気な面相の男二人が、観客たる貴婦人の存在もなしにニコニコと笑い合っている。傍から見れば実に不気味だろうなとランスロットは冷静に分析した。
 答えの代わり、マスターが菓子盆と呼ぶ木製の鉢をジルの方へと軽く押しやる。ぎっしりと詰まっている茶菓子は、馬車馬の義務として飲まされる茶にせめて食の楽しみをと添えられたネモ・ベーカリーの心づくしだ。
 ジルは器に軽く目を落とし、フロランタンと呼ばれる焼き菓子をひとつ摘まんだ。スライスしたアーモンドを敷き詰めた、美しい飴色。食べやすいよう、あえて大雑把に割られたそれに四角い歯が立てられる。何のことはなくただ一般的な成人男性のかたちをしている、前歯と糸切り歯。ほんの僅かに覗いた青褪めた唇の内側は暗く、赤い。そんな、そうあるべき当然の事実がランスロットの気を重くする。
 騎士であり、故郷を同じくし、クラスはセイバーであり、――いずれ償いきれぬ罪を負う身であり。共通点こそ多いものの、到底互いに親しみなど覚えようのない二人であった。
 こうして戴冠戦に駆り出されるまでまともに口を利いたこともない。決して険悪なのではない。ただ、他人である。今や無数の英霊がひしめくカルデアにおいて、顔見知り程度の関係の者などいくらでもいた。その中から、流星のごとく――というには物憂げに、慎ましやかに彼は現れた。尋常でない強さを誇る武蔵を相手取るランスロットの力を最大限に引き出す支援者として、マスターが現状唯一見定めた最適解。それがジル・ド・レェであった。
 あえて選んだはずの沈黙を紛らわすように、ランスロットはガラス製のティーポットを見た。ちょうど指二本分ほど茶が残っている。その視線に気づいてか否か、ジルは止める間もなく空のカップ――すなわちランスロットのカップにおかわりを注いだ。仕草は丁寧で、勢いに反して飛沫のひとつもテーブルに散ることはなかった。
「どうぞ」
……かたじけない」
 恨みがましい調子を隠せていたかは怪しい。
 マスターの為すことに反意などない。少なくとも、そう思われなくてはならない。
 ランスロットの慎重な、あるいは頑迷な線引きをジルは実に愛想よく踏み越える。
「意外だった、という話なのですが」
「はあ」
 曖昧に相槌を打って、カップで口元を隠す。何の話かと具体的に尋ね返すのが面倒だった。珍しく、ランスロットの直感は現状維持を示している。
 ジルは二つ目のフロランタンをつまみ、しかし齧りつくことはなく、美しい飴色をくるくると回して鑑賞している。カルデアの料理番たちが手がけた料理はどれもこれも美しい。茶の席にあって篭手すら外さない武人の指先でも、なお。
「先日、貴殿があまりに自然に、いっそ仲睦まじいご様子でバーサーカーの貴殿と会話をしていることに私はひどく驚いたのです。もう一人の自分、まして狂い果て言葉の通じぬ獣じみた姿の己を直視に耐えうるかと。いやはや、貴殿の高潔さには感服いたしました」
 そこで吹き出してテーブルに突っ伏し笑い転げたり、あるいは侮辱は許さぬと怒鳴って立ち上がることが出来ぬのがランスロットだった。はあ、と深い溜め息をひとつ吐き切って、ジルに倣ってフロランタンに手を伸ばす。晴れた秋の昼下がり、プラタナスの落ち葉が織りなす絨毯のよう。黄金色にもきらめく菓子をやはり口に運ぶことなく、ランスロットは呟いた。
「何が高潔なものか。あれは私の罪の化身、私の醜い本性というだけ。私以外の誰も、あの汚らわしいけだものを直視すべきでない」
「妙な言い方をなさる。あれは発狂中の貴殿ではないので?」
……ならば憎悪は王ではなく、王妃に向いて然るべきだろう」
「それもそうですな。私は女には懲りましたので、実際のところわかりませんけれども」
