いぬは
2025-11-20 22:29:29
6621文字
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自由の囚人

ンズルカ
※四肢を欠損した⚔️を🕯️が介護する話
※付き合ってないしギスギスしてるように見えるかも、実際は割れ鍋に綴じ蓋。

「ファルカさん、夕食の時間ですよ」
開けますね、といっそ恐ろしいくらいに規則的なノック音を響かせたあとに、中からの返答を聞く前にフリンズは自身の屋敷にある最奥の部屋の扉を静かに開けた。
__スネージナヤの辺境にある【迷い込んだら二度とは出てこれまい】と実しやかに囁かれているような暗い森の外れにあるそのこぢんまりとした屋敷、正確には庭園つきの別荘の管理には使用人の一人や二人は流石に欲しい筈だろうに、ここ数十年はもっぱら土地自体を放置していた筈の主人である若き風貌をした貴族である『キリル・チュードミロヴィッチ・フリンズ』と表には現れない『かたわの同居人』のみが住んでいる。
その気高い同居人の健気なプライドを傷付かせないためか、はたまた苦労してまで手に入れた宝物を自分以外の誰にも見せたくないからなのだろうか。
答えは未だ出せないままである。


その部屋には一等見晴らしのよい大きな窓がひとつこれ見よがしにベッドのそばに配置されていた。
まあ、隙間風すらこの家には入れぬとでも言わんばかりに何重にも張られたガラスと厳重に嵌め込まれてある鉄格子は親しい同居人が住まう部屋の装飾と言うには些か無骨すぎるのだろうけども。
家主が親しき友人のために貸し与えた一部屋というよりは、罪人の余生を過ごす監獄のようだとはどちらも言い出さなかった。
この分からずやには何を言っても無駄だろう、ということは双方が分かっているからである。
「貴方がすぐ床に身を無様に打ちつけてまで窓辺に這いつくばって移動するから、心配で家具も一式新調したのですよ?」と近頃は気のたっている家主の妖精はきっと懲りもせず言うだろうし、この部屋の主人が気だるげに「誰かの自由を強制する権利がお前さんにはあるとは恐れ入った。お前はこれから一介のライトキーパーではなく傲慢な領主を名乗った方がいい」と負けじと言い返すのも最早一度や二度ではない。


フリンズがかじかむ手を擦りながら押してきた鉄製のワゴンの上には質素なサラダと器に盛られたどろりとした粘性状の主食らしきものが盛り付けられた器が2人分置かれていた。
薄暗い部屋の上にある上質なベッドの上には身じろぎひとつすらしない大きな影がひとつおり、家主はその塊がお行儀よく横になっている様子にふわりと微笑んだ。
「今日は一際冷え込んで来ましたからね。貴方のために粥を用意したのです」
『ファルカさん』と呼ばれたその男はちらりとつまらなさそうにそちらを見た後にせめてもの抵抗かのように寝返りを打った。
これはいつもの攻防のひとつであり、何の変哲もないじゃれあいだとフリンズは認識しているため特に気にもしてもいない。
……貴方がここに来てから随分と経ちますね」
出来たばかりなのに急いで運んで来た熱々の粥を冷ますまでの間にフリンズは数ヶ月前のことを世間話のように切り出した。
随分と、と便宜上言い表しはしたが己にとってはつい昨日のことのようであり、ファルカにとっては永久にも近い責苦の日々だったのだろうということも分かっている。
ことの発端はモンドだけでなく他の六国も巻き込む例の大戦の後、何もしていなくても風に乗って噂が聞こえてくるようなかの有名な『大団長様』が後輩に正式に身分を受け渡し隠居したとフリンズは小耳に挟んだのが始まりだ。
妙な胸騒ぎがして手紙を送ると、「久しぶりだなフリンズ!悪いニュースしかないがそれでもいいか?」という入りから始まり代筆だと前置きに書いてある数枚の便箋と共に、四肢を切り落とし今や寝たきり状態になっているかつての狼の現状を聞いた。
あとはまあ、遠方から訪れ親しい友人として彼の介護を自ら申し出た結果何十枚にも連なる紙に延々とサインをする苦しい数時間を送ったという面白みも何もない思い出も必然的についてくるのだが、自分としてはあまりよい記憶ではないし思い出すのもつまらないことの数々だ。
それでも印象に残っている場面を挙げるとするならばやはり「僕と余生を過ごしませんか?」と上擦った声で恋する乙女かのように告げる己の言葉に頷いてくれたシーンだろう。
あの時の光景はきっと今際の際でも忘れられない。
本人が「嫌だ」とたった三文字呟けばそれだけでこの偏屈なライトキーパーに引き取られる話も、生まれ育った故郷から今度こそ離れて恐らくは永遠に帰っては来れないだろうという密約も何もかも無かったことになるのだが、彼は手足が無くなったことすら些細なことかのように豪快に笑い飛ばしながら「世話になったよ、ごめんな」と教会のシスターたちに寂しそうに謝罪をしたのだ。

 





あの時、安くはない運賃を支払ったスネージナヤ本土への片道切符の馬車に揺られながらフリンズは向かいの壁に寄り掛けられたファルカを見つめていた。
随分と短くなった手足を重力に従ってだらんとぶら下げ、目をうすらと瞑り離れていく故郷の風の音を聞き逃さんとしているかの様子に話しかけるのも躊躇われると珍しくフリンズは萎縮していた。
……そうだ、思い出した。
己は確かに、目の前の自己犠牲をしすぎた結果ついぞなにも残らなくなった抜け殻のような男と何を話せばいいのか分からなくなってしまい「随分と背が低くなりましたね」と考えうる限り最悪な問いかけをしてしまったのである。
ファルカはその声にぴくりと反応し、面倒くさそうに目を開き「要らないものだと捨て続けたら最後には何も残らなかったんだ。ハハ、馬鹿な話だろう?」と存外穏やかな様子でそう告げてきた。
思えばフリンズにとってのファルカの声というのは酒によって喉を潤した結果の柔らかなものしか知らなかったから、その妙にガサついた声が、知らない誰かと対面しているかのような心地がしたのだ。
最初は左腕だった、最初から惜しくはなかったから構わなかった。次は利き手の右腕だった、それはそれで堪えたがそれでも足がある。あとはまあ知っての通りだ。
俺の肢体と、モンドの安寧。
彼は得意のジェスチャーを用いた身振りをしようとした後に、また「ハハ」と乾いた笑いをこぼし諦めたかのように頭を背もたれに傾けた。
「でも、貴方は幸運なことに生きています」
「無様な死に損ないだ」
気まずい沈黙が、広くはない馬車の中を満たす。
己と離れた後に随分と卑屈になってしまったらしい『元生ける伝説』の『元北風騎士』の『元西風騎士団大団長』殿は、僕が思っているよりもずっと剣技と名声のみがアイデンティティだったらしい。
死に損なったことを恥じるよりも生き延びられた幸運を喜ぶべきなのに、今の追い詰められた精神状態ではそれすらままならないのだろう。
素直に可哀想な方だな、と思った。
感受性豊かな方ではないということは自分でも自負しているが、それでも憐れまずには居られない。
愛する国民の血税で若くもない命を延命されてる時はどんな心地だったのだろう。
不在中も代理団長を見事に務めたあの可憐な女騎士に正式に大団長の座を譲渡した時はどんな気持ちだったのだろう。
自分1人では食事すら満足に取れない身体の不自由さにどれだけもがき苦しんだのだろう。
己だったらどう感じるか?までは流石に想像しなかったが事実を並べるだけでも彼自身が己を惨めだと形容するのは分かるような気がしてくる。
最も、生半可な共感は彼の傷を抉るだけなのだろうが。
「なあ、フリンズ。お前のそれは同情か?」
「いえ」
同情であったら義手や義足のひとつやふたつをフォンテーヌなりスメールなりで拵えて与えてやったのだろうが、フリンズとしては連れ帰ると決めた時からそんなつもりはなかった。
「なら好奇心か?」
「いえ」
好奇心であったら無様な達磨を一目見てあっさりと満足したのだろう。わざわざあんなにたくさんの書類を書いて面倒な小言を彼の部下の数だけ聞いてまで身元を引き渡してもらって共に帰路に着くなんてきっとありえなかった。
「お前のそれは執着だ」
「えぇ、取りこぼした目当てのモノを取りに来ただけです」
ナド・クライから撤退する貴方の背中に「行かないで」とは言えなかったから、動けなくなった貴方を迎えに来たんです。
貴方が逃げられないと分かっていても、それでも攫っていくのです。
僕はなんて幸運だ。そうは思いませんか?
そうかよ。最低なやつだな、とくたびれきって何も感じられなくなった彼が、ふにゃふにゃとした声色で僕の欲しかった言葉を告げた後に、彼は午睡という沼に浸かっていった。
寝顔は存外あどけないんですね、なんて本人に言ったらため息をつかれてしまいそうなことを思いつつも、毛並みのよくなった頭を撫でると丸いはずの頭蓋に妙に凹んでいる箇所を見つけた。
過去の貴方の勇壮な戦いは、たとえ今このような身体になっても何も変わらないのに……、とフリンズは流石にため息を溢すしかないのだった。