 嘯く男はおもむろにフロランタンを頬張った。歯並びのよい顎がかりりとアーモンドを砕き、唾液と混ぜて丸めて、飲み込んでいく音。ランスロットはどうしても、それより小さなひとかけらを舌に乗せることができなかった。
「そういう貴公はキャスターのご自身を避けているように思うが。今からでも親睦を深めたい、とでも?」
「御冗談を。誰があんな気違いと楽しくおしゃべりしたいものですか」
「気違い」
「頭がおかしい、というのは必ずしも狂気を意味しますまい。あれがバーサーカーではなくキャスターだからなどという屁理屈でもありませんとも。私はどこまでも正気でしたよ。正気のまま堕落した」
「世間はそれを物狂いというのでは」
「いちいち想像通りのお答えをくださいますなあ貴殿は」
 飴に溶けた砂糖のごとくたっぷりと含まれる嫌味、にしては淡々とした物言いは、会話を切り出した時と全く変わらない。ランスロットは肩をすくめ、ついに諦めてフロランタンを菓子盆に戻した。防具に包まれた指をカップの持ち手にねじ込むことなど到底できないから、マナー通りに指先でつまんで持ち上げる。茶の作法など、本当は知る由もないのに。ランスロットもジル・ド・レェも、茶を嗜む習慣が欧州に存在しない時代を生きた。飲み物といえば葡萄酒である。中世の人間は皆常に泥酔していて、誰も彼も正気ではなかったのかもしれなかった。
「お気に召さなかったかな」
「それはそうでしょう。やはり貴殿がご立派な方だということしかわからなかった」
「違う、よしてくれ。だってあれは永遠に贖えぬ罪を、慚愧を、狂気の力で憎悪に捻じ曲げたというだけの、」
「ああ、なるほど。存在しえないのですか」
 ジルはいっそう昏い目をして呟いた。白い歯がフロランタンを砕く。ごり、ぼり、とくぐもった音が響くたび、彼の脳裏に浮かんでいるであろう聖女の、魔女の嘲笑が、どうしてかランスロットの頭蓋の奥で虫の羽ばたきのように唸る。頭痛にもならないその煩わしさを、与えられた栄誉も戦いに赴く高揚も搔き消してはくれなかった。
「なら――マスターも、御同胞も御友人も、貴殿が仕える王すら、誰一人理解できぬバーサーカーの言葉を貴殿だけが解せるのは、何故なのでしょうね」
「『私』だからな」
 それだけは断言できた。ジルは唸るような、嗚咽のような、奇妙に甲高い笑い声を漏らす。焼き菓子の屑が白銀の甲冑に散って、すかさずそれを床に払うしぐさを、ランスロットは黙って見つめていた。
「私はあれの言うことなど何一つ理解したくなかったのに。あれを拒み続ける存在こそが私だとそう思いたかったのに、貴殿ときたら、まったく自分が馬鹿らしくてなりません」
「自分のことは自分が一番よくわかっているものだろう。否応なく」
「いいえ。貴殿はご自分が疎ましいのでしょうが、私は世界が憎いので」
 俯き加減でカップに口をつけた男の黒髪は案外さらりと軽やかに揺れる。ランスロットは、肩より伸びた自身の重苦しい蓬髪を思い出した。きちんと櫛を入れて整えているうちに捧げられた、いくつものやさしい口づけを思い出していた。どちらもこの星見の地においては何人たりとも見ることは能わぬと戒めた、穢れた自身の誓いを思っていた。それこそランスロットの眉間に刻まれた憂いであり、湖の光であり、天に開けられた空洞のごとき星々であった。ジルの苦悩をランスロットは飲み込んだが、それだけだった。
 手元には星見の紅茶のダブル・フィンガーがまだ残っている。色形だけは洒落て美しいそれをわざとらしく音を立てて呷る。ジル・ド・レェは当然、それを咎めない。ただ粛々と善なるものとして、今日もランスロットの力になってくれるのだろう。