「ファルカさん、どうか口を開けてください」
下品ではあるが致し方なくベッドに腰掛けファルカさんの上半身を無理矢理起こす。
木製のカトラリーに乗っかっている麦がゆを口元に近づけるとファルカは再度頭をゆるやかに振ってそれを拒んだ。
……頑なな方ですね」
人間が食事をしなければ死んでしまうという当たり前の常識は、彼からしたら食事さえしなければこれ以上生き恥を晒さずに早めに死ねるという認識にすり替わっているのかもしれない。
ならばこそ、フリンズとしてはそれを阻止しなくてはならないのである。
「五秒数えるまでの間に貴方がこれを口に含まなかった場合、僕が口移しを致しましょう」
ファルカさんは案の定諦め半分軽蔑半分の目でこちらを見た後のろのろと薄く口を開いたので、この機会を逃さないために遠慮なく匙をねじ込む。
「あつ゛ッ?!」
「え、すみません」
目視では湯気が消えていたのでいけるのと思ったのですが……とフリンズは慌てて紙より軽い心にもないような謝罪をした。
思い出に想いを馳せていたから目測を誤ったのだろう、自分の落ち度だ。
「拭くものと飲み物のどちらがいいですか?」
フリンズはファルカの随分と小さくなってしまった背中をさすってやりながら問うた。
……いや、別にいい」
「拗ねないでください」
僕は貴方にべそをかかれるとどうすればいいのか分からないのです、とフリンズは分かりやすく眉を曲げて困った表情をしてみせた。
『人間の擬態がお上手ね』と言われれば痛い腹を突かれたフリンズは苦笑せざるを得ないが、それでも大袈裟なくらいの感情表現でもしないとファルカはまた己を人の心が分からない非人間だと糾弾するだろうから、線引きのためには必要なことなのである。
「そんなことよりも、だ」
……
「こんな人形遊びをいつまで続けるつもりなんだ?」
流石のフリンズも言葉に詰まってしまった。
久しぶりに義務的な会話以外をしてくれたという事実に喜べばいいのか、はたまた甲斐甲斐しい世話を人形遊びだと吐き捨てられてしまったことに悲しめばいいのか。己としてもどちらのスタンスで居ればいいのか分からない。
「征服のために大地を踏み締めた足はもうありはしない。こんな身体じゃ死んで風に乗ってもモンドに帰れないだろう」
「僕が貴方の足になります」
「守るために剣を振るった腕もなくなった。昔お前と約束した手料理も結局振る舞えないままだ」
……僕が貴方の手になります」
貴方の『親友のバルバトス』は「あの子が迷子になったら導いてあげてね」と僕に伝えてきましたよ。
なんて残酷で優しい事実は言ってはやらない。
貴方が多大なる迷惑をかけたと思って負い目を感じているモンドの皆さんは貴方の心配をずっとしていましたし、門を出るまで僕のことを目の敵にしていましたよ。
貴方が愛した自由の国は、なるほど確かに澄んだ綺麗なところだった。
だから、貴方の意思までは引き留めはしない。
貴方の魂がモンドに還るのならば、せめてその頼りなくなってしまった短い肢体は骨片も腐肉も余すことなく僕のモノになってほしい。
僕が貴方の伝説を語るために墓を掘るから、途方もなく淋しくなった時に縋るための居場所になってほしい。
「それでも、貴方はファルカさんです。」
……だから嫌なんだよ」
手足が無くなっても、よぼよぼになっても、喃語しか喋れないような有様になっても、貴方はずっと僕の愛したファルカさんのままだ。
「なあ、お前が居なきゃ排泄のひとつも満足に出来ない哀れな男が『北風騎士』の成れの果てだなんて信じられるか?『生ける伝説』とまで讃えられた男が今や死に損ないの生き恥だ。笑えるだろ」
「でも、ここに居るのは僕と貴方だけですよ」
そして迷惑を被られている僕は何も気にしていないのだから何の問題もない。
今日は随分と饒舌ですね、と頭を撫でると「そもそも俺にとっちゃそれも嫌なんだ」と突っぱねられた。
撫でられたら幸せそうに目を細めるのに、よわい自分を認められない難儀なお方だ。
「昔のお前なら絶対に俺のことをそんな風には撫でなかった」
「僕は貴方のことが好きだと何度も伝えているでしょう?」
「自分が苦労して手に入れた戦利品だから、の間違いだろう」
こちらとしては愛情表現のために撫でているのに、へそを曲げている気難しいファルカさんにとっては子供扱いのように映ってしまうらしい。手も握れない上に唇も許さない気高い貴方に請われなくても触れられる唯一のところなのに。
「ここにいる限り、貴方の自由は保障されているんだ」
と、フリンズが言うとファルカは今度こそ背中を向けて返事をしなくなってしまった。
七割ほど残っている粥を見てまあ上出来か、と皿を回収する。
残りはフリンズが自室で食すことになるから二人前も正直なところ要らないのだが、そのことに気づかれると今度こそ断食を遂行するなり吐き出すなりして本格的に栄養チューブからの点滴になりそうなので気づかれないようにしている。
「おやすみなさい、ファルカさん。よい夢を」
フリンズはファルカの布団の上に彼の外套を被せてやった。
唯一、彼がモンドからの渡行の際に未練がましく名指しで持っていきたいと強請った私物である。
彼が正式に西風騎士団の大団長に任命された時に仕立ててもらった一張羅であり、成長で着れなくなったんだと名残惜しげに酒場で言ってきたその上質な古びたコートは、今やすっぽりと彼自身のことを包み隠してしまう。
「ここに居る限り俺は悪夢しか見ない」
シーツとコートに埋もれてこもった声を上げるファルカさんに、気まぐれに愛の告白をしようと思った。
「ならせめて、僕が居る夢を見てくださいね」
最も、今や彼に随分と嫌われてしまっている『フリンズ』が出る夢だなんてそれこそ最上の悪夢なのだろうが、おはようからおやすみまでそばに居るのだから夢の中に居ても罰は当たらないだろう。
ついに返事すら返してくれなくなったファルカに「明日もまた来ますね」と伝え、扉の鍵をかけた。










(お前のそれは自由なんかじゃないだろ)
庇護の元に赦された自由をファルカは認めてはいない。
いっそ己の自己満足の為だとフリンズが自信満々に告げてくるのならばファルカも諦めて彼のコレクションのひとつに、あるいはごっこ遊びの伴侶になってやったというのに。
目の前の愚かで人間が好きな妖精は己の本質に気づきもせず、さも貴方のためですと伝えてくるのである。
その優しさはつらい、その視線は痛い、その口ぶりは苦しい。
誰かを守れもしない騎士に存在価値などありはしないし、牙を失った犬っころ同然の狼もまた同様に生きるためのすべを持てないのだから、俺を愛しているとのたまうのならひと想いに短剣のひとつでも心臓に突き立てくれたらいいのに。
そんなことを考えても何も出来ないのだから生きづらい。
フリンズの隣じゃ上手く息も出来そうにはない。
だからファルカは、諦めたかのように目を閉じて綺麗な夢に縋ることにした。
次目覚めた時は故郷の蒲公英の咲く丘がいい、賑やかな酒場だったらもっといい。
そこで陰気そうに俯いているひとりぼっちのアイツなら、きっと俺も愛してやれるんだ……、なんてことをうつらと思いながら